第31話 海老男、霧夜亭で乾杯す! 〜リリア、ルージュベリィに酔いしれる〜
三人は、ロブが行きつけにしている宿『霧夜亭』の酒場で、遅めの夕食を囲んでいた。
石造りの壁にはランプの灯りが揺らめき、木製のテーブルには素朴ながら心のこもった料理が並んでいる。
湯気とともに広がる香ばしい匂いが、旅の疲れを優しくほぐしてくれるようだった。
「お待たせ、ロブさん。今日はちょっと奮発したわよ」
朗らかな声とともに、女店主が料理を運んできた。
ふくよかな体つきで肝の据わった、酒場『霧夜亭』の主――マリーナである。
「ありがとう、マリーナ。いつもの頼む」
「はいよ。ロブさんには深蒼樽の上物、ゼランさんには燻銀麦酒、お嬢ちゃんには……ふふっ、ルビー果樹の蜜搾りがいいかしら?」
「わぁっ、甘い匂いがします……!」
リリアが目を輝かせる。
「それにしても、冒険者登録のお祝いかしら? 今夜は珍しく賑やかねえ」
「ああ。俺たちにとっても区切りの夜だ」
ロブが軽く笑うと、マリーナは気さくにウィンクしてテーブルを離れていった。
三人は杯を手に取り、互いに視線を交わす。
「リリア、おめでとう」
「は、はいっ! ……わたし、冒険者リリアとして、これから頑張りますっ!」
紅の果実酒のような色のジュースが、ランプの光を受けて輝く。
ロブとゼランが酒杯を掲げ、リリアのジュースと合わせた。
「乾杯だ」
軽やかな音がテーブルの上に響き渡る。
新たな旅立ちを祝うその音は、まるで静かな祝祭の鐘のようだった。
リリアは頬を紅潮させながらジュースを口に運び、ふぅと小さく息をつく。
ルビー果樹の蜜搾りは、甘酸っぱさの中にほんのりとしたコクがあり、疲れた身体にじんわりと染み渡っていく。
「明日は新人研修がある。しっかり休まないとな」
ゼランが真面目な口調で告げると、リリアは背筋をぴんと伸ばした。
「はい……! あの、研修ってどんなことをするんですか?」
期待と不安が入り混じった表情で尋ねるリリア。
ゼランは酒杯を軽く回しながら、静かに答えた。
「まずはギルドの仕組みと冒険者の仕事についての説明だな。冒険者の心得やら、朝から眠くなるような座学が待ってるぞ」
「ギルマスの言うことか」
ロブがからかうように笑う。
「退屈なのは事実だろうよ。で、そのあとは街の外にある森で実地研修だ。教官役の冒険者が引率してな」
「ま、魔物と戦ったりするんですか?」
リリアが思わず声を上ずらせる。
想像以上に本格的な内容に、肩がぴくりと跳ねた。
「ああ。魔物を誘き寄せる餌を使って、現れた魔物を討伐するところを見てもらう」
ゼランは当然のようにうなずく。
「危険なんじゃ……」
「この辺りの魔物は初心者向けの低級だ。ギルドが管理してるし、新人の練習用に育てているようなものだ。危険はないさ」
ゼランの説明に、リリアはほっと息をついた。
しかしすぐに真剣な眼差しで問い返す。
「そ、そうなんですね……でも、本当に大丈夫なんでしょうか?」
「もちろん、魔物は魔物だ。何があるかわからない。油断は禁物だぞ」
その言葉に、リリアはぎゅっとグラスを握りしめ、こくりと頷いた。
「はいっ……気を引き締めて挑みます!」
ゼランはその気迫に満ちた表情を見て、ふっと柔らかな笑みを浮かべる。
ロブも静かに視線を上げ、彼女の成長を感じるように目を細めた。
「ふわぁ……」
食事が進む中、リリアが小さく欠伸を漏らした。
王都の喧騒と慣れない登録手続きの緊張、さらに新しい装備の重みがじわりと疲労となってのしかかっているのだろう。
「眠くなったか?」
ロブがやさしく声をかけると、リリアはこくりと頷く。
「はい……今日は本当に色々ありすぎて……」
「無理もない。先に休むといい」
「すみません、お先に失礼しますっ!」
リリアは椅子を下り、ぱたぱたと階段を上がっていく。
その背中を見送りながら、ロブは静かに杯を傾けた。
「さて――」
ロブが視線を戻すと、ゼランが眉間に皺を寄せ、腕を組む。
「紅竜団は三千人規模の盗賊団だ。エリザたちの話でも、本隊がどこかで蠢いてるらしい。必ず報復に動くだろう」
「紅竜四爪とか言ってたからな。ヴォルフが幹部の一人にすぎないことは分かってたさ」
ロブは冷静に応じる。
「騎士団でもギルドでも奴らの情報は集めているが、まだ本拠地は特定できていない。できることなら先手を打ちたいが……もどかしいな」
ゼランが苦々しげに杯を傾けた。燻銀麦酒の香ばしい香りが、ふわりと立ち上る。
「エリザたちも知らないのか?」
ロブが低く問いかける。視線は揺れるランプの光を映して、鋭く細められていた。
「ああ。大所帯だからな。各地に点在していて、幹部連中に頭領から指示が降りる仕組みらしい」
ゼランは指でテーブルをとんとんと叩きながら続ける。
「しかもその頭領が何者なのか、顔すら誰も知らんそうだ。声や姿を見た者はいない……まるで夜に紛れる影法師だな。実体を掴ませず、指示だけが飛んでくる――厄介な相手だ」
静かな空気が張り詰める。
テーブルに置かれた杯の中で、琥珀色の液体がわずかに揺れた。
「その頭領がいる本拠地の場所を知っているのは紅竜四爪だけだそうだ」
重い言葉だった。
紅竜四爪――ヴォルフを含む、紅竜団最高幹部の異名。
ロブは静かに杯を置き、指で縁をなぞるようにしてからつぶやいた。
「ヴォルフを殺したのは失敗だったか」
その声音には悔いよりも、冷徹な戦略家としての自問が滲んでいた。
ゼランはすぐに首を振る。
「いや。奴がのうのうと生きているのは我慢ならん」
その表情にはギルマスとしての顔ではなく、一人の戦士としての怒りが覗く。
「ギルマスとしては失格かもしれんが……奴はあそこで死んで正解だったさ」
決意のこもったその言葉に、ロブはわずかに口角を上げる。
言葉を交わさずとも、互いの胸のうちにある怒りと覚悟が通じ合うようだった。
揺れる灯りがふたりの影を壁に映し出し、夜の酒場に静かな緊張感が満ちる。
「それと、魔族との繋がりを示唆したときだ。魔導公会の連中が露骨に怒鳴り散らした。だがな、あれはどうにも芝居がかっていた」
「……なるほど。わざとらしく怒って見せた、か」
「ああ。繋がりを誤魔化すための演技だろう」
ゼランは軽く舌打ちして、グラスを手に取る。
ゼランが低く息を吐き、杯を指先で軽く回す。
「だがな、ロブ。奴ら、妙に焦っていたぜ。予想外のことが起きたって顔だった」
ロブが静かに問い返す。
「セイラン村の襲撃が失敗したことか?」
ゼランはにやりと口角を上げる。
「その通りだ。小さな村を責め損ねるなんて、奴らも思ってなかったんだろうさ。お前さんが紅竜団を討伐してくれたおかげだ」
杯の中で琥珀色の酒が静かに揺れる。ゼランはそれを一口含んでから、重々しく言葉を続けた。
「おかげで奴らの計画は大きく狂った。今ごろ慌てふためいてるだろうよ」
ロブは鼻で笑い、視線を上げる。
窓の外では、夜の王都が静かに時を刻んでいた。
「ならば好都合だ。奴らの計画が狂ったなら、崩す余地はある」
「だな。あいつらが何を企んでいるのかは分らんが、俺も最後まで付き合うぜ。こんな面白い舞台、他にそうそうない」
ゼランが杯を掲げると、ロブもそれに応じるように杯を合わせる。
「……乾杯だ」
ふたつの杯が静かに触れ合い、涼やかな音色が響く。
その瞬間だった。
「わたしも、がんばります!」
階段の上から顔を出したリリアが、眠そうに瞼をこすりながらも、しっかりとした声で宣言した。
「立派な冒険者になって……ロブさんに胸を張って報告できるように!」
その真っ直ぐな瞳に、ゼランはふっと目を細める。
「本当に眩しいな。俺もあれくらいの頃は希望に満ち溢れてたがな」
ゼランの言葉に、ロブは静かに頷いた。
「だからこそ、守らないとな」
リリアはふわりと笑みを浮かべ、ぱたぱたと階段を上っていく。
「それじゃあ……ほんとにおやすみなさいっ!」
「ああ。ゆっくり休め」
リリアが姿を消すと、ふたりはふたたび杯を傾けた。
「……良い弟子を持ったな」
「間違いない。これからが楽しみだ」
『霧夜亭』の灯りが静かに揺れる中、ふたりの視線は、まだ見ぬ戦いの先を鋭く見据えていた。
【リリアの妄想ノート】
わたし、ついに冒険者になりました!
ルージュベリィっていう果実ジュース、すごく甘くて美味しかったです。頑張った日のご褒美みたいで、嬉しくてついおかわりしたくなっちゃいました。
ロブさんとゼランさんも一緒に乾杯してくれて、本当に夢みたいな時間でした。ゼランさんがいっぱいお話ししてくれて、わたしも楽しくなっちゃって、ついついはしゃいじゃいました。
明日は新人研修だそうです。なんだかちょっとドキドキしますけど、今夜はぐっすり眠って、明日に備えます!
立派な冒険者になって、ロブさんに胸を張って報告できるように、がんばりますっ!
【あとがき】
最後までお読みいただきありがとうございます!
今回はリリアの冒険者登録のお祝い回でした。
霧夜亭でのひととき、ロブやゼランと一緒に乾杯して、リリアも冒険者としての一歩を踏み出しました。
新人研修の説明を聞いてちょっと不安そうなリリアですが、やる気は十分です。これからの成長が楽しみですね。
次回はついに初任務!森での実地研修編です。リリアの奮闘をぜひ見守ってください!
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