第23話 海老男と紅蓮の魔姫、崩れた絆と残された炎
仮設小屋の扉が軋む音を立てて開く。
錆びた蝶番が不快な音を響かせる中、ロブとゼランが足を踏み入れる。床板は湿り気を帯びており、踏みしめるたびにギシリと鈍い悲鳴を上げた。
その奥に、女が一人、鎖に繋がれたまま座っていた。
紅蓮の魔導士、エリザ。
その名を知る者なら誰もが「誇り高く、気高き炎の女」として語るだろう。だが今、そこにいるのは――
燃え尽きた灰のような目をした、抜け殻だった。
「住み心地はどうだ?」
ロブの問いかけに、エリザは肩をすくめ、髪をかき上げてから鼻で笑った。
「最悪に決まってるでしょう。干からびた魚でももう少しマシな部屋に置いてもらえるわ」
「そうか。……口が減らないのは結構なことだな」
皮肉を返すロブの横で、ゼランが一歩、前へと出た。
足音は重く、床を軋ませるごとに、小屋の空気がピンと張り詰めていく。
「エリザ・ファルネア。紅竜団副団長、紅蓮の魔姫の異名を持つ魔導士」
ゼランが一歩踏み出し、冷たい気配を放つ。
その威圧に、かつてのエリザなら笑って受け流していただろう。だが今の彼女は、ただ目を伏せた。
「ヴォルフ……奴に、何を見ていた?」
ゼランの問いに、しばし沈黙が落ちた。
長い、長い間だった。
やがて――エリザは、ぽつりと呟いた。
「最期の瞬間まで……信じてたの。あの人は、私を捨てたりしないって」
ロブは黙って聞いていた。ゼランも、口を挟まなかった。
「馬鹿よね、私。裏切られるなんて、微塵も思ってなかった」
ふ、と笑う。その笑みは冷たく、自嘲に満ちていた。
「“逃げよう”って言ったの、私の方だったのに。振り返ったら、盾にされた。……私、何のために、あの人の隣にいたんだろう」
目尻に、一筋の涙が光った。
だが、拭おうともしない。ただ、涙を流したまま、うつむいている。
「それでも……まだ、あの人を憎みきれないのよ。おかしいでしょ?」
「いや。……人ってのは、そういうもんだ」
ロブの言葉は静かだった。
誰にも届かないようで、たしかに彼女の胸に染み込んでいくようだった。
しばし沈黙が流れたのち、ロブは少しだけ声の調子を落として、問う。
「……ヴォルフとは、どんな関係だった?」
エリザはゆっくりと顔を上げる。
その瞳は、わずかに揺れていたが、やがて微笑に変わった。
「恋人だったと思いたかった。けど、違ったのよね。きっと、最初から」
寂しげな笑みが、どこか吹っ切れたようにも見えた。
「私は、ただの“魔導士”で、“道具”で、“都合のいい女”だった。それでもあの人が手を伸ばしてくれたときは、世界が色づいた気がしたの。だから、信じたかった……最後まで」
ロブはその言葉を遮らず、ただ目を細めて聞いていた。
彼女の声の奥にある、痛みと悔しさと、微かな誇りまでをも。
「だが、お前に同情する気はない。お前が生かされているのは、聞きたいことがあるからだ」
「………なによ」
「お前が使っていた魔法……炎だけじゃない。氷、雷、――三属性を自在に操っていたな」
ロブの静かな声に、エリザは頬杖をついたまま、視線を逸らす。
「魔導公会の教義では、四大精霊の加護を受けるのは一人一属性。それが常識だ。……だが、お前は三つ。さらに、“闇と炎”の複合魔法まで使った。影焔業火……あれは、人間の術式じゃない」
その言葉に、ゼランがわずかに目を見開いた。
「どこで学んだ? 教えたのは誰だ?」
エリザは答えない。ただ、沈黙が小屋に重くのしかかる。
「それと――“白蛇の涙”。あれは、人間領では流通していない。ましてや、魔導師が使うような毒じゃない。……紅竜団の背後に、何がいる?」
ロブの声は冷たく、それでいて確信に満ちていた。
エリザのまぶたが、かすかに震える。
「……知らなかったのよ。最初は」
沈黙を破ったのは、絞り出すような声だった。
「誰が、どこから持ってきたのかも。私たちは“強くなれるなら何でもいい”って、それだけだった。魔法も、毒も、“力”として使えれば、それでよかった……」
「じゃあ、教えたのは誰だ? その魔法をお前に与えたのは」
エリザは首を振る。
否定ではない。記憶をたどるように、曖昧な動きだった。
「私に教えてくれたのは、紅竜団の古参の魔導士だった。名前は……偽名だったと思う。“先生”としか呼ばなかった。炎の基礎から始まって、いつの間にか、氷も雷も扱えるようになってた……確かに魔導公会の教義とは違うけど、はぐれ者の盗賊にはそんなこと関係なかった。あの時は、ただ嬉しくて」
「その“先生”は今どこにいる?」
「……二年前に姿を消した。何も言わずに。気づいたときには、あの魔法だけが手元に残ってた」
ゼランが腕を組み、低く唸る。
「……つまり、その“魔導士”が紅竜団を通して、魔族の魔法と毒を流していた可能性があるということか」
ロブが頷く。
「ほぼ間違いない。目的は何だ? なぜ人間の盗賊団に、魔族の技術を?」
エリザは、膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。
「知らない……けど、あの人、よく言ってた。“これは序章にすぎない”って。……“世界の構造が変わる前に、お前たちは手駒として整えておく必要がある”って」
「“構造が変わる”……?」
ゼランの声に、ロブの視線が細く鋭くなる。
「……魔族の企てが、本格的に動き出しているかもしれんな」
小屋の中に、冷たい風が吹き抜けたような気がした。
まるで、言葉だけでこの先に待つ災厄を予感させるような、重く鈍い気配があった。
「エリザ。お前には、まだ語ってもらうぞ。魔法の構文、術式の変異、魔族との接触――すべて、洗いざらいな」
「……ええ。話すわよ。どうせもう……戻る場所なんて、ないんだから」
その声には、怒りも涙もなかった。ただ、終わった女の覚悟だけが滲んでいた。
そして、ほんの一瞬だけ、天井を見上げる。
「ヴォルフが作った“居場所”なんて、幻だったのよ。私の命も、心も、全部あいつの“都合”でしかなかった。……そんなもの、もういらない」
静かに、しかし確かに――その言葉は、かつての愛と忠誠に訣別を告げていた。
「私は……私の意志で話すわ。奴の女じゃなく、“エリザ”として」
その瞳に、かすかな炎が戻っていた。
ゼランが一歩、前へと出る。
「――エリザ・ファルネア。紅竜団の副団長として、お前には数えきれぬ罪がある」
声は重く、しかし私情を交えぬ冷静な響きだった。
「襲撃、殺人、誘拐、違法魔術の使用、禁制品の所持と流通……いずれも重大な犯罪だ。本来なら、即時処刑されてもおかしくはない」
エリザは黙って聞いていた。顔を伏せることもなく、真っ直ぐにゼランの言葉を受け止める。
「だが、お前は紅竜団の背後に潜む“何か”を知っている。お前の証言と協力次第では、刑の減免も検討される」
静かに、確かに。
ゼランは、処罰者としてではなく、組織の頂に立つ者としてそう告げた。
「選べ、エリザ。死をもって罪を贖うか、生きて真実を暴くかは―――お前自身が決めろ」
エリザは少しだけ目を伏せ、息を吐いた。
「……死ぬつもりなら、とっくにやってる。生きてまで憎まれるのが……紅蓮の魔姫らしいって思わない?」
その言葉に、ロブは目を細め、ゼランは口元だけでうっすらと笑った。
【リリアの妄想ノート】
きらきらきら〜っ✨ 今日も妄想ノートの時間です!
今日は……エリザさん!
おおお、あんなに強かったのに、牢屋でしょんぼりしててびっくりしました!
でもねでもね、ちょっとだけ共感しちゃうところもあったの。
「好きな人に裏切られる」って、絶対つらいですよね……。
わたしだったら、ロブさんにそんなことされたら……うぅぅ、考えたくないっ!!(ばたばた)
でもでも! エリザさん、最後にはちゃんと前を向いてた!
「紅蓮の魔姫」って二つ名、なんだかんだカッコいいし! わたしもなにか二つ名がほしいな〜。
ええと、そうだな……「純情の乙女」とか! だめですか!?(だめです)
とにかく、次回はもっともっとエリザさんがいろいろ話してくれるみたいで楽しみですっ!
あと、お姉ちゃんもきっとエリザさんにちょっかい出す気がするな〜。ふふふ!
次回は【7:00更新】!
絶対見てくださいねっ!
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【作者あとがき】
今回もお読みいただきありがとうございました!
第23話は、これまで因縁だった「紅蓮の魔姫」エリザの内面をじっくり描きました。
これまでの戦闘シーン主体から一転、心の葛藤や絶望、そしてわずかな希望に焦点を当てることで、彼女の人間らしさを掘り下げることができたと思います。
ロブとゼランのコンビによる尋問劇も、物語の緊張感を支える大切な要素になりました。
伏線として、「魔導士の先生」「魔族の影」「世界の構造が変わる」というキーワードも散りばめたので、今後の展開にご期待ください!
エリザはここで物語から退場……ではなく、まだまだ役割があります。
どのように再登場するのか、お楽しみに!
また、別の所でエリザのスピンオフが公開されてます。興味ある方はプロフィール欄から飛んでみてください。
次回は【7:00更新】予定です!
早朝の更新ですが、ぜひお付き合いくださいね。
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