第22話 海老男、因縁の終止符を打つ
夜が明けきらぬ薄闇の中、セイラン村の外れに馬車の車輪音が響いた。
――ゴロゴロゴロ……ギィィ……
土埃を巻き上げながら現れたのは、鉄枠で補強された黒塗りのギルド馬車。
そして数頭の騎馬にまたがる冒険者たちの一団だった。
その先頭、黒いロングコートの裾を翻しながら馬車を下りた男こそ、ギルドマスター・ゼランである。
無骨な装いと鋭い眼差しは、彼がただの行政官ではなく、現場叩き上げの男であることを物語っていた。
「ここが……セイラン村か」
焦げた地面。崩れかけた家々。復旧に汗を流す人々の姿。 どこか懐かしさを残す農村の空気に、血と煙の匂いがかすかに混じっていた。
「副団長エリザと、紅竜団の死骸を確認する。周囲の警戒は怠るな」
「了解です!」
部下たちが動き出す中、ゼランは一人、ゆっくりと村の中心へと歩を進めた。
そして―――その視線の先に、ひとりの男が立っていた。
「……よう。昔と変わらねぇツラしてやがる」
「お前もな、ゼラン。ヒゲが増えたくらいで、たいして変わってない」
二人は自然と歩み寄り、拳を軽く突き合わせる。
かつて命を預け合った戦友たちだけに許される挨拶だった。
「伝令師から報告を受けた時は驚いたぞ。滅多にギルドに顔を出さないお前が、紅竜団の部隊を討伐したなんてな」
「たまたまだ。まさかギルドマスター自ら、遠路はるばる来るとは思わなかった」
「お前が絡んだ事件だ。調査と後処理は、俺の仕事だ。……ま、今回はお前じゃなくても来てただろうけどな」
ゼランが口元を吊り上げ、ニヤリと笑う。
「しかし、頭目のヴォルフをはじめ、ほとんどが死体とはな」
「悪党は絶対逃がさん。どんな言い分があろうとな」
静かに言うロブの瞳は暗い深海のように闇を称えていた。
その闇にゼランは息を呑みつつ、同意するように頷いた。
「生き残りは村の隅の小屋に閉じ込めてある。幹部格は、エリザって女と、ザハルって剣士だ」
「ほう。紅蓮の魔姫と、氷極の処刑人か。どちらも大物だな」
「……その恥ずかしいネーミング、なんとかならんのか」
「何言ってる。カッコいいじゃないか」
「……死体保管庫と拘留場所に案内する」
呆れたように呟き、それ以上、ロブは何も言わなかった。
二人が歩き出したときだった。 ふとゼランが立ち止まり、少し遠くを見るように目を細めた。
「……まさか、やつとこんな形で決着がつくとはな。三十年前を思い出すよ」
ロブは足を止め、視線をゼランに向ける。
「黒龍団のことか」
「ああ。俺の村を焼き払ったあの夜だ」
ゼランの声には、今もなお消えぬ苦味が滲んでいた。
それは十二歳の少年だった彼にとって、地獄そのものだった。
「お前が現れた時、夢かと思ったよ。お前とたった二人の冒険者が黒龍の翼を一方的に蹂躙した。あの二人にも感謝してもしきれねえ」
「……あのときは、判断を誤った。ヴォルフを逃した」
「違うさ」
ゼランは静かに首を振った。
「あのとき、お前が毒に侵されながらも戦ってくれたおかげで、俺たちは救われた。お前がいなきゃ、村ごと焼き尽くされてた」
その言葉に、ロブは黙して応えた。
「憧れたよ。死にかけのくせに、俺たちを背に庇って剣を振るってたお前の姿にさ」
ゼランはふっと、懐かしむように笑う。
「お前がヴォルフを追えなかったのは、俺たちを守ったからだ。あれは間違いじゃない。おかげで俺は生き延びて、こうしてギルドマスターになれた」
「皮肉なもんだな。逃したヴォルフを、三十年越しで俺が討ち取ることになるとは」
「因果だよ。お前はあのとき、命をつなげた。今度は俺が、お前のつないだ命で世界を守る番だ」
ゼランは力強く言い切ると、歩き出す。 ロブもそれに続いた。
「やっと、ケリがついたな」
ロブがつぶやくと、ゼランは軽くうなずく。
「ああ。ようやく、だ」
背後では、朝焼けが村を照らし始めていた。 二人の歩みを祝福するかのように。
ロブの案内で、ゼランとギルドの冒険者たちは村を歩く。
先頭を並んで進むロブとゼランの様子を、後ろから見ていた若い冒険者が、隣の先輩に声をかけた。
「ねぇ、あの黒髪の人って、ギルマスの知り合いなんですか? なんかすごく親しげに見えましたけど」
「ああ、お前は知らないのか。あの人、うちのギルドの一番の古株だよ」
「え? 俺より年下に見えるんですけど」
若者の言葉に、先輩は苦笑する。
「本当だって。通称“海老男”」
「海老男? なんすか、それ、ふざけた二つ名ですね」
「海老ってのは不老長寿の象徴なんだとさ。で、あの人、年を取らないらしくてな。そんな噂から、いつの間にか“海老男”って呼ばれるようになった。あと、ロブって名前も本名じゃないらしい。ロブスターから取ってロブなんだと」
「年を取らないって……エルフとかドワーフの混血ですか?」
「そうなんじゃないかって言われてるけど、詳しいことは誰も知らない。ただな、俺が冒険者になって十五年、その頃からずっとあの姿だった」
信じがたいと言わんばかりの顔をする後輩に、先輩は肩をすくめて言葉を続けた。
「信じらんねぇ……あの人、ぜんっぜんそんな顔してませんよ。普通にそこらの村人みたいな顔してるのに……」
「そういうところが怖いんだよ。俺らみたいなのは、背中で“歴戦”ってわかるもんだけど……あの人だけは、違う。殺気も覇気も、一切ない。ただ、何か……底が見えねぇ」
「底……」
「大抵の奴は、あの人を侮って痛い目に遭うんだよ」
「でも、ギルドで見たことないですよ?」
「滅多にギルドに来ないからな。今じゃロブスター並みの希少冒険者って言われてるよ。冬は特に絶対顔を出さないんで“海老だから冬眠してるんじゃないか”って噂もあるくらいだ」
「海老って冬眠するんすか?」
「……さあ?」
二人の会話の先で、ロブはゼランと並んで小屋の前に立っていた。
灰と血の匂いがまだ残る中で、男はただ静かに立っている。まるで、何もかもが想定通りだったかのように。
小屋の扉を開けると、冷気がもわりと立ち昇った。
その中心に横たわるのは、ロブの魔法で冷凍保存された男の死体――紅竜団の血爪、ヴォルフだった。
「……ああ、間違いない。こいつがヴォルフだ」
ゼランはゆっくりと歩み寄り、氷結の床に膝をついた。
死体は腐敗しておらず、生前の姿をそのまま留めている。
だが、肩から心臓へと深々と走る一閃が、その幻想を容赦なく断ち切っていた。
「……見事な一太刀だ。迷いも、慈悲も、何もない」
ヴォルフの顔へと視線を移す。
かつて“狂犬”と呼ばれ、略奪と殺戮を娯楽のように楽しんでいた男。
その眼差しからは、もはや野心も狂気も消え失せ、ただ氷のような虚無が残っていた。
「いくつの村を燃やし、どれだけの命を喰い散らかしてきた?記録に残ってるだけで十を超える……それも、村ごと跡形も残ってねぇ」
ゼランは、報告書の文字が焼きついた記憶を辿る。
惨殺された村人。陵辱された娘たち。生きながら焼かれた者の断末魔。
そして―――自らがかつて守れなかった村の名も、その中にあった。
「……最後まで、自分の欲だけで動いた男だったな。仲間も、女も、すべては自分のための駒か」
血と泥にまみれた手のひらを見下ろしながら、ゼランは静かに呟く。
あれほどの魔導士が、殺されずに生きていたのは奇跡か、あるいは―――。
「エリザの魔法は強力だ………よく生け捕りにできたな」
ゼランの問いかけにロブは答えない。
それが答えとなっているのがゼランには分かった。
彼女の記録にも目を通していた。
ヴォルフを支え、信じ、紅竜団のために命を懸けて戦ってきた魔導士。
その忠誠と信念が、どれだけ愚かで哀れだったか、今となっては語るまでもない。
氷の空気の中、ゼランは立ち上がる。
氷棺にもう一度目をやり、長く深い吐息をひとつ吐いた。
「……搬送の準備をする。こいつは“見せしめ”にする価値がある。紅竜団の末路ってやつを、世に知らしめてやらないとな」
「任せるよ」
「ロブ……お前が裁いたのは、正しかった。こいつには、情けも言葉も、いらなかった」
それは、事務的な報告ではなかった。
数多の死を見届けてきた者の、重みある言葉だった。
正義と犠牲の狭間で、それでも剣を手放さなかった者の声だった。
【リリアの妄想ノート】
ええっ!?
ゼランさんってロブさんの戦友だったんですか!?
し、しかも「命をつないだ」とか……もう、それって運命じゃないですか!
ふたりだけの絆とか、ちょっと羨ましいですっ!
ロブさん、私にもそんなふうに言ってくれたりするのかなあ……。
「リリアは俺の命だ」とか……なんて! なーんて妄想しちゃいましたっ。てへへ。
でも、ヴォルフって人。昔から悪いことしてたんですね……。
やっぱりロブさん、かっこいいです! ちゃんと因縁に決着をつけて。
私もロブさんみたいに、守れる人になりたいな。うん!
【作者あとがき】
ご覧いただきありがとうございます!
第22話では、ついにロブとヴォルフの因縁に終止符が打たれました。
同時に、ゼランという新たなキーパーソンも本格登場です。
ゼランとロブの過去の絡みは、これからの物語にも深く関わってきます。
ただのギルマスではなく、ロブとの「命の継承」という絆。
過去がつながり、今が動き、そして未来へと進んでいく流れを、楽しんでいただけたら嬉しいです!
次回も引き続き、セイラン村編クライマックスです!
更新は【23:30】を予定しています。ぜひお楽しみに!
最後に!
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