第21話 海老男、父の拳を受け止め母の取扱説明書を読む。そして姉妹は自由奔放
村の片隅に建てられた仮設の小屋。その中で、リリアは椅子の上にちょこんと正座していた。
隣に座るロブは、普段より背筋を伸ばし、どこか居心地悪そうな顔をしている。
目の前には——リリアの両親と、腕を組んで仁王立ちしている姉のエレナがいた。
(き、緊張する……!)
ごくりと喉を鳴らす。小屋の中は妙な重圧に包まれていた。
「―――あ、あのっ……!」
唐突な声にエレナの眉がぴくりと動いた。
尋問官のような鋭い視線に背筋が凍る。
「ちょっと待って。まず深呼吸」
「すー、はー……」
「よし。続けなさい」
涙目になりつつも、リリアは勇気を振り絞る。
「わ、わたし……ロブさんの弟子になります!」
ぴたりと空気が止まる。
母はぽかんと口を開け、父は真剣な面持ちで腕を組み、姉は——
「へぇ。やっと素直になったわね、リリア」
にやりと笑った。
「え、え?」
「だってさ。あの事故の朝とか、もう……ふふふっ」
「な、ななななななななっ、なんのことかわかりませんっ!!」
真っ赤になりながら、リリアは両手で顔を覆う。
「ふふふ、ロブさん。どうぞうちの子をよろしくお願いしますね」
母・マリアがふんわり笑いながら、豊かな胸元を揺らして言う。
その瞬間、ロブの視線がつい引き寄せられた。
そしてすぐさまエレナの立派な胸元にも目が泳ぐ。
当然、鋭いジト目が飛ぶ。
「ロブさん。見るところ違います」
「……っ!」
ばつが悪そうに視線を逸らすロブ。
リリアは胸元にそっと手を添え、小声でつぶやく。
「……わたしも、何年かしたら……」
母も姉もこうなのだから、自分だってきっと。
淡い期待を胸に秘める。
そのタイミングで、母が楽しげに笑いながら立ち上がった。
「それじゃあ、ロブさん。これ、うちの子の取扱説明書です!」
「と、取扱説明書……?」
困惑するロブに、マリアは親指を立てる。
「まずですね、リリアはお腹が空くと不機嫌になります! 甘いものが大好きで、特にベリータルトがおすすめです!」
「お母さんやめてぇぇぇ!」
「それから、朝は寝起きが悪くて、寝ぐせがつきやすいから優しく直してあげてくださいね!」
「ほんとやめてぇぇぇぇ!」
両手で顔を隠すリリアに、母はにっこり。
「手がかかりますが、どうぞよろしくお願いしますね」
「は、はい……」
ロブが苦笑しながらも真剣に答えたときだった。
父・ゲイルが低い声を響かせる。
「娘を頼む」
静かながら重い言葉だった。
ゲイルは立ち上がり、じっとロブを見据える。
「だが……その前に。最後にひとつだけ確認させてもらおう」
腰の剣を外し、堂々と構える。
「手合わせ願いたい」
「……わかりました」
ロブもすっと立ち上がり、構える。
小屋の外に出た二人は、無言で距離を詰める。
互いに気配を探り合い——火花のように打ち合う。
父の剛拳とロブのしなやかな身のこなし。鋼のように研ぎ澄まされた一撃を、ロブは流れるように受け流し、懐へ踏み込む。
寸前で拳を止めると、ゲイルが苦笑した。
「見事だ……」
汗を拭い、がっしりとした手でロブの肩を叩く。
「流石、村を救った英雄だ。これなら安心して娘を託せる」
「ありがとうございます」
「だが、一つ言っておく」
「なんでしょう」
ロブの肩に置かれた手にぎゅっと力が入る。
「娘に手を出したら、許さんぞ」
耳元でぼそりと言われた。
ロブは苦笑して答える。
「神に誓って」
父とロブの手合わせが終わり、村の空気がわずかに和らいだそのとき。
リリアは拳を握りしめ、一歩前に出た。
「……お父さん、お母さん。お姉ちゃん」
名前を呼ぶ声は震えていなかった。
まっすぐに、家族の瞳をとらえている。
「わたし、決めたの」
自分の胸に手を当てる。
その下で、心臓が高鳴るのがはっきりとわかる。
けれど、それは恐怖じゃない。覚悟の音だった。
「今までずっと、誰かに守られてきた。ロブさんにも、お父さんにも、お姉ちゃんにも。村の人たちにも……」
胸の奥が、かすかに痛んだ。
けれど、瞳は曇らない。
「でももう、守られるだけのわたしは嫌なんです!」
強い声だった。
はっとする家族の視線を、リリアはしっかりと受け止める。
「今度は、わたしが守りたい。大切な人たちを。家族を。村のみんなを!」
声が響く。
仮設小屋の壁に反響し、春風に乗って空へと流れていく。
「だから、わたし……ロブさんのもとで強くなります!」
きっぱりと宣言するリリアの姿に、母のマリアが目を潤ませる。
両手で頬を押さえながら、にっこりと笑った。
「まあ……うちの子が、こんなに立派になって……」
父・ゲイルは目を細め、深くうなずく。
重ねてきた戦士としての年月を感じさせる厳しい顔が、どこか誇らしげにほころんでいた。
「強くなれ。リリア」
姉のエレナは腕を組みながらも、口元をゆるめる。
つんと澄ました顔をしているが、目尻には柔らかな光が宿っていた。
「やっぱりあんたは、わたしの妹ね。あんたらしいわ」
「えへへ……!」
リリアの顔に笑みがこぼれる。
だけど、それは甘えた笑顔ではなかった。
これから歩む厳しい道を覚悟した者の、強い笑顔だった。
「……よし」
ロブが静かにうなずき、リリアの背をそっと押す。
「その覚悟があるなら、大丈夫だ。俺が鍛えてやる」
「はいっ!」
リリアの返事は、空に響くように力強かった。
「……それはいいけどさ。ロブさんとリリア、村を離れて二人暮らしになるのよね?」
ロブがうなずくと、エレナがじとっとした視線を送る。
「一つ屋根の下よ? 夜這いとかしたら、わたし許さないからね?」
「お姉ちゃん!?」
「ふふふ。わたしのかわいい妹が、お風呂上がりに髪をタオルで拭きながら、うっかり薄着でロブさんの前に現れて……」
「お姉ちゃんやめてぇぇぇ!」
リリアが真っ赤になって突っ込む。
横で見ていたロブは、苦笑しつつ、思わず心の中でつぶやいた。
(……やっぱり姉妹だな)
仲の良い姉妹の掛け合いに、胸の奥がほっこりと温かくなる。
「ま、リリアが選んだ道なら応援するわ。でも変なことしたら、絶対許さないんだから!」
「わかってるってば!」
リリアが顔を真っ赤にして叫ぶ。
家族のやり取りが、いつまでも暖かく続いていた。
夜の村は賑わっていた。
焚き火を囲み、村人たちが杯を交わす。焼いた肉の香ばしい匂いと笑い声が、夜風に乗って漂っている。
弟子入りが決まったリリアを祝う宴。
誰かが「こんなときこそ騒がなくてどうする!」と声を上げたのがきっかけだった。
ロブも村人たちに勧められるまま杯を手にし、輪に加わっていた。
マリアが「リリアは昔、蜂蜜酒を飲んで酔っぱらっちゃって怒られたんですよ」と暴露し、リリアが顔を真っ赤にして抗議する。
父のゲイルも口数は少ないがどこか嬉しそうで、目尻が緩んでいる。
(……いい夜だ)
ロブはそんな光景を見つめながら、ふと杯を傾けた。
この穏やかな時間のためなら、どんな苦労も惜しくない。そんな気持ちが湧き上がる。
その時だった。
「ロブさん。少し、お時間いいですか?」
振り返ると、エレナが静かな微笑みを浮かべていた。
焚き火の賑わいから少し離れた場所を指差す。
ロブは頷き、彼女についていく。
焚き火の光が遠のき、木陰に入る。
夜風がふたりの間をやさしく吹き抜ける。
「賑やかですね」
エレナの声はどこか遠くを眺めているようだった。
「ああ。村の人たちも、リリアも、いい顔をしている」
ロブが返すと、エレナはふっと目を伏せた。
「……ロブさん。わたし、盗賊団が来たときの記憶が途中で途切れているんです」
焚き火のざわめきが遠のく。
ロブは黙って、続きを待った。
「飛び出して、リリアを守ろうとしたことは覚えてる。でも、その先がどうしても……」
エレナの指先がかすかに震えている。
それを見て、ロブはそっと視線を落とす。
「気づいたとき、リリアが泣きながら抱きしめてくれていました」
エレナはそう言って、小さく笑みを浮かべた。
「わたしがいなくなったら、きっと泣かせてしまうだろうと思ってたけど……やっぱり泣いてたましたね」
彼女の声は静かだったが、優しい温もりが込められていた。
ロブは頷き、素直に答える。
「ああ。君が目を覚ました瞬間、あの子は誰よりも嬉しそうだったよ」
エレナはふっと息をつくと、夜空を見上げた。
月明かりが彼女の横顔をやわらかく照らしている。
「……ねえ、ロブさん。あのとき、わたし……死んでましたよね?」
ロブはその問いに、嘘をつかなかった。
「ああ。君は確かに命を落とした。でも、助けた。間に合ったんだ」
エレナはゆっくりと瞼を閉じ、ひとつ息をついた。
「そっか……。あなたが生き返らせてくれたんですか?」
真っすぐに見つめられ、ゆっくりと頷く。
「そうだ。だが、このことは黙っていてほしい。こんな魔法が使えることが知れたら厄介なことになる。この村にも迷惑がかかるかもしれないし、リリアが危険だ」
蘇生魔法は人類の夢の一つだ。それを追い求める者は後を絶たない。
万能ではない蘇りの秘法を求めて泣きつかれても応えることは出来ないだろう。
中には自分の大事な者のために他人を犠牲にする事も厭わない者もいるかもしれない。そんな連中に蘇生魔法のことが知れたら、自分はともかく周りの者に被害が及ぶかもしれない。
そんな事態は避けたかった。
エレナは静かな声音で言う。
「わかりました。絶対に誰にも言いません」
その瞳には、妙な安らぎが浮かんでいた。
「リリアが生きているなら、それでよかったんです」
そのとき、ロブは口を開いた。
「君は、あの時リリアに希望になれと言ったんだろ?」
エレナがはっとしてロブを見る。
「本当に、リリアはこの村の希望になったよ」
その言葉に、エレナの目が揺れる。
涙の光がかすかに月明かりに照らされた。
「……そうですか。なら、生き返った甲斐がありました」
笑いながらも、目尻がほんの少し濡れている。
エレナは手で軽く目元を拭いながら、冗談めかした声で続けた。
「ねえ、ロブさん。もしリリアがいなかったら」
「ん?」
「わたし、あなたに惚れてたかもしれませんよ?」
ロブはわずかに眉を上げたが、すぐに微笑みを返す。
「それは困るな。リリアが怒り狂う姿が目に浮かぶ」
「ふふっ。あの子、独占欲強いですからね」
エレナが軽やかに笑うと、ロブもつられるように小さく笑った。
ほんの一瞬、ふたりだけの穏やかな空気が流れる。
「でも、本当に……リリアのこと、お願いします」
エレナの声は真剣だった。
さっきの冗談とは打って変わって、姉としての覚悟がにじむ。
「命に代えても」
ロブのその答えに、エレナは満足げに微笑む。
「期待してますよ、ロブさん」
ふたりが焚き火の輪に戻ると、すぐにリリアが駆け寄ってきた。
頬をふくらませながら、不安げに問いかける。
「な、なに話してたんですかっ!?」
エレナとロブは顔を見合わせると、同時に微笑む。
「内緒」
「ふたりだけの秘密だ」
「えええええっ!? ずるいですっ!!」
リリアは頬をぷくっと膨らませる。
そんな彼女を見て、エレナはくすくすと笑い、ロブは心の中でふと思う。
(……本当に間に合ってよかった)
普段、あまり酒は飲まないが、今日はもう少し酔ってもいいような気がした。
宴はその後もしばらく続き、村はいつまでも温かな空気に包まれていた。
【リリアの妄想ノート】
今日は……ほんっっとうに濃い一日でしたっ!
お父さんとお母さんとお姉ちゃんに、弟子入りのことを伝えるの、すっごく緊張したけど……でも、ちゃんと伝えられてよかったです。
それにしても、お母さんの天然ボケはいつものこととして……お姉ちゃんですよ!!
もう、いっつもいっつもからかってきて!!
「夜這いは許さないから」とか「薄着でうっかりロブさんの前に現れたら」とか!
なに想像してるの!? お姉ちゃんの頭の中どうなってるの!!
ああ見えてほんとはすごく優しいし頼りになるのは知ってるけど……でも!
お姉ちゃんがいないところでロブさんと何を話してたのか、すごーく気になります!
内緒だなんて、ずるいずるいずるい!!
絶対あとで問い詰めてやるんだからっ!
それにしても、お父さんとロブさんの手合わせはかっこよかったなあ……
ロブさん、本当に強くて頼もしいです。
お母さんの取扱説明書はちょっと恥ずかしかったけど、でも大事なことだし……うん、ロブさんにはしっかり覚えてもらわないと!
よーし!
これから始まる修行、がんばりますっ!
お姉ちゃんが何を言おうと、わたしはもう決めたんですからっ!
【作者あとがき】
ご覧いただきありがとうございました!
今回はリリアの「家族への決意表明」と「ロブとの師弟関係の本格スタート」を描いた、大事なターニングポイントになりました。
それと同時に、エレナ姉さんの“からかいスキル”も全開でしたね(笑)
家族の絆が強く描かれたことで、リリアの「守られる側から守る側へ」という意識の変化がより際立った回になったと思います。
エレナとの姉妹やりとりも楽しく盛り込めたので、姉妹推しの方にも楽しんでいただけたのではないでしょうか!
※Xにエレナの妄想ノートを書いてます。興味ある方はぜひ♪
(アドレスはプロフィール参照)
次回は【21:00更新予定】です!
次回はちょっと男ばっかりの回ですがお楽しみに!
【感想・ブクマのお願い】
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リリアの決意やエレナのお姉ちゃんムーブ、ロブの師匠っぷりなど、どんなコメントでも大歓迎です!
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