第20話 師弟の誓い、春風に乗せて
春の陽気が心地よかった。
倉庫の外へと連れ出されながら、リリアは胸が苦しかった。
(だめだ……目が合わせられない……!)
ロブが前を歩いている。
その背中が近づくたび、心臓が早鐘のように打ち鳴る。
あの朝の事故——不意のキスが頭から離れない。
(早く忘れたいのに……)
けれど、視線を上げればロブがこちらを見ている。
慌てて視線をそらすと、自分の反応が余計に恥ずかしくなった。
何も知らないふりをすることが、どれほど難しいか。
ふいにロブが足を止め、振り返る。
視線が重なりそうになり、また顔が熱くなる。
「なあ、リリア」
「は、はいっ!」
声が上ずってしまった。
自覚するほどに、余計に顔が火照る。
「弟子入りの件だけどな。無理に俺についてこなくてもいいんだぞ?」
思いもよらない言葉に、胸がきゅっとなった。
「……え?」
「家族も無事だったし、村もこれから再建される。お前がここに残る理由は十分ある。……俺に引っ張られる必要はないさ」
その声は、どこか寂しげだった。
まるで、突き放そうとしているようにも感じられて、リリアは胸の奥がざわついた。
(違う……違います……!)
ぐっと拳を握りしめて、気づけば声が出ていた。
「……違います!」
ロブが驚いた顔でこちらを見る。
リリアは視線をそらさず、まっすぐに言葉をぶつけた。
「違います、ロブさん。私は、自分の意思で弟子になりたいんです!」
言葉にするたび、胸の奥で絡まっていたものがほどけていく。
燃え盛る村で見た、あの背中。
絶望の中で差し伸べられた手のぬくもり。
「助けてもらったからとか、恩返しとかじゃありません。もちろん村を守りたい気持ちもあります。でも、それだけじゃなくて……!」
胸に手を当てる。
あたたかい鼓動が指先に伝わった。
「私はロブさんみたいになりたいんです。強くなって、自分の力で大切な人たちを守れるようになりたいんです!」
ロブの背中を追いかけたい。
あの強さに、近づきたい。
ロブは短く息をつき、ふっと優しく笑った。
「……そっか」
あたたかい声だった。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
「だったら、もう止められねぇな。こっちも覚悟を決めるさ」
「はいっ!」
嬉しさがこみ上げる。
声が弾んで、笑顔がこぼれた。
「よろしくお願いします、ロブさんっ!」
「ああ。覚悟しておけよ。俺の弟子になるってのは、生半可じゃ務まらないぜ?」
「ふふっ、はいっ!」
二人で顔を見合わせて笑い合う。
あんなに胸が苦しかったのに、不思議なくらい晴れやかな気持ちだった。
けれど、胸に引っかかっていることがひとつだけあった。
―――どうしても聞きたかったこと。
「……あの、ロブさん」
「ん?」
「ずっと気になってたんです。どうして、みんなの記憶は消したのに……私の記憶だけは、残したんですか?」
声が少し震えた。
しかし、ちゃんと目を逸らさずに問いかけた。
ロブは空を見上げ、しばらく黙っていた。
やがて、ぽつりとつぶやく。
「……最初はな。魔力が尽きてたんだ」
「え?」
「村の皆を生き返らせ、記憶を消す。そこまでで魔力がなくなって、お前の記憶を消す余力がなかった。けど、あとからでもできたさ。お前くらいなら、無理すりゃどうにかなった」
「じゃあ、どうして……?」
「それでも、しなかった。お前には覚えていてほしかったからだ」
胸の奥が、きゅうっと熱くなる。
「命を助けるだけじゃない。お前には、お前自身の選択で前に進んでほしかった。だから、全部覚えていてほしかったんだ」
涙がにじむ。
ぐっとこらえて、それでもどうしても熱いものがこみ上げてくる。
「つらい記憶もあったと思うが………」
「……ありがとうございます」
言い淀むロブの声を遮る。
声が震えた。
けれど、ちゃんと伝えられた。
「私、絶対に忘れません。ロブさんが助けてくれたことも、この村が救われたことも……全部」
「ああ。覚えてくれてたら、それでいい」
ロブの笑顔が優しかった。
胸がいっぱいになって、あたたかな風が頬を撫でた。
ふと、倉庫の方を見やる。
エレナが作業をしている姿が見えた。
その近くで、ヒューゴが慌ただしく木箱を運んでいる。
(あれ……?)
よく見れば、やけにヒューゴの視線がエレナに向いている気がする。
運ぶたびに声をかけ、エレナが笑うたびに耳まで赤くしていた。
(もしかして……ヒューゴさん、お姉ちゃんのこと……?)
リリアはふふっと小さく笑った。
不思議なほど、胸が温かかった。
「……お姉ちゃんが、生き返ってよかったです」
「ん?」
ロブがこちらを見る。
「ヒューゴさん、お姉ちゃんのこと好きみたいです。………お姉ちゃんが戻ってきてくれて、本当によかった」
「そうか………」
「はい」
うれしそうに作業するヒューゴの背中。
微笑むエレナの姿。
それら全部が愛おしくて、リリアは胸をいっぱいにした。
「それに……村のみんなも。つらい記憶はなくなっちゃったけど、それでよかったと思います」
そう言って、リリアは微笑んだ。
つらい記憶に縛られずに、みんなが前を向いて生きていけるなら——。
「お前も、もう前を向いてるな」
「はい。ロブさんのおかげです」
顔を上げた。
やっと、ロブの目をまっすぐ見られた。
「さ、作業の続きだ。弟子入りを認めたからには、働いてもらうぞ」
「はいっ、師匠!」
「その呼び方、やっぱりくすぐったいな」
「ふふっ。じゃあ、ロブさん先生で!」
「ややこしいわ!」
二人で笑い合う。
声が春の空に溶けていく。
歩き出した足並みは、自然とぴたりと揃っていた。
あたたかな陽の光が、これから始まる師弟の道のりをやさしく照らしていた。
【あとがき】
◇リリアの妄想ノート◇
わたしの! 妄想が! また膨らみました!
だってだって、ロブさんが私だけ記憶を消さなかった理由、ちゃんと聞けたんですよ!
胸がきゅーんとするって、こういうことなんですね!
それに……えへへ、お姉ちゃんとヒューゴさんのこと、気付いちゃいました!
お姉ちゃんが無事で、本当によかった。ヒューゴさん、頑張れ〜!
これからロブさんの弟子として、もっともっと強くなります。
……え? 師匠って呼ぶとくすぐったいんですか? ふふふ、じゃああえて呼んじゃいますね!
次回も妄想たっぷりでお届けしますよ〜!
【作者あとがき】
ここまで読んでいただきありがとうございます!
今回は、リリアがついにロブの弟子として一歩を踏み出す回でした。
彼女が自分の意思で進む決意を固める場面は、書いていてとても熱くなりました。
ヒューゴとエレナのちょっとした恋模様もこっそり盛り込みましたので、リリア目線で気付いてもらう形にできて良かったです。
日常の中に小さな芽吹きがあると、春らしくていいですね。
次回は、いよいよ本格的に師弟の修行がスタートします! 朝7時更新予定です。お楽しみに!
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