第18話 海老男、夢と現実のはざまでやらかす
空が白み始め、夜の帳がゆっくりと解けていく。
朝日がその輪郭を覗かせる頃、リリアの膝は静かに限界を迎えていた。
「うう……っ」
「リリア、大丈夫?」
心配そうに声をかけてきたのは、エレナだった。
昨夜とは違い、きちんとした服に着替えた彼女は、リリアと同じ青い瞳でじっと見つめてくる。
村では、生き残った人々が早くも復興に向けて動き始めていた。
燃え残った木材やまだ使える家具を集め、仮の避難所を作ろうと、男たちは汗を流し、女たちは料理を作ったり、子どもたちの世話をしたりと、あちこちで忙しく立ち働いている。
泣いている暇もない。
けれど、誰もが――今、生きている。
そんな中で、リリアはただひたすらに、ロブを膝枕し続けていた。
死者が蘇ったという記憶は、皆から失われていた。
だが、ロブが紅竜団を討ち、村を救ったという事実だけは、今も人々の記憶に残っていた。
だからこそ、誰も彼を起こそうとせず、そっと休ませていた。
「私が代わろうか?」
「でも、これ……私が約束したことだから」
エレナの申し出に、リリアは苦笑いを浮かべる。
「ていうか……なんで報酬が膝枕なの?」
「えーっと……な、なんでだろ……?」
首を傾げて、ごまかすように笑う。
顔がちょっぴり赤くなるのは、朝日のせいか、照れ隠しか。
そんなリリアの膝の上で、ロブは実に幸せそうに寝息を立てていた。
微動だにせず、完璧な重石のように。
(……すぴーって、まさか本気で熟睡してるんですか、ロブさん……)
リリアは心の中で小さく叫ぶ。
だが、それでも――
彼の寝顔は、どこまでも穏やかだった。
「リリア………」
「え?」
ロブの口から微かにリリアを呼ぶ声が漏れた。
寝言だろうか。何事かをもにょもにょと呟いているのが聞こえる。
自分の名前を夢の中で呼ばれているのが気になり、リリアは耳を澄ませロブの顔に近づこうと顔を寄せる――――。
――夢の中だった。
白銀の靄が流れ、時も音も輪郭を失っている。
ただ、心の奥で灯る“誰か”の気配に導かれるように、ロブはその世界を歩いていた。
やがて、靄が晴れ、そこに――彼女がいた。
紅い髪、青い瞳。凛として、少しだけ大人びた姿。
それでも、間違いようがなかった。
「リリア……」
彼がそうつぶやくと、彼女はふわりと微笑んだ。
「十四歳の私、どうでした?」
問いかける声は、どこか楽しげで、少しだけ恥じらいも混じっていた。
ロブは一瞬だけ言葉に詰まり、それから、苦笑するように答えた。
「……可愛いよ。言わせるな」
視線を逸らしながら口にすると、リリアは目を細めた。
からかうように、一歩近づく。
「なに恥ずかしがってるんですか」
言われてみれば、妙に胸が落ち着かない。
夢の中とは思えないほど、彼女の声も、仕草も、リアルだった。
「うるさい……お前、あと三年でそんなになるのか?」
「“そんな”ってどんなですか!? どこ見て言ってるんですか!? セクハラで訴えますよ!?」
軽口を叩き合う二人の声が、空に溶けていく。
まるで、時の狭間でだけ許された、短くて大切な再会のように。
「悪かったって……」
ロブが肩をすくめると、リリアは小さく笑い――
「まったく……強くなってもそんな所は変わらないんだから」
呆れながらも、どこか安心したような声だった。
そして、彼のすぐそばに立ち、ふと目を伏せて言った。
「でも、これからロブさんと、二人でいられるんですね」
「ああ……お前は俺が守る。今までお前に守られてばかりだったからな」
その言葉に、リリアの目が潤む。
「格好良くなっちゃって……私をお願いしますね。修一さん。いえ、ロブさん」
彼女が、そっと目を閉じる。
そして――
ちゅっ
唇が、静かに触れ合った。
あたたかくて、柔らかくて、切なくなるほど短い感触。
世界が音もなく溶けていく。
霞が風にさらわれるように、白い靄が遠ざかっていった。
---
意識が浮上していく。
まどろみの中、ロブはゆっくりと目を開けた。
頬に風。まぶたに光。
そして――やけに近い位置に、誰かの顔。
「……ん?」
唇に、ふわりと何かが触れていたような気がした。
温かくて、柔らかくて、夢の続きと錯覚するような……
いや、錯覚にしては生々しい。
目を凝らすと、自分の顔が、少女の肘に少しだけ乗っていた。
(…………膝枕?)
頭がまだぼおっとしている。
段々とはっきりしていく意識の中で状況を思い出していた。
(そうか………毒にやられて、魔力も尽きてリリアに………相変わらず締まらねえな。俺は)
苦笑しながらさらに見上げると、リリアの顔。
そして、耳まで真っ赤に染めた彼女が――口をぱくぱくとさせ、固まっていた。
「リリア……?」
「な、なんでもありませんっっっ!!」
完全に動揺している。
心当たりのないロブは、ただ首をかしげた。
でも、彼の唇に残る“夢と同じ”感触は、どこか現実めいていた。
(………まさか)
ロブは悪い予感がした。
(しししししししっ……してしまったああああああああ!!!)
リリアは頭の中で絶叫していた。
目が合った瞬間、顔から火が出るんじゃないかと思った。
これは事故! 完全なる事故!!
けれど、唇に残る感触が——あまりにも、リアルすぎて。
「だ、だいじょぶですっ!! 問題ないですっ!!」
全力で否定したけれど、全然だいじょぶじゃない。
むしろ精神的ダメージが致命傷レベルだ。
そのとき――
「おやおや~?」
嫌な予感と共に、背後から聞こえる軽やかな声。
「朝からキスなんて、なかなか大胆じゃない? 青春しちゃってるねぇ、リリアちゃん?」
「ちがう! ちがうの!! 事故なの!! これは事故だったのぉぉぉ!!」
「うんうん、寝言で“ようやく君に会えた”なんて言ってた人に、事故は通じないかな〜?」
「姉ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「うん、聞いてた。ばっちり」
「ロブさんのばかぁぁああああああああっ!!」
「………すまん」
ロブは気不味そうに頭を下げる。
(謝られるのもなんか違うぅぅぅぅ!!謝るな馬鹿あぁぁぁぁぁ!!)
ああもう、お願いだからこのまま地面に埋まらせてください……!!
朝日が眩しい。
でもそれより、リリアの顔が真っ赤に燃えていた。
◆リリアの妄想ノート:第18話編◆
『膝枕からのキス!? これは事件です!!』
【本文】
本日は事件が発生しました……。
なんと、ロブさんが膝枕中に……膝枕中にぃぃぃぃ……!
ちゅっ、って、ちゅっ、って!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?
事故です。これは事故です。事故であってください。
でもあの柔らかさとあたたかさ、あと“ようやく君に会えた”って、あれは反則です!!
ロブさんは天然で無自覚で破壊力バツグンの男です。くそう、イケメンめ!!(泣)
しかもお姉ちゃん聞いてたし!?!?!?
どこからどこまで聞いてたの!?
ああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!
【結論】
……地面に埋まりたいです。まる。




