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第16話 裁きの剣、闇を裂いて

 リリアは言葉を失っていた。

 盗賊たちも呆然と立ち尽くし、ただ二人の男を見つめている。

 その中でただ一人、エリザだけが震える拳を握りしめ、血の気の引いた唇を噛み締めていた。


「ヴォルフ……!」


 かすれた声で名を呼んだ瞬間―――

 

 ガガッ!

 

 鈍い音と共に、ヴォルフの身体が崩れ落ち、地面にうつ伏せに倒れ込む。


「う……ぐ、あ……っ!」


 呻きながら必死に起き上がろうとするヴォルフ。

 その様子を無言で見つめながら、ロブがゆっくりと歩を進める。


 足元に転がる剣を拾い、柄を何度か振って重みを確かめると、地を這うヴォルフの前に立ち塞がった。


「ひ、人間じゃねぇ……化け物が……!」


 恐怖に染まった声。ヴォルフの目には、絶対的な敗北の色が宿っていた。

 

「まだ……終わってない……!」

 叫ぶように、エリザは前へ踏み出す。魔力を高め、杖を振り上げる。


紅蓮槍閃フレイム・ランス!!」


 紅蓮の槍が空を裂き、ロブへと突き刺さる。しかし―――爆炎の中、ロブは微動だにせず、焦げ跡一つ残らなかった。


「嘘……!? じゃあ、次は……氷穿針アイス・ニードル!!」


 氷の刃が鋭く飛び出し、次々とロブを貫こうとする。だが彼の肌に届くことはなく、霧のように消えていく。


雷鳴轟衝サンダー・クラッシュ!!」


 雷鳴と閃光がほとばしるが、ロブの影は揺れもしない。

 魔力を消耗し、肩で息をしながら、エリザは周囲の盗賊たちを振り返る。


「あんた達、加勢しなさいッ! 一人じゃ無理よ!!」


 だが盗賊たちは顔を青ざめさせ、次々と後ずさりする。


「む、無理だ……あんなの、勝てるわけがねぇ……!」

「し、知らねぇ!俺は逃げる!」


 押し合い、転び、絶叫しながら、生き残ろうと、必死に互いを押しのけながら逃げ出す盗賊たち。


 その惨めな背中を、ロブは静かに眺め―――。

 そして―――口を開いた。


「言っただろ。全員殺すって。逃がさねえよ。誰一人な」


 その声は、まるで死神の囁きのようだった。低く、冷たく、しかし絶対的な確信を帯びていた。

 ロブは一歩、静かに足を踏み出し、片手を持ち上げる。

 

 パチンッ。


 指を鳴らす乾いた音が夜空に響く。

 瞬間、逃げる盗賊たちの影が、ぐにゃりと歪んだ。


「……え?」


 影の中から、漆黒の炎が噴き出す。燃え盛る炎ではない。静かに、だが確実に獲物を包み込む、“喰らうような”炎だった。


「ぎゃああああッ!!」

「助けて……あ、あああああっ!!」


 その炎は影から生まれ、まるで意思を持つかのように、特定の盗賊だけを狙って燃え上がる。他の者には触れることすらない。標的のみを選び、確実に、無慈悲に焼き尽くす。

 

 肉が裂け、骨が焦げ、声すら灰の中に飲み込まれていく。

 その光景に、リリアは呆然としたまま立ち尽くしていた。

 だが、一番震えていたのはエリザだった。


「な、なんで……?」


 呟いた声が震える。


影焔業火シャドウフレア……あれは……私の……私だけの魔法……!」


 その通りだった。

 本来、彼女にしか扱えない高位の闇属性魔法。精密で危険な術式と長い詠唱が必要で、術式の解析など不可能なはずだ。


 それを——ロブは無言で、指を鳴らしただけで使ったのだ。


「あり得ない……化け物どころじゃない……まさか、本当に……魔王?」


 視線の先、炎の中に浮かび上がるロブのシルエット。無表情のまま佇むその姿に、もはや人間らしさはなかった。


 まるで、災厄そのもの―――


 恐怖が背筋を這い上がる。

 エリザは、震える手でヴォルフの腕を掴んだ。


「……逃げるわよ……今すぐ……!」


 二人は駆け出す。燃えさかる村を背にして。

 だが―――。


「くっ……!」


 振り返ると、ロブの姿が既に背後に迫っていた。


「く、来るなっ……!」


 疾風のようにロブが駆け、剣をヴォルフに向け一直線に繰り出した。

 ヴォルフはパニックの中、エリザの身体を引っ張り、自分の前に突き出す。


「え――――――!?」


 その瞬間だった。

 ロブの一突きが、エリザの胸を貫いた。


「ヴォルフ………な、んで……」


 血を吐き、呆然とした表情のまま、エリザは崩れ落ちた。




 エリザの骸に一瞥をくれたロブは、侮蔑のこもった視線をヴォルフに向けた。

 その瞳に宿るのは、怒りでも悲しみでもない。ただ、冷たく乾いた失望だけだった。


「……ああ、思い出した」


 怯えた顔の盗賊を視界に収め、ロブはゆっくりと記憶の底を探るように呟く。


「黒龍団との戦いの時も……いたな、お前」


 ヴォルフの足がわずかに震えた。無言のまま、じりじりと後ずさる。

 その目は、ロブの隙を探すどころか、獣に睨まれた小動物のように彷徨っている。


「あの時も、こんなふうに仲間を盾にして逃げたよな」


 言葉は淡々としていた。だが、その奥底には深く澱んだ怒気が確かにあった。

 まるで、深海の底から這い出した冷たい視線が、ヴォルフの心臓を凍らせる。


「自分さえ助かればそれでいい……。あの時から、まったく変わっていない。お前は」


 静寂が辺りを包む。

 

「最後までお前を助けようとした女まで道具扱いか……。クズ野郎が」


 吐き捨てるような声だった。

 その言葉には、エリザの最期に対する悼みと、己への怒りが滲んでいるようにリリアには見えた。


 あの時、この男を始末しておけばこの惨劇は起こらなかった。

 自分の詰めの甘さを憎んだ。その怒りから来る言葉だった。


 蔑みの言葉にヴォルフは唾をまき散らす。


「ち、ちくしょう……!」


 震える声でそう吐き捨てると、泥まみれの地面を蹴って、一目散に逃げ出す。

 リリアは、その背中をただ黙って見つめていた。


 ―――逃げるの?今さら?


 村を焼き、家族を殺し、仲間さえも見捨て、そして―――あの女魔法使いまでも。


 リリアの手は、知らず知らずのうちに震えていた。怒りか、悲しみか、あるいはその両方か。胸の奥が軋むように痛い。


 一方、ヴォルフの足取りはもはや逃走とは呼べないほどに乱れていた。


「……はっ、はっ……う、うそだろ、なんで……なんであんなのが……っ!」


 息を切らし、枝を踏み折り、泥に足を取られながら、それでも必死に前へ進もうとする。その姿は、かつての傲慢さも自信もない。ただ命だけを惜しむ、哀れで卑小な男だった。


 ―――だが、逃げられるわけがなかった。


「リリア、ついてこい」


 静かな声で呼ばれる。

 ロブが、静かに一歩、また一歩と前へ進む。


 リリアも隣に並び歩く。


 その歩みは決して速くない。だが確実に、着実に、死を背負って追い詰めていく。

 ヴォルフが振り返る。闇の中に浮かび上がる二人を見て、目を見開いた。


 ロブは剣を無造作に横に一閃する。

 光の刃が風を切り、ヴォルフの両脚を切り裂く。


 ザシュ!


「ぎゃあ!!」


 みっともない声を上げて地面に倒れ伏す。

 切断された両脚が取り残されたように転がっている。


「あ、足が、足がああああああああああ!」


 ヴォルフは地を這いまわり、痛みに顔を歪めながら手を合わせるようにロブにすがりついた。


「た、助けてくれ……!何でもする……金でも、情報でも、女でも……命だけは……!」

 

 鼻水と涙を垂らしながら、泥にまみれて這い寄るその姿は、かつての傲慢さの欠片もない。

 その惨めな様子を、リリアは静かに見つめていた。


 だが、次の瞬間―――


 リリアの頭の中で何かが弾けた。

 

 パァンッ!!

 

 乾いた音が夜に響き渡る。リリアの掌が、ヴォルフの頬を激しく打っていた。


「……ふざけないでよ……」


 怒りと悲しみに濡れた目が、ヴォルフを射抜くように見据える。


「お父さんも……お母さんも……!お姉ちゃんも!!あんたたちに殺されたのよ!!みんなの死を ……あんた、笑ってたじゃない!!」

 

 思い出されるのは家族の無残な亡骸。

 顔が分からない程に傷つけられた父。

 両腕をもがれた母。


 そして―――


 女としての尊厳を奪われ体をズタズタにされ両目を抉られた挙句に首を撥ねられた姉―――エレナ。


 抑えきれない激情に声が震え、叫びは嗚咽に変わる。


「それなのに今さら命乞い!?あんたが殺した人たちは、そんなことも言えずに死んでったのよ!!」


 リリアは肩を震わせながら、なおも叫び続ける。


「あの魔法使いの女の人も……あんたを守ろうとしてたのに……あんな最期……! 最低よ……人間のクズ!!」


 ヴォルフは、恐怖に顔を引きつらせ、泥の上で後退りする。だが逃げ場はもうない。


 リリアの怒声に、空気が凍りつく。涙で濡れた頬、怒りで紅潮した顔。そこにあったのは、幼い少女ではなかった。


 ―――復讐者の瞳だった。


 ロブはそんなリリアに一度だけ視線を向けると、静かに剣を持ち直した。


「……それが、お前の答えか」


 ロブの声は静かだった。だが、その言葉には刃よりも鋭い重みがあった。


 リリアは、震えるままに立ち尽くしていた。頬を伝う涙は止まらない。けれど、彼女の瞳は、もう迷ってはいなかった。


 小さく、しかし確かな動きで、彼女は頷いた。


 その仕草に、ロブは一度だけ目を閉じる。そして、ゆっくりと剣を構える。

 風が止む。世界が静止する。


 次の瞬間―――


 鋼の閃きが、闇を裂いた。


「―――ぁ……!」


 ヴォルフの右肩から、斜めに深く振り下ろされた一閃が、心臓を確かに切り裂いた。

 何かを言いかけたその口は、声を紡ぐ前に絶えた。


 そのまま、彼の身体は音もなく崩れ落ちる。

 泥に濡れた地面が、その命の最期を優しく、だが冷たく受け止めた。


 全てが終わった。


 夜の静寂が戻る中、リリアの涙だけが、絶え間なく流れていた。




【あとがき】

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


ロブの剣が下された時、すべてが終わったと思われました。

リリアは叫び、涙を流し、答えを選びました。

長く続いた「復讐の章」が、ひとつの終わりを迎えたのです。


……ですが、ロブはまだ何も言っていません。

静かに剣を納め、夜を見つめているだけです。


彼がその場に留まる理由。

燃え尽きたはずの村に、まだ残っている“何か”。


それを知るのは、次の物語です。


4月6日まで、1日複数回の更新を予定しています。

次回、第17話は本日21:00公開予定です。


物語は、終わりではなく——ここから始まります。

次話も、どうぞよろしくお願いいたします。


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