第15話 海老男、ちょっと本気出したら5分だった件
ロブは砕けた鎧を脱ぎ捨て、剥き出しの上半身をさらす。
胸板から血が流れていた。
先刻受けた爪の傷跡からのものだ。
傷だらけの肉体。だが、その眼差しはまったく曇っていない。
「―――闘気をそこまで使いこなせるとは。今日びAクラスの冒険者でもそうはいないな」
「へっ!お褒めに預かり光栄だがな。自慢にしか聞こえねえぜ。お前もその使い手だろうが」
「まあな」
ロブが口の端を釣り上げる。
その言葉に、リリアの中に疑問が浮かぶ。
(……ブレイズ?………魔法じゃないの?)
彼のあの人間離れした力と動きは、魔法にしか見えなかった。
しかし、ロブも、そしてヴォルフも、別の“何か”としてそれを認識している。
今まで、ロブがあの細腕で盗賊を数メートル吹っ飛ばしたり、剣撃を止めたりしていた、あの見えない力がブレイズとかいうものらしいと見当をつけた。
「礼を言っておくぜ、海老男。おかげで俺は、“この力”にたどり着けた」
ヴォルフが両手を交差させ、爪を鳴らす。
次の瞬間、彼の背中から“何か”が吹き上がったような気配がした。
言葉にならない圧迫感が、リリアの心臓を締め付ける。
空気が重い。音が遠い。
ヴォルフが凶暴に笑い、手甲を顔の前でクロスさせる。
先ほどから感じている圧力がヴォルフに集まる、ような気がした。
(なにかが来る……?怖い………)
びりびりと肌が泡立つ。空気そのものが、牙を剥いたような緊張に満ちていた。
ロブが半歩、静かに身を引く。
わずかな構えの変化。それは、彼もまた“何か”を察している証だった。
次の瞬間——
「烈爪閃!!」
ヴォルフの右腕が、疾風のごとく横一文字に薙がれた。
グワッ!!
鉤爪から解き放たれた五本の光が、鋭く空を裂く。
それはまるで、闇を喰らう猛獣の爪痕。
ロブの姿が、視界から消えた。
跳んだ——!
すれ違い様に通り過ぎた光の斬撃が、そのまま背後の石壁へと突き刺さる。
ゴシャァァァァァ!!
爆音とともに、壁がえぐれる。
そこには、鉤爪の原型を残したままの五つの巨大な穴。
三日月状に穿たれたそれは、どれも人間の胴をまるごと貫くほどの大きさだった。
(……当たってたら……!)
リリアは、ぞっと背筋を凍らせた。
ほんの一瞬でも遅れていたら、ロブの身体は跡形もなく斬り裂かれていたに違いない。
着地したロブが鋭い眼で穴を見やる。
「闘気を飛ばす……ここまでとは」
「俺の烈爪閃を避けた奴はお前が初めてだぜ。だが、次は外さねえ」
リリアは口元を抑えた。
こんな技、いくらロブでも太刀打ちできないかもしれない。
ロブがあの爪をくらい体を四散させるイメージが脳裏に映り、ぞくりとする。
(ロブさん………)
ただ心配することしか出来ない自分がもどかしく情けなかった。
ただ、ロブの背中を見つめることしか出来ない、こんな自分が嫌だった。
そんな自責の念を感じ取ったのか、それとも偶然か、ロブが僅かにこちらに振り向きにっと笑ってみせる。
―――心配するな。必ず家族の仇は討ってやる。
―――俺を信じろ。
そう言っているような気がした。
ロブがゆっくりとヴォルフに向き直る。
「もう終わりにさせてもらう」
「ああ、終わりだ……てめえがボロクズになってな!!」
ヴォルフがまた、腕を交差させる。
あの技がもう一度くる!
リリアはギュッと両手を握り祈った。
神にではない。
目の前の、今日会ったばかりの男に。
彼がその手で勝利を掴めるようにーーー!!
「闘気を飛ばす技ってのは、昔の伝説の英雄が使ってたって話がある」
ヴォルフは肩を揺らしてにやりと笑った。
「拳ひとつで山を割り、斬撃で空を裂いた……なんてな。絵本の中の話かと思ってたが、俺はそこに辿り着いた」
彼は手甲を鳴らし、赤黒い闘気を渦巻かせながら誇らしげに言い放つ。
「つまり俺も、伝説級ってわけだ!」
ヴォルフが自信満々に笑みを浮かべる。
「伝説級ねぇ……」
ロブは鼻で笑い、肩をすくめる。
「お前の技なんて、そいつらに比べりゃ足元にも及ばねえよ」
その声はどこか懐かしさを含んでいた。
ロブの瞳には、まるで遠い記憶でも見ているかのような光が宿っている。
鼻で笑うロブに、ヴォルフはかっと両眼を見開き、鬼のような形相を浮かべた。
「減らず口を……叩くなぁ!!」
ヴォルフが怒髪天を衝き、咆哮とともに両腕を交差させる。
十本の光の爪——いや、もはや“斬撃の獣”が唸りを上げて放たれた。
「喰らええええええッ!!」
暴風のような破壊波が、ロブに殺到する。
まさに避ける間も与えぬ絶対の一撃——だが。
ロブは、右腕をそっと、前に出した。
指先を閉じ、掌を敵に向ける。ただ、それだけの所作。
「……Observatio Negata《観測拒否》」
ロブがなにか意味不明な言語を呟いた。
さっき解毒する際に使った呪文と似ているような気がした。
——その瞬間、世界が静止したかのようだった。
シュオォォォォォォォォォ…………
ヴォルフの放った闘気が、ロブの掌の前で——霧のように崩れ、塵のように消えた。
「な、なに……ッ!?」
ヴォルフの絶叫が場に響く。
ロブは、わずかに口角を上げた。
「お前の攻撃は、確かに速く、鋭い。だがな——」
ロブの全身が、内側から光を帯びる。風が唸り、大地が震える。
彼の周囲の空間が揺れ、見えない重力が空間を歪ませているようだった。
「英雄達の技はそんな次元じゃない。気付けば死んでる、一撃必殺の技なんだよ」
腰を落とし、拳を引く。
ただそれだけの動きなのに洗練されている。
リリアはその動作を、“神の演舞”と錯覚するほどに美しいと思った。
「——Compressio Lux《光圧拳》」
その拳が、放たれた。
ドンッ!という音がした直後、衝撃波が爆風となり、空気を裂いた。
まるで世界が反発したかのような圧力。
拳から生まれた光の奔流が、大蛇のようにうねり、ヴォルフを飲み込む。
「ぐああああああああああッ!!」
ヴォルフの絶叫ごと、全身が弾き飛ばされる。
壁に激突し、地が揺れ、巨大なクレーターが穿たれる。
その中心に、瓦礫の中でヴォルフが大の字に沈んでいた。
衣服は破れ、爪は砕け、意識は虚空に飛び散っている。
「これだってあいつらには遠く及ばない………」
静かに呟き、ロブはそっと拳を下ろした。
「……ぎりぎり、闘気で守ったか。だが、もう終わりだ」
静かに、決定的に。
勝者としてその場に立った海老男を名乗る戦士は、特に感情の揺らぎもなく言った。
「ぴったり5分。思ったより手強かったな」
【あとがき】
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
激しい戦いの末、ヴォルフはついに地に伏しました。
しかし、彼の物語はこれで終わりではありません。
次回、ロブの手によってヴォルフに裁きが下されます。
その瞬間、リリアの物語もまた、大きく前進します。
そして――明日はいよいよ、第1章の最大の山場を迎えます。
これまで積み重ねてきたすべてが繋がり、物語は一気に動き出します。
明日は3回更新を予定しています。
朝7:00、夜21:00、夜23:30。
それぞれの更新が連なることで、物語は決定的な転機を迎えることになります。
4月6日まで、複数回の更新を予定しています。
ぜひ毎日チェックしていただければ嬉しいです。
次話も、どうぞよろしくお願いいたします。




