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146話 やる前から諦めるな──ロブと仲間がくれた言葉

 教員室の空気は冷えきっていた。

 部屋の中央で、フローラが声を張り上げる。


「いい加減にしてください!」


 机に置かれた書類が揺れるほどの勢いだ。初日のモンスター怪談、そして二日目の授業で貴族生徒を叩きのめした件――怒りの矛先はそこに集中していた。


「ゴブリンの話は……まあ、やりすぎたと反省してる」


「そこだけじゃないでしょう!」


 フローラの声が跳ね、室内の空気がさらに張り詰める。

 ロブは椅子にもたれ、面倒そうに肩をすくめた。


「怪我はさせてない」


「問題はそこじゃありません!」


 周囲を見渡せば、リオネルとラークは二人のやり取りを静かに見守っている。だが、それ以外の教師たちの表情は険しい。明らかにロブを快く思っていない眼差しが並び、机上のペンが無意味に回され、ため息が隠しきれずに漏れる。


 そこへ、サイラードが腕を組んで前へ出た。

 目に冷たい光を宿し、口元には笑みを浮かべながらも声は低い。


「イングラッド先生……あなたの授業は、あまりに粗野だ。学舎の秩序を乱すやり方では、生徒に間違った価値観を植え付けかねない」


 フローラが一歩踏み出し、続けざまに詰め寄る。


「あなたは魔法を教えるためにここにいるんです。職域を逸脱する行為は慎んでください」


 ロブは目を細め、淡々と返す。


「俺は実戦で魔法を使う方法を教えに来た。魔物の生態も、模擬戦も必要なことだろ?」


「やり方が問題なんです!」


 フローラは王族・貴族の生徒を保護することに重きを置いている。この学舎においては珍しいことではなく、ほとんどの教師がフローラと同じ考え方だった。

 声がぶつかり合い、室内の温度がさらに下がっていく。険悪な空気の中、動いたのはキリンガだった。


「――まあまあ、お二人とも、そのくらいにしておきましょう」


 柔和な笑みを浮かべながらも、その声は静かに場を制した。

 背筋の伸びた細身の老人がゆっくりと立ち上がる。


「イングラッド先生の授業内容については、私が一任しています。大きな怪我も出ていませんし、問題はないでしょう」


 フローラが反論しようとするが、キリンガが手を軽く上げて制した。


「模擬戦で打撲や擦り傷はつきものです。それに、やり方は少々荒っぽいですが、あれは戦場を知る者の現実です。学舎にとっても悪くない刺激になると思います」


 視線をフローラに戻し、穏やかに続ける。


「もちろん、あなたの言い分ももっともです。ですが、まずは結果を見てから判断しましょう」


 フローラは唇を結び、渋々視線を落とした。

 完全には納得していない。それでも教師長の言葉に逆らうつもりはなかった。




 昼休みの食堂は、ざわめきに包まれていた。

 皿のぶつかる音、スープの匂い―――その中に混じるのは、あの男の名前だった。


「……あれは教師のやることじゃない」

 銀のスプーンを指先で転がしながら、上位貴族の生徒が吐き捨てるように言う。

「模擬戦であそこまでやる必要があるか? あれじゃ野蛮な傭兵だ」

 同席している同じ身分の者たちは、苦笑とも侮蔑ともつかない表情でうなずいた。彼らの中で、ロブは既に“下品な異物”としての位置を与えられている。


 しかし、少し離れた席では別の空気があった。

 下位の貴族生徒たち―――平民に近く、日頃は上位貴族から軽んじられる面々だ。

「正直……胸がすっとしたよな」

「だな。あいつらが顔を歪めて地面に転がってるの、初めて見た」

「このまま全部やっつけてくれりゃいいのに」

 声をひそめながらも、目はどこか輝いていた。彼らにとって、ロブは自分たちの鬱屈を代わりに叩きつけてくれる存在だった。


 そして、最も賑やかなのは平民の席だ。

「昨日の授業、マジでためになったな」

「ああ。魔物の急所とか動きの癖まで教えてくれたしな」

「卒業したら俺ら、ほとんどが前線だろ? あの知識、命綱になるぜ」

 口々に感想を交わしながら、パンをちぎり、スープをすすり、笑い声を上げる。

 彼らにとってロブは既に“役に立つ先生”であり、人気も出始めていた。


 同じ食堂の中で、三つの空気が混ざり合わないまま漂っている。

 だが、どの輪でも共通しているのは——話題の中心が、間違いなくイングラッド先生であるということだった。


  昼の食堂の隅、リリアたち七人はひとつの席を囲んでいた。

 周囲で飛び交う「イングラッド先生」の噂に耳を澄ませながら、パンやスープを口に運ぶ。


「アトラ様にはもめ事を起こすなって言ってたのに……まさかロブさんが率先して騒ぎを起こすとは思いませんでした」

 リリアが小さくため息をつく。


「確かに。ゴブリンに孕まされる女の子の話なんて普通する?」

 フィリアは首をかしげ、耳の先を赤くしながら呆れたように言う。


「私たちはもっと生々しいの聞かされてましたけどね」

 リリアの返しに、カイが小さく肩をすくめた。


「わたくし達は直接授業を受けていませんが、噂は耳にしますわ」

 セラフィナは紅茶を口に運びながら涼しい顔を崩さない。

「女子生徒がわたくしに、いつもあんな破廉恥なお話を聞かされているのかと尋ねてきましたのよ」


「そりゃ抗議にも来ますよね」

 リリアが呆れ気味に言う。


「いえ、顔を赤くして興味津々でした。貴族令嬢の闇を垣間見た気がしましたわ」


「……………」

 リリアが返す言葉に詰まっていると、カイがぼそりとつぶやく。


「貴族の令嬢はムッツリなんだな」


 そのわき腹ををフィリアが肘で軽く小突いた。


「俺のとこにも師匠のことを聞いてきたよ」

 エドガーが穏やかな口調で続ける。

「こっちは好意的だったな。もっと実戦で役立つ戦い方を教えてくれって。剣術クラスの卒業生はほとんどが剣士として魔導士を守る盾であり槍だ。けど実態は捨て駒扱いだ。だから、少しでも強くなって生き延びたいんだよ。俺も含めて、剣術クラスの生徒には師匠のような実戦経験の豊富な教師は救いなんだ」


 その声には、当事者にしかない重さが滲んでいた。


「私も平民なので魔法使いになると思うから、実戦で役立つ魔法は教えてほしいです」

 エレシアが控えめに言う。


「でも、あなたのお姉さんは魔導士なんでしょう?」

 フィリアが首を傾げる。


「お姉様は特別優秀だったので………」


「平民でも成績優秀者は魔導士として公会に所属することが出来ますわ。研究にも携われるでしょう。ただ……貴族出身者はまずやらないような任務を与えられますが。それでも現場の魔法使いよりは格段に安全です」

 セラフィナが淡々と説明する。


「私は姉ほど優秀ではないので」

 エレシアは小さく首を振った。


「まだ中等部の二年ではありませんか。高等部の三年までに巻き返せばいいのです」


「む、無理です。わたしなんかが………」


「では、お聞きしますが、エレシアさんは魔導士になりたいんですの?それとも魔法使いに?」


「それは………私だって魔導士を………でも、私なんかじゃ」


「確かにそんなんじゃ無理ね」

 フィリアのあまりにストレートな物言いに、リリアが慌てる。


「フィリアさん、そんな言い方」


「だって、あんたは最初から諦めてるもの。必要な努力もしていない。それであわよくば魔導士になんて思っててもなれるわけがないじゃない」


「…………」

 エレシアは唇を噛む。


「ロブならこう言うわ。できるできないじゃない。やれって」


「あー、言いますね」

 リリアが苦笑する。


「私があいつに師事しているのは魔法や戦い方を教わるためじゃないわ。そんなのママに聞けば充分なんだから。でも、あいつのその教えだけはあいつからしか学び取れないものだと思ってる。それだけのことをしてきたんだから」


「そんなにすごい人なんですか?」

 ファルクが感心したように問う。


「ええ、ありえないくらい凄いことをしてきた人よ。興味あったら冒険者の先輩に聞いてみれば?」


「なるほど。今度聞いてみます!」


 相変わらずの素直さで頷くファルク。

 その隣で不服そうに口を尖らせ、エリシアは反論する。

 

「それはすごい人の弟子だからそんな風に考えられるんですよ。私は違います……」

 エレシアは視線を落としたまま言う。


「なら、師匠に教えてもらえばいい。ここにいるんだ。どんどん聞いてみろ。聞けばなんでも答えてくれる。あの人なら」

 エドガーが励ますように言った。


「でも……私なんかじゃ、聞いても一緒です。身につかないから」


「身につくまでやるのよ。出来るか出来ないか、やる前から悩んでるうちは1ミリも成長しないわよ。あんたがなりたい自分になるためには、あんた自身が動かなきゃなにも変わらないの」


 フィリアの言葉に、エレシアは俯いた。


 その横で、リリア、カイ、セラフィナ、そしてエドガーがそろって小さく笑った。

 ついこの間までロブを嫌っていたフィリアが、誰よりも熱を込めて彼を語っている——その事実が、少し可笑しかった。


 そんなフィリアの言葉に俯いたままのエレシアを、リリアがそっと覗き込む。


「大丈夫、エレシアちゃんも強くなれる」


 唐突な励ましに、エレシアはぽかんとした顔を上げた。


「エレシア……“ちゃん”?」


「あ、ごめん、馴れ馴れしかった? 同い年だからつい……ごめんね。嫌ならもう言わないから」


「いえ、嬉しいです。リリアさんがよかったら、そのままで!」


「うん、わかった」


 そのやり取りを聞いていたフィリアが、じとっと視線を送る。


「私も同い年になるんだけど………」


「実年齢は上じゃないですか。え?フィリアちゃんって呼んでほしいんですか?」


「いや、絶対やめて」


 フィリアは眉をしかめてそっぽを向いたが、その横顔にはほんのり残念そうな色があった。

 その表情に、エレシアがくすりと笑う。


「ところで、アトラ様は?」

 リリアが話題を変えるように首をかしげる。


「あっちだよ」

 カイがスープの匙を置き、親指で後ろを指した。


 視線の先——そこにはアトラを中心に、男女問わず十数人が取り囲む一団があった。


「はい、アトラ様、あーん」

 女子生徒がフォークを差し出す。


「うむ。よきにはからえ」

 アトラは当然のように口を開け、満足げに頷いた。


 皿やカップが次々と献上され、周囲は小さな宮廷のような賑わいだ。


「……すっかり派閥できてんな」

 カイが呆れ混じりに笑い、リリアは額に手を当てた。


 リリアたちはそろって苦笑を漏らす。

 アトラは今日も、変わらぬ調子で自分だけの王国を築き上げていた。


  ◇ ◇ ◇


 別の食堂。

 喧騒から離れた静かな席で、ロブはひとり昼食をとっていた。


 そこへ、トレーを手にしたキリンガが前の席に腰を下ろす。

 穏やかな笑みを浮かべたまま、向かい合って座った。


「悪いな。あんたの立場が悪くなるようなことをさせてしまった」

 ロブが先に口を開く。


「構いませんよ。五十年前より大人しくなっていたので、むしろ驚きましたが」

 柔和な表情のまま、キリンガが返す。


「あの時は俺も若かったからな」


 キリンガはほっほっほと笑い、懐かしむように目を細めた。


「まったく見た目の変わらないあなたが言うと違和感がありますね。あの時十五歳だった私など、すっかりじじいになってしまったというのに」


「あの時のあなたの教えで、虐げられるばかりだった平民の生徒にも反骨精神が芽生えた。あの頃からですな、貴族しかなれなかった魔導士に平民が混ざり出したのは。あなたが学舎の、公会の在り方を僅かに変えた」


「中途半端だったよ。魔導士になれた平民が、結局公会の中で苦しむようになった」


「いえ、彼らはその中でも誇りを持って生きています。あの時の私の同級生が、今では公会の上位魔導士になっています」


「お前も、平民出身者で初めての教師長だもんな。髭を生やしたお前を見て、あの時机を並べて座ってた小僧どもの顔が蘇ったよ」

 ロブが誇らしげに言うと、キリンガは「懐かしいですな」と少しだけ目を細めた。


「ですが、それもあなたがいてくれたからです」

 ゆっくりと姿勢を正し、まっすぐロブを見据える。

「改めて礼を言わせてください。あの頃、あなたが見せてくれた姿が、私や多くの者の背中を押しました。本当に……ありがとうございます」


 ロブは視線を外し、口の端だけで笑った。

「礼なんていらん。俺は好き勝手やってただけだ」


 短い時間だったが、そこにはかつての師弟の空気があった。

 ロブは、自分が蒔いた種子が年月を経て芽を出し、咲き誇ったことを——密かに喜ばしく思っていた。



【リリアの妄想ノート】


ロブさん、初日から二日目と立て続けに話題の中心……。

生徒の反応も三つに割れてるのが面白いですね。

でも、エドガーさんやフィリアさんの言葉は、ちゃんとエレシアちゃんの胸に届いてほしいな。

「やる前から諦めるな」って、まさにロブさんの口癖。

私もそうやって背中を押され続けてるんだなって、ちょっとしみじみしました。


感想とブクマで、このやり取りの熱を一緒に感じてもらえたら嬉しいです!

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