第百四十五話 またうちの師匠がやっちゃいました
「い、イングラッド先生、なにを………!」
困惑の色を隠せないフローラが、スカートの裾を揺らして一歩踏み出す。眉間には深い皺が寄り、唇はきゅっと結ばれていた。教師としての責任感と、予想外の展開に対する警戒が入り混じった表情だ。
その横でラークも腕を半分上げたまま固まり、視線をロブと生徒たちの間で行き来させる。制止しようと口を開くが、ロブの軽い仕草に言葉が喉で止まった。
「ん?授業だよ」
ロブは片手をひらひらと振り、肩をすくめた。
「せっかく顔を出したんだ、ちょっとぐらい役に立たないと、給料泥棒って呼ばれるだろ」
軽口のように聞こえるが、その目は真正面に立つ五人の生徒を鋭く射抜いている。
貴族の生徒たちは木剣を片手に、困惑と警戒をないまぜにした視線を返した。
「遠慮しなくていいぞ。一人での戦いは慣れてるからな。お前らは全力でこい」
その時、腕を組んでいたサイラードが、口元を歪めてわざとらしく喉の奥で笑った。
「おもしろい」
鼻で笑うような声音。そこには、ロブを値踏みするような傲慢さと、「お前なんか」という軽視が混ざっていた。
「それなら、生徒は魔法で攻撃してもいいですか? 実戦では魔物も魔法を使うでしょう」
挑発を隠さぬ言い回し。フローラが即座に反応した。
「何を言っているんですか!」
「危険すぎだ!」
フローラはサイラードを睨みつけ、ラークは眉を吊り上げて加勢した。両手を広げ、生徒たちに落ち着けという合図を送るが、その視線はサイラードに突き刺さっている。
サイラードは二人の反応を楽しむように口角を上げ、わずかに肩をすくめた。
「危険?本気を出せない授業に意味はないでしょう」
演習場の端で、魔導第一席級の貴族生徒たちが「そうだ、そうだ!」と囃し立てる。嘲り混じりの笑いが広がる中、剣術クラスの平民生徒たちは押し黙った。
その中で、エドガーだけが細めた目でロブの背中を凝視していた。
「もちろんいいぞ」
ロブは一拍置いて笑みを浮かべた。
「安心しろ、俺は魔法を使わない」
その一言で場がざわめき、平民も貴族も表情を揺らす。
レオニスが長い足で前へ出た。鍛えられた体躯が影を落とし、真っ直ぐな視線がロブを射抜く。
「待て!いくらなんでも危険すぎる!」
冷静な口調の奥に、抑えきれない焦りが滲んでいた。
ロブは片眉を上げ、気怠そうに頭をかく。
「子どもに怪我させるようなへまはしないさ」
言葉を切り、目だけでレオニスを射抜く。
レオニスも視線を逸らさない。
「怪我をするのは、あなたの方ですよ」
演習場の隅で、指名された五人の貴族生徒がニヤニヤと笑った。
「先生相手でも容赦しないぞ」
「魔法ありなら、あっという間に終わりだな」
小声で囁き合い、下卑た笑みを交わす。
ロブは口の端だけを上げた。
「そうか。なら遠慮なく来い」
開戦の合図もないまま、先頭の貴族生徒が詠唱を始めた。
エドガーの目が、わずかに細くなる。
あれだけの隙を、ロブが見逃すはずがない──そう思った瞬間、木剣が弧を描いて振り下ろされていた。
乾いた打撃音と同時に、生徒が前のめりに崩れる。最初の一人だ。
「戦闘中に悠長に呪文唱え終わるの待つ馬鹿がいるか」
その速さに、観客席から息を呑む音が広がる。
だがエドガーの視線はロブを追い続けていた。あの踏み込み、剣の角度──どれも無駄がない。
残る四人が一斉に動く。二人が正面から木剣を振り下ろし、背後からは風の魔法が放たれる。
ロブは正面の攻撃を軽く受け流し、風刃を半歩でかわした。いなされた生徒がたたらを踏んだ瞬間、逆にロブの木剣が肩口を打つ。
次の動きに、エドガーは息を詰めた。
一人の生徒と刃を交えている最中、ロブの視線が一瞬だけわずかに動いた。戦っている相手の瞳が、背後に何かを見たからだとわかった。
ロブはその刃を押し返すと同時に、振り向きざま背後から飛びかかってきた生徒を木剣で打ち据えた。
前のめりに倒れ込む生徒。
「な、なんでわかった!?」
驚きの声に、ロブは口の端をわずかに上げる。
「お前が教えてくれたんだよ」
そのやり取りの意味を、エドガーは理解できた。だが、言われた生徒は何のことだかわかっていない様子だった。
自分の視線や表情をロブが読み取って背後からの奇襲を見抜いていたことなど想像もついていない。
観客席のフローラやラーク、そしてサイラードの顔には明らかな戸惑いが浮かんでいる。
何が起きたのかすら、わかっていない。
ロブの動きの一つ一つは何でもないことだ。しかし、その無駄のない動き、何より速さに理解が追い付いていないのだ。
残り二人。
片方が雷撃の詠唱を始め、もう片方が突進してくる。
ロブは迫る刃を紙一重で避け、雷撃の射線を自らの背後に導いた。
魔法が突進してきた生徒に直撃し、悲鳴が響く。次の瞬間には、もう一人も木剣の一撃で倒れていた。
沈黙。
演習場全体が一瞬静まり返る。埃が舞い、夕陽の光が差し込む中、ロブだけが平然と立っていた。
五人全員が地面に転がり、呻き声を上げている。
エドガーには、全てが見えていた。
剣の軌道、足運び、相手の視線の揺れから次の行動を読む勘──そのすべてが、冒険者としての経験に裏打ちされている。
だが、他の者にはただの瞬間移動のようにしか映らなかっただろう。
レオニスの瞳が大きく見開かれる。
フローラは唇を押さえ、ラークは首を振って信じられないといった表情を浮かべていた。
サイラードですら、口元から薄い笑みが消えている。
ロブは木剣を肩に担ぎ、短く息を吐く。
「……次は、命を懸ける覚悟で来い」
- ロブは木剣を下ろし、ゆっくりと周囲を見渡した。視線だけで場を圧し、静かな声を響かせる。
「実戦ならパーティー全滅だな。魔法も技術も問題外。連携もまるでなってない。いくら研究職になるといっても、この体たらくじゃ魔導学舎の底が知れるな」
痛烈な物言いに、サイラードの顔にわずかな陰が走った。怒りとも、苛立ちともつかぬ表情だ。
フローラが心配そうに歩み寄る。
「生徒の怪我が——」
「怪我はさせてない」
短く返す声に、ためらいは一切ない。
ロブはすぐさま視線を別の方向へ向けた。剣術クラスの平民生徒たちだ。
「お前たちもかかって来い。剣術クラスの実力を見せてみろ」
挑発とも鼓舞とも取れる言葉に、生徒たちの目に炎が宿る。
恐怖よりも先に、胸の奥から湧き上がる熱。相手は一流の冒険者、ロブ。剣を交える好機に、躊躇よりも喜びと挑戦の衝動が勝った。
「俺が行く!」
「いや、次は俺だ!」
あちこちから声が飛び、皆が立ち上がる。
その気概に、ラークは驚いたように目を瞬かせ、次いで口元をわずかに緩めた。
エドガーはその光景を見つめながら、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
自分の師匠が、この魔導学舎に巣食うくだらない身分差別に風穴を開けようとしている。
それが誇らしかった。
【リリアの妄想ノート】
あとで聞いたんですけど……ロブさん、魔導クラスの貴族生徒五人をまとめてボコボコにしちゃったらしいです。
しかもその後に剣術クラスにも挑戦状とか、どこの無双主人公ですかって話ですよ。
平民の子たちが「やらせろ!」「俺が行く!」って立ち上がったって聞いて、ああ〜やっぱりうちの師匠だなって思いました。
もうね、「またうちの師匠がやっちゃいましたかー」って顔して、どやっと胸を張るしかないですよ。
エドガーさんも心の中で絶対ドヤってたに違いないです。ふふっ。




