第14話 とっくに1分経ってるぞ――海老男、静かに牙を剥く
「なんだと………」
ロブのその言葉を聞いた瞬間、ヴォルフの全身から何かが弾けた。
ドンッ、と空気が爆ぜる音が響き、地面が揺れた。
彼の全身から荒れ狂う赤黒いオーラが噴き出し、あたりの空気が歪む。
髪は逆立ち、まるで炎のようにゆらめき、瞳は血のごとく深紅に染まった。
血管が浮かび上がった腕は太く膨張し、全身が異様な熱気を帯びて膨れ上がっていく。
その怒気は灼熱のごとく周囲を押し潰し、圧力だけでリリアは呼吸を詰まらせた。
まるで猛獣が咆哮をあげる直前のような緊張感が支配し、地面を這う砂利すら震えていた。
彼の背後に幻のような獣影がちらついた気すらする——それは、怒りと殺意の具現。
リリアは息を呑んだ。
その異様な気配は、まるで本能が“逃げろ”と警告してくるような凄みがあった。
けれど、足がすくんで動けない。
怖い——けど、目が離せない。
恐怖だけではなかった。
あの男とロブがどんな戦いをするのか。
それをこの目で見たいという、抑えきれない衝動があった。
「5分もいらねぇ。1分で殺してやるよ!」
怒号と共に、ヴォルフが地面を蹴る。
砂塵を巻き上げ、一瞬でロブとの距離を詰めた。
(速いっ!)
重装の男とは思えない速度だ。
右手の鉤爪が風を切り、ロブの首を狙って薙ぎ払う。
だがロブは——まるでそれを読んでいたかのように、微動だにせずその刃を避けた。
続く左の一閃も、わずかな体の傾きで躱す。
ロブの動きは最小限で無駄がなく、まるで予知していたかのように先を取る。
わずかに吐いた息、瞳の揺れすらなく、ただ静かにその場に立つその姿には、長年の修羅場を生き抜いてきた者の風格が漂っていた。
離れた所にいるにもかかわらず、風圧がリリアの頬をかすめ、髪を巻き上げる。
素人のリリアでもわかる、達人同士の戦いだ。
視界の中で、二人の男が交差した。
「シャアアッ!!」
ヴォルフの咆哮。
回転蹴りを放つその体捌きは、まるで獣そのもの。
だがロブは半歩退いて躱し、突きを繰り出した。
ギィン!
突き出された剣先がヴォルフの胸を貫く。
そうリリアは確信していたが、切っ先はヴォルフの胸の直前で止まっていた。
まるで見えない壁に阻まれているかのように。
その瞬間、リリアの脳裏に、強烈な既視感が走った。
この光景を——彼女は確かに以前、目にしていた。
そう、あの時―――。
ザハルがロブに斬りかかった瞬間、剣が突如として止まった、あの不思議な場面だ。
まるで空気が凝固したかのような、理屈では説明できない“力”が働いていた。
今、ロブの攻撃に対しても、それと同じ“何か”が発動している。
ヴォルフは魔法を使っているわけではない。
だけど、確かに目の前に“見えない壁”が存在している——そう思わずにはいられなかった。
ヴォルフはにやりと笑う。
その顔には、戦いに歓喜する者特有の狂気が滲んでいる。
瞳は血の色に燃え、口角は吊り上がり、まるで獰猛な獅子が牙を剥いたようだった。
そして——その両腕が十字に振るわれた。
ガキィィン!!
空間が裂けたような甲高い金属音が響き渡り、ロブの剣が粉砕される。
切っ先から柄に至るまで、何枚もの破片となって空中に舞い上がった。
光を反射する鋼片は、まるで破滅の花びらのようにキラキラと煌めきながら落ちていく。
「!!」
リリアは目を見開いた。
輪切りにされたロブの剣。あの頑丈な武器が、まるで紙細工のように斬り刻まれていた。
その異常さが、数秒遅れてようやく脳に届く。
(鋼鉄の剣が……こま切れに……!?)
衝撃と混乱で思考が追いつかない。
ヴォルフの鉤爪には、あの剣を破壊できるだけの威力と、精密さがあったのか——?
だが、その問いに答える者は誰もいない。
次に聞こえたのは、ヴォルフの勝ち誇った声だった。
「鉄の刺し身ってのも悪かねぇな」
ヴォルフは血のついた爪をぺろりと舐める。
その仕草に、リリアの背筋がぞわりと凍った。
それはまるで、狩りを楽しむ捕食者そのものだ。
そこからの連撃は、もはや視認すら難しかった。
爆ぜるような斬撃。唸るような蹴り。止まらぬ連鎖攻撃。
風を切る音が重なり、空気そのものが切り裂かれていく。
まるで嵐のような殺意の奔流が、ロブを飲み込もうとしていた。
ロブは拳と肘、最小限の動作で応戦していたが——
「ッ!」
赤い閃光が、ロブの右腕を裂いた。
鋭く、深く、容赦のない一閃。
「ロブさん!!」
思わず、リリアは声を上げていた。
その瞬間を皮切りに、連撃はさらに加速する。
脇腹、肩、頬。次々と斬撃が肉を穿ち、鎧が悲鳴を上げて砕けていく。
まるで鋼を裂く爪の旋律。刃の雨のように舞う鮮血。
ブシャァッ!!
地面を濡らす鮮血の雫が、泥と混ざって黒く染まる。
ロブの足元が揺らぎ、一歩、二歩と後退する。
(まさか……ロブさんが……!)
リリアの心が凍りついた。
戦いが始まって以来、初めてロブが“押されている”姿を見た。
その背中から放たれていた圧倒的な安定感が、いまはかすかに揺らいでいる。
だが——
「……驚いたな。とんでもない速さだ」
ロブは、血に染まった胸を押さえながら、それでも微かに、笑った。
「はっ。その顔が見たかったんだよ」
ヴォルフの鉤爪が陽光を受けて鈍く光る。
彼は舌で血を舐め取り、勝ち誇ったように言った。
「錆びた味だな。だが三十年分の勝利の美酒ってやつだ」
ロブの唇がわずかに吊り上がる。
「そんなセリフは勝ってから言えよ」
「違いねぇ。今度はお前がこの爪の錆になる番だ」
「そうかい。ところで………」
ロブは皮肉げに笑う。
「とっくに1分経ってるぞ」
「貴様………!!」
険しく髪を逆立てるヴォルフ。
対して不敵に笑うロブ。
二人の間に火花のような視線が交差した。
【リリアの妄想ノート 〜第14話の裏側〜】
ロブさんが……押されてる!?
血が……けっこう出てた……やっぱり人間なんだ……
でも立ってた……立ってたよロブさん……!!
ヴォルフのあの爪、絶対チートだと思う。規制されてほしい。
「鉄の刺し身」って何!?食べる気!?あの人、絶対どこかおかしい。
剣がバラバラになった時、本気で心臓止まるかと思いました。
でもロブさん、最後に笑った……あれ反則……惚れるでしょ……
1分経ってるって、そんな軽口言える状況じゃないのに……!
ロブさんの背中、血で染まってもやっぱりカッコいいです。
わたし、あの人の“希望”でいられるかな……なんて。
【作者あとがき】
ここまでお読みくださりありがとうございます!
第14話は、ついに“ロブ vs ヴォルフ”が本格開戦。
これまで圧倒的だったロブが初めて傷を負い、押されるという描写を通して、彼が「不死身ではない存在」であることをしっかり描いてみました。
そのうえで、ヴォルフの「狂気性」や「戦闘力の異常さ」もお楽しみいただけたのではないでしょうか。
ロブの余裕が切れたとき、いよいよ“本気”が垣間見えるかも……?
次回更新は本日23:30となっております。
そして引き続き、4月6日までは毎日複数回投稿を続けてまいります!
どうぞ、お楽しみに!




