第13話 海老男、魔法(規格外)を使う
「Machinae ,Nano, Incipite《ナノマシン、起動》」
ロブが口走ると同時に、彼の足元を囲むように魔法陣が現れる。
魔法陣は強烈な光を放ち、ロブを包み込む。
その様をヴォルフもエリザも、紅竜団の盗賊達も、そしてリリアも目を見開いて見ていた。
いや、目を離せなかったというのが正確だろう。
彼の作り出した魔法の光はそれほどに鮮烈だった。
青白く目映い光の柱と、その中で見たこともない光の文字が螺旋状に立ち昇り、
消え、また底から生まれ立ち昇る。
幻想的な光景だった。
「解毒呪文を使うつもりか?」
「そんなこと、出来るはずない」
ヴォルフの呟きを、エリザがロブから目を逸らさずに否定する。
「……解毒呪文っていうのは、治癒呪文とは根本から違うのよ。
傷なら“癒やす”だけでいいけど、毒はそうじゃない。
まず毒の種類を特定して、そこから中和に必要な術式を構築しなきゃならないの。
だから、専門の解毒師たちは何百、何千という毒のデータを整理して、それぞれに合わせた呪文を使い分けてる。
つまり―――知らない毒には、解毒呪文そのものが存在しないってこと。
“白蛇の涙”はね、人間領には存在しない特殊な毒よ。
そんなもの、人間の解毒師に扱えるわけがないわ」
エリザは、ヴォルフに言いながらむしろ、自分に言い聞かせていた。
そうだ。解毒なんて出来るわけがない。
海老男がやっているのは死ぬ間際の悪あがきに過ぎない。
―――そのはずなのに。
―――さっき奴が口走った言葉。
聞いたことがない言語。
―――まさか、あれは古代呪文?
二千年もの昔―――いまや失われし魔法文明が、かつて世界を覆っていた。
その時代の魔術師たちは、星を落とし、大地を削り、嵐に言葉を与えることさえできたという。
時間を操り、記憶を織り直し、命の価値すら書き換えられる。
人智を超えた術式の数々は、神話と見まがうほどの力を誇っていた。
―――そして何より、彼らは死者を蘇らせることすら可能だったという。
だが、その文明は滅びた。
理由も、記録も、誰も知らない。
ただ一つ確かなのは、あの時代の魔法は、今の常識では測れないということだけだった。
胸騒ぎがする。
あの黒衣の男は、またエリザの常識の範疇を超えた何かをしようとしている。
そんな気がして仕方がなかった。
―――毒が、回っている。
指先が痺れ、右腕の感覚はすでに消えかけていた。
呼吸が浅くなり、視界の端がじわりと滲む。
だが焦りはなかった。
ただ、自分の身体で起きている現象を、順に観察していく。
―――投与部位は右肩。
血流に乗って心臓へと到達し、全身の神経系に干渉を始めている。
構造的には、神経伝達阻害系。
しかも微量で効果を発揮する高度な魔毒……“白蛇の涙”か。厄介な代物だ。
ロブは静かに膝をついた。
筋力の限界ではない。
処理に集中するため、余計な身体機能を切り離しただけだ。
左手を胸元に置き、意識を深層へと沈める。
「―――Crystalli, Thermostasis《体温制御・低温領域に移行》」
熱が静かに引いていく。
心拍数を抑え、体内の酵素活性と代謝速度を一時的に制限する。
毒の回りを遅らせるための初期対処だ。
微かに立ちのぼる白い蒸気。
目に見えぬほど細かな粒子が皮膚の表面を流れ出す。
それを見て、敵陣にいる女魔導師―――エリザがわずかに目を細めた。
当然だろう。
これは彼女の知る“魔法”ではない。
「―――Analytica Veneni: Strutura, Receptor, Metabolismus.
《毒素解析、構造分析、神経伝達遮断経路を可視化》」
視界に光のラインが走る。
投影されたのは、神経網と循環系の情報。
まるで医療用の立体解剖図のように、リアルタイムで毒の進行を可視化する。
ロブは視界の奥に浮かぶライン群を眺めながら、静かに思考を深める。
神経シナプスの伝達阻害、カリウムチャネルへの干渉、
そして肝臓での代謝パターンの異常挙動。
なるほど、理解した。
―――毒素の進行速度、体内濃度、拡散経路から算出。
このまま放置すれば、約十数秒後に神経系と心肺機能が限界に達する。
つまり、それまでに中和処理を完了しなければ、死ぬ。
ロブはすぐに次の命令を下した。
「―――Synthesis Antidotum: Modulus 4, Ratio 1.8.
《血清生成、投与準備——開始》」
胸部内部に光の渦が集まり、静かに蠢く。
ナノマシンが抗体構造を再構成し、毒の分子構造に合わせて調整を始めた。
投与経路は自己循環系。内臓フィルターを通じて血清を拡散させる。
意識の縁が霞み始める。
神経伝達の乱れにより、視界が揺れた。
―――あと数秒。
ロブは静かに、しかし力強く最後の命令を紡いだ。
「―――Injectio Completa: Circulatio Renovata《血清投与完了、全身循環再起動》」
ズン、と全身に脈動が走る。
肺が大きく膨らみ、空気を深く吸い込むことができた。
右腕の感覚が徐々に戻り、力がこもる。
立ち上がる。
その一連の動きに、もはや迷いも、揺らぎもなかった。
胸元の痛みはまだ微かに残る。
だが問題ない。もう、毒は完全に中和された。
ロブは低く、周囲に聞こえるかどうかの声で呟いた。
「……解毒、完了」
目の前の敵たちにとって、それは絶望の合図となるだろう。
ロブは、ゆっくりと顔を上げた。
女魔道士が地面にへたり込む。
「そんな…………あんた………なんなの………一体なんなのよ!!化け物!!あんたみたいな怪物がこの世にいるわけない!!」
ヒステリックに叫ぶエリザを涼しい目で見返す。
「さっきから散々俺のことを呼んでたろう」
ため息交じりに口を開く。
「ただの海老男さ」
エリザがポカンと口を開けたまま固まる。
他の盗賊達も呆気に取られた表情のまま動けないでいた。
ただ一人、ヴォルフだけは不適に笑っている。
「いやぁ、怖えなあ。小便ちびっちまいそうだぜ」
背中に担いだ矢筒を放り投げ、両手に装着した手甲の鉤爪を重ね合わせ、舌舐めずりをする。
「一対一だ。三十年前のリベンジ、させてもらうぜ」
獰猛な笑みで凄んでみせるヴォルフに、ロブは面倒くさそうに言葉を返す。
「もう時間をかけたくないんでな。5分で終わらせるぞ」
【あとがき】
ここまでお読みくださりありがとうございます。
物語はいよいよ転機を迎えました。ロブとヴォルフ、因縁の再戦が目前に迫っています。
血塗られた因果の果てに、何が待っているのか。
今回、解毒の最中、ロブがふと“誰かに語りかけるように見えた”描写にお気づきでしょうか。
もしかすると、彼は一人で戦っていたわけではないのかもしれません――
そして4月6日までは、毎日複数回投稿を継続していきます。
次回更新は21:00予定です。
次回も、お楽しみに。




