第132話 その距離、半歩
カイ・アークライト、十五歳。 だが、本人の感覚では三十歳。精神的には。
それもそのはず、彼には“前世”の記憶がある。 かつての名は、崎谷海人。十五歳で人生を終え、気がついたらこの異世界に転生していた。剣と魔法のファンタジー、いわゆる“よくあるやつ”だった。
今の自分は、はっきり言って美少年。水色の髪はサラサラ。同じく水色の目も大きくて睫毛長め。 さらには生まれ持った魔力の高さ──女子からチヤホヤされる程度には、だいぶ得したスペックだった。
だが、それでも。
「女子と話せない」という、陰キャ根性だけは引き継がれていた。
別に嫌いなわけじゃない。むしろ、好きだ。話したい。仲良くしたい。 ただ──何をどう話せばいいのかわからない。
前世では女子と目を合わせることすら苦手だった。 今世でも、笑顔で話しかけられるたびにテンパり、テンションが上がっては頭が真っ白になる。 言いたいことはあるのに、口から出るのは意味不明な相槌と愛想笑いばかり。
この間の新人研修の宴でも、最初は女子に囲まれていた。 笑い声、質問攻め、きらきらした視線。だが、気の利いた返しもできず、徐々に女子の輪は薄れていった。 そのたび、心の奥に“またやってしまった”という痛みだけが積もっていく。
──これは、弱点だ。
自分の、情けないほど根深い、最大の弱点。
そして今。
その最大の弱点が、半歩隣りに立っている。
銀髪のエルフ。翠色の瞳。細い手足。透き通るような肌。 そして、ふとしたときに見せる笑顔が──ひどくまぶしい。
フィリア。自分と同じ、ロブの弟子。
今朝の食事当番は彼女と自分の二人だった。
それは仕方がない。
仕方がないのだが―――
(あの……距離、近くない……?)
何も言えないまま、カイはうっすらと汗をかいていた。
フィリアの 鍋をかき回す音が、朝の台所に優しく響いていた。しゃば、しゃば、と、木の杓子がスープの表面をなぞる。
今の彼女には、ひとつ“特別な要素”が追加されていた。エプロン姿、である。
細身の体に控えめな装飾の布地が巻かれていて、いつもの弓を構える姿とはまったく印象が違っていた。やたらと家庭的というか、なんというか──
(……絵になるな……)
カイは直視できない。
しかも、なにかいい匂いがしてきた。スープの香草と出汁がふわりと鼻をくすぐり、それと混じるように彼女の髪から甘い香りまで感じる気がして──
(いやいやいや……気のせいだろ……たぶん)
勝手に跳ね上がる鼓動を、心の中で必死に押さえ込んでいるそのとき。
フィリアが、不意にこちらを振り向いた。
「ねえ、このスープ、味どう?」
言いながら、小皿にひとすくい取って差し出してくる。
さらっと自然な動作だったが、カイの胸はそれだけでドキリと脈打つ。
「あ、ああ……」
うまく返事ができないまま、手を伸ばして受け取る。唇をつけ、スープを一口。
「………少し、薄いかな」
素直な感想を述べる。
「やっぱり? 人間の味って、濃いのよね」
フィリアは少し首を傾げて、眉を僅かにしかめる。
その顔は責めるでも落ち込むでもなく、ただ文化の違いを受け入れようとしている様子だった。
そう──彼女にとって、人間との共同生活は初めてだ。
使う食材も、調味料も、火加減も、すべてが未知だった。苦労しているのは知っていた。努力しているのも知っていた。
だからこそ、たった今、そのスープが「フィリアの味」だということも、ちゃんとわかっていた。
カイは、ごくりと喉を鳴らした。
(………不味いな)
スープの味のことではない。
心臓が落ち着かない理由は、たぶん──彼女が、近すぎるからだ。
しかし、とカイは思う。
出会ったばかりの頃のフィリアは、もっとぶっきらぼうな印象だったし、自分にも素っ気ない態度を取っていた。必要以上の会話はせず、言葉の端々に棘があった。
けれど、今は──
一ヶ月ほど共に過ごした今では、彼女はよく笑うようになっていた。冗談に反応し、こちらを見て、時にはくすっと笑う。
それが嬉しくて、でも苦しい。
距離が近くなったぶん、踏み込みたくなる気持ちと、踏み込めない現実の間で胸がざわつく。
(本当に、子供か俺は)
実年齢を思うと情けなくなり、カイは誤魔化すように鍋に目を向けた。
整理された調味料棚から、いくつかの香辛料を選び出す。タイミングを見計らって鍋に加え、湯気の中に香りを立たせていく。
器に丁寧についで、最後にローリエに似た香葉を一枚──そっと浮かべる。
「ちょっと飲んでみて」
差し出すと、フィリアは素直に受け取った。器の中を一瞥してから、一口。
「美味しい……上品な味と香り。私でも飲める」
思わず、というふうに笑顔がこぼれた。その表情は朝日よりやわらかく、何気ない褒め言葉がカイの胸を突く。
「男なのに料理も上手なのね」
「……両親共働きでね。料理は進んでやってたんだ」
「それって今のご両親?」
「いや、前世も今世も。どっちの親も俺を大事に育ててくれたよ」
「そう………」
フィリアは少しだけ目を伏せた。まつ毛が影を落とす。
沈黙は、気まずくなかった。むしろ静かで、あたたかい。
カイは思い返す。
自分が前世の話をするのは、フィリアとだけだった。
この間、フィリアに突然前世のことを聞かれた。
その意図は分からなかったが、何か思い詰めている様子だった彼女の気持ちが紛れればとカイも話した。
久しぶりに前世の記憶を頭の中から取り出し言葉にするのは、意外と楽しいものだった。
彼女はカイの話を最後まで聞いて楽しそうだと言った。
故郷を褒められた気分で嬉しかったことを覚えている。
それからだ。
カイがフィリアを少し意識するようになったのは。
(つってもな。フィリアはどうも思ってないだろうし)
カイは心の中で肩をすくめる。
別に、何かを期待していたわけじゃない。
そもそも──自分は、彼女とどうなりたいとも思っていなかった。
オーバーマナシンドローム。
強すぎる魔力に、身体も精神も蝕まれる可能性がある。
この先、何年生きられるのかもわからない。いや、何ヶ月かもしれない。
生きることこそが、カイにとっての最大目標だった。
リリアやライゼ、セラフィナやエドガーのように、誰かを想う余裕なんて──本来、あるはずがなかった。
(……そういう意味では、ロブ師匠に近いのかもな)
三年後に消滅する未来を受け入れながら、あの人は今を全力で生きている。
そして、リリアに対して並ならぬ感情を抱いていることも、カイにはわかっていた。
「恋………か」
「え? なんか言った?」
隣でフィリアの声が跳ねた。カイは一瞬誤魔化そうかと考えたが、面倒になってそのまま言った。
「みんな、恋バナが好きだなと思ってさ。リリアとライゼ様はロブ師匠のことが好きだし、エドガーはセラフィナのこと好きだし……他人のことを好きになるって、よくわからないなって」
言いながら、サラダを取り分ける手は止めない。細かい盛り付け作業は、実は一番面倒だったりする。
フィリアは隣でそれを聞きながら、小さく頷いた。
「私にもわからないわね。男に興味ないし」
それを聞いた瞬間、カイの中に何かが微かに揺れた。
安心したような、がっかりしたような──
曖昧で、言葉にしにくい感情だった。
自分もまた、彼女にとって特別ではない。
そう思ったとたん、理由もなく、胸が少しだけ重くなった。
「セラフィナとかリリアの“好き”は、理解できるし応援もするけど」
一旦言葉を切って、フィリアはスプーンを置いた。
「こないだ、あんたにキャーキャー言ってた女どもの気持ちは、わからないわね」
「ああ………それは俺もわかんない」
カイは苦笑しながら頭をかいた。あの時のことを思い出せば、むしろ困惑のほうが勝っていた。
それでも、フィリアはこちらをちらりと見て、少しだけ目を細める。
「ふうん。とか言いながら、嬉しかったんじゃないの?」
「いや、それどころじゃなかったし」
あの時、カイは昇格試験の真っ最中だった。対戦相手はAランク冒険者。魔法も剣も全力だった。観客の視線も、黄色い声も、すべては背景のノイズ。
戦っている最中に意識できるはずがない。
「必死で戦ってたから、周りなんて見てる余裕なかったよ。終わってから客席が満員でびっくりしたくらいだし」
「どうだか。初めて会った時だって、女の子に囲まれて鼻の下伸ばしてたじゃない」
「人聞き悪いな。俺、人見知りなんだって。ああいうの、ほんと苦手なんだよ」
フィリアはなおも肩をすくめて、追撃を加える。
「その割に、セラフィナとは普通に話してたじゃない。魔法を合体させて、随分と息が合ってたけど?」
「……あの時も、魔物を倒すのに必死だったんだよ。相手が女の子とか関係なかった。ただそれだけだ」
カイの声が、わずかに鋭くなる。表情もやや険しく、手の動きも止まっていた。
フィリアの言葉には、いつもと違う棘があった。
だからカイも、つい言葉が荒くなる。
胸の奥で何かがこすれるような音がした。
「妙に突っかかってくるけど、何が言いたいんだよ。俺、なんか気に障ること言った?」
「別に」
「……絶対“別に”って顔じゃないだろ」
「うるさいわね。さっさとご飯作りなさいよ」
「もう終わったよ。そっちこそ、いつまでもかき混ぜてないで器に入れて並べろよ。みんな起きてくる時間だぞ」
「わかってるわよ」
フィリアはツンと顔を背けた。
カイも、それ以上は言わずに黙った。
今度の沈黙は、明らかに気まずかった。
二人とも、作業にだけ集中する。
カイはサラダやパンを順に食卓へ並べていく。フィリアも無言でスープを深皿につぎ、置いていく。
しばらくの間、カチン、カタンという食器の音だけが台所に響いていた。
(なんだ……怒ってんのか、やっぱ)
カイは皿を手にしながら、脳内で思考をフル回転させていた。
思い当たるフシは──多いようで、特定できない。
どの発言だ? セラフィナ? 模擬戦? 人見知りってやつ? 恋バナの流れ?
(わかんねえ……)
取り合えず、謝るべきか? と考えた瞬間、脳内にある“知識”が浮かぶ。
──恋人、もしくは妻が怒っている理由がわからないまま、取り合えず謝るのは、悪手。
『なんで謝るの? なにか悪いことしたわけ? 私が怒ってる理由も分からないで、取り合えずで謝るの? 私のことちゃんと分かろうとしてる?』
どこかで観たようなセリフが、脳内で再生される。ドラマか、アニメか、それともネットのネタか。
(それだ……それをやったら終わるやつだ……)
カイは、ギリギリで踏みとどまった。
とりあえず、今は沈黙を選ぶ。
答えがわからないなら、まだ動かないほうがマシだ。
(て、なんで付き合ってもないのに、こんなこと考えなきゃいけないんだよ!)
納得がいかなかった。
いや、むしろ、納得なんてしてたまるかという気持ちのほうが強かった。
今、曖昧なまま飲み込めば──
この違和感は、あとでもっと面倒な形で戻ってくる。
それに、フィリアだって、こんな空気のままで平気なわけがない。
カイは思った。
前世では、人付き合いが苦手だった。
一人のほうが楽。関わると疲れる。そんな理由で、ずっと距離を置いてきた。
でも。
(それ、言い訳だよな……?)
心を通わせる努力もせず、避けてきただけだ。
それなのに、誰とも深く関われないことを、まるで自分が“被害者”みたいに思っていた。
フィリアと。エドガーと。リリアと。セラフィナと。
ようやく手にしかけた関係を──また自分から、壊すのか?
(……逃げたくない)
カイは自問の末に、ぐっと息を吸った。そして、ゆっくり吐いてから、フィリアに一歩近づく。
「今さ……あんまり気分が良くないんだ」
フィリアは、目を合わせようとしない。
僅かに自分より小さい彼女の横顔に向けて、カイは静かに続けた。
「さっきまで普通に話してたと思ったのに、急に距離とられて。……なんか、俺、悪いこと言った?」
フィリアは無言のまま。
「俺が何かしたなら、謝る。だから言ってほしい。……言ってくれなきゃ、また同じことで君を怒らせるかもしれない」
沈黙。けれど、耳はこちらを向いている。
「俺さ、リリアたちとも、君とも、上っ面だけの付き合いをしたくない。怒ったことも、悲しかったことも……言ってくれたら、俺もちゃんと話すから」
それでも返事はなかった。
カイは、小さく笑って、頭を掻いた。
「……なら、俺から言うよ」
吐き出すように、言葉を続ける。
「俺は、口先だけのきれいごと並べて、陰で人の悪口言うような奴が嫌いだ。自分から距離置いてんのに、寂しいだの冷たいだの言い出す奴も……嫌いだ」
フィリアの長い耳が、小さく揺れた。ちゃんと、聞いている。
「それ、昔の俺なんだ。……だから、戻りたくない。君たちといるときは、ちゃんと向き合っていたい」
カイは、スッと目を細めて続けた。
「良いと思ったら、褒めたいし。ダメだと思ったら、言いたい。それが友達だと思ってる。……その上で言うけど──今のフィリアは、ちょっと嫌だ」
フィリアの耳がピクン、と反応した。
「でもさ。怒ることが悪いとは思ってない。ちゃんと自分の気持ちに向き合ってる証拠だろ? だったら、もっと素直に……何があったか、話してくれよ」
言葉のトーンは穏やかだった。
押しつけでも、慰めでもない。
ただ真正面から、彼女を知ろうとする声。
しばらくの静寂の後。
──フィリアが、小さく口を開いた。
【リリアの妄想ノート】
今日、夢でカイ君とフィリアさんが言い争ってるのを見たんです。
スープの味がどうとか、魔法の合わせ方がどうとか、些細なことなのに、どっちも一歩も引かなくて。
途中で私が止めに入ろうとしたら、フィリアさんに「関係ないでしょ」って冷たく言われて、目が覚めました。
でも、目が覚めた後も、なんだか胸がざわざわしていて……。
現実では、この二人ってそんなにぶつかり合う感じじゃなかったと思うんですよね。
むしろ、フィリアさんってカイ君に淡々としてるし、カイ君はいつも優しく接してたはず。
……なのに、なんであんな夢を?
もしかして私、気づかないうちに何か見てたのかな。
空気の変化とか、ちょっとした視線とか──無意識に拾ってたのかも。
夢って、正直ですよね。
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