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第131話 《朝食戦争、開戦のスプーン》〜女の戦いは味噌とライスから始まる〜

「………」


 リリアは、ふと手を止めた。


 スプーンを持ったまま、目の前の皿を見つめて、思い違いに気づく。


 昨日、あの夜。ブランコに揺られながら語り合ったとき、たしかに、わかり合えたと思っていた。


 過去でも未来でもなく、「今この瞬間」に全力を尽くす──そんな覚悟を、互いに認め合ったつもりだったのだ。


 でも。


「三年後。すべてが終わったら、私はロブに好きだって言うわ。それまでに、あなたより私のほうがいい女だって気づかせてみせる」


 あの言葉の意味を、リリアは正々堂々とした恋の宣戦布告だと受け取っていた。


 けれど──どうやら、それは甘かった。


 朝の食卓。


 寝坊して目をこすりながら現れたセラフィナに続いて、朝の鍛錬から戻ったロブ、ゼラン、エドガー、カイ、そしてヒューゴとウィルも集まり、ついでにリリアに怒られきちんとした服装で現れたアトラという顔ぶれが揃ったところで、台所に立っていたライゼがふと声をかけた。


「スープ、二種類用意してるの。味噌汁とコーンスープ。ライスとパンも選べるわよ」


 差し出された湯気と香りの中から、ロブはほんのわずかだけ眉を動かし、迷う様子もなく答えた。


「味噌汁とライスで」


「俺も、それで」


 続いたのはカイだった。


 いわゆる同郷の二人はライスと味噌が故郷の味だった。

 だからどっちがいいと言われれば、口にする機会の少ない故郷の味を選ぶのは当然だった。


 ロブの答えに、ライゼは満足げにうなずく。まるで「当然」と言わんばかりの動きだった。


 リリアとエレナが料理をしている時に現れ、自分も手伝うと言ったそれを、リリアは言葉通りに受け取っていた。


 しかし、ライゼはエプロンを身につけるなり一人で味噌を取り出し米を仕込みだした。

 リリア達がスープを既に用意している横でだ。


 ──リリアはその瞬間、理解した。


 この人は、戦っている。


 剣でも、魔法でもなく。


 味噌汁と白いごはんで。


(……ずるい。ずるいずるいずるいっ!!)


 怒鳴りたい心を、ステンレスのスプーンに押し込めて、リリアは笑顔を貼りつけたまま口元にサラダを運ぶ。


 しかし、それで終わりではなかった。


「どう?久しぶりの味噌汁は?」


 ライゼがテーブルに頬杖をついて聞く。

 髪型は料理の際に束ねたポニーテールのままで、うなじが剥き出しになり大人の色気を醸し出している。


 これもリリアが結果として敵に塩を送ることになったのかもしれない。


(セクシーなんて褒めるんじゃなかった!)


 ロブは味噌汁をすすった後、ほっと息をついた。


「美味い。俺の好みの味だ。よく覚えてたな」


「当然。何度もあんたの味を食べて来たからね。ちゃんと覚えてるわよ」


 にんまりと笑う。


 ロブの横ではカイが


「これ美味い!本当に日本の味噌汁だ」


 と感動している。


「なんで味噌まであるんですか?ロブ師匠が作ったんですか?」


「いや、昔の日本人の仲間が再現したのを俺が守ってきたんだ。この国じゃ、味噌はあんまり根付いてないが、テルメリア村では味噌を細々と作ってるんだ」


「俺、ロブ師匠に弟子入りして本当によかった………」


「そんなことでしみじみと言われてもな」


 ロブは苦笑するが、怒った風でもなく、むしろカイの気持ちを理解しているようだった。


 そんな二人をよそに、リリアは視線を感じて顔を向けると、そこには、わずかに唇を吊り上げたライゼがいた。


 ふふん、と鼻で笑うような、勝者の顔。


(うわ、やりやがったこの女……!)


 リリアの内心は完全に爆発していた。胸の奥で火山のようにふつふつと湧き上がる感情を、笑顔の裏で何とか圧し込める。


 表面上はいつも通りの穏やかな朝。


 けれど、パンとライスの二択をめぐって、すでに戦いは始まっていた。


 誰も気づかない。ロブは当然、気づいていない。


 ただ一人エレナを除いては。


 しかし、そのエレナも妹の味方をするでもなく面白そうに口元に手を当て笑いをこらえているのである。


 コーンスープは甘かったが、苦いものが喉の奥に滑り落ちていく。


(私も……なめられたものね)


 リリアはフォークを取り直し、無言で野菜を口に放り込む。噛むたびに、葉の繊維が歯に引っかかる。


 ライゼは何も言わない。ただ隣で、ロブの好みにぴったり合わせた食事を差し出していた。


 静かで、誰にも気づかれない──だけど確かに火花の散る、女の勝負。


 開戦、である。



 


「あれズルくないですか!?」


 リリアが吠えるように叫びながら、木剣を振り抜いた。


「なんのこと?」


 軽く身を引いてそれを躱し、ライゼは涼しい顔で返す。まるで蚊でも払うような動作だった。


「朝ごはんですよ! 私の知らないロブさんの好物で出し抜くなんて!」


「心外ね。自分の有利な状況に誘導するのは戦略よ。戦闘も恋も戦略が必須。これ、常識」


「──あったま来た!」


 叫ぶなり、リリアの足が地を蹴った。木剣が横薙ぎにうなりをあげる。


 だが、ライゼは腰を落とさず、腕も振らず、ただ身をひねるだけでそれを躱す。剣筋を受け流すのは、もはや技術というより“慣れ”だった。


 その手には、同じく木剣。構えは取っているが、まるで遊んでいるようにすら見える。


 ここは、数日前ロブとアトラが戦った大地。

 かつて世界最強の名をほしいままにしていた国があった場所。


 高い尖塔のような石の塊がそこかしこに生えた、かつての魔法科学の名残を残す地だった。

 こうして時々練習場として使われているのだが、今日はロブ達男性陣には来るなと言いおいて女性陣だけでやってきた。


 そして早々にこの二人の対決である。


「何やってるんですの? あの二人は……」


 セラフィナが杖を抱えて、半ば呆れ顔でつぶやいた。


 そのすぐ横で、フィリアが地面に腰を下ろし、楽しげにその様子を眺めている。


「決闘ごっこ?にしては、なんか……」


「ですわね。少なくともリリアさんは本気ですのに、どこかじゃれ合ってるように見えますわ」


 エレナも無言でフィリアの隣に座っていた。目元に笑みを浮かべながらも、じっとリリアとライゼを見ている。


 リリアの木剣が風を裂くたびに、土煙が舞う。額には汗。息は上がり、足取りにも焦りが見える。


 対してライゼは、ほとんど汗ひとつかかずに立っていた。


 体幹のブレない回避。最小限の足さばき。迎え撃つでもなく、突き放すでもなく笑みを浮かべてリリアの剣を受けている──


「……距離が、縮まってる?」


 フィリアが、ふと呟いた。


 セラフィナが目を細める。


「なにか、あったのでしょうか」


 フィリアとセラフィナの言葉に、エレナは小さく肩をすくめてみせた。


 リリアの剣の重み。ライゼの受け流す間合い。そのすべてに、言葉にはできない何かが混じっている。


 恋と、嫉妬と、誇りと、女の矜持。


 汗と土と風が混じりあう空気の中で、二人の木剣は火花の代わりに心情をぶつけ合っていた。


「エレナさん、良いのですか? 今日、出立するのでしょう?遅くなりますわよ?」


 セラフィナの問いに、エレナは少しだけ視線を動かし、しかしすぐにリリアのほうへ戻した。


 その先では、汗を額ににじませながら木剣を振るうリリアの姿がある。相手はあのライゼだというのに、一歩も退かずに打ち込んでいた。


「帰る前に、リリアの稽古の様子を見たかったの」


 ぽつりと呟いたエレナの声は、どこか遠くを思い出すような響きを帯びていた。


「私が知らない“今”のあの子を、ちゃんと見ておきたくて」


 その瞳に、心配の色はなかった。


 むしろ、わずかに笑みすら浮かんでいた。


 村にいた頃、リリアは剣を握ったことなどただの一度もかった。冒険者になりたいなんて、口にしたことさえなかった。戦いとは、遠い世界の話だった。


 けれど今は──


 細い腕で剣を握り、全身を使ってぶつかっていく。歯を食いしばりながら、冗談を言い合える仲間たちに囲まれ、前を向いている。


 それが何より嬉しかった。


「私の知らないリリア………。でも、いい顔してる」


 エレナがそっと呟いた。風に紛れてしまいそうなほど小さな声だったが、確かな想いがこもっていた。


「よかった。皆、いい人で。セラフィナちゃんも、フィリアちゃんも……ライゼ様も、セレニアさんも……」


 ゆっくりと名前を挙げていくたびに、エレナの表情はやわらかくなっていく。


 あの子を支えてくれた人たちがいる。戦ってくれる人がいる。寄り添ってくれる人がいる。




 そして、ついに別れの時が訪れた。


 荷を積んだ馬車の横で、ヒューゴとウィルがそれぞれ軽く会釈を交わし、見送りの弟子たちに最後の挨拶をしていた。


 リリアは、静かにエレナの前に立つ。


 どちらからともなく、腕が伸びた。抱きしめた瞬間、リリアは思わず目を閉じる。


 あたたかくて、懐かしくて、少しだけ切なかった。


「気をつけてね、お姉ちゃん……また、来てよ」


「……うん。また来る。そのときも、元気な顔を見せてね」


 どちらも、泣いていなかった。けれど、声の奥には確かに名残惜しさが滲んでいた。


 そして──エレナはゆっくりとリリアを離し、歩いてロブのもとへ向かう。


「ロブさん、リリアを……よろしくお願いしますね」


 柔らかな声と共に微笑みながらそう言った後、エレナはほんのわずかだけ身を寄せ、誰にも聞こえないように囁く。


「で、結局……リリアか、ライゼ様か。どっちにするんですか?」


 その声音は、あくまで無邪気な冗談のようだった。けれどその裏にあるものを、ロブだけは理解していた。


 彼は眉をわずかに寄せながら、低く答える。


「……リリアに手を出すなと言ったのは、君だろう」


「不誠実なことさえしなければ、いいんですよ」


 エレナは肩をすくめるようにして、笑った。


 その笑顔の奥に、妹への絶対的な信頼と、ロブへの最後の問いかけが静かに光っていた。


 ロブは、しばし黙したまま空を仰ぎ──それから、ゆっくりと答える。


「先のことは……正直、わからない。ただ──無責任なことは、絶対にしない。それだけは、約束する」


 それは断言ではなく、誓いだった。未来に何が待つとしても、向き合い、逃げずに責任を果たすという意思。


「それで、十分です」


 エレナは、それだけを言って、ふわりと笑った。


 やがて馬車に乗り込んだエレナたちを、ゆっくりとした蹄の音が運んでいく。村の道を、夕日に照らされながら。


 リリアはずっと手を振っていた。


 その目には僅かに涙が滲んでいた。それでも、まっすぐに、姉の背中を見送っていた。


 強くなったね、と言われたくて。やがて馬車が村の門を越え、蹄の音が遠ざかっていく。


 風がひとつ、赤い髪を揺らした。


 ――大丈夫。ちゃんと見届けてもらえた。


 そう思えるだけで、また少し強くなった気がした。


 空を見上げると、雲ひとつない青空が広がっている。


 いい天気だった。


 そのまま振り返ったリリアの目に飛び込んできたのは──


 にやりと笑う、ライゼの顔だった。


 言葉は交わしていない。けれど、互いに分かっている。


 次は朝ごはんじゃなく、ちゃんと正面から勝負する。


 そう言っているような、静かな火花が二人の視線のあいだに走った。


「………どうしたんだ? あの二人」


 空気を読まずに、ロブがぽつりと漏らす。


 まるで春先のクマが出てきたような素朴な調子で。


 瞬間、空気が少しだけ固まって──


「「「「「……はぁ……」」」」」


 弟子たちと周囲の全員が、揃って長いため息を吐いた。


 フィリアは肩をすくめ、カイは天を仰ぎ、セラフィナは額に手を当て、エドガーは小さく笑いを噛み殺す。


 その真ん中で、ロブは「?」と首をかしげたまま、まったく悪びれていなかった。


 にぎやかで、なんだか、幸せな一日だった。


 だから、エレナも──安心して帰っていった。


 そう思えたことが、何よりも嬉しかった。

【リリアの妄想ノート】


今日はもう……完全にやられました。


まさか、味噌汁で勝負を仕掛けてくるなんて。

朝ごはんって、こんなに戦場だったっけ? って思いました。


でも、ライゼ様と向き合って剣を交えた時、なんだかすごく嬉しかったんです。

ちゃんと私を一人の“恋のライバル”として見てくれてる気がして。


エレナお姉ちゃんのことも、無事に見送れました。

昔の私を知ってる人に、今の私を見てもらえて、本当に良かった。

それに、ロブさんの返事……あれはまだ答えじゃないけど、ちゃんと聞けてよかった。


勝負はこれからです!

明日からは、ごはんも訓練も全力でぶつかりますっ!


感想とブクマ、よろしくお願いします!



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