128話 祝宴と嫉妬と、未来に立つもうひとりの私
「なんでこんなことになるんだ……」
庭の隅。ぽつりと漏れたロブの呟きが、リリアの耳に突き刺さった。
彼女は困ったように眉を下げ、乾いた笑みで応えるしかなかった。
「アトラちゃん、こっちの肉焼けたよー!」
「ありがとうなのじゃ! おお……このかほり……たまらんのう……!」
すかさずアトラが駆け寄り、目を輝かせながら鉄串をひょいと皿に乗せる。
「こっちも焼けたよ! テルメリア牛は腿も美味いからね!」
「おお、腿か! 楽しみじゃ!」
ドラゴン、部位にうるさい。
あっちで肩、こっちで腿。アトラは炙られた肉の匂いを辿るように、ひとりバーベキュー会場を物色して回っていた。
――ロブの家の庭先は、いつの間にか完全に野外パーティー会場と化していた。
そしてその原因は、さっきから肉片を口に運び続けている最古のドラゴンである。
そもそもは、アトラが「宴じゃ宴じゃ!儂がひらくのじゃ!」と騒ぎ立て、さらにそれを聞きつけたゲルンや村の子どもたちが触れ回ったことで話は膨れ上がった。
最終的に世話焼きのシンシアが「任せときな!」と現れて段取りを始めたとき、ロブはようやく事態を察した。
――すでに火は起こされ、肉は捌かれ、村の連中はぞろぞろと集まり出していた。
「あのくそドラゴンが……」
ロブは苦虫を噛み潰したような顔で、呪詛のように吐き捨てる。
「でも……昇格祝い、ちゃんとやってくれてますし」
リリアが横で気を遣ったように言ったが、ロブはぴしゃりと即答した。
「あいつはなんもしてないがな」
フォローもむなしく一蹴。だが、ふと視線を上げると、会場には四、五十人は集まっていた。
子どもも大人も入り混じって、誰もが笑っている。肉の煙とともに、笑い声が空へと昇っていく。
「……そうだな」
ロブは、ほんのわずかに口元を緩めた。
そのときだった。背後から気さくな声がかかる。
「そろそろ始めようぜ。開会のあいさつ、頼むわ」
振り向くと、皿を片手にゼランがいた。
「いらんだろ、そんなもん」
ロブが苦々しげに返すと、ゼランは肩をすくめた。
「何言ってんだ。リリアちゃんたちの昇格を祝いに来てるんだぞ? ビシッと一発、報告しなきゃ始まんねぇだろ」
言いながらゼランが顎で指した先には、ゲルンが静かに立っていた。
手に盃を持ったまま、酒を飲まずに待っている。視線は器に注がれたワインに落ちたまま、今か今かとそのときを待ちわびている様子だった。
「別に自分らが騒ぎたいだけじゃない。みんな、リリアちゃんたちを祝いたいんだよ」
ゼランが白い歯を見せて笑う。その顔には、からかいでも見栄でもない、本気の思いが宿っていた。
「……仕方ないな」
ロブは軽く息を吐いて、ちらとリリアに目をやる。
そのまま顔を上げ、前に出て、焚き火の明かりに照らされた人垣をざっと見渡す。
そして、少しだけ照れくさそうに息をついて――
「……ま、集まってくれてありがとな」
声が届くように、ほんの少しだけ声量を上げる。
「今日はこいつら五人――リリア、セラフィナ、エドガー、カイ、フィリアが、無事にEランクに昇格した」
言いながら、弟子たちを手で促す。
「出てこい」
促され、五人が並ぶ。顔を赤くしながらも、みんな、どこか誇らしげだった。
「よく頑張ったな。おめでとう」
そして、ひと呼吸置いて。
「……これからも、手ェ抜かずに精進してくれ。以上だ」
それっきり、ロブは言葉を切った。
だが、その短い言葉に、場の空気が熱を帯びる。
「おめでとーう!!」
「よっ、リリアちゃん!」
「セラフィナちゃーん、さすがじゃん!」
「フィリアさん、素敵!」
あちこちから祝福の声が飛ぶ。拍手、笑い、叫び――ひとつに混ざって夜空へ昇っていく。
ゲルンが盃を片手に立ち上がり、口を開いた。
「じゃあ、乾杯といこうか!」
満面の笑みを浮かべ、腕を高く掲げる。
それに続いて、あちこちで杯や皿が空に掲げられる。
「「かんぱーい!!」」
声が重なり、夜が弾ける。
火の粉が宙に舞い、誰かが肉を回し、誰かが笑い出す。
宴は、いよいよ本格的に始まった。
今日の主役はである五人は村人たちに囲まれ、祝福の言葉を浴び、肉を勧められ、杯を渡され、次から次へと対応に追われていた。
ロブはそんな様子を、少し離れた場所から眺めていた。
ジョッキ片手に、手持ち無沙汰に立っていると、その肩を、ぽんと軽く叩かれる。
振り向けば、ゼランが同じジョッキを持っており、白い歯を見せて、にかっと笑った。
「乾杯」
「……おう」
ロブが静かに応え、二人のジョッキがカチンと鳴る。金ガラスが奏でる軽やかな音が、肉の焼ける音に混じって夜気に溶けた。
そして、二人同時に酒を煽る。
「かーっ! このビールは最高だな。お前さんが作った食い物はどれも美味い!」
泡を口元に残したまま、ゼランが豪快に唸った。
ロブはジョッキを半分ほど空け、ふっと笑う。
「……俺がまた食いたい、飲みたいと思ったもんを再現しただけだ。それに、俺ひとりで作ったわけじゃないしな」
「昔の仲間か」
「ああ。エルフに、ドワーフに、魔族に、ドラゴン……人間にも千年くらい生きた友人がいた。みんなで、失われた味を探してたんだ。なにもかも無くなった世界で、生き残った人達にささやかでも喜びと希望を見出してもらいたいってな」
ロブは懐かしむ様に言う。
眼の前の茶色い液体を恋しいと言い出した男がビールを復活させると息巻いた。
周りの者も同調し、麦を育てるところから始めたのだ。
今思えば、半分ヤケクソだった。
どんなに辛かろうと、必ず明日はやってくる。
その明日を今日より良い日に。
そんな合言葉があった。
そして、再現された味は幾度も滅びかけた。
そのたび、誰かが声を上げて古い記憶を呼び起こし、守り、生き返らせたのだ。
ゼランが目を細める。
「……偉大な先達に感謝しなきゃな」
「お前はまず、俺に一番感謝すべきだろ」
ロブが苦々しく言うと、ゼランは即座に肩をすくめた。
「ちゃんと感謝してるって。今の俺があるのは、あんたのおかげだよ。よっ、海老男師匠。尊敬してるぜ」
「……お前が言うと馬鹿にされてる気しかしねえんだよなあ」
苦笑しながら、くくっと喉の奥で笑う。
それは弟子たちの前では絶対に見せない、砕けた表情だった。
かつては師弟、今は……肩を並べる戦友。
ロブは、ゼランのことを誰よりも信頼していた。無茶を任せられる相手。言葉のいらない背中。
――もちろん、そのことを本人に言うつもりは、これっぽっちもないのだが。
「ま、今日のお前はちょっと“らしく”なかったがな」
ジョッキを片手に、ゼランがぽつりと口にした。
「……なんのことだ?」
ロブが眉をひそめる。ゼランはすかさず半眼でじりっと詰め寄った。
「惚けてんのか? それとも天然で言ってんのか?」
「だから、なんの話だよ」
ロブが少しうんざりした顔で返すと、ゼランは呆れきったように首を振る。
「リリアとファルクが話してたときのことだよ。二人が妙に距離が近かったろ。お前、露骨に嫉妬してたじゃねえか」
「な……!あれは嫉妬じゃねえよ!」
虚を突かれたロブが、思わず声を荒げた。
「そもそも俺のどこにそんな色恋の余裕があるように見える」
否定は速かったが、目が泳いでいた。
ゼランの目が細くなる。疑いしかない目つきだ。
「じゃあ聞くけどな。十三、四の小僧に、なんであんな刺し殺しそうな目ぇ向ける必要があったんだよ?」
「……そんな顔してたか、俺……?」
ロブは驚いたように目を丸くした。完全に無自覚だったらしい。
「……まあ、知らない仲じゃないとはいえ、ちょっと顔合わせただけであの距離感はどうなんだ、とか、褒めすぎだろ、とか、そりゃ……思いはしたが……」
ロブは頭をポリポリと掻きながら、ぽつりぽつりと口にする。
「……それを世間じゃ“嫉妬”って言うんだよ」
ゼランがジト目でツッコんだ。まったく呆れたという顔だった。
だが、ロブはまだ釈然としない顔で空を見ていた。
そんなロブに、ゼランが急に真顔になる。
「実際、お前はリリアが好きなのか?」
あまりに直球な一言だった。
ロブはジョッキを取り落としかけ、慌てて持ち直す。
「……なんだ、藪から棒に」
素っ気なく返しながらも、動揺は隠しきれない。眉間にうっすら皺が寄っていた。
「お前のリリアを見る目は、他の弟子とは違う。保護者代わりの愛情とか、そういうもんじゃない」
「異性に対する愛情だってか? あいつはまだ子どもだぞ」
鼻で笑いながら言い返す。だが、ゼランの視線は崩れない。
「だから異常に見えるんだ。十四の娘に、お前のような男が執着する理由がわからん……。いや、わかってはいる」
ゼランの深い焦げ茶の瞳が、真っ直ぐにロブを射抜いた。
「過去――時間遡行してきたリリアと、お前はただならぬ関係になった。違うか?」
低く、重い声だった。いつもの飄々とした調子とはまるで違う。真剣そのものだった。
ロブは黙っていた。
何も答えないということが、何よりの答えだった。
「……やっぱりそうか………。だがな。過去に恋人だった――それだけの理由で、今のリリアに執着するのは違うだろう。複雑だが、今のリリアと、昔お前が会ったリリアは別人だ。リリア自身にも失礼だし、ライゼも報われない」
「……俺が昔付き合ってた女に執着して、ライゼと向き合おうとしないって言いたいのか?」
「違うのか?」
黒と焦げ茶の視線がぶつかる。そこに言葉はもういらなかった。
しばしの沈黙ののち――ロブがひとつ、息を吐く。
「……違うな」
はっきりとした声音だった。
「俺がライゼに靡かないのは、そう見れないからだ。仲のいい友人ではあるが……恋愛対象としては考えられない。それだけのことだ」
「……あいつは、いい女だぜ? 実力もあるし、器量もいい。女としての魅力も充分だ。それに、百年以上お前を待ち続けてる」
「……だから、最初から諦めてるのか?」
ロブが目を細め、やや挑発的に口にした。
「惚れた女には、他に好きな男がいる。だから潔くあきらめて、陰ながら見守ろうってか? 意気地なしの常套句だな」
ゼランの目がかっと見開く。拳がぎゅっと握りしめられた。今にも殴りかかりそうな顔つきだった。
「図星刺されて言葉もないようだな。偉そうに講釈垂れてたが――要は、お前も嫉妬してるだけだろうが」
ロブの声音に熱はなかった。淡々としていて、しかし容赦はない。
「二十年もの間、告白するわけでもない。他に女を作るつもりもない。どっちつかずで拗らせた挙句に、八つ当たりとはな……みっともないにも程がある」
ゼランの肩がぴくりと動いた。
怒りで拳が震えている。
だが、ロブはそのまま続けた。
「お前が想いのひとつでも告げてりゃ、あいつだってお前を意識したかもしれない。……ライゼを幸せにできるのは俺だけ、だとでも思ってるのか?」
吐き捨てるように言ってから、ほんのわずか、言葉の重さを変える。
「違うだろ。あいつを幸せにするのは、あいつ自身だ。……満たされるのは、誰かがいるからじゃない。自分で掴みとるもんだ」
そしてロブは、ジョッキを持ったままゼランに静かに言い放った。
「……俺は、その役目を負うつもりはない。お前が――やれ」
言葉はきつかった。だが、その裏にあるものは怒りではなかった。
それは、弟子に教えるような声色だった。
不器用で真っ直ぐな、ロブなりの叱咤だった。
「俺は、人間だ。あいつと結ばれても、先に置いていっちまう」
ゼランがジョッキを見つめたまま、苦く呟く。歯を噛みしめ、視線を落とす。
そこへ――
「馬鹿じゃないの?」
静かな夜に、女の声が鋭く割り込んだ。
顔を上げたゼランの視線の先。そこにいたのは、銀髪のエルフ、セレニアだった。
焚き火の明かりに照らされ、冷ややかな目がまっすぐゼランを捉えていた。
「口説く前から種族差気にするのって、ただ逃げ場を探してるだけよ。そういう奴は、たとえ相手が同じ人間で同い年でも、どうせ別の理由つけて告れないんだから」
言葉は容赦なかった。むしろ鋭利で、情け容赦がなかった。
「私の夫は人間だったけど、そんなの関係なく私を口説いてきたわよ。好きな人がいるって言っても、お構いなしに、しつこく、鬱陶しいくらいに。……でも気づいたら、私も惚れてた」
肩をすくめながらも、目には微かな温もりが宿る。
「ライゼがどう答えるかは知らない。でも、あんたが諦める理由は、どこにもないはずよ」
ゼランは言葉を飲み込んだまま視線を逸らした。だが、代わりにロブが口を開いた。
「エドガーに向き合えって言ったんだろ?」
「な、なんでそれを……」
ゼランの目がわずかに揺れる。
「お前が示さなきゃダメだろ。その様子じゃ、エドガーに先越されるかもな」
ロブが口の端を上げる。茶化すようでいて、どこか本気の目だった。
「……なんで俺が説教されてんだ」
ゼランがぼやくと、ロブは静かに答えた。
「好きな女のためにって思ったんだろうが、気遣いの方向が違うんだよ」
言葉と同時に、どこか優しさを滲ませた笑みを浮かべる。
「二十年なんて、あっという間だっただろ。これ以上、時間を無駄にすんな」
ゼランはジョッキの中に残ったビールを、一気に飲み干した。
顔はしかめっ面。だがその横顔には、何かを決意したような色が、確かに宿っていた。
──そして、少し離れたテーブルの陰。
リリアは息を潜め、じっとそのやり取りを聞いていた。
(セレニアさん、かっこいい……あんなふうに言えたらいいのに)
強くて、真っ直ぐで、大人で――リリアにはまだ届かない背中。
しかし、そう思う一方で―――
(ロブさんが……私を……好き?)
ぽつりと、心の中で呟く。鼓動がいつもより強くなる。
嬉しいはずなのに――
(未来の私と……恋人だった?)
その言葉が、胸のどこかを冷たく締めつけた。
(それじゃあ……私は?)
今のリリアと、未来のリリア。
同じ自分のはずなのに、未来の“自分”は、今の“自分”が知らないロブを、知っている。
そしてロブは――
(未来の私を好きになったから、今の私にも優しい? 未来の私に出会うために、私に近づいた……)
それは、世界を救うため。
頭では分かっている。理解している。
だけど、それでも。
リリアは、見たことのない“自分”に――嫉妬していた。
【リリアの妄想ノート】
ゼランさんが、ロブさんに言ってた言葉。
それを聞いたロブさんは、否定しなかった。
ロブさんは未来から来た“私”のことが好き。
なぜかすごく苦しかった。
だって今そばにいるのは、未来の“私”じゃない。
未熟で、必死で、でもずっと頑張ってきたのは私なのに。
あの人の心の中にあるのは、まだ出会っていない“私”なんです。
それだけのことなのに、
なんだか全部――置いていかれた気がしました。
……感想とブクマ、お願いします。




