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第121話 耳と誇りと弟子の矜持。〜冒険者のリアルと師弟の約束〜

 ──ダンジョン中層、戦いの興奮も冷めた後。


 すでに魔物の影は見えない。倒したオークの亡骸が、血と土の臭いを残して転がっている。


 リリアは、そのひとつの前で立ち尽くしていた。


 手には短剣。震えているのは剣ではなく、握るその手だ。


「……駄目です……」


 蚊の鳴くような声。だが、その声が持つ切実さに、場の空気が揺らいだ。


 リリアは顔を伏せ、赤い髪の房が揺れる。


「ロブさん……私には、できません……!」


 その頬に、涙が一筋。


 ロブは静かに息を吸い、冷静な声で応じた。


「リリア。何度も言ったはずだ。“できない”じゃない。――“やるんだ”」


「でも……!」


 リリアの声が、震える。


「私には……そんな、残酷なこと……!」


 思わず、セレニアが口を挟みかける。


 が、その前に。


「おいこらぁッ!!」


 空気を裂くアトラの怒声。


 その小さな体に不釣り合いなほどの声量で、叫ぶ。


「耳じゃっ! オークの耳ぐらい、さっさと切らんかい!! 全部ロブの背負い袋に詰め込んどるんじゃぞ!? 腐るわッ!!」


「む、むり~~~~~~~!!」


 リリアの絶叫が、ダンジョンの天井に反響する。


 思わず全員が耳を押さえる。


 剣よりもよく通る声だった。


「リリア、それはただの討伐証明……」


 セレニアが諭そうとしたが、


「でもでもっ! 耳ちょん切るなんて、オークが可哀想すぎますぅ~~~!!」


 誰もが想像していなかった。


 命の危険を乗り越えて、オークの群れと戦い抜いた少女の最大の敵が、“耳の処理”だなんて。


「冒険者の最初の一歩だ。やれ」


 ロブは手にした袋の口を見下ろしながら、小さく嘆息する。


 その中には、すでにアトラが無言で詰め込んだオークの耳コレクションが、皮袋一杯に眠っていた。


 「まあ、大抵の新人はそうなるわよ」


 セレニアが肩を竦めながら、まだ震えているリリアをそっと庇うように言った。


 だがロブの表情は変わらない。


「こればっかりは甘えてちゃ駄目だ。俺達は魔物を狩って報酬を得てる。飯食って生きてくには、魔物の体を捌くのも“冒険者の仕事”なんだよ」


 その言葉に、リリアだけでなく、エドガーとセラフィナも顔を強張らせる。


「……いつになく厳しいね、ロブ師匠」


 カイが軽く言いながらも、その手はまったく止まらない。


 鋭い短剣が肉を裂き、皮を剥ぎ、オークの腹を開ける。臓器が重たい音を立てて地に落ちた。


「お前……なんでそんなに上手いんだ……?」


 エドガーが戦慄した表情で尋ねると、


「しかも一切の躊躇がありませんわ……。わたくし、気分が……っ」


 セラフィナが青ざめ、口元を手で押さえた。


 カイは、何とも言えぬ微笑を浮かべたまま、ぬかるんだ音を立てながら作業を続ける。


「冒険者になる前、ナノマシンの増殖を抑えるために魔物を倒してたんだよ。魔法で。王都までの路銀が必要だったから、倒した魔物の素材を冒険者に譲って、分け前もらってた」


「……それ、完全に違法だろ」


 エドガーが引きつった目でカイを見つめる。


「まあな。魔物を狩るには資格がいる。でも旅の途中で魔物に出くわすのは避けられないから、その場で倒して素材だけ誰かに売るのはよくあることなんだ」


 と、ロブが無造作にフォローを入れる。


 その隣では、フィリアが黙々と作業を進めていた。まるで朝の味噌汁でも作るかのように無感情な顔で、オークの眼球を器用にえぐり取っている。


「私達は森で魔物の死体を放置すると瘴気が出て森が汚染するって教えられてたから、処理は絶対だったの。だから、こういうのは全然平気」


 むしろ淡々と語るその声が一番怖い。


 「目玉……大きいですわね……」


 セラフィナが震える声でつぶやいた瞬間、彼女の身体がふらりと傾ぐ。


「わっ、セラフィナ!」


 慌てて支えたのはエドガー。自分も顔色が悪いくせに、セラフィナの体を支える手はしっかりしていた。


「それに、オークの体は素材の宝庫と言われているんだ。無駄に腐らせるなんて冒険者失格とまで言われてるくらいだぞ」


 ロブの言葉に、リリアが小さく首を傾げる。


「……そんなに、いい素材だったんですか?」


 その疑問に、待ってましたと言わんばかりにアトラがしゃしゃり出た。


「ふふん、知らぬとは情けない。よいかリリア、オークというのはの――」


 美貌を誇る黒髪の美女が、剥き出しの死体を指差して、堂々と告げる。


「捨てるとこなしじゃ!」


 びしぃっと人差し指を立て、熱弁が始まる。


「まず皮膚。分厚くて耐久性があり、防具に最適。魔力を通さぬ性質があるから、魔導士用の裏打ちにも使われる。筋肉は干して加工すれば強化糸になるし、骨は軽くて丈夫じゃから槍の芯や杖の軸にもなる。牙や爪は装飾にも実用品にもなるぞ」


「ひえぇ……」


「内臓は薬師に高値で売れる。肝臓は解毒剤、胃袋は乾燥させて回復薬の触媒に。腸は縫い糸、膀胱は保存袋。脂肪は灯油代わりにもなるし、心臓は魔力触媒として使われておる。眼球は――暗視薬の材料じゃ!」


 ぐいっと胸を張ると、勝ち誇ったように一言。


「オークに、捨てるとこなし!」


 大事なことだから二度言った。


 そのテンションに若干引きつつ、カイがぽつりと漏らす。


「……クジラかな?」


 場がどっと緩む中、リリアは恐る恐る刃を手に取った。


 だがその時、ロブが静かに言葉を継ぐ。


「それにな……リリア」


 視線は、黙して横たわるオークの亡骸に向けられていた。


「魔物ってのは、俺たち人間の手で生み出された存在だ。制御できなくなったからって、害獣扱いして都合よく間引くなんて勝手なことだ。けどな――命を奪ったなら、最後まで丁寧に扱う。それが、同じ世界で生きる者としての礼儀だと俺は思ってる」


 その声音は穏やかだったが、込められた想いは熱かった。


「だからこそ、俺たちは“狩る”だけじゃ駄目なんだ。“いただく”って意識が、絶対に必要なんだよ」


 リリアはしばし黙り込む。


 それから、震える手でオークの耳に刃を当てる。


 刃が肉を裂く音が、やけに大きく響いた。


 切り離した耳を、そっと袋に入れたとき――リリアの顔には、少しだけ強さが宿っていた。


「うむ、合格じゃ!」


 どこからともなく湧き出たようなアトラの歓声が響いた。


 リリアはびくっと肩を震わせる。


「……お前は一匹も捌いてないのになんでそんな偉そうなんだよ」


 ロブのツッコミが冷静に刺さる。


 そんな中、ぐるりと周囲を見渡していたエドガーが、不意に呟いた。


「しかし……これだけの素材、腐らせずにギルドまで持っていけるのか……?」


「ふっ」


 ロブはにやりと笑みを浮かべ、小さく呪文を唱える。


 次の瞬間、空間がぱきんと音を立てて割れ、中から深い虚無が覗いた。


「こいつの中は、俺の研究室と同じ亜空間だ。これくらいなら全部入る。どんどん放り込め」


「アイテムボックス!やっぱりあるんだ!」


 カイが目をきらっきらさせて叫ぶ。


 その隣でセラフィナが息を呑む。


「空間を加工する魔法なんて、魔導公会でもまだ研究段階ですわ……これを実用レベルで使えるのは……お師匠様くらいではなくて?」


「俺が作った魔法じゃないよ。ビルゲンって魔導士が作ったんだ。俺は教えてもらっただけだ」


「ビルゲン!? あの聖騎士ファルクと並び称される、近代魔法の始祖の!?」


 セラフィナの目が見開かれる。その後ろから、フィリアが静かに言葉を継ぐ。


「死者を蘇らせる魔法さえ使えたと、伝説に残る魔導士……編み出した魔法は数千から数万とも言われていて、今使われている魔法のほとんどに彼が作った構文が使われているのよね」


「尾ひれ背びれはついてるがな」


 ロブは少し苦笑しながらも、口調には敬意を滲ませて続けた。


「けど、魔法を創るという意味では、正真正銘の天才だった。いろんな魔法を残したよ」


 リリアは視線を落としあの日のことを思い出していた。


 ロブが魔法でエレナたちを蘇らせたこと――リリアだけはそれを知っていた。


 しかし、それはロブ自身が「他言無用」と口止めしていたことだ。


 だから、リリアは黙っていた。


 いずれ、ロブ自身がセラフィナたちに打ち明けるだろうと信じて。


 そのやり取りを聞いていたエドガーが、ふと何かを思い当たったように声を出す。


「……そのビルゲンと師匠の関係って、もしかして……」


「元弟子だ。俺が師匠で、あいつが弟子だった。あっさり抜かれたけどな」


「やっぱり……」


 エドガーの頷きに、ロブは肩をすくめて言い切った。


「俺の人生はな――“負うた子に教えられっぱなし”の人生なんだよ」


 どこか誇らしげに語るロブに、セレニアが冷ややかに一言。


「……そんな胸張って言うこと?」


 呆れたような、それでいてどこか嬉しげな声音だった。


「ロブさんのお弟子さんって、すごい人がたくさんいるんですね」


 リリアが目を輝かせて言った。どこか尊敬と憧れが入り混じった声音だった。


「まあな。才能あるやつばっかりだったよ。俺がちょっと教えたら、勝手に応用してきやがる。……セレニアだって、閃気術を独自に発展させたからな」


 突然、自分の名前が出てセレニアが気まずそうに頬をかく。


「……昔の話よ」


「私も、そんな弟子になれますか?」


 リリアがぽつりと呟いた。


「うん?」


「ロブさんが、いつか語りたくなるような、立派な弟子に!」


 その言葉に、ロブはほんの少しだけ目を細めると、口の端を上げて、


「立派な弟子ってのは……なんかおかしな響きだな」


 と苦笑した。


 それでも、すぐに言葉を継ぐ。


「――弟子は師匠を超えるもんだ。お前だって、そのうち俺を追い越していくさ」


「はいっ! 頑張ります!」


 さっきまで筋肉痛とオークの耳に泣き喚いていた少女が、まるで別人のように胸を張った。


「じゃ、俺も師匠を超えるようにがんばらなきゃな」


 エドガーが笑う。


「わたくしは、超えるなんておこがましいことは申しませんわ。置き去りにして差し上げます」


 セラフィナが悪戯っぽく微笑んで、袖をふわりと揺らす。


「私はもう超えてるし」


 フィリアが平然と、さらりと地雷を踏み抜いた。


「俺は別にいいや」


 カイが興味なさげに言って、オークの耳を袋に詰める。


 ロブは肩を落としながら、ぽつりと呟いた。


「皆そう言って、俺の屍を超えていくんだよ……」


 誰も返してくれなかった。


 ロブはため息まじりに手を振る。


「……さ、もう行くぞ。早く戻らないと、山積みの書類とにらめっこのライゼに恨まれる」


「うわー、それは怖いかも……」


 リリアが小声で震え、笑いがこぼれた。


 一行はそろって歩き出す。オークの耳入りの袋を背負いながら。


 その先頭を歩く、リリアの小さな背中を見つめながら、ロブは胸の奥で、静かに呟く。


 ―――俺の弟子の中で、一番の誇りはお前だよ、リリア。


 ―――お前がいなかったら今の俺はいないんだからな。


【リリアの妄想ノート】


うぅ……耳……耳……っ!

なんで冒険者って、こんなにグロいこともしなきゃいけないんですかっ!?!?

ロブさんは「礼儀だ」とか言うけど、でも、耳ちょん切るの、ほんと心がえぐれるんですよ!?(泣)


……でも。

最後、ロブさんが言ってくれたんです。


「弟子は師匠を超えるもんだ」って。


……そのときの顔が、ちょっとだけ、すごく嬉しそうで。


私、思っちゃいました。

いつかロブさんが、誰かに語ってくれるような弟子になりたいなって。

昔話に出してもらえるような、そんな弟子に、なりたいなって。


がんばります。耳も……耳も、克服します……多分!


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