第119話 告げられなかった想いと、待ちわびる約束」
午後の陽が西へと傾き始める中、訓練場には再び熱気が満ちていた。
リリアとセラフィナ。
空気を揺らすふたりの構文式が、いま静かに対峙している。
「いきますわよ、リリアさん!」
セラフィナの詠唱と共に、空間に展開された魔術構文が明滅しはじめた。
それは幾重もの同心円と、魔力定数を変調させる補助式を組み込んだ、初級炎術――《フレア・バレット》。
構文が淡く脈打つたび、圧縮された熱量がそこに収束していく。
「こっちだって――負けませんよ!」
リリアも即座に詠唱を開始。セラフィナの構文に追随するように、自らの魔力を駆動させる。
双方向から放たれる高密度の熱弾が、空間で火花のように激突する。
――ごぉん!
凄まじい衝撃波と共に、訓練場の地表がえぐれ、風が巻き上がる。
どちらの術式も、ぎりぎりまで魔力出力を調整し、衝突直前で制動されていた。
だが――
「っ、押し切られる……!?」
リリアの術が、わずかに揺れた。
フレア・バレットは術者の集中力によって、魔力20〜30の間で威力が変動する。
その差が、いま、明確な優劣を示していた。
「はああああっ!!」
セラフィナの魔力が一段階跳ね上がる。
構文に新たな波長が加えられ、魔弾のコアがより鮮やかな赤に変色する。
その瞬間、リリアの術式は崩れ、火球が霧散した。
爆音とともに熱波が吹き抜け、フィールドの端に小さな焦げ跡が残る。
「よしっ!」
セラフィナが思わず拳を握り、ぴょこんと跳ねるような動作を見せる。
お嬢様らしからぬ振る舞い――だが、そこには確かな勝利の喜びがあった。
「……よかった」
リリアは、焦げた前髪を払って笑った。
午前とはまるで別人のように、目の奥に光を宿したセラフィナを見て、胸を撫で下ろす。
――もう、大丈夫そうだ。
そう思えた。
立ち直った彼女の魔力は、誰よりもまっすぐで、そして――強かった。
そのとき。
「……へぇ」
背後から、落ち着いた女の声。
振り向くと、ライゼが腕を組んで立っていた。
「セラフィナ、今のフレア・バレット、魔力密度28ってとこね。リリアは25。よく制御できてたわ」
「え……!?」
セラフィナもリリアも思わず目を見開く。
だがライゼは、軽く肩をすくめる。
「私くらいになるとね。解析呪文なんていらないわよ。構文の展開速度、魔力の重み、照準の精度――それだけ見れば、密度くらいは分かる」
さらりと告げてから、ライゼの視線がセラフィナに向く。
「午前中とは別人のようね。……素直に、見事だったわ」
「っ……ありがとうございますっ」
セラフィナは背筋を伸ばし、思わず小さく頭を下げた。
お嬢様らしからぬ勝ち誇った笑みも、少しだけ、引き締まったように見える。
「ふふっ、よかったぁ……」
その様子を見たリリアが、ほっと安堵の息を漏らす。
しかし、とライゼは続けた。
「それでも――まだ、足りないわね」
翳した指先に、ふっと赤い光がともる。
小さな火種が揺れ、やがて炎の小鳥となって羽ばたいた。
リリアとセラフィナは、思わず息を呑む。
「魔法は、イメージと集中力。それが揃えば、構文も呪文もいらない」
ライゼの声は淡々としていたが、その奥には容赦のない圧が潜んでいた。
「むしろ、実戦では構文や呪文は邪魔になることすらある」
炎の鳥がくるりと宙を舞い、音もなくかき消える。
「一流の冒険者になりたいのなら――無詠唱で魔法を使えるようになりなさい」
そして、口元にうっすらと笑みを浮かべる。
「お待ちかね。本日の締め。実戦形式で――しばき倒していくわよ」
その笑みに、リリアとセラフィナはごくりと唾を飲み込んだ。
エドガーの木剣が風を裂いた。打ち込みは鋭く、苛烈。受けるゼランが押されるほどだった。
「……ふん、勢いはあるな」
渋面で受け止めながらも、その手に力みはない。だが次第に――ゼランの構えがわずかに変わる。
重心を後ろに、力を蓄え――一閃。
「ちっ……!」
エドガーが瞬時に下がる。形勢は、わずかに逆転しつつあった。
その瞬間。
カイが背後から斬りかかった。
「甘い!」
ゼランの身体が軸をずらす。回し蹴りが風を切り、カイの腹部に直撃した。
「うぐっ……!」
カイが転倒。土煙が巻き上がる。
距離を取り直すエドガーと、地を這うように立ち上がるカイ。
「なんで……分かったんですか?」
問いかけるカイに、ゼランは肩をすくめて笑った。
「なんとなくだ」
「……は?」
「年中、戦いの中で生きてりゃな。理屈なんてなくても、身体が勝手に警告してくる。最終的に自分を助けるのは己の直感だ」
軽口を叩きながらも、その眼差しはどこまでも真剣だった。歴戦の勇士だけが持つ、深い眼だ。
ゼランは構え直しながら言った。
「エドガー」
鋭く名前を呼ばれ、肩を揺らす。
「今日はずっと良い動きをしている。だがな、それが迷いを断ち切るためだとか、自分の想いに気付かないふりをするためなら――やめとけ」
その言葉が、エドガーの胸を撃った。
「……どうして分かるんですか?」
「なんとなくだ!」
間髪入れずの即答。だが、その言葉に嘘はなかった。
「剣を構えりゃ分かる。何を考えてるか、どういう気持ちで振ってるか。お前は、迷いを捨てようとしてる。それは、正しい。だが――もしそれが“逃げる”ための選択なら、一度は向き合え」
「…………」
「捨てることより、背負うこと。それが、男を強くする」
その言葉は、エドガーの中で、何かを軋ませた。
――セラは、いずれ俺の前からいなくなる。
だから、それまでは傍にいよう。そう決めた。その割り切りが、自分をここまで強くした。
だが、それは本当に前向きな決断だったのか?
最初から、“諦める理由”を作って――自分を納得させていただけなんじゃないか?
その自問に、言葉が出なかった。
その沈黙を、カイの声が破る。
「騙されるなよ、エドガー」
ゆっくりと木剣を構えながら、カイが続けた。
「捨てるのも、背負うのも――お前が決めることだ。足し算の先に待ってる未来も、引き算の先に来る現実も、お前が選んだものだ。逃げることも、立派な戦略だぜ」
ゼランが鼻で笑った。
「ほう、青二才のくせにずいぶんと一丁前の口を利くじゃねぇか」
「これでも人生、二回目ですから」
カイは肩をすくめ、そして――にやりと笑った。
「それに……」
「それに?」
「ライゼ様に片思い中のあんたに、とやかく言われたくないなあ」
「お、おま……! なんでそれを!」
「見てりゃ分かるっつの!」
思わず突っ込むカイ。
ゼランは頭を抱え、肩をすくめて乾いた笑いを漏らした。
カイは木剣を握り直し、エドガーの方へ振り返った。
「要するにだ、エドガー」
真っ直ぐな視線を向ける。
「お前が考え抜いて出した答えに、誰も文句は言わねえ。お前の人生だ」
「カイ……」
「まあ、答えによっちゃがっかりするけどな」
「どっちだよ!」
突っ込むエドガーに、カイは悪戯っぽく笑って言った。
「だからさ。お前には、みんな期待してるんだよ。常識とか、身分とか、そんなくだらない壁をぶっ壊してくれる、お前にさ」
カイの言葉は、真正面から真芯を突く。
「セラフィナがここまで我を通すことが出来るのも、お前が傍にいて支えてくれたからじゃないか?」
「…………」
エドガーは、言葉を飲み込んだ。
「喋りすぎたな。とにかく今は頭空っぽにして動け。限界突破して剣を振ってさ、スッキリした頭で考えようぜ! 俺たちにはやらなきゃいけないことが山ほどあるんだ!」
その瞬間、カイの木剣に雷が宿った。
刀身を包むヴェール状の輝きが、一瞬で空気を裂く。
「……ほう。閃気術か。習ったのは昨日だろうに」
ゼランの眼が細まる。
「大したセンスだな」
「魔法剣は――男のロマンなんで」
駆け出すカイ。
その背中を見送りながら、エドガーが声を絞る。
「なんだよ……みんなして勝手なこと言いやがって」
木剣を、強く握りしめる。
「俺がガキだからって――舐めんなよ!」
気合いと共に、踏み出した。
「俺だって、精一杯やってんだ!! 俺の気持ちも知らねぇで、勝手なこと言うなあああ!!」
叫びと共に、ゼランへと駆ける。
その勢いに応じるように、ゼランの唇が吊り上がる。
「よっしゃ! かかってこいや、小僧ども!」
激突。木剣と木剣が火花を散らす。
女子の魔法対決とは真逆の、汗と力と気迫がぶつかり合う――男臭い、訓練の午後が始まった。
午後の訓練が終わった。
気がつけば、いつものように五体満足な者はいなかった。リリア、セラフィナ、エドガー、カイ、フィリア……それからリリア(二度目)は、いつものようにふらふらと歩く。
全員、泥と汗と埃にまみれて、髪も服もボロボロ。けれど、それが日常になっているあたり、もう後戻りはできない。
夕食を終えると、セラフィナは机に向かい、開いた魔導書をめくりながら、ノートにペンを走らせる。
――時間遡行魔法。
それを構築するには、まず基礎から。ロブとクォリスがゼロから組み上げた構文理論を、そっくりそのまま頭に叩き込むしかない。
二千年をかけて作り上げた、人類が未だ見ぬ魔法理論。
それを託されることの重みを、セラフィナは痛いほどに感じていた。
―――時間は幾らあっても足りない。
そんなプレッシャーが文字を追う目を、筆を執る手を進ませた。
やがて、手が止まる。息をつき、背伸びをした。
「……あら」
髪の端を指先でつまむと、まだほんのり汗のにおいがする。そういえば、風呂に入っていなかった。
辺りは静まり返っている。四人部屋のベッドではリリアとフィリア、エレナがすでに寝息を立てている。
起こさないようにそっと立ち上がり、着替えを手に静かに廊下へ出る。
と、その角で。
「――あ」
鉢合わせたのは、エドガーだった。
無言が一拍、続く。昨日のことが頭をよぎり、セラフィナは視線を逸らしかけ――それでも、平静を装って口を開く。
「あなたもお風呂に?」
「ああ。今まで剣を振ってたんでな」
ぶっきらぼうな返事。だが、どこか優しさの滲んだ声音だった。
そのまま二人で歩く。並んで廊下を進み、温泉棟の入口へ。
暖簾をくぐると、そこには男湯と女湯を分ける竹の仕切り。互いに黙って分かれ、それぞれの湯へ。
セラフィナは肩まで湯に浸かり、ほうっと息をついた。
疲労と熱がじんわりと溶け合う。思考が緩み、ふと、隣の存在を意識する。
「……エドガー。聞こえていますか?」
湯気越しに、竹の仕切りの向こうへ声を掛けた。
「聞こえてるよ」
「先に帰っていていいですわよ」
「女一人残していけるかよ」
――予想通りの返事。
分かっていた。だけど、つい言ってしまう。
昔から、彼はそうだった。いつだって自分を最優先してくれた。どれだけ無茶を言っても、文句ひとつ言わずに。
それが当たり前のように思っていた。
――なんて勝手な女だったのでしょうか。私としたことが。
唇を噛みかけた、そのとき。
「別に気を遣う必要ないぞ。俺がやりたくてやってるんだから」
あちらから、言葉が返ってきた。
「……なぜ分かったんですの?」
「なんとなくだ」
あっさりとした答えだった。なのに、どうしようもなく胸が温かくなる。
嬉しかった。言葉以上に、その気配が。
だから、言ってしまった。
「ねえ、エドガー」
「うん?」
「わたくし、婚約破棄するつもりです」
沈黙が、湯けむりの向こうに漂う。
「………本気で言ってるのか?」
「もちろん。学舎に戻ったらお父様にはっきりと言うつもりです」
「……そうか………」
湯が揺れた。数秒の静けさののち、男の声が低く、けれど確かに響いた。
「俺はついて行くよ。お前に」
その一言で、胸の奥がふわりと満ちていくのが分かった。
やはりエドガーは、自分についてくる。
今までも、そしてこれからも。
それだけで、十分だった。
――わたくしは………エドガーが好き……。
でもきっと、彼は言わない。自分から、想いを告げてくることは。
だから、全部が片付いたら。すべてのしがらみが終わったそのときに。
――そのときに、わたくしが言いましょう。
思いを打ち明けようと、そう心に決めて。
そっと湯船から立ち上がる。湯気の向こう、明日を見据えながら。
風呂を出て、髪をタオルでざっくりと拭きながら、セラフィナは脱衣所の扉を開けた。
当然のように、背を壁に預けてエドガーが待っていた。
濡れた灰色の髪が額にかかっている。着替えはすでに済ませているようで、いつもの黒いシャツの袖を無造作にまくり上げていた。
「……お待たせしましたか?」
問いかけたセラフィナに、彼はそっぽを向いたまま肩をすくめた。
「ちょうど今出たとこだ」
「ふふ……ええ、そういうことにしておきますわ」
自然と、笑みがこぼれた。
湯冷めしないように、と急いで乾かした金髪からは、ほんのりと湯気が立ちのぼっていた。
並んで歩き出す。
言葉はなかった。けれど、それで十分だった。
互いに何を考えているのか――言葉にしなくても伝わってくる、不思議な空気。
夜の通路はひんやりとしていて、頬に風が気持ちよかった。
月はまだ見えず、代わりにいくつかの星がちらちらと瞬いている。
「明日も訓練、頑張らないといけませんわね」
「ああ。今日のセラは、かなり良かったぞ」
その一言に、セラフィナはぴたりと足を止めた。
「……ありがとうございます」
それだけ言って、また歩き出す。
声に出してしまえば崩れてしまいそうな感情を、胸の奥でそっと抱きしめながら。
(わたくし……やはり、この人が好きです)
心の中でそっと、もう一度だけ確かめる。
だが、隣を歩くその男は、なにも知らないように――それでも、確かに隣にいた。
まるでずっと前から、そこにいるのが当然だったかのように。
そして、ふいに――彼の声が届いた。
「全部終わったら……話がある」
セラフィナは小さく瞬きをした。
けれど、すぐには何も聞き返さなかった。
「……ええ。待っていますわ」
声は小さかったけれど、確かな温度があった。
その返事に、エドガーはうなずきもせず、ただ前を向いたまま歩を進める。
セラフィナはその背中を、ほんの一瞬見つめた。
胸の内に、またひとつ灯がともるようだった。
【リリアの妄想ノート】
えーっとですね……夜中に目が覚めておトイレに行ったんですよ。
そしたら偶然セラフィナさんとエドガーさんを見かけたんです。
その時の二人の空気が、明らかに!明らかに違いますっ!
え? なに? 夜にふたりで温泉行って、そのあと並んで帰ってきて?
しかもセラフィナさん、めっちゃ晴れやかな顔してたんですけど!?
はーい、これは確定演出です(真顔)
でも……まだ“言ってない”んですね、たぶんお互いに。
だから、ちゃんと全部終わったら。私たちの戦いが終わったら――
そのときには、誰よりも祝福したいなって思いますっ!
感想とブクマ、お待ちしてます!




