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第116話 婚約者は王子様?泣いたセラフィナと黙ったエドガーの夜

 夕食を終えたリリアたちは、部屋に戻るとそのまま四人部屋のベッドの上に並んで腰を下ろしていた。マットレスの感触が心地よく、疲れた身体をゆるやかに包み込む。誰ともなく、エレナを囲んで座り、夜の女子会が自然と始まっていた。


「お姉ちゃん、おめでとう!」  


 リリアが真っ先に声を弾ませると、セラフィナもにっこりと微笑んで頷いた。


「ありがとう……まさかこんなことになるなんてね」  


 エレナは照れたように目を伏せ、口元だけで笑った。頬がうっすらと赤い。


「衆目の前でしっかり想いを伝えるなんて……。ヒューゴさんって控えめに見えて、芯が通ってますのね」  

 

 セラフィナが両手を胸元で組み、うっとりした表情で呟いた。


 だが、その隣でフィリアは頬杖をついたまま、乾いた声で言った。


「ふーん。周りから煽られなきゃ踏み出せないってのも、どうかと思うけど」


「相手の気持ちを読み切れないのは、恋愛じゃよくあることですわ。軽率な一言で壊れる関係もあるのですし」  


 セラフィナは慣れた調子で返す。


「……詳しいね」


「恋愛小説では定番の展開ですもの」


「あ、そう」


 半眼のままフィリアが鼻を鳴らす。そして、いたずらっぽい笑みが口元に浮かんだ。


「じゃあさ、セラフィナ。自分のことはどうなの?」


「え?」


「エドガーとの関係、どう思ってるわけ?」


「別に何もありませんけど」


 涼しい顔で答えるセラフィナに、リリアは思わず身を乗り出した。


「え? セラフィナさん、エドガーさんのこと、好きじゃなかったんですか?」


「ええ、まあ……その、友人としては」


「いやいや、家を飛び出したセラフィナさんについて来たんですよ? それだけで収まるとは思えませんって!」


「本当に、何もないのですわ」


 あまりにあっさりと言い切られ、リリアは逆に戸惑った。


 あの直情的なセラフィナが、自分の恋愛ごとになるとまるで無風の湖面のようだった。


 その横でフィリアが目を細める。


「将来的に付き合いたいとか、そういうのは?」


「……わたくしには婚約者がおりますもの」


「えええええ!?」


「ええ!?」


「えっ!?」


 三人分の驚愕が見事にハモった。


 セラフィナはこともなげに言う。


「貴族の娘ですからね。幼い頃から決まっているのですわ」


「でも、今は家出中なんでしょ? 婚約の話も無効じゃないの?」


「いえ、家を出ても、私の行動は父に筒抜けでした。父が魔導学舎への復学を許したということは、おそらく、それを機に私を正式に連れ戻すつもりなのでしょう」


 言葉に含まれたのは諦めではなかった。むしろ達観――悟りに近い静けさだった。幼い頃から運命が定められていた者の、それに抗わず、ただ淡々と受け入れている目。


 リリアは、その横顔をまっすぐに見つめながら思った。


(あのセラフィナさんが……こんな顔、するんだ)


「それじゃ、学舎に戻ったらそのまま家に帰るの?」


 フィリアが枕を抱えたまま、視線だけで問いかける。


「まさか」


 セラフィナはすかさず首を振ると、背筋を伸ばし、どこか誇らしげな表情で続けた。


「わたくしには使命がありますもの!」


 その発言に、リリアは思わず目を見張った。


(使命……って、三年後のことだよね)


 この場にはエレナがいる。だからだろう、セラフィナは言葉の輪郭だけを語り、核心には触れようとしなかった。


「これを機に、父にはっきり申し上げますわ」


 その言い方には、名家の当主である父親すら相手に引かない意志があった。


「わたくしは魔導公会に入るつもりも、結婚するつもりもないと!」


「そ、それが通ったらどうするんですか?」


 リリアはつい前のめりになって聞き返していた。


(もしかして……エドガーさんと!?)


 婚約者のいる貴族令嬢と平民の青年との身分違いの恋………そんな恋愛小説みたいな展開がありえるのかと、期待と不安が半々で胸の奥をざわつかせる。


 だが――


「お師匠様のもとで、研究と冒険に明け暮れるのですわ!」


 セラフィナはぐっと拳を握って、高らかに宣言した。


「…………」


 エドガーのエの字も出てこなかった。

 リリアは肩を落としながら、ぽつりと心の中で呟く。


(……この人、恋愛脳のくせに、自分のことになると全然違う……)


 恋バナ大好きなセラフィナ。なのに、自分の感情に関してはとことん鈍感。


 魔法の研究しか頭にない。


 言い方は悪いが、はっきり言って――


 魔法バカだ。


「じゃあさ」


 セラフィナが、まるでおやつの好みでも聞くような口調で言った。


「全部を捨てたあんたに、エドガーがついてくるって言ったらどうするの?」


「え?」


 ぽかん、とセラフィナが口を開けた。


「え? じゃないよ」


 フィリアが呆れたように眉をしかめる。


「学舎を辞めて、あんたについてきた男よ? その可能性、全然あるでしょうが」


「あるでしょうね」


 セラフィナはまた、のんびりした声で頷いた。


 しかしその表情には、何を言われているのか本気で理解していないような――きょとんとした無垢さがあった。


「可能性というか……エドガーは、私についてきますわよ」


「……なんで?」


「昔からそうですし」


「……これからも、そうだって保証ないじゃん」


「え?」


「え?」


 ぴたりと会話が止まった。

 セラフィナとフィリアの目が合ったまま、どちらも軽く瞬きをする。


 その隙に、リリアとエレナも異変に気付き始めていた。

 顔を寄せ合って、三人で小声の緊急会議が始まる。


「え? マジで言ってるの? 私、怖くなってきたんだけど……」


「リリア、セラフィナちゃんって……その、残念な子なの?」


「普段は超優秀なんだけど……たまにポンコツになるんだよね……」


 当の本人は、枕を抱えたまま、きょとん顔でこちらを見ていた。

 あの顔がまた、不安を増幅させる。


 フィリアが一つ深呼吸をして、恐る恐る口を開いた。


「あのさ、セラフィナ」


「はい?」


「もしも、もしもだよ? エドガーがついてこなかったら、どうするの?」


 その問いに、セラフィナは一瞬まばたきをしたあと、言った。


「質問の意図が読めませんわ」


「いや、だから……エドガーがついてこなかったら」


「なぜ?」


「……うん?」


「エドガーがついてこないというのは……どういう意味でしょう?」


 リリアはついに頭を抱えた。


(ほんっっとに分からないって顔してる!)


 セラフィナは、エドガーが自分のそばから離れる可能性を、文字通り「一ミリも」考えたことがないのだ。


 友達とか信頼とか、そういう次元ではない。

 彼女にとってエドガーは、世界の構造上「そこにいて当然」の存在だった。


 恋愛感情もないのに、男女の友情は成立する――そんなレベルじゃない。

 この人、完全にエドガーを自分の付属物か何かと認識している!


(……エドガーさんが他の人と結婚したらどうすんの、この人!?)


 リリアはベッドに突っ伏しながら、本気で怖くなっていた。


 リリアはゆっくりと身を起こし、膝の上で指を組んだまま、優しくも鋭い声音で切り込んだ。


「セラフィナさん。……もし、もしもですよ?エドガーさんが、誰かと結婚したらどうするんですか?」


 まるで、温いナイフを心臓の横っ腹に差し込まれたような一言だった。


 セラフィナは目をぱちくりとさせた。


「エドガーが……誰かと、結婚……?」


 その瞬間。


 ―――ぽとり。


 言葉の代わりに、涙がひとしずく、シーツに落ちた。


 誰も声を出さなかった。出せなかった。


 セラフィナは、何も言わずにうつむいたまま、ぽろぽろと涙を零していた。


「え? えっ!? ちょ、泣くの!?」


 フィリアがパニックになって両手をばたつかせる。


「ご、ごめんなさいセラフィナさん、私そんなつもりじゃなくて……!」


 リリアも慌てて背中をさすろうとして、手が震えて止まる。


 静かに、しかし確実に崩れていくセラフィナの表情。


 それは、怒りでも悲しみでもなかった。

 ただただ、「想定していなかった未来」にぶつかった時の―――世界が裏返ったような混乱だった。


「……ちが、う……そんなはず……。だって、エドガーは……ずっと……私の……」


 言葉にならない声が、嗚咽に変わって喉を震わせる。


 リリアは――心底、怖かった。


(まさか……セラフィナさん、本当に……“考えたこともなかった”んだ)


 あのエドガーが、別の誰かの隣に立つなんて。


 それだけで泣くほどの信頼。いや、依存……?


 部屋の空気が、急激に冷えていくようだった。


 エレナは何も言わず、黙ってその様子を見つめていた。


 その表情は、年上としての穏やかさと厳しさを同時に湛えていた。


「エドガー君は、あなたの幼馴染なのね? ずっとそばにいた。だからこれからも、当然そばにいてくれるって……そう信じてたのよね」


 静かな声音だった。


「いえ。信じてた、というより――“離れる”なんて、最初から考えたこともなかった」


 セラフィナは泣き腫らした目を見開く。


「でも、エドガー君も、あなたと同じように一人前の大人になる。だからこそ――いつか、自分の意志であなたの隣を離れる日が、来るかもしれない」


 その言葉に、ベッドの上の空気がふっと止まった気がした。


「……もし、彼にそばを離れてほしくないと思うなら、考えてみて」


 エレナは優しくも鋭く、言葉を続ける。


「あなたが彼をどう思ってるのか。彼とどうなりたいのか」


 セラフィナは、小さく息を呑んだ。


「わたくしが……エドガーを……どう、思っているか……」


 その言葉を、唇の奥で反芻するように呟く。


 涙はまだ頬を伝っていたが、どこか、その奥に考える色が灯り始めていた。


「多分、そう遠くない未来に……その答えを出さなきゃいけない時が来る。だから、今のうちに、ちゃんと考えなさい」


 エレナはあくまで優しく、けれど迷いのない声音で、セラフィナの背中をそっと押すように言った。


 そして最後に、ぽつりと付け加える。


「……ま、エドガー君の方は、とっくに腹を決めてると思うけどね」


 それはどこか、姉のような――年長者ならではの微笑みを含んだ皮肉だった。


 リリアは思わず、口の端を緩めてしまう。


「うん、エドガーさん、男らしいからなぁ」


 ぽつりと呟いた言葉に、誰も異論はなかった。


 能天気ではあるが実直な男だ。


 セラフィナが何も言わずとも、彼の中ではとっくに答えが出ている。

 それこそ、“当然のように”彼女の隣に居続ける未来を、疑いもなく選んでいるに違いないのだから。 





 一方、場所は男子部屋。


 夕食を終え、気の抜けた空気の中、ヒューゴはベッドにもたれながら頬を掻いていた。


「ヒューゴさん、よかったですね」


 カイが隣に腰かけ、軽く彼の肩を叩いた。


「えへへ……。うん、ありがとう。ロブさんに背中押されちゃって……感謝してもしきれないや」  


 照れくさそうに笑うヒューゴを見て、エドガーはふっと目を伏せた。


「………いいな。自分の気持ちを素直に言えるってさ」


「エドガーも、セラフィナに告白すればいいじゃん?」  


 カイが冗談めかして振ると、布団をいじっていたエドガーがぴたりと動きを止めた。


「セラには婚約者がいるんだよ」


「……マジで!?」  


 思わず声を上げるカイ。


「いや、まあ……貴族ならいて当然か。でもさ、セラフィナは家出するくらいの気概があるんだから、それも強引に破棄する気だと思うけど?」


「どうかな……」  


 エドガーの声はどこか冷めていた。


「なんか、お前……冷めてない?」  


 カイが怪訝そうに眉をひそめる。


「セラフィナのこと、好きじゃないのかよ?」


「……俺があいつのことを好きかどうかなんて、関係ないさ」  


 ぽつりと漏らしたエドガーの目は、虚空を見ていた。


「セラは貴族で……俺は平民だ。そもそも立場が違いすぎる。最初から、俺とどうこうなんてありえない話なんだよ」


 ヒューゴが苦笑しつつも、やんわりと諭すように言う。


「確かに相手が貴族様じゃ、手も足も出ないね。でも、思いを伝えるくらいはしてもいいんじゃないかな」


「したところで意味がないさ……」


 エドガーは諦めたように苦笑を浮かべた。


 その様子に、カイがムッとする。


「やってみなきゃわかんないだろ! 何が起きるかなんて、未来のこと誰にも――」


「わかるよ」  


 エドガーが静かに、けれどはっきりと遮る。


 そして、ほんの少し間を空けて。


「セラフィナの婚約者はな……この国の第一王子なんだよ」


 部屋の空気が一瞬で変わった。


 さっきまで軽口を叩いていたカイも、笑顔を浮かべていたヒューゴも、まるで言葉を失ったように固まった。


 この世界で“王家”という言葉が持つ意味を知らぬ者などいない。  


 ましてや、その直系の“第一王子”ともなれば。


「……マジかよ」  


 カイの声は低く、やや震えていた。


 エドガーはふっと自嘲気味に笑った。


「セラは必死でもがいてるけどな。あいつがどう喚こうと、関係ないさ。俺みたいなもんが、あいつの未来に割り込めるわけがない」


 その言葉は諦めとともに吐き出され、部屋の中に重々しく響いた。






【リリアの妄想ノート】


タイトル:セラフィナさんが泣いた夜、私は世界の重さを知りましたの巻


恋バナって、もっときゃっきゃするもんだと思ってたんです。

ベッドの上で「誰が好き~?」って言い合って、笑って、悶えて、それで終わるって。


でも、あの夜は違いました。


「エドガーさんが誰かと結婚したらどうする?」

私がそう聞いたとき、セラフィナさんの目から、ぽろって……涙が落ちたんです。


彼女にとって、エドガーさんは“そこにいて当然の存在”。

空気や重力みたいに、「失う」なんて想像すらしてなかった。


その人が、もし自分の隣からいなくなったら。

誰かと結婚したら。

そんな当たり前じゃない未来が目の前に突きつけられて、あの人は、はじめて“恋”と向き合ったんだと思います。


私、今まで魔法の勉強ばっかりしてる彼女を「魔法バカ」だと思ってました。

でも違いました。


……本気で誰かを想って泣けるって、すごいことなんですね。


感想とブクマ、お願いしますっ!!(恋の重力で沈みかけた弟子より)


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