第114話 命を預ける覚悟と、個室発言で叩かれる師匠の件
リリアは言葉を失っていた。
真正面から向けられた、姉の悲痛な瞳。責めているというより――心配。それがわかるから、なおさら胸に痛い。
「それに、私が来たとき……あなた、ボロボロだったよね」
エレナの声は落ち着いていたが、抑えた怒りが滲んでいた。
「危険なクエスト、やらされてるんじゃないの?」
「いや、それは儂らが鍛えておるからじゃ」
のほほんとした声で、アトラが湯呑みを口に運びながら言った。
「ドラゴンの、あなたが……ですか?」
睨みつけるような視線がアトラに突き刺さる。
エレナの眼には明らかな警戒の色が浮かんでいた。
だがアトラは、気にも留めた様子はない。
「ちゃんと、死ぬ寸前で止めとるぞ?」
「それ、間違えたら死ぬやつじゃないですかっ!」
勢いよく立ち上がり、声を張り上げる。
その視線が、今度はロブへと移る。
「ロブさん。……リリアに、いったい何をさせてるんですか」
ロブは動じなかった。
ただ淡々と、彼女と同じ青の瞳を見つめ返した。
「リリアを、一人前の冒険者にするために鍛えてる。それだけだよ。リリアだけじゃない。他の子たちも同じだ」
静まり返った空間に、ロブの低く落ち着いた声が響いた。
「確かに、俺から弟子になれとは言った。だが、選んだのはリリア自身だ。俺は誰にも強要してない」
「……つまり」
エレナの声がわずかに震える。
「リリアが選んだから、もし死んでもあなたの責任じゃないって、そう言いたいんですか?」
リリアの喉が詰まった。声が出なかった。
姉の怒りと、師匠の静けさ。どちらにも言葉を挟めず、ただ、見守るしかなかった。
ロブは声色を変えず、静かに言葉を継いだ。
「……新人冒険者の約半数は、一年以内に命を落とすと言われている」
エレナが小さく息を呑んだ。誰もがその言葉の重みに、声を挟めない。
「冒険者は、常に死と隣り合わせ。それは――君も分かっていたはずだ」
黒い瞳が、瞬きもせずエレナを見据える。何の飾りもない、真っすぐな視線。
「ライゼも、アトラも。俺の戦友だ。彼女たちは、俺の弟子たちを鍛え、そして守るために尽くしてくれている」
その言葉に、ライゼは無言のまま、脇にあった水のグラスを手に取る。淡く光る瞳に、感情の揺れは一切ない。ただ静かに、口元にグラスを運び、水をひと口、喉に流し込んだ。
一方、アトラは唇の端を少しだけ上げ、楽しそうにロブとエレナを交互に見ていた。悪戯好きの少女のような仕草だが、その瞳の奥には、古き竜の叡智が揺れている。
「……だから、種族や肩書だけで態度を変えるのは、慎んでもらえると助かる」
ロブの声は相変わらず穏やかだったが、その一言には冷ややかな圧があった。
エレナの肩が一瞬だけ、ぴくりと動く。
「それで、責任の話だけどな」
ロブは、口元に浮かんでいたわずかな緊張すら取り去って、続ける。
「俺は君に、リリアを命に代えても守ると誓った。それは今でも変わってない。嘘でも虚勢でもない。リリアに命の危機があればあらゆる手を尽くす。何をしてでも救ってみせる。それは君自身がよく分かっているはずだ」
その言葉に、エレナがはっとした表情を見せた。
リリアの眉がひそめられる。
(お姉ちゃん……? もしかして、自分が――死んだこと……気づいてる……?)
セイラン村が紅竜団に襲撃された夜。
エレナは確かに死んだ。
それをロブが魔法で蘇らせたのだ。
本来、その記憶は――リリア以外、全員の中から消されているはずだった。
だが。
(あの時……)
村で行われた宴の際、ロブとエレナは二人だけで何かを話していた。
その時にロブの口から聞いたのか、もしくは、直感的に理解しているのか。
ロブのこの言葉は、それを知る彼女に向けての“答え”だった。
――リリアが、目の前で死ぬ可能性は極めて低い。自分がそれを覆した証人である限り。
「俺はこれまで、多くの仲間を失ってきた」
ロブの目が、一瞬だけ遠い過去を映したように揺らいだ。
「目の前で、死んでいった奴もいる。命を軽く見たことなんて、ただの一度もない」
その言葉は、重かった。どこまでも、真実だった。
「だからこそ手に入れた魔法や技術がある。そして弟子になる者には、俺の持っているすべてを教え込んでいる。全力で守る。そして、自分で守れるように強くする」
ゆっくりと、言葉を区切る。
「それが、俺の責任だ」
食卓には静寂が落ちた。誰も、言葉を挟めない。
「今、リリアは冒険者として……いや、人として、自分の未来のために懸命に歩いてる。過酷な戦いも、辛い現実もあった。それでも、リリアは思ってた以上によくやってるよ」
ロブの声が、少しだけ優しくなる。
その眼差しが、エレナに向けられる。
「だから君には――リリアの歩みを、信じてほしい」
その瞳に宿ったのは、剣気でも魔力でもない、ただの人間としてのあたたかさだった。
エレナは目を伏せ、小さく息を吐く。そして、ロブの視線に導かれるように、そっと椅子に腰を下ろした。
場には、再び静かな呼吸音だけが残された。
「それでも……守れなかったら、どうするの?」
エレナの問いは鋭くも、どこか柔らかかった。
その声音には、責め立てるような棘はなかった。ただ、ロブという男の覚悟の深さを、知りたい――そんな純粋な想いが滲んでいた。
ロブは間髪入れずに返した。即答だった。
「君の目の前で、リリアと同じように死んで見せよう」
場の空気が、一瞬で止まった。
弟子たちは目を剥き、誰もが思考を凍らせた。
リリアだけは、その言葉の意味を図るように、穴が空くほどロブを凝視していた。
「首を跳ねられたなら、俺も自分で首を落とす。焼き殺されたら、魔法で己の身を燃やしてやる。魔物に食われたなら……アトラに食い殺してもらう」
「任されよう」
当然のようにアトラ・ザルヴァが頷いた。竜の笑みを浮かべながら、まるで晩酌の誘いを受けたかのような調子である。
誰も、突っ込むべきなのか、真に受けるべきなのか――判断がつかなかった。
少なくとも、リリアにはその余裕はなかった。
エレナは、ふっと、わずかに口元を緩めた。
「……口だけならなんとでも」
「言う男に見えるか?」
食い気味に返され、エレナは目を見開いた。
黒と青の視線が、テーブル越しに交錯する。
互いの本気を探るように。試すように。そして、確かめるように。
それは数秒にも満たない時間だったが――長く、深く、濃かった。
やがて、どちらともなく、ふっと息を漏らして小さく笑った。
「ごめんなさい。場を悪くしちゃったわね」
エレナは、テーブルの端にいるライゼとアトラに向き直り、深く頭を下げる。
「お二人に対して、悪意はなかったんです。ただ、リリアのことが……心配で。気を悪くしてしまったのなら、謝ります」
ライゼは穏やかな微笑みを浮かべる。
「いいわよ。気にしてないから。……お姉さんなんでしょ?」
アトラも腕を組み、椅子にゆるりともたれかかっていた。
「うむ。同じ湯に浸かった仲じゃしの。気持ちはよう分かるて」
からからと喉を鳴らして笑う竜。
先ほどまでの緊張が、少しずつ、ほぐれていった。
そんな中で、リリアだけは、ぽつんと取り残されたように呆然としていた。
―――ロブさん、そんな覚悟で私を弟子にしたんですか?
師匠の言葉が、耳の奥で何度も反響していた。
自分が死ねば、同じように死ぬ。自分が焼かれれば、自らも燃える。
師匠の声は静かだったのに、心の奥を焼くように熱かった。
思っていたより――いや、想像の百倍は、覚悟がキマっていた。
彼の横顔を見つめるしかできない。いつも通り、落ち着いた瞳。表情にも声色にも、先ほどとなんら変化はなかった。
ロブは、そんなリリアに目もくれず、フォークを手に取り、肉に刺した。
「……俺の顔に穴でも開けるつもりか?料理が冷めないうちに食え」
「え。あ、はい!」
肩を跳ね上げ、慌ててナイフとフォークを握る。
だが、手が勝手に動いても、心はまだ現実に追いついていなかった。
じわじわと、あのやり取りが、後からじわじわと――爆弾みたいに効いてくる。
(ロブさん、平然とすごいこと言ってなかった!?)
リリアが死ねば、自分も死ぬ。
それをあの落ち着いたトーンで言い切る人間が、この世界にどれほどいるだろう。
本気だった。あの人は、あれを本気で言っていた。
自分が“消える”未来を止めるために全力を尽くす。それだけでも重すぎる役割を背負っているのに、弟子一人の命に、自分の命まで並べて――。
嬉しかった。けれど、同時に、怖かった。
あの人にとって、自分とは何なのか。
世界の運命とさえ、比肩しうる存在なのか?
(ロブさんにとっての、私って……)
気がつけばまた、ロブを見ていた。
その時だった。
「もしフィリアに何かあったら、私の矢の的になってもらおうかしら」
ひゅうっと空気が変わった。セレニアだった。ワインを傾ける手は優雅なまま、言葉だけが鋭く刺す。
「好きにすればいいさ」
ロブはそれに、あっさり返した。顔色一つ変えず、まるで天気の話でもするかのように。
「じゃあ急所を外して百本くらい打ち込んだあと、心臓を射抜こうかしら」
「ママ……食事中にそういうこと言わないで……。お肉が美味しくなくなっちゃう……」
フィリアがげんなりと眉をしかめ、フォークを置いた。
その一言が引き金となって、テーブルのあちこちでくすくすと笑いが広がる。
張り詰めていた空気が、ようやくほぐれはじめた。
「それにしても、ロブさんのお知り合いは凄い方ばかりなんですね」
ヒューゴが素直な笑顔を浮かべたまま、テーブルを見渡した。
「統括ギルドマスターだけでも凄いのに、エルフや魔王様や……ドラゴンまで………僕、一生のうちにドラゴンに会えるなんて思ってもいませんでした」
声にまったく邪気がない。さっきまで張り詰めていた空気すら、彼の一言でほわんと丸くなる。
「そうじゃの。儂も人に会うのは二百年ぶりじゃから超絶レアじゃの! 幸運に喜ぶがよいぞ!」
能天気な笑みで胸を張るアトラは、絶世の美女の皮を被ったまま、得意げにドヤっていた。
そしてそのまま、能天気な顔で――とんでもない爆弾を落とした。
「海老男も責任重大よな。リリア嬢に何かあれば、セイラン村とやらの運営にも支障を来すじゃろうし」
「え?」
ヒューゴがキョトン顔で首を傾げる。
それにアトラは、まるで悪意ゼロの小学生のように、にこにこと補足を入れた。
「お主も義理とはいえ、妹を失ったら仕事も手につかんじゃろうて?」
「「「「ぶふう!!!」」」」
リリア、セラフィナ、フィリア、そしてライゼまでもが――見事に吹き出した。
ライゼに至ってはワインを真正面から噴き、テーブルクロスを鮮やかな紅に染めていた。
「な、な、な、なななななななななななななななな……!?」
エレナがばっと立ち上がる。
顔が、ゆでダコかというほどに真っ赤だった。
アトラはと言えば、その様子を不思議そうに見つめ、首を傾げながら、
「七の次は八じゃぞ?」
全く的外れなことを言う。
そして事態を理解してしまったヒューゴは、対面のエレナの反応に何かを察し――これまた、顔を一気に朱に染めた。
「え、と、エレナさん……あ、あの、お、落ち着きましょう!……あの、あー、こ、こういう時、どうすれば……!?」
純朴な青年は、慌てふためくエレナをなだめつつもどう対応していいのか分からず、視線を泳がせまくっていた。
収拾がつかない、破裂寸前の空気の中。
ふと、ロブが静かに言った。
「…………余ってる個室、使うか?」
──しん。
一気に、リビングが凍りついた。
そして――我に返ったリリアが、黙って立ち上がり、師匠の後頭部に振りかぶっていた。
「バカじゃないですか!? このバカ師匠ぉぉぉおおお!!」
パァンッ!!という鈍い音が部屋に響き、ようやく場はいつもの“海老男の家”に戻った。
【リリアの妄想ノート】
タイトル:命をかける男と、バカな発言で叩かれる男の巻
お姉ちゃんの目が、本気だった。
「怖くないの?」って言われて、ちょっと泣きそうになった。
でも、ロブさんが言ったんです。
「リリアが死んだら、自分も死ぬ」
さらっと……本当にさらっと!!
え、何それ。重い! いや、嬉しいけど! でも重い!!
しかも、そのあとすぐ「料理が冷める」って!? いや気遣いの方向ちがっ……!
あの言葉、絶対冗談じゃなかった。胸に刺さったまま抜けないんです。
私、あの人の覚悟に見合う弟子になれてるかな……って。
って感動してたのに!!
なに!? 最後の「個室使うか」って!?
バッッッカじゃないですかこの師匠おぉぉぉぉぉおおおお!!!
感想とブクマ、お願いしますっ!!命も個室も守りたい弟子より!!




