第113話 30億リュークと、ドラゴンと、姉の問い
ロブの屋敷の食堂には、連日の宴会騒ぎから落ち着きを取り戻し、しかしいつもの食卓より少しだけ多い人数が集まっていた。
長い木製のテーブルに並んだ料理は、テルメリア牛のステーキ、じっくり煮込まれたポトフ、たっぷり野菜のサラダ、香草の利いたパスタ。
派手ではないが、調理したのがロブとリリアという時点で、味の保証は折り紙付きだった。
これがセラフィナだったら目も当てられない。
ロブが片手でワイングラスを持ち上げた。
「とりあえず、商談成立おめでとう」
気負わない軽口調で言ったそれに、ウィルが背筋を伸ばして優雅に応じた。
「光栄です、ロブさん。ここに立ち会えたことを誇りに思います」
ヒューゴも慌てて、隣でグラスを掲げた。
「あ、ありがとうございます!」
乾杯の音が控えめに重なり、それを皮切りに食事が始まる。
エレナは一口ステーキを頬張ると、すぐに目を見開いた。
「ん……これ、すごく美味しい……! え、ほんとにリリアが?」
隣でリリアがふふんと胸を張る。
「当然でしょ。ロブさんの味を毎日食べてたら、そりゃ腕も上がるってものよ!」
「………"ロブさんの味"」
「………意味深ですわね」
「あれ無自覚なの…………?」
フィリアとセラフィナがもはやいつもの調子でひそひそとと語り合う。
今日はそこにエレナも加わった。
その隣でライゼが片眉を吊り上げていたことには誰も気付かなかった。
ヒューゴも一口食べたステーキに、素直に感動を漏らす。
「テルメリア牛って、こんなに柔らかかったんだ……」
対してウィルは、黙々と、しかしナイフとフォークの動きだけは隙なく優雅に食べ進めていた。
そんな中──向かいに座っていたゼランが、肉を切るたびにナイフをカチャカチャ鳴らしていた。
「……なんだこれ、やわらけえ……。昨日も食ったが、ナイフいらねぇじゃねえか」
まるで焼きたての豆腐でも切っているような調子で、器用にステーキを切り分けていたが──。
「……失礼ながら」
ウィルが声を挟む。口調は冷静で、しかしぴたりと空気を締める。
「ナイフの音は控えてください。食器の扱いもまた、教養の一端と心得ますので」
ゼランが手を止め、あからさまに面倒そうに眉をひそめた。
「はぁ? うまい肉をどう食おうが勝手だろ。これ以上どうしろってんだよ?」
ウィルは一切眉ひとつ動かさず、フォークを持つ指先で静かに言った。
「“丁寧に食べる”という選択肢は、ご存じないようで」
「……ぐっ」
ゼランは肩をすくめて、ふてぶてしくぶつぶつと小声で文句を言いながら、音を立てぬように食べ直し始めた。
この二人は会うなりずっとこの調子だった。だからといって険悪な仲というわけでもなく、気の置けない友人同士といった印象だった。
アトラ・ザルヴァがそれを気にすることなく、盛大に口を開いた。
「むおおお! うまい! この柔らかさ、絶妙な火入れ! ポトフも染みとるし、サラダも野菜が活きとる! 完璧じゃ、完璧!」
その言葉にウィルがちらりと視線を送るが、さすがにドラゴンにはマナーの説教も通じないと判断したのか、何も言わずナイフを持ち替えた。
その隣で、ロブがグラスを口元に運びながら、隣のリリアにだけ聞こえる声でぽつりと呟いた。
「……ちょっと焼きすぎたかもな」
「え? ううん、そんなことないですよ! むしろ完璧! 今までで一番おいしいって言ってもいいくらい!」
リリアは真っ直ぐにそう返し、ロブの顔を覗き込むように笑みを向けた。
ロブも「そっか」とだけ呟いてグラスを傾けたが、どこか照れを隠しているようにも見えた。
そのやり取りを、テーブルの反対側からじっと見ていた者がいた。
もちろんライゼである。
グラスを持つ手を動かすことも忘れたように、黙ったまま二人の様子を見て──
(……なんか、距離近くなってない?)
その思いを表には出さず、ひとつだけ、グラスを揺らしてワインを口に含む。
ライゼはリルダン山脈の麓の村でロブとリリアの間に何があったか知らなかった。
隣ではエレナがにやにやと肘をつきながら、からかうような視線をライゼへ送っていた。
「ふぅん……そっちも、だいぶわかりやすいようで」
先ほどの仕返しとばかりにねっとりと囁く。
ライゼがピクリと肩を揺らすが、何も返さず、ただ静かに口へフォークを運んでいった。
そんな女同士のややきな臭いやり取りに気付かず、ロブがグラスを置いた。
「で、実際どうなんだ? 魔石の運用は」
ロブの問いに、ウィルは口元をナプキンで軽く拭い、優雅に背筋を伸ばすと答えた。
「今回の取引によって、セイラン村にもたらされる年間利益は──おおよそ三千万マグナになる見込みです」
「──さんぜん……」
リリアの手が止まり、フォークを落としそうになる。
「三千万マグナ……!? それって……リュークでいったら……」
「三十億よ、リリア」
隣のフィリアが、青ざめた顔で呟いた。
リュークはこの世界の基準通貨で、パン一斤が数セリル(=1リュークの百分の一)、村人の日当が100リュークほど。中級魔石でも1,000リュークが相場だ。
そして、マグナは1マグナ=100リュークの超高額通貨。王族や貴族の資産、国家予算などに用いられる桁違いの単位だ。
それが──三千万。
「三千万……リュークじゃないのね……マグナなのね……!?」
エレナが、椅子ごとわずかにのけぞりながら叫ぶ。
「それはもう、王国の年度予算じゃありませんの!」
セラフィナのその声に、カイとフィリアもぽかんと口を開けたまま固まっていた。
一方で、ヒューゴは
「僕も初めに聞いた時は心臓が止まるかと思ったよ」
と苦笑している。
関係者の一人として当然ながら、彼はすでに知っていた。
ウィルは静かに頷く。
「もちろん、これは税引き前の見込みですので、経費諸々を差し引くと実利はもう少し減りますが……いずれにせよ、この規模の村としては前代未聞の数字です」
リリアはようやく落ち着きを取り戻しロブの顔を伺うように聞く。
「……ロブさんは、わかってたんですか?セイラン村の魔石がそんなに高く売れること」
視線が向いた先では、ロブがナイフでパスタをくるくる巻きながら、まるで他人事のように答える。
「ん? まあ、そんなもんだろ。あの鉱脈の量と質を考えれば、もっと出てもおかしくない」
さらりと言い切ったその横顔に、一同は揃って絶句していた。
「……俺も魔石を見せてもらったがな」
ゼランが眉間に皺を寄せ、ナイフを握る手を止めた。
「あの質のものが安定して取れるなら、その額も納得はできる。……だが、近年稀に見る大規模市場だぞ。他の商会やなにより魔導公会が黙っていないだろう」
額にはうっすらと汗が浮いていた。
「もちろん、情報の管理と警備は厳重に行います。これでも長期的なスパンで採掘利益をコントロールしているんです」
ウィルは眼鏡の位置を直しながらサラリと言う。
ライゼはワイングラスを揺らしながら、ぽつりと呟いた。
「……魔族領でも、出ないかしら。魔石鉱山。あったら、戦力も資源も一気に跳ね上がるわ」
「ほほう。人間はまだ魔石なんぞに頼っておるのか」
アトラが骨付き肉にかぶりついたまま、気怠げに言った。
「まあ、仕方ないのう。のしのし歩いてるうちは、それが限界じゃろて」
その飄々とした様子を見つめながら、ヒューゴがそっとウィルの隣から身を乗り出す。
「あの、失礼ですが……お二人は?」
そして、少し遅れて自己紹介するように頭を下げた。
「申し遅れました。セイラン村で魔石の管理をしているヒューゴと申します」
ライゼはにっこりと微笑んで答える。
「バルハルトのギルドマスター兼、北の魔王──ライゼよ」
「っ……!」
一拍遅れて、ヒューゴの背筋が硬直する。
続けて、アトラが口の端にソースをつけたまま両手を挙げる。
「儂は最古の龍、ぷりちーアトラ・ザルヴァちゃんじゃ!よろしくの!」
その見た目は、長い黒髪に金と翠の混じる瞳を持った絶世の美女。
どう見ても“ぷりちー”という単語にふさわしくない迫力を携えている。
口元のソースがなければ。
「……ドラゴン? まさかぁ……」
ヒューゴが半信半疑の顔で苦笑すると、
「ほれ」
アトラはふっと笑い、右の腰元で音もなく──尻尾だけを出現させてみせた。
漆黒の鱗に覆われた尾が、ゆらりと空中を泳いだ。
「っ──マジか……!」
ヒューゴが椅子ごと後ろにのけぞりそうになった。
「……いいんですか? そんな簡単に正体ばらして」
フィリアが慎重な口調で尋ねる。肩越しに、まだひらひら揺れる尻尾をちらりと見やりながら。
それにロブは、何でもないことのように肩をすくめた。
「いいんだよ。どうせコイツはすぐにボロを出す。だったら最初から自分で言いふらしてた方が早い。信じるやつと信じないやつで勝手にふるいにかけられるからな」
ワイングラスをくるりと回しながら続ける。
「それに、バレたところでアトラをどうこうできる奴なんて、そういないしな」
「でも……」
カイが眉を寄せる。
「“コマンド・ワード”を使える奴が近づいてきたら……」
アトラはカイの言葉を遮るように、くいっと身を起こした。
「そこよ」
笑顔のまま、瞳が鋭く光る。
顔の高さに茹だったポトフの乗ったスプーンを待ってくる。
「儂はそうやって近づいてきたやつを狩るためにおるんじゃ。そやつらはロブとの因縁もあるし、都合がいいのじゃよ」
湯気の向こう、ドラゴンの本性がちらりと顔を覗かせたような気がした。
そしてスプーンを口にゆっくりと運び、咀嚼する。
それがまるで掛かった獲物を貪っているかのように見えた。
場の空気がぴんと張り詰めるなか、エレナが静かに声を発した。
「……ドラゴンに、魔王……」
ぽつりと呟いたあと、リリアの方を振り返る。
「ねえ、リリア。あなた……本当に危険な目にあったりしてない? 怖い思いをしてるんじゃ………」
その言葉は、剣より鋭く、絹よりやさしい。姉としての心からの問いだった。
【リリアの妄想ノート】
タイトル:え? 距離が近い? 三十億リュークもあるのに?の巻
うん?
どうしたんですか? セラフィナさん、フィリアさん……あれ、お姉ちゃんまで?
え、「リリア、ロブさんと最近距離近くない?」って……。
……え、どこが?
こんなものでしょ?(真顔)
だって一緒に料理して、味見してもらって、「ちょっと焼きすぎたかもな」とか言われて、「全然!完璧です!」って笑い返して……
ふつうふつう。いつものこと。弟子だし。うん。
……って思ってたけど、なにこの空気!?
なにこの視線!?
なにこの、お姉ちゃんの“ふぅん……”て顔!?
ていうか、それより大問題があったでしょ!?
三千万マグナ!?
三十億リューク!?
王国の国家予算級!?!?
村が丸ごと金貨の風呂に沈むレベルなんですけど!?
でもロブさんは「まあ、そんなもんだろ」って……どういう金銭感覚!?
ロブさんの奥さんになる人大変だなあ…………………なんですか?その目。
と、とにかく! 今日のご飯もおいしかったです!
感想とブクマ、お願いしますっ!!(貯金残高34リュークより)




