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第112話 温泉と恋心とラスボス級ボディの件

「──戻ったか」


 ロブの低く抑えた声が、夕焼けに染まる家の前に響いた。


 リリアはエレナに抱きついたまま、顔だけをロブの方に向ける。だが、その視線の焦点は、ロブではなかった。


 そこに立つ長身の男――。黒のスーツに身を包み、漆黒の髪をきちんと後ろで束ねたその姿は、どこかこの村の空気から乖離して見えた。

 彫りの深い顔立ちに、冷めた光を湛えた瞳。無表情ではあるが、その全身からは研ぎ澄まされた「作法」が滲んでいる。


「ロブさん……その人は?」


 リリアの問いに、ロブは片眉を上げて答えた。


「前にも言ったろ。ディアル商会のウィルだ」


 その名が呼ばれると、黒衣の男は一歩前へ出た。


 その所作は無音。足さばきすら優雅に、まるで舞台の幕間に差し込む俳優のようだった。


 彼はリリアの前で一礼する。

 その角度は寸分の狂いもなく、無駄なく、美しい――にもかかわらず、顔からは微笑ひとつ浮かばなかった。


「お初にお目にかかります、リリア様。ディアル商会より参りました、ウィルと申します」


 響きに抑揚はない。だが、不思議と冷たさはなかった。むしろ言葉の端々に、確かな敬意が編み込まれているようにすら感じられる。


 リリアは無意識に背筋を伸ばした。何かを試されているような、けれど礼を欠いてはいけないような、そんな静かな緊張が走る。


(この人……ただ者じゃない)


 リリアはエレナから離れ、ペコリと一礼する。


「リリア・エルメアです。はじめまして」


 精一杯の礼を尽くし、頭を上げると、ウィルと目が合った。

 ウィルは黒い瞳を細めた。

 突然浮かんだ微笑にリリアはどきりとする。

 根は良い人そうだと直感した。


 そして、視線はエレナとヒューゴに向いた。


「でも、どうしてお姉ちゃんとヒューゴさんが?」


 リリアが問うと、隣にいたヒューゴが一歩前に出た。相変わらず地味な服装だが、その眼差しは以前よりしっかりと前を見据えていた。


「ディアル商会との取引窓口は、僕がやることになってね。正式に商談が成立したから、ロブさんに報告に来たんだ」


「別にいいのに。俺はお前らを引き合わせただけだぞ」


 ロブが肩をすくめる。


 だが、それを否定するようにウィルが言葉を挟んだ。


「いえ。この案件は、両者にとって莫大な利益を生みます。それを繋いでくださったロブさんには、すべて包み隠さず報告するべきだと考えました」


「……相変わらず律儀だな、お前は」


 ロブが苦笑をこぼす。心底呆れているようで、どこか信頼の滲む声音だった。


「それで、お姉ちゃんは?」


 リリアの言葉に、エレナがふふっと笑った。少しだけ旅の埃をまとったような軽装に、いつもの落ち着いた声が乗る。


「リリアがしっかりやってるか、見に来たのよ。……ちょうどヒューゴがロブさんの村に行くって言うから、ついて来ただけ」


「そっか!」 


 納得した様子で破顔するリリア。


 しかし、セラフィナとフィリアはエレナとヒューゴを交互に見て、何かしら察した様子を見せた。


「──立ち話もなんだ。汗を流して、ゆっくり飯でも食いながら話そう。温泉もあるぞ」


「温泉!?」


「行きたい!」


 エレナとリリアが同時に声を上げた。


 言葉より先に目が輝いていた。

 疲れた身体が即座に反応しているのは、日々の鍛錬の証か──それとも、単純な温泉欲か。


 その様子を見て、ヒューゴが苦笑し、ロブが口の端を僅かに上げる。


 そしてウィルだけは……変わらぬ無表情のまま、黙って彼らの背を追っていった。




 村の共同浴場。温泉の湯けむりが、ぽこぽこと音を立てながら立ちのぼる。


「ほわぁ〜〜〜……とろけるのぉ……」


 アトラ・ザルヴァが湯船の中で両手を広げて、ぐでぇっと体を沈める。銀黒の髪がふわりと湯面に浮かび、金と翠の瞳が蕩けきっていた。


「若い者をしばき倒した後の温泉は格別じゃ……」


「そんなパワハラ教師みたいな言い方しないでくださいよ……」


 フィリアが、隣で溜息まじりに返す。


 その少し向こうでは、リリアが不思議そうに眉をひそめた。


「でもアトラ様、ずっと人間の姿ですけど……ドラゴンに戻らないんですか? 元の姿の方が、リラックスできるんじゃ……」


「ん〜〜? 儂の本来の姿、百メートル以上あるぞ? 戻ったらこの温泉、潰れるわい」


「そ、そんなに大きいんですか!?」


 思わず立ち上がりかけたリリアに、セラフィナが軽く微笑みながら補足する。


「アウロラグナ様の倍以上ですわよ?」


「ば、倍!?」


「アウロはドラゴン最速の飛行スピードを誇る蒼翼竜サンダイル。スピードを重視するためにドラゴン種では最小クラスの設計になっておるからの」


 アトラはさらっと言う。


「ドラゴンのスケール……すごい……」


「はっはっは! ドラゴンは人類の夢と英知の結晶じゃからな! 姿も力も機能も、完璧にして無駄なし!」


 アトラが誇らしげに胸を張る。その動作に合わせて、ふわりと、豊かな胸元が湯の中で浮かび上がった。


 リリアはその光景に、ごくりと喉を鳴らした。


(で、でか……)


 しかも、アトラだけじゃない。ちらりと横を見る。


 セラフィナもフィリアも、それぞれに整ったスタイルを持っている。フィリアに至ってはスレンダーだが、控えめに自己主張する膨らみが湯の波に揺れていた。


 セレニアはこの中では最年長――見た目の話だが。風格すら漂うその姿には、無駄な贅肉ひとつないのに、必要なところは必要以上にある。湯に揺れるその曲線美はまさに大人の余裕。


 そしてライゼはというと――。


(アトラ様並にあるじゃねぇか!!)


 思わず目を見張ったリリアは、ひとりごとを飲み込んだ。


(くっそ! みんなして……! みんなして私を見下しやがってぇぇぇ!)


 内心で絶叫する。理不尽な敵意が胸の奥から溢れてくる。


 そんなリリアの心を見透かしたように、湯けむりの向こうから、誰かが静かに入ってきた。


 ふと全員がそちらを見る。


「…………」


「…………」


 誰もが、言葉を失った。


 ゆっくりと湯に浸かってきたエレナ――その胸元が、ドンッと目に飛び込んできたのだ。


 それは、もはや反則。


 丸く、大きく、柔らかそうで、どこか神々しい。


 セレニアでさえ目を見張り、ライゼも一瞬ぽかんと口を開ける。


 アトラでさえ、「……おおう」と視線が釘付けになっていた。


 リリアは震えた。


(ら……ラスボスが身内にいた……!)


 そんな、羨望と驚嘆の視線に囲まれているとも知らず。


「ふう……温泉って初めてだけど、気持ちいいわねぇ」


 エレナは湯船のふちに寄りかかり、気持ちよさげに小さく伸びた。

 長い髪が肩から湯に溶け落ち、湯面に揺れるその双丘は──見事というほかなかった。


「リリア、あなた毎日入ってるの? 羨ましいわ」


「えっ、あ、ああ……そうでしょ」


 リリアは一瞬目を泳がせ、それから胸を張る。


「温泉入り放題だし、ご飯もおいしいし、修行はキツイけど毎日充実してるよ!」


 さっきまで実姉の胸を凝視していたとは思えない誇らしげな口調である。

 ──その胸元は、慎ましやかだが。


「村の方は大丈夫なの? あれから盗賊に襲われたりしてない?」


「ええ。冒険者ギルドの冒険者さんたちが護衛してくれてるし、今はディアル商会の私兵団の方も警備に来てくださってるの。とっても平和よ」


「そっか、よかった……」


 リリアが胸を撫でおろす横で、セラフィナがすっと背筋を伸ばした。


「……あの、つかぬことをお伺いしますが……ここまでは、ウィル様とヒューゴ様と一緒に?」


「ええ。馬車はふたつ用意してくれてね。一台にウィルさん、もう一台に私とヒューゴが乗ったの。私兵団の人たちも一緒だったし、警護は万全よ」


「…………同じ馬車に、男と女が」


 ぽつりと呟いたのはフィリアだった。


「……しかも、何日も」


 セラフィナが鋭く畳みかける。


「…………」


 エレナの肩が、ぴくりと跳ねた。


「え? でも私、ロブさんとゼランさんと一緒の馬車で何日も旅したよ?」


 リリアは悪意ゼロのきょとん顔である。


「それは弟子と師匠の関係でしょう。ゼランも立場があるし、変なことはしないわ」


 セレニアが静かに断言する。

 ライゼは「なるほど」と頷いた。


「おお、そうか!」


 アトラがぽんっと手を打つ。


「交尾したのじゃな!」


「「「ぶふぉっっっ!!」」」


 湯気の中に、派手な吹き出し音が炸裂した。


「えぇっ!? お姉ちゃん、ヒューゴさんといつの間にそんな関係に!?」


「ち、違うわよ!? 何もないって! ま、まだっ!」


「「まだ……?」」


 セラフィナとフィリアの声が、ほぼハモった。


「あっ、いや……そういう意味じゃなくて! ほんとに、ほんとに、そういう仲じゃなくてぇ……!」


 慌てふためくエレナは顔まで真っ赤になり、最後にはぶくぶくと音を立てながら湯の中に顔半分まで沈んでいった。


「……お姉ちゃんって、こういうとき分かりやすいなぁ」


 ぽつりと呟いたリリアの言葉が、湯けむりの中にふわっと溶けた。


「でも、本当に──いつの間に?」


 ぽかんと湯けむりの中で首を傾げたのはリリアだった。


「私が村にいた時は、そんな雰囲気なかったのに……」


 彼女の問いに、エレナは湯縁に腕を置きながら、小さく息をついた。


「あなたがいなくなってから、私が魔石の選定作業を手伝ってたのよ。……でも私、リリアみたいに記憶力も良くないし、魔力の感覚もさっぱりで……足を引っ張っちゃって……」


 恥ずかしげに目を伏せるエレナ。


「ヒューゴが“ゆっくりでいいですよ”って……優しく気を遣ってくれたの。……それで、なんとなくずっと一緒にいるうちに……なんか、いいなって思うようになって」


 ぽつりと、湯に溶けるように声を落とす。


「……私の片想いだけどね」


「え?」


 思わずリリアが間の抜けた声を上げる。ぱちくりと瞬きを繰り返した。


 ヒューゴがエレナに片想い──それは昔からの周知の事実のはずだ。


 なのに、まさか、まさか。


(き、気付いてない!?)


 リリアの内心にサイレンが鳴り響く。


(ヒューゴさん、押せばいけます!)


 心の中で、謎のゴングが鳴り響いていた。


    


 一方その頃、男湯。


「……ああ。長旅で疲れた体が癒やされるなぁ……」


 ヒューゴが湯の縁にもたれて、至福の表情を浮かべていた。


「一日の鍛錬の疲れが吹っ飛ぶ……」


 エドガーは深く湯に沈みながら、うっとりと目を閉じている。


「──久しぶりだな。ウィル」


 ゼランがちらりと隣に目を向ける。


「同じ王都に住んでるってのに、まさかこんなとこで鉢合わせるとはな」


「私はできればあなたとは一生会いたくありませんでしたが」


 即答である。


「相変わらず辛辣だな、お前は……」


 ゼランが苦笑しながらタオルで額を拭った。


「……あの、ヒューゴさんって、リリアのお姉さんと……同じ馬車で何日も?」


 遠慮がちにカイが問いかける。


「うん。馬車の中、意外と快適だったよ」


 ヒューゴはさらりと頷いた。


「……ってことは、やっぱ、そういう……関係で?」


 エドガーの声が少しうわずった。


「……ああ。まあ、そう思うよね」


 湯に肩まで沈んだヒューゴが、天井を見ながらふっと微笑んだ。


「──男として見られてないだけだよ」


 その口調はあまりにあっけらかんとしていて、もはや煩悩も湯に溶けて消え去ったのかと思うほどだった。


「……そ、それでいいんですか」


 カイが言葉を選ぶように眉をひそめるが、ヒューゴは力なく肩をすくめる。


「うん……慣れた。ていうか、慣れるしかないよね」


 爽やかである。どこまでも。


 ──しかしその実、恋の当事者であるこの男も、脳天気なクソボケであった。


 







【リリアの妄想ノート】


『ラスボスは姉だった……ッ!!の巻』


湯けむりの向こうから……奴が現れた……。

いや、身内なの。血の繋がった姉なの。知ってる。でもアレは……反則でしょ!?

お姉ちゃんのドンッ!な胸元を見た瞬間、私の中の何かが砕け散った。アトラ様でさえ目を奪われるレベルって、なにそれ!?


しかも、ヒューゴさんと「まだ」何もないって……その“まだ”は何!?

あの空気感、まさか本当に付き合っちゃう可能性あるの!?

くっそぉぉ……! 私だって修行頑張ってるのに……! 温泉も毎日入ってるのに……! 胸は鍛えても大きくならないって、誰の陰謀!?


はぁ……もう、悔しくて悔しくて、湯けむりの中で溶けそうです……。


感想とブクマ、お願いしますっ!!(泣)



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