第111話 その未来に、私はいない
「──穿て、聖煌連星弓!」
セレニアの言葉と同時に、光が唸った。
矢は天に放たれ、宙に浮かんだ瞬間、複数の輝点へと分裂する。
まるで星々が落ちてくるような流星の雨が、訓練場の巨岩を次々に貫通した。
ズガガガガッ──ドンッ!
響き渡る爆音。土煙。散った破片が周囲にぱらぱらと降り注ぐ。
「やっぱ……すげぇな、あれ」
エドガーが口をぽかんと開けたまま呟く。
「二度目でも、圧倒されますわね……」
セラフィナも目を見張る。けれどその声はどこか冷静で、むしろ分析的だった。
セレニアは弓を納めると、弟子たちの視線を正面から受けながら、穏やかに言った。
「今のような技を、私たちは閃気術と呼んでいるわ」
「閃気術……?」
リリアが首を傾げる。
セレニアは頷く。
「魔法と闘気、双方を“直感”で組み上げる技術体系よ。詠唱の代わりにイメージを使い、気と魔力の流れを重ねて技を創り出す。……だから“戦士”の発想で魔法を扱える。剣士や格闘家にとっては、とても相性がいいの」
彼女の言葉に、セラフィナが静かに首を横に振った。
「……つまり、わたくしには不向きですわね。魔法はともかく、闘気はからっきしですから」
「俺もだなあ……闘気だけなら自信あるんだけどな」
エドガーが苦笑まじりに頭をかく。
けれどその横で、リリアがぐっと拳を握った。
「わたし……がんばって使えるようになります!」
きらきらとした瞳に、真っ直ぐな決意が宿っている。
「俺も! カッコいいし! ああいう技、一つは使えるようになりたい!」
カイも目を輝かせ、負けじと拳を握った。
その様子を見て、セレニアが少しだけ微笑む。
「その気持ちが大切なの。閃気術は“できると思った者”から使えるようになる。理屈じゃなく、体と魔力と気の流れを重ねて、感覚で捉えるものだから」
教え手の柔らかい眼差しが、弟子たち一人一人を見つめる。
だが、その輪の中で──ただ一人。
フィリアだけが、静かに目を伏せていた。
(……私だけ、いない未来。死ぬかもしれない。リリアたちも……)
昨夜聞いてしまった、研究室の扉越しの会話。
その言葉が、胸の奥で重く沈んだままだった。
どれだけ魔法や技術を磨いても、未来が変わるとは限らない。
もしかしたら、何をしても──。
(……意味なんて、あるの?)
風が、粉塵を払いながら、静かに荒野を撫でていった。
その時、ふとフィリアの横顔を視界に収めたカイが、小さく首を傾げた。
何か引っかかったように、視線だけがしばらく彼女にとどまっていた。
午前の稽古を終え、転移魔法で村へと戻ったフィリアは、そのままロブの屋敷の庭へ足を運んでいた。
木陰に腰を下ろし、両膝を抱えて静かに遠くを見つめている。
何を見るでもなく、何を考えるでもなく——けれど、その目はどこか遠くへ焦点を合わせていた。
そこへ、足音がひとつ。
「……こんなとこにいたんだ」
木漏れ日の向こうから、カイがひょっこりと現れた。
手にはいつもの水筒。何気ない風を装っているが、その目は確かに、フィリアの顔色を窺っていた。
「…………何かあった?」
「別に。何もないわよ」
フィリアは視線を外したまま、短く返す。
口調は平静を装っていたが、その声は少しだけ、乾いていた。
「なんとなく……元気なさそうだったからさ」
カイは彼女の隣に腰を下ろす。
距離は半歩分、詰めすぎず、離れすぎず。
そして、真っ直ぐな目で、そっと問いかけた。
「もし悩みがあるなら、聞くよ?」
「……ロブの真似のつもり?」
フィリアが少しだけ目を細め、茶化すように言う。
「いや、そういうんじゃなくて」
カイは苦笑する。
「解決できるとか、気の利いたことが言えるとか、そういうのは……正直、自信ない。でも、仲間が悩んでるなら、せめて話くらいは聞きたいなって思っただけ」
それは、あまりに不器用で、しかし誠実な申し出だった。
フィリアは、木漏れ日の揺れる空を仰いだまま、そっと目を伏せた。
──私は……未来で、自分がどうなるかを、知ってしまった。
あの夜、あの扉の向こうで耳にした、母とロブの会話。
その断片が、今も胸の奥で鈍く疼いていた。
死ぬかもしれない。
仲間たちも──リリアも、エドガーも、カイさえも──過去で命を落とすかもしれない。
もし今、この思いをカイに打ち明ければ、彼も知ってしまうだろう。
未来を、運命を──本来の時間の流れすら、変えてしまうかもしれない。
ロブはそれを承知で、未来を変えると言った。
自分の運命は干渉させず、弟子たちの運命をねじ曲げてみせると。
その覚悟と力を、彼は持っている。
ならば、私はどうするべきなのか。
カイに話すべきなのか。
彼に重荷を背負わせ、それでも共に戦うことを選ばせるべきなのか。
──いや。
フィリアは、小さく首を横に振った。
「……ありがとう、カイ」
ふっと、寂しげに笑ってみせる。
その笑顔は、彼のためのものだった。
「でもこれは、私の問題。
誰かに話して楽になるようなことじゃないの。……だから、言いたくないの」
それは優しさではなく、覚悟だった。
言葉にしてしまえば、たぶん彼は、もう止まれなくなる。
だから今は──まだ、誰にも話さない。
「……そっか」
カイはほんの一瞬、寂しそうに笑った。
そのままそっと背を向けると、木漏れ日の差す小道を歩き出す。
「邪魔、しちゃったね」
ぽつりと落とされたその声は、妙に軽く、けれど確かに本気だった。
その背中を、フィリアは目で追う。
(……私に、あんなふうに言ってくる子、初めてだな)
静かに、胸の奥で呟くように思った。
誰かが寄り添おうとしてくれることが、こんなにも心に残るなんて。
「──ねえ」
思わず声が出ていた。
足を止めたカイが振り返る。風が少しだけ吹いて、木々がざわめいた。
「あなたの……前世の話、教えてよ」
「前世?」
カイが目を丸くする。
「そんな面白い話じゃないけど。俺、ぼっちの陰キャだったし……」
「いいの。なんでも」
フィリアは、言葉を重ねる。
「あなたのいた時代のこと……どんな世界だったのかとか。今とは全然、違うんでしょう?」
カイは頬をかきながら、小さく苦笑した。
「……そうだな。違うよ。こっちの世界と比べたら、いろんなものがあって、便利すぎるくらいだった」
彼はポケットに手を突っ込み、もうそこにはないはずのものを探るような仕草をする。
「たとえば“スマホ”っていう道具があってさ。掌に収まる板なんだけど、それひとつでなんでもできたんだ。連絡も、調べものも、地図も、写真も、音楽も……全部」
「……魔道具みたい」
「うん。使いこなせれば、世界のどこにいても繋がってる感覚があった。でも……」
カイは空を見上げ、ぽつりと続けた。
「繋がってるようで、誰とも繋がってなかったのかもしれないな。画面の向こうに誰かがいたはずなのに……どこか、ずっと独りぼっちだった気がする」
その言葉に、フィリアは静かに目を細めた。
「……それでも、誰かと繋がりたいと思ってたんだね」
そして、カイは今も繋がりを求めている。
無機質な機械越しのやり取りではなく、眼と眼、言葉と言葉を間近に感じるこの時を大事にしたいのだ。
「…………繋がってるよ」
「え?」
フィリアの紫の瞳が、カイの水色の瞳をまっすぐに見つめる。
カイはきょとんとした表情を浮かべた。
「今の私とカイ。ちゃんと繋がってる」
その言葉に、カイの顔がうっすらと赤くなったことに彼女は気付かなかった。
フィリアは一つ、肩を回してぐいっと伸びをする。
からりとした日差しの下で、その長い髪がさらりと揺れた。
「ありがと。ちょっと元気出た」
言葉の響きは軽かったが、その声音は凛としていた。
「……今ので?」
カイが目をしばたたかせる。
「うん。悩む暇があるなら、少しでも強くなれって思えたから」
そう言って、フィリアはさらりと微笑んだ。
さっきまで木陰に沈んでいた面影は、もうそこにはなかった。
「……そうなの? よくわかんないけど、よかったよ」
カイは頭をかきながら、曖昧な笑みを返した。
それでも、どこか安心したような、そんな笑みだった。
「行こう。午後の稽古が始まるよ」
二人は歩き出す。
訓練場へ向かって、地面に落ちる二人の影は僅かにずれている。
ふと、フィリアが空を仰いだ。
西の空には、金と朱の混じった残光が溶けかかっていた。
「三千年前って……なんだか楽しそうね」
ぽつりと、風に乗せるように。
隣を歩いていたカイが、少しだけ笑う気配を見せる。
「そうだね……楽しいって言えば、色んなものがあったな。見せてあげたいな」
「ロブが時間遡行魔法を完成させれば、行けるかもしれないわよ」
フィリアは歩きながら、目を細める。
「そしたら一緒に行こう。案内してね」
「………観光気分か。それ、ロブ師匠が聞いたら泣くよ」
くすっと、カイが笑う。
フィリアもつられて、肩をすくめる。
「でも、行けたら──行きたいわ。絶対に」
言った自分の声が、思っていたよりも強く響いていた。
そのことに、少しだけ驚きながらも──彼女ははっきりと自覚していた。
(私は、生きたいんだ。みんなと。未来へ──ちゃんと)
「いいよ。行けたら俺が……楽しいところに、たくさん連れてってあげる」
その言葉に返事はしなかった。けれど、心の奥で何かがあたたかく膨らんでいく。
風が、銀の髪を揺らした。
昼下がりの陽の余韻を浴びながら、フィリアは前を向いて歩いた。
その歩幅に、いつしかカイの影が自然とフィリアに寄り添っていた。
そして、夕刻。
訓練場で心も体も根こそぎ絞られたリリアたちは、満身創痍でロブの家へと戻ってきた。夕焼けの色が村の屋根を照らし、ほんの少しだけ、痛む筋肉を和らげるような柔らかな風が吹く。
「うう………今日も体がバッキバキ」
「あ、歩くのもしんどすぎますわ……」
両肩を揉みほぐしながら歩くリリア、その隣で杖にもたれ掛かりながらのろのろ足を運ぶセラフィナ。
半ば魂の抜けた顔で歩く一行の前で、リリアがふと立ち止まった。
ロブの家の前。木製の門の手前に、三つの人影が並んでいた。
その中の一人を見て、リリアの目が大きく見開かれる。
「……お姉ちゃん!?」
小走りに駆け寄るリリアの前で、エレナが軽く手を振った。旅装のコートにブーツ姿という軽装で、以前より少しだけ大人びた雰囲気をまとっている。
その隣には、セイラン村の青年──ヒューゴ。素朴なシャツに草色のベストという相変わらずの地味な服装だが、表情はどこか引き締まっていた。彼もまた、久しぶりの再会に緊張しているのが見て取れる。
そしてもう一人。二人の後ろに静かに立っていたのは、誰とも知らぬ見知らぬ男だった。
無言。無表情。整った顔立ちだが、喜怒哀楽の一切が剥ぎ取られたような印象だけが残る。掛けた眼鏡が余計にその冷徹な印象を強くしていた。
「……あの人、誰?」
フィリアが小声で問うと、エドガーが頭をかしげる。
「さあ……少なくとも、俺の知り合いじゃないな」
カイも目を細めてその男を見つめる。
「村の人でもないし……なんか、ただ者じゃなさそうだぞ」
夕焼けのなか、沈黙を湛える三人の姿が、妙に現実味を帯びて迫ってくる。
空気が、すっと冷えた気がした。




