第110話 焚き火と秘密と、テルメリア牛
夕刻。村の広場——否、ロブの屋敷の裏庭は、再び賑やかな宴の舞台となっていた。
炭火の上では肉がじゅうじゅうと音を立て、香ばしい煙が空へと立ち昇る。
「はーい、こっちの肉焼けたよー!」
シンシアの快活な声が飛ぶ。手際よくトングを操るその姿は、もはや熟練の屋台職人そのものだった。
村人たちは皿を手に行列を作り、肉に、野菜に、酒にと舌鼓を打つ。昼の修行の疲れなど、肉の旨さと酒の勢いで帳消しだ。
「タンパク質美味ぇ!」
エドガーが骨付き肉にかぶりつきながら、全身で幸福をかみしめていた。
「マジで体が肉を欲してるのが分かるな……今日も体バキバキだし」
隣でカイがうめくように言い、肩を回してはしゃぶった骨を山盛りの皿に放り込んでいく。
「久しぶりにテルメリア牛を食ったな。やっぱこいつが一番だ」
ゼランが歯に肉を挟みながら、満足げにうなると、その言葉に過敏に反応した者がいた。
「テルメリア牛……! そうですわ、なぜ気がつかなかったのでしょう! この村が、あの有名ブランド牛の産地だったなんて!」
「そんなにいいお肉なんですか?」
田舎育ちのリリアが自分の皿の肉を眺めながら首を傾げる。
セラフィナが立ち上がりそうな勢いで叫ぶ。優雅に指を振りながら、まくしたてた。
「テルメリア牛は、毎年の品評会で金賞を受賞する最高級品ですわ! 柔らかくて、ジューシーで、口の中でとろける……至福の極みっ! それがまさか、北辺の小さな村の特産品だったとは……セラフィナ、一生の不覚ですわ!」
「そ、そこまで……?」
若干引き気味に言いながらも、リリアも皿に盛られた肉をぱくりと口に運ぶ。
「なにこれ! とろける! 美味しいっ!」
思わず身をよじらせるほどの感動が、リリアの表情に溢れ出る。
その横では、アトラ・ザルヴァがもぐもぐと咀嚼しながら、感想を漏らす。
「なんじゃこれは……! ディープ・デスワームの尻尾の肉より美味じゃぞ……!」
その発言に、ライゼがフォークを持ったまま固まった。
「……あれ、食べるんですか!?」
信じられないというより、想像したくなかったという顔だ。
「喰えるぞ? 内臓を抜いて毒腺を焼いて干して三日三晩塩に漬ければ、いける」
「加工に手間かかりすぎですわ!」
横からセラフィナが鋭くツッコむと、アトラは唇の端を吊り上げるように笑った。
夕焼けに照らされた広場には、肉と酒と笑い声が満ちていた。
訓練の痛みと疲れは、今このひとときだけ、遠い世界のことのようだった。
肉が焼ける香ばしい匂いが漂う中、セレニアとフィリアが並んで串をかじる。
ごく薄い塩で焼いただけの牛肉だが、脂がじゅわりと染み出し、歯を入れると、ほろりと繊維が崩れる。
「ほんと、美味しいわね」
セレニアが感心したように目を細める。
「余計な香辛料を使ってないのに、甘みがあるし……」
「口の中で、ほろほろ溶ける〜」
フィリアまでうっとりと頬を緩めた。
その様子を、カイが無言で見つめていた。
「……どうしたの?」
串を咥えながらフィリアが首を傾げる。
「いや、エルフって……肉、食べるんだなって」
「……今さら?」
「いやほら、俺のイメージではエルフって菜食主義というか……“森の守護者”とか言われてるし」
「森にも動物はいるわよ? 狩りもするし」
当然でしょ、といった調子でフィリアが返す。
「……そうか。俺、固定観念あったんだな」
カイは少し苦笑しながらつぶやいた。
「前世の話?」
「うん。俺のいた時代じゃ、エルフも魔法もファンタジーの中の存在だったから。完全にイメージで凝り固まってた」
「ふうん。いいんじゃない? 私だってエルフの里からあまり出たことなかったし、リリアもセラフィナもエドガーも、知らないこといっぱいあるわよ。これから皆でいろんな場所に行けばいいの」
そう言って、フィリアは焚き火の向こうで静かに微笑んだ。
その笑顔を、カイはぽかんと見上げる。
「……なによ、その顔」
「いや……最初に会ったときと、だいぶ印象が違うなって」
「どういう意味よ」
フィリアが目を釣り上げる。
だが、横で串を持っていたセレニアが、しみじみとした声を漏らした。
「あのフィリアが“皆で”とか言うなんて……。さっきの訓練でも“パーティー戦なら負けない!”なんて言ってたし……本当に成長したわねぇ……」
目を潤ませる母に、フィリアは慌てて振り返った。
「ちょ、ちょっとやめてよママ! 私はもともとこうだから!」
その言葉に、リリア、セラフィナ、エドガー、カイが一斉に首を傾げる。
『そうだったか?』という顔で。
そこへ、ロブが手に串を持ちながら現れた。困ったような、それでいて優しい笑みを浮かべる。
「……フィリアは、もともと他人に必要以上に気を遣う子なんだ。距離感とか、な。よく周りを見てるからサポートも上手い。今まではそういう助け合える相手がいなかっただけなんだと思うよ」
ぽつりと、だが核心を突くその言葉に、場がほんのりと温かくなる。
「……お師匠様って、こういうことさらっと言いますよね」
「こんなんだから“天然ジゴロ”って言われるんですよ」
リリアとセラフィナが、若干冷めた目でひそひそ話し合っていた。
そんな仲間たちのやりとりをよそに、フィリアはそっと顔を伏せ、目元に赤みを浮かべていた。
頬をふくらませ、ぷいとそっぽを向く。
「……なによ。わかった風なこと言って……」
吐き捨てるように言ったあと、ぽつりと続けた。
「……確かに私は、里で一番若かったし、友達も──いなかったけど……」
「……そうだったのか、フィリア……」
エドガーが沈痛な表情で呟く。
その隣ではリリアが口元を押さえ、ぐすりと鼻をすすった。
二人とも、地元では友達に囲まれて育ってきた分、フィリアの境遇がより重く見えたらしい。
「な、なによその同情した顔はっ!」
フィリアが肩を怒らせ、ふてくされたように睨みを利かせる。
「わたくしは友達など必要としませんでしたけど」
セラフィナが冷めた目で言い放つ。
「この子はハーフエルフだから、里では多少距離を置かれていたのよ。でも、エルフとしての教えや魔法を修めるまでは、里にいてほしかった。……母親の、エゴね」
「わたしは別に。ママも、おばあちゃんもおじいちゃんも優しかったし……」
フィリアが肩をすくめて苦笑した。
その言葉を聞いた瞬間──
リリアとエドガーの涙腺が、完全に崩壊した。
「フィリアさんっ……!」
リリアが手を取る勢いで叫ぶ。
「私達がいますから! 友達ですからっ!」
「俺もだ! 辛いときは、いつでも頼ってくれ!」
エドガーが胸をどんと叩く。
「……あ、ありがと……」
言いながら、フィリアは若干引き気味に後ずさった。
目をぱちくりさせて、そろりと顔をそらす。
どう見ても、言ってる本人たちのテンションが高すぎるのだった。
そんな光景を、ロブは焚き火の端で静かに見つめていたが、
「──さて。俺はそろそろ上がらせてもらう」
「えっ、師匠。もう腹いっぱいっすか? まだ肉めっちゃ残ってますよ?」
エドガーが串を振りながら声をかける。
「まあな。研究の方を進めたい」
肩越しに振り返って、ロブは軽く笑う。
「お前らはしっかり食って、明日に備えておけ。腹ごしらえも修行のうちだ」
片手をひらひらと振って、ロブは焚き火の明かりを背に、ゆっくりと家の方へ歩いていった。
「ロブさん、ああやって毎日研究してたんですね」
リリアが背中を見送りながらポツリと呟く。
「いつも早々と研究室に引っ込むから何かしているとは思っていましたけれど」
セラフィナが瞳を陰らせる。
「俺は師匠、寝るの早いな、健康に気を遣ってるな、ぐらいにしか思ってなかったな」
エドガーが肉を噛み千切りながら能天気に言う。
「誰にも言えないって辛いよな」
カイが寂しそうに言う。彼にも言えない過去、体質のことがあった。
共感するものがあったのだろう。
「何を言う。今はそれを共有できるものがおるではないか」
アトラ・ザルヴァが骨付き肉を片手に笑う。
「あやつの孤独を埋められるものがようやく現れたんじゃ。ロブも嬉しかろうよ」
リリア達五人を見回して言う。
「その期待に応えられるようにお主らは学び、食い、強くなるのじゃ」
にししと笑う。
「よいな」
リリア達は姿勢をただして頷いた。
残された弟子たちは、名残惜しそうに彼の背中を見送りながらも、再び串を取り合い始める。
夜風に笑い声が混じり、炎がパチパチと鳴った。
だがその輪から少し離れ、セレニアは誰にも気づかれぬように立ち上がった。
火の粉を避けるようにそっと向きを変え、音もなくその場を後にする。
歩幅は小さく、だが足取りは迷いのないものだった。
その後ろ姿を、フィリアがちらりと目で追った。
何も言わず、ただ静かに、細めた瞳で母の背中を見つめ、やがて歩き出した。
セレニアが家の中に入るのを見届け、しばらくしてからフィリアはドアを開ける。
軋みひとつ立てず、するりと室内に滑り込む。
一階には誰もいない。
わずかな灯りが壁を照らし、家の中に静寂が満ちていた。
耳を澄ます。
二階──階段の上から、柔らかな足音が聞こえた。
歩幅とリズムで、それがセレニアだとわかる。
しかも、向かっているのは……ロブの研究室の方だった。
フィリアは階段をゆっくりと上りながら、思考を巡らせる。
(──ママの、あの言葉)
『あなたは心配しなくていいのよ』
その言葉を、彼女は以前にも聞いたことがある。
(……パパが倒れたとき、心配する私に同じことを言ってた)
あのときセレニアは、父の容体を黙っていた。
病が重く、長くはないことを──何も言わなかった。
あの頃は、母を恨んだこともあった。
けれど今なら、あれはセレニア自身が真実を受け入れられなかっただけなのかもしれない、と思える。
だから、もう恨んではいない。
けれど──また隠し事をしているとなれば、それは見逃せなかった。
最上段の踏板に足を乗せ、通路へそっと顔を出す。
──誰もいない。
気配すら残さず消えた母を追って、フィリアは無音で歩を進める。
やがて、あの扉──ロブの研究室にたどり着いた。
ドアノブに手をかけ、そっと力を込める。
呼吸を整え、精神を集中させると、エルフの発音で短く呪文を唱えた。
──カチリ。
鍵が、静かに開く。
先日セレニアが語ったとおり、エルフの隠密魔法は他種族の追随を許さない。
たとえロブが施した結界であっても、それを越えるのは難しくなかった。
続けてフィリアは、別の呪文を小声で唱える。
それは視認だけでなく、気配、体温、呼吸音までを遮断する結界だった。
気配が、空間からふっと消える。
誰にも気づかれないまま、フィリアは扉をそっと開き、研究室に滑り込んだ。
奥の鉄扉──あの二重扉の前で立ち止まる。
さすがに、これを開ければロブに感づかれる。
フィリアは慎重に耳を当てた。
──中から、わずかな声が聞こえてくる。
男の声と、女の声。
ロブと、セレニアだ。
(やっぱり……)
フィリアの予感は、的中していた。
「なんだ、いきなり?」
亜空間に展開された膨大な魔法構文を眺めながら、ロブが眉ひとつ動かさずに言った。
その背に向けて、セレニアが静かに声をかける。
「三年後の話よ」
ピクリと、ロブの肩がわずかに跳ねた。
振り返るその顔には、いつもの無感情な仮面がひび割れのように揺れていた。
「今から三年後に、リリアたちはあなたを助けに過去へ跳ぶ。それは私も知っているわ。……私も一度、彼女たちに会っているから」
(ママも……私たちに?)
ドアの向こうでフィリアは息をひそめる。
そんな話、今まで一度も聞かされていなかった。
「二百年前。あの子たちは確かに私たちと戦ったわ。今よりもずっと強かった。たぶん──今の私と同じくらいには」
(……そんなに、強くなるんだ)
その言葉に胸が少しだけ高鳴った。
けれど次に続いた言葉が、心を一気に冷やす。
「でも私は、彼女たちがあなたの弟子だとは知らなかった。もちろん、未来から来たこともね。だからあの時、再会して驚いたのよ。生まれ変わりかと思ったくらい。でも違った。……あなたの話を聞いて、ようやく腑に落ちた。でも同時に、新しい疑問も浮かんだの。あの時──フィリアの姿だけ、どこにもなかった」
(……え?)
胸の奥で、心臓が強く打った。
どういうこと?
ロブが構文を閉じ、ゆっくりと口を開く。
その声は、いつになく静かで──重かった。
「……その理由は、俺にもわからない。
俺たちが知っている未来と、何かが変わっているのかもしれない。
フィリアも一緒に過去へ跳ぶのか、あるいは──本来の時間軸では、弟子になっていなかったのか……それとも」
そこで言葉が止まる。
気配で察したように、セレニアが代わって言った。
「──時間遡行する前に、あの子が死んだか。……でしょう?」
その言葉は、氷の刃のようにフィリアの胸へ突き刺さった。
肺の奥が冷たくなっていく。
二人のあいだに、沈黙が落ちた。
それを破ったのは、ロブだった。
それでも声は、どこか力を失っていた。
「……俺はそうは思わない。これは、歴史が“良い方”に変わろうとする兆しかもしれない。だからフィリアには、期待してる」
「私だって、こんなこと言いたくないわよ」
セレニアの声が低くなる。
その声には、感情の重みがにじんでいた。
「でも……こんなことになるなら、あの時、あなたにフィリアを預けなければよかったって後悔してる。なんであの時、全部を話してくれなかったのよ……」
ロブは黙ったまま、目を伏せていた。
「だって、あの子たちは──」
「──そこから先は、やめてくれ」
遮ったロブの声に、鋭い熱が走った。
それは、フィリアが今まで聞いたことのない、怒りを孕んだ声音だった。
一瞬の静寂ののち、ロブはため息をつくように声を落ち着かせる。
「……俺にも、わからないことばかりだ。
お前がフィリアを心配する気持ちもわかる。母親として当然だ。もし、あいつが過去に行くことをお前が反対するなら──そうすればいい。……多分その頃には、俺はもうこの世にいないからな」
ドア越しでも、セレニアの息を呑む音が聞こえた。
「卑怯よあなた。そんなこと言われたら私は、なにも言えないじゃない」
「………どうして俺にフィリアを預けたんだ」
「あの人の遺志だったのよ。冒険者になるならロブの弟子にしてほしいって………私もそれには賛成だった。こんなことになるなんて………あの子は初めて仲間ができて楽しそうにしている。それなのに、その彼女たちも………残酷よ………歴史も、神様も…………」
「そうならないように全てを変えるんだ。俺が、あいつらが。昨日も言った。俺は過去を変える。決められた未来をぶん殴る。そのつもりで今日まで生きてきた。誰一人死なせないためにな。もちろん俺自身も」
「………………あなたに託すしかないのね」
セレニアの声は泣いていた。
(ロブ……やっぱり……)
“消える”──ロブはそう言っていた。
その意味を、皆うすうす察していた。
だが、未来を確定させないために、あえて口にはしてこなかった。
──けれど、昨日は“死”という言葉を使った。
それは、ロブにも余裕がなくなっている証拠だった。
時間遡行の魔法は、まだ完成していない。
自分が“いつ”消えるのかも、正確にはわからない。
死への恐怖。そして、弟子たちを過去に送り出すという使命。
それらが、すべて彼の肩にのしかかっていた。
しかし──今のフィリアには、ロブを気遣う余裕はなかった。
(私が……………死ぬ?)
心の中で響くはずの声が、なぜか遠くから聞こえるような感覚だった。
冷たい雨粒のように、胸にしみこんでいく。
そしてセレニアの、あの口ぶり。
恐らく彼女たちも―――
(リリアたちも……過去で……死ぬ?)
その予感は、ずしりと重く──
逃れられない鎖のように、フィリアの胸を押し潰していた。
【リリアの妄想ノート】
お肉がすっごく美味しかったです!
特にテルメリア牛!口の中でとろけるってああいうことなんですね……!これは食べ放題が正解でした。
アトラさんが「ディープ・デスワームより美味」って言ってたけど、それはちょっと基準が違いませんか!?
フィリアさん、どこに行ったのかな?お肉まだいっぱいあるのに……




