第107話 三千年の孤独と、たった一つの希望
「敵?」
ゼランが眉をひそめた。
「クロノスの使徒とか言う奴らか」
「ああ」
ロブが短く頷く。
「クロノス………」
その響きを噛みしめるように、ゼランがぽつりと口にする。
「かっこいいな」
「…………」
ロブが沈黙した。
ゼランの顔をじっと見つめるその視線には、「この厨二野郎」と書いてあった。
「ドラゴンをあやつるコマンドワード……それを知っているのはクロノスの使徒だけ。それがあなたが危惧する根拠?」
セラフィナが静かに問う。
「それだけじゃない。俺が動く先々で回り込むように次から次に厄介事が起こる。こんな時はあいつらが関わっている。気付いた時にはやつらは時代の中枢に深く潜り込み、時代を操ってきた」
一息で語られた言葉の重さに、室内の空気が凍りつく。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
その緊張を割るように、リリアが手を挙げて立ち上がった。
「過去にそんなに干渉したら……歴史が変わるんじゃないんですか?」
「奴らには関係ないのさ」
ロブの声には嫌悪がにじんでいた。
「人類の歴史がどう変わろうと、奴らには問題がない。最終目的は人間の“最適化”だからな」
「と、言いますと?」
さらに問うセラフィナ。
「人間の文明レベルを原始人くらいまで落としたところで、ヘリオスが“神”として君臨する。それが――ヘリオスの目的だ」
「人類の最適化とか大層なこと言って、結局RPGのラスボスみたいなこと言ってる……」
カイが呆れ気味に言い放つ。
「それも、真の黒幕の方だ」
「ああ、わかりみ」
二人だけの世界が広がる。
「また二人にしかわからない話をする!」
フィリアが頬を膨らませた。
「「ごめん」」
ロブとカイが素直に頭を下げる。
そのあまりに息ぴったりな姿に、リリアは――ちょっとだけ嫉妬した。
「ロブを抹消するために、手段を問わない……面倒なやつらよね」
セレニアが話を戻すように切り出した。
「まあ、実際のところ、ターゲットは俺だけじゃないんだがな」
ロブの言葉に、その場の空気が一瞬ぴんと張る。
「歴史上には、人類史のターニングポイントになった出来事がいくつもある。それを引き起こした中心人物がいなくなれば、文明全体を後退させることができる。なら――そいつらを殺してもいいわけだ」
「じゃあ、なぜロブを執拗に狙うの?」
フィリアの問いに、ロブはあっさりと返す。
「俺のほうが殺すのは簡単だし確実だからな」
「え?」
ぽかんとした声が、リリアの口から漏れた。
その時。
「ふふん」
アトラが口元に笑みを浮かべた。
「昔のこやつは、それほど強くなかったからの」
「そうなんですか?」
リリアが思わず食いつく。
「うむ。海老男の今しかしらんお主らには信じられんかもしれんがな。二千年前の大戦の時のこやつは――クソ雑魚じゃった」
「うそだろ……」
呆れ混じりの声が、エドガーの口から零れる。
「言ったろ? 俺は長く生きてるだけで、才能も根性もない。いろんな英雄たちと関わる中で、彼らの技や魔法を教わって――少しずつ強くなっていったんだ」
ロブの声には、過去の自分をどこか客観視するような静けさがあった。
だが――その静けさを破るように、声が響く。
『中には、弟子に技を教わることもありましたね』
クォリスの柔らかくも鋭いツッコミだった。
ロブが一瞬、言葉を詰まらせる。
「………まあな」
視線をそらしつつ、渋々と認めた。
その顔に浮かんだ照れとも苦笑ともつかない表情を見て、リリアは――ほんの少しだけ嬉しくなった。
「前にも言ったが、俺が過去のどこかで死ねば、それ以降の歴史が大きく変わる可能性がある。しかし、例えば聖騎士ファルズや、アルトリア王国の建国王、アーシウスを抹殺しても他の奴らがその代わりを務めて、似たような歴史に修正される可能性が高い。英雄たちを正面から倒しに行っても返り討ちになるのが目に見えてるし、骨折り損のくたびれ儲けになるだけだ。そう考えて俺を狙うのが効率的と判断するわけだ」
静かな口調だったが、ロブの言葉はずしりと場を打った。
「師匠。クロノスの使徒はSクラス冒険者と同じくらい強かったって言ってましたけど、聖騎士ファルズやアーシウス王はそれより強かったんですか?」
エドガーが訊くと、ロブはゆるく口角を上げて答える。
「そういうことだ」
その言葉でエドガーがゴクリと唾を飲み込む。
英雄や偉人の強さを目の当たりにした者の言葉に、今の自分との大きな距離を感じたようだった。
「それなら弱っちい時代の海老男を殺せば、その後こやつが関わる相手が爆発的な成長をすることはまずないとクロノスの使徒は考えるわけじゃな」
アトラの推察に、フィリアが眉を寄せた。
「そんなに変わるの?」
「変わるわね」
セレニアが、娘を真っ直ぐ見て頷く。
「私やゼランはロブと出会うことで人生が大きく変わったわ。ロブには三千年の知識と技術の積み重ねがある。彼以外にその知識の継承をできる人間はいないわ。彼と出会わなければ私はSクラスどころか冒険者になることもなかったかもしれない。――フィリア。あなたも生まれなかったかもしれないわね。パパも冒険者だったから」
フィリアははっと目を見開く。
そして、視線をゼランへ向ける。
「それに、ゼランは子供の頃に死んでいたはずよ」
その一言に、一瞬、空気が静止した。
全員の視線がゼランに注がれる。
彼は肩をすくめるようにして、苦笑した。
「三十年前、黒龍団って盗賊に村が襲われてな。大勢の人間が殺されたり、捕まったりした。俺も殺されるのを覚悟した時、ロブが助けてくれたんだ。それがなければ俺は今ここにいない」
淡々とした語り口ではあったが、そこに込められた意味は重い。
ゼランは、かつて“死んでいた”存在だった。ロブがいなければ、その未来はなかったのだ。
ゼランはただ、あの頃の自分を思い返すように視線を落とした。
「では、クロノスの使徒が今の時代にいると仮定して、わたくし達に取れる対策はあるのですか?」
セラフィナが静かに問いかける。
「ないな」
ロブは即答した。
「やっぱり………」
肩を落として、セラフィナは小さくため息を吐いた。
「あいつらが何を考えて何を狙っているのか分かるわけがない。今できる最善を尽くす。それだけだ。予想することも、対策することも大切だが、今の自分が目指す目的を見失わず日々を生きろ。お前達にとっては、それは強くなることだ」
「それでいて、敵がどこにいるかわからないから注意を怠るなって?」
皮肉まじりに笑うカイ。
その横で、フィリアが腕を組んで眉をひそめる。
「なんか、とんでもなくしんどそうね。難易度マックスって感じ」
「俺はやってきたぞ? ずっとな」
淡々としたその言葉に、場の空気がぴたりと止まる。
ロブは、誰に語るでもなく静かに続けた。
「いつ誰に襲われ命を落とすかもしれない。もしかすると、隣に立つ友人が敵なのかもしれない。笑いながら、油断したところで俺を殺そうとするのかもしれない。……そう思って、疑心暗鬼になることもあった」
その声音に、飾り気も誇張もなかった。
ただ事実だけを切り取るように、言葉が降りてくる。
「それでも俺は、今の自分を少しでも前に進める努力をしてきたんだ。俺が魔法を一つ覚えるたび、闘気を高めるたび、後に出会う誰かを救うことになるかもしれない。そう思って三千年生きてきたんだ」
誰も口を開かなかった。
言葉の重みが、全員の胸に沈む。
リリアは、ロブの横顔から目が離せなかった。
――三千年。
気が遠くなるほど長い時を、彼はそんな思いを抱えながら、一人で歩いてきた。
笑われるかもしれない希望にしがみついて、どんなに傷ついても、前へ進む努力をやめなかった。
リリアは、胸の奥が締めつけられるような痛みに襲われた。
尊敬とか、憧れとか、そんな簡単な言葉では言い表せない。
ただ、そっと手を伸ばして、彼の孤独を撫でてやりたくなった。
「まあ、長々と話したが、俺の話は以上だ。質問は?」
ロブがそう締めくくるや否や、場が少しざわめいた。
誰かが手を挙げる気配。
「さっきから気になってたんですけど」
おずおずと声を上げたのはエドガーだった。いつになく慎重な口調だ。
「師匠は過去で俺達に助けられた。でも俺達は、師匠が未来を知るようなことは言わなかったんですよね?」
「ああ、そうだな。三千年後から助けに来たとは言ってたが、それ以上は言わなかったな」
「じゃあ、なんで三年後に自分が消えることを知ってるんですか?」
「そういえば……」
ぽんと手を打ったのはフィリアだ。頭の中のもやが、スッと晴れたような顔をしている。
「リリアに聞いたんだ」
「私?」
思わずリリアが聞き返す。
「これぐらいは言ってもいいだろう。過去のリリアは、俺に自分の歳を“17歳”だと言った。今、お前は14歳だろ?」
「あ、それで……」
リリアの脳裏に、初対面の光景が蘇る。
ロブはあのとき、彼女の年齢を聞くなり、ぽつりとこう言った。
──『三年後か』
その一言に込められていた意味。
あれは、自分が“消えるタイムリミット”までの猶予を見た瞬間だったのだ。
「あれ、そういうことだったんですね」
「そういうことだ。……美味しく実るまで待つって意味じゃないぞ」
にやりとロブが口元を歪めた。
リリアの顔が、パアッと真っ赤に染まる。
「お、覚えてたんですか」
「まあな」
「~~~~~っ!」
耳まで真っ赤にして俯くリリアに、ロブはいたずらっぽく笑いながら続けた。
「俺が未来について知っているのは、それだけだ。だから三年、その時までに俺はやれることをする」
「それは、わたくし達を金龍クラスの冒険者に鍛えるということですの?」
セラフィナが姿勢を正して問う。
「まあそうだが、そこはここにいるお歴々に譲る」
ロブが視線をめぐらせる。ゼラン、セレニア、ライゼ、アトラ。
百戦錬磨の精鋭がそこにいる。
「おう、感謝しろよ。こんな面々に直々に鍛えてもらうなんて、普通は絶対に無理だからな」
ゼランが腕を組み、満更でもなさげに言った。
「人間を鍛えるのは初めてじゃな。殺してしまわんか心配じゃ」
アトラが妖しく目を細める。意地悪な笑みに、背筋が冷える弟子たち。
「フィリアも鍛え直さなきゃね」
「ママ……その目はマジね」
セレニアの笑顔がぐぐっと迫ると、フィリアは顔を引きつらせた。
「私は面白いクエストを用意しておくわね」
にっこりとライゼが告げる。だがその笑顔は、若き冒険者たちには“悪魔の宣告”にしか見えなかった。
【リリアの妄想ノート】
三千年って、どれくらい長いんでしょう。
私が百回生まれても、まだ届かない。
そんな時間を、ロブさんは――誰も信じず、誰も頼らず、生き抜いてきたんですね。
誰かに裏切られるかもしれないって思いながら。
それでも、人を信じる力を失わなかった。
あんな風に、誰かを守れるようになりたいです。……私も、ロブさんにとっての“希望”になれるかな。




