第106話 未来に触れれば、誰かが消える
ロブの家、二階の奥。
ひっそりと佇む一枚の木製の扉は、廊下の終端に静かに立っていた。まるで、これより先は“日常”ではないと告げているように。
ロブが取っ手に手をかけて扉を開けると、その先にはもう一枚、鉄の扉が構えていた。
家の内装とは明らかに不釣り合いな、工業的かつ封印的な存在感。隙間からわずかに、圧縮された魔力の気配がにじみ出ている。
ロブが鉄扉を開けると、空間が一変した。
高い天井、整然と並んだ魔導機器、床に走る複雑な紋様。
常識的な家屋の寸法を超えた、人工の広がり。
リリアは、目を見開いた。
思い出す。この場所は――初めてロブが、自分たちに“秘密”を明かした部屋だった。
二階の端に位置する、魔法で拡張された隔絶空間。
情報の漏洩も、外部からの干渉も許さない、“特別”な場所。
「ここに繋がってたんですね…………」
「そうだ。この部屋は、魔法実験と高密度演算のために作った。内部の会話や魔力は、外には一切漏れない構造になっている」
ロブが簡潔に、事実だけを述べる。
「ほう、こんな部屋があったのか。十年くらい住んでたが知らなかったな」
「説明はしたぞ。お前は魔法に興味ないからって近寄りもしなかったがな」
「そうだったか?」
ロブの冷たい視線にゼランは誤魔化すように笑い目を逸らした。
セレニアが口元に笑みを浮かべる。
「ずいぶん用心深いのね。でも、これくらいなら……エルフなら通れるわよ?」
「……ああ。エルフの隠密術は例外だ。お前たちの気配遮断と魔力の抑制技術は、模倣できる代物じゃない」
ロブは肩をすくめ、わずかに口角を上げた。
「さて、タイムスリップの話を、ここで改めてする」
話が始まると、誰もが黙り込んだ。ロブは静かに、簡潔に、時に自嘲を混じえながら、全貌を語った。三年後、自分が消滅することそして、リリアたちが過去に自分を助けに来ること――。
全てを話し終えたとき、円卓の上に沈黙が落ちた。
重く、鈍い沈黙。
「そうだったのか……リリアたちが……」
ゼランが、深く座り直して低く呟いた。
「というかロブ、あんた、三千年も生きてたのか。それは、絶対聞いてないぞ」
「言わなかったからな」
「なんでだよ!?」
ゼランの非難の目を、今度はロブが目を逸らして躱した。
「言っても信じられないだろうし、言いふらされたら面倒な奴らに絡まれそうだったんでな」
「面倒な奴ら………魔導公会か。あいつらは最も古い魔法研究機関だ。奴らが植え付けた四大精霊信仰を根底から覆す者が現れれば放っておくわけがないからな」
顎に手をやり考え込む仕草をする。
相変わらずコロコロと反応の変わる男だ。
その横で、セレニアは言葉もなく目を伏せた。娘の未来を知った母親として、その胸中は察するに余りある。
が、娘であるフィリアには、その表情には何か別の心配事があるように見えていた。
ロブが一度、皆の顔を見渡す。
「これからの三年は、お前たちにとって“未来への挑戦”だ。この場にいる全員の力が必要だ。お前たちが、未来を救う鍵になる」
リリアたち五人は、まっすぐにロブを見つめていた。その瞳には迷いはなかった。だが――。
「なあ、ロブ。……なぜリリアたちなんだ?」
ゼランが、静かにしかし確かに問いかけた。
「俺やライゼ、セレニアが過去に行っても良いだろう? 実力も経験もある」
その言葉に、皆の視線が揃ってロブに向けられる。
ロブはわずかに目を細め、ゆっくりと首を振った。
「それは……わからない」
「は?」
ゼランが眉をひそめる。
「誰が過去に行くのか、どうやって時間遡行が起きるのか、それは俺にもわからない。だが――ひとつだけ、確かなことがある」
ロブの声が静かに、しかし力強く響いた。
「リリアたちが、過去に来た。この“事実”を変えるわけにはいかない」
その言葉に、場の空気が張りつめる。
リリアたちが思わず息を飲む気配を見せる。
ロブは、彼女たちの方へと向き直った。
「お前たちは、こう思ってないか?」
その声は低く、どこか真剣な響きを帯びていた。
「なぜ、俺は“いつ、どこで、どうやって助けられたか”を言わないのかと」
ロブの視線がフィリアに向けられる。
「そりゃあ、そうよ」
フィリアが思い切り眉をひそめて、膨れた頬をつつくようにして言った。
「こっちは助ける気満々なのに、何も教えてくれないんだから」
「もしかして」
カイが探るように口を開く。
「タイムパラドクスを気にしてるんですか?」
ロブはそれを受けて口の端を上げる。
「さすが令和の生まれ変わり。知ってたか」
「……タイムパラドクス?」
フィリアが首をかしげる。
「なにそれ。美味しいの?」
『では、私から簡単にご説明いたします』
クォリスの冷静な声が、室内に響く。
『“タイムパラドクス”とは、簡単に言えば――過去に戻ったことで、未来にズレや矛盾が生じてしまう現象のことです』
「未来にズレ……?」
フィリアが眉をひそめる。
『たとえば、“本当は起きていた出来事”を変えてしまったり、“助かったはずの誰か”が助からなくなったり、逆に“生まれていた命”が失われる、などです』
「………えーと?」
エドガーが首をひねる。その頭の上には疑問符が浮かんでいた。
『知っているだけでも、行動は変わります。そして、行動が変われば――未来は変わってしまうのです』
「知ってるだけで変わる………?」
リリアの疑問も虚空に消える。
『たとえば――皆様がある人物と親しくなり、その人が戦争で命を落とす場面を見たとします』
リリアが静かにうなずく。
『その後、皆様が過去に戻ってその人にこう告げたとしましょう。「○月○日に戦場で死にます。だから行かないでください」と』
「……普通、言うよね。助けたいもん」
フィリアが当然といった様子で言う。
『ええ。しかし、その言葉が本人の行動を変えることで、新たな連鎖が発生します』
「新たな連鎖……?」
『たとえば、彼の代わりに本来そこで死ぬ予定ではなかった別の誰かが戦場に立たされ、命を落とすことになる。あるいは彼が生き延びて、予定されていなかった人生を歩み、別の命が誕生する』
「……それって、もともと生まれるはずだった命が、消えるってこと?」
リリアがそっと問い返す。
『はい。その可能性もございます。しかもそれが連鎖的に広がれば、未来に存在する人々――皆様自身が、この世に生まれてこなくなる場合すらあるのです』
「そんな……」
カイが言葉を失い、わずかに目を伏せる。
『知ってしまったことは、意識せずとも行動に影響を与えます。そして、変わった行動が未来を壊してしまう。だからこそ、ロブ様は“言えない”のです』
重苦しい沈黙が、部屋に広がった。
「……つまり、助けるために過去に行ったのに、そのせいで誰かが死んだり、いなくなったりするかもしれないってこと?」
フィリアの声には、わずかに震えがあった。
『その通りです』
クォリスの返答は、静かで、しかし疑う余地のない断定だった。
「では、過去のお師匠様が助けられたという事実は、わたくしたちが“このまま知らずに行動した”結果として起きた、ということでしょうか?」
セラフィナが真剣な面持ちで尋ねた。
『その可能性が極めて高いです。ロブ様が“いつ・どこで・どうやって”助けられたかを正確に覚えておられるにもかかわらず、それを言わないのは、“その瞬間”を皆様が知らずに迎えたことが、歴史の整合性を保つために必要だからでしょう』
「…………そんなの、ズルいじゃん」
フィリアが拗ねたように頬を膨らませる。
「言いたくないわけじゃない。言えないんだよ、俺は。もしかするとゼラン達もタイムスリップしていたのかもしれない。どこかで別行動をしていた可能性はある。だが、断定は出来ない。今はとにかく思い付く最善の手を打つことだけだ」
ロブが静かに、それでもどこか寂しげに言った。
その声に、誰も反論することはできなかった。
重く沈んだ空気の中、誰もが言葉を探していた。
だが、それを破ったのは、ゼランだった。
「……ロブ」
腕を組んだまま、鋭く問いかける。
「じゃあ、あんたはその全部を――見たうえで、今ここに立ってるわけか?」
「ああ。全部……とは言わんが、十分すぎるくらいはな」
ロブは壁にもたれるようにして、目を伏せた。
「自分のことを助けた奴らの顔も、タイミングも、場所も……今でも、昨日のことみたいに覚えてる」
誰かが息をのんだ。言葉にはしないが、誰もが感じていた。
その“誰か”というのが、いま目の前にいる自分たちだという可能性を――
「じゃあさ。あたしたちがそれを間違えたら、全部変わっちゃうってわけ?」
フィリアの声には、怒りというより不安がにじんでいた。
「……そうなる可能性は高い」
ロブはまっすぐにそう言った。
逃げも隠れもしない。だが、だからこそ――その言葉の重みは、誰の心にも深く刺さる。
「だから、お前たちには“自然に”、その瞬間を迎えてほしいんだ」
言いながら、ロブは皆を見回す。
「誰が助けるか、どうやって助けるか。全部、決まっている。それをお前達は知らない。しかし必ず何かが起こる。そしてそのとき、お前たちは――」
そこで言葉を止め、ロブはわずかに笑った。
「……間違えるなよ」
「なんか、すっごい無責任じゃない、それ……なら最初から言わなきゃいいのに」
フィリアが顔をしかめた。
「………信じてるから言わないんです」
リリアの小さな声が、その場をすっと貫いた。
皆が彼女を見る。彼女はうつむきながら、でもまっすぐな声で続けた。
「ロブさんは、信じてるから。私たちが、ちゃんとやってくれるって」
その瞳は、まるで何かを決意したように、強かった。
「……まあな」
ロブがわずかに照れたように鼻を鳴らした。
「というわけで、話を戻すぞ」
声のトーンを切り替え、ロブが手を叩く。
「タイムパラドクスの説明は終わり。次は――お前たちに、もっと現実的な話をしよう」
「現実的って……」
セラフィナが小首をかしげる。
「時間遡行自体があまりにも現実離れしてるのですが、現実的な話とは?」
ロブの表情から、冗談の色がすっと消えた。
「――敵が、動き出してる。予定より、ずっと早くな」
【リリアの妄想ノート】
ロブさんが言った。
「未来のことは話せない。話せば、誰かがいなくなるかもしれない」って。
「信じてるから言わないんです」って、強がり言ったけど、本当は不安だったんです。
こうも思いました。
ロブさんずるいって………。
私たち、ロブさんを助けるためにここまで来たのに。
“どうやって助けたか”すら教えてもらえないなんて……。
もし、私じゃなくて他の誰かが助けたってわかったら、どうしよう。
もし、間違えて誰も助けられなかったら、どうしよう。
……ねえ、ロブさん。私、ちゃんと“そのとき”にたどり着けますか?




