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第104話 地獄は夕暮れとともに微笑む

 空に立ちこめていた砂塵が、ようやく静まった。

 熱気も衝撃も去った静寂の中で、リリアたちは呆然と立ち尽くしていた。


 さっきまで、この場所は戦場だった。

 生き物の枠を超えた者同士が、命を削り合うようにぶつかり合った――そんな風にすら思えた。


「……さて、と」

 アトラ・ザルヴァが、竜の翼をすうっと畳み、戦いの構えを解く。

 ロブもまた、剣を収め、深く息を吐いた。


 振り返る二人に、弟子たちの視線が集中する。


「どうだった?」

 ロブが問いかける。


 リリアは、ぽかんとした顔のまま、口を開いた。


「い、いや……すごかったとしか…………」


 現実感がない。今、自分が見ていたのはどう見ても殺し合いだ。

 しかし、当の本人達は実に楽しそうな顔で剣と爪で火花を散らしていた。

 アトラ・ザルヴァのに至ってはまるでストレス解消の軽い運動をこなした後のようなスッキリした笑顔を浮かべている。


 信じられないような光と衝撃、風を割って走る速度、地響きと爆ぜる空気。


 セラフィナは、胸元に手を添えながら、静かに呟いた。


「お二人とも……まだ、本気を出しておられませんわね?」


「マジかよ……」


 エドガーの顔が引きつる。

 驚愕と、ある種の絶望が入り混じった顔。


「俺は本気だったよ」


 ロブは、肩を竦めて素直に答えた。

 その声は苦笑混じりだったが、どこか誇らしげでもある。


「よく言うわ」


 アトラがくすりと笑う。


「魔法の一つも使わんかったくせに。まあ……体は、きつそうじゃがの?」


「ドライヴ使った後はバキバキに体が痛くてな……」


 ロブは額の汗を拭いながら、顔をしかめる。


「筋肉も固まって、まともに動けん……これはもう、老化かもな……」


「相変わらずセンスの悪い冗談よな………」


 アトラがため息を吐きつつ、肘でロブの脇腹を小突いた。


 途端。


「うぐわはあああああああああああああ!!!!」


 ロブが絶叫し反り返ると、その態勢のまま硬直した。


 顔中に脂汗をだらだらと垂らし目を見開いて苦悶の表情をたたえている。


「ろ、ロブさん…………?」


「まあ、このようにドライヴをかました後は身体中の筋肉がストライキを起こしておってな。ちょっと突付けばこの通り、筆舌に尽くしがたい痛みが全身を襲うのじゃ」


「わかってて…………やるか………てめえ………」


 蚊の泣くような声を絞り出すロブ。


 こんなに苦しむロブをリリアは、いや、アトラ以外の全員が初めて見た。

  

 エドガーは口をひくつかせた。


「やっぱり代償があるんですね。あれだけ凄い動きすりゃあ、そりゃそうか………」


「地獄の苦しみですわね。控えめに言って………」


 ロブを気の毒そうにセラフィナは見つめて言う。


 ドライヴ――闘気の極限解放。

 その代償がこのロブの姿だと知り、エドガー、カイは若干怯んだ様子を見せていた。


「じゃが」


 アトラが、軽く腕を組みながら言った。


「体得する価値はあるぞ。万の軍勢をも退けるほどの強さじゃ。守りたきものがあるならば、強さの高みを目指すなら、挑むが良い」


「は、はい!」

 

 エドガーが、力強く頷いた。

 その瞳には、怯えではなく――確かな憧れと守りたいものがある男の決意が宿っていた。


「さて」


 アトラ・ザルヴァが、ひとつ息を吐いた。


 戦いの熱を冷ますように。そして次なる“遊戯”を見極める狩人のように。

 その双眸が、ゆっくりと弟子たち五人をなぞる。


 宿る光は、さきほどまでロブと死闘を繰り広げていたときと、寸分違わぬものだった。


「今度は――お主らの番じゃな」


 ぞわり、と背筋に氷の指が這う。


 リリアは思わず声を漏らした。


「……え?」


 信じたくない気持ちが、そのまま言葉になった。

 だが、アトラの口元に浮かんだ笑みは――どう見ても“本気”だ。


「ふふ、そう緊張するな。儂は優しいぞ? 殺しはせん」


 笑みを浮かべながらそう言う彼女の姿は、どう見ても獲物とじゃれ合う猫でしかない。

 もちろん、爪は引っ込めてなどいない。


「魔導学舎とやらに行くまで、一週間だったかの? ならば急がねばな。あそこはいわば“敵の巣”じゃからな。命を狙われる覚悟はしとくべきじゃろ」


 さらりと告げられた“命の危機”に、弟子たちの顔が引きつる。


「じゃからこそ鍛える。ロブほどには届かんでもよい。だがせめて、“自分の命くらい守れる”ようにはしてやらんとな?」


 肩をすくめて笑うアトラの言葉は、慈愛でも激励でもなかった。

 それはあくまで“必要”という事務的な響きをまとっている。


 その異質さに、セラフィナが一歩前に出た。


「お気遣いは有り難いですが……アトラ・ザルヴァ様も、さすがにお疲れでは?」


 言葉の最後はヒクヒクと口角が引きつっていた。

 さりげない助け舟というより、溺れかけの者が掴んだワラである。


「アトラでよい。肩書きは気にせんでええ。それにな――お主ら赤子の相手など、準備運動にもならんよ」


 どこまでも飄々とした口ぶり。だがその言葉を、誰も侮辱とは受け取らなかった。


 なぜなら――それが、事実だからだ。


 全員、それを悟っていた。自分たちは今、“とんでもない存在”に向き合っているのだと。


「よちよち歩きの赤子から、ふらふら飛ぶヒヨッコくらいには育ててやるわい」


 エドガーが目を泳がせて一歩下がる。

 隣のフィリアが、ぼそりと呟いた。


「……あれ、絶対に楽しんでる顔だよね」


 カイが無言で剣を抜いた。額に一筋、冷や汗。

 構えの動きは鈍く、覚悟と恐怖がせめぎあっているのが見て取れる。


 リリアは、わらにもすがる思いで、ロブを見た。


「ロブさん……!」


「すまん、今は……マジで動けん……」


 地面にへたり込んだロブは、まるで脱力したマネキンのように微動だにしない。

 顔は青ざめ、体には冷や汗、歯を食いしばる様は“疲労困憊”というより“瀕死”に近い。


 とはいえ、その口元には笑みが浮かんでいる。


 割と楽しそうな、意地悪な笑顔である。


 アトラを信頼しているということなのだろう。

 とはいえ、眼の前の存在は、その気になれば鼻歌交じりに自分たちを皆殺し、いや、塵にすることすらできるのだ。


 そのアトラが両手を広げた。


「日が沈むまで、たっぷり時間はあるぞ!」


 その声に、リリアたちの血の気が一気に引いた。


「さあ、かかってこい! 遠慮は無用じゃ!」


「ちょっ……ま――」


「い、いきなりは無茶ですって!」


「説明っ……!」


「せめてウォーミングアップくらいぇええええっ!!」


「うひゃあああああああああっ!!」


 ――こうして、日が沈むまでの約三時間。

 リリアたちは、アトラの“愛のある”(※本人談)修行により、徹底的に叩きのめされた。


 最終的には全員が地べたに沈み、白目をむき、魂の抜けかけた状態で転がっていたという。




ようやく、終わった。


 天に太陽はあれど、地上には希望がなかった。

 灼熱地獄にも似た三時間――精神と肉体、プライドと尊厳のすべてをこねて伸ばして叩き潰すような特訓が幕を閉じた。


 そして。


「さて――そろそろ、帰ろうか」


 地面にぺたんと座っていたロブが、何事もなかったかのように立ち上がった。


 しれっとした顔。涼しい声色。

 どこをどう見ても、ついさっきまで「動けん……」とか言っていた男とは思えない。


 誰かが殺意のこもった目で見ていた。

 が、動けないので無言だった。


「じゃあ、帰るぞ。転移する」


 アトラがぱちんと指を鳴らす。


 一瞬、風景が弾け飛ぶようにして、世界が切り替わった。


 気がつけば、テルメリア村。ロブの家の前。

 夕暮れの影が、ほのかに長く伸びている。


 だが、それよりも。


「……なにがあったのよ、あなた達」


 ドアの前で待っていたライゼが、眉をひそめて問いかけた。

 その隣では、ゼランが絶句し、ミルディアが「ほわあ……」と目を丸くしている。


「早かったな。明日って聞いてたが」


「ああ、思ったより早く片付いてな。しかし………どうしたんだこいつら」


 ゼランが珍しく呆気にとられた表情をしている。

 

 無理もない。


 目の前に立つ弟子たち五人――その誰もが、ギリギリ生きているような状態だった。


 まず、リリア。


 上着は片袖が破れ、髪はポニーテールがほどけぐしゃぐしゃになっている。全身泥と砂まみれ。顔は涙と埃でぐしゃぐしゃだった。


 それでもなお気丈に立ってはいるが、目は完全に“終わっていた”。


 視界にロブを捉えるや、ぷるぷると肩が震える。

 次の瞬間――


「怖かったああああああああ!!」


 泣きながらロブの胸元にダイブした。


 セラフィナ。


 ローブの裾は泥と擦り傷で見るも無惨、真っ白だったタイツはすでに色が分からない。

 それでも背筋はぎりぎり保たれているが、口元はひくつき、瞳の奥には怨霊のようなものが宿っていた。


「お師匠様……わたくし、死ぬかと思いましたわ……」


 語尾こそお嬢様、だがその声は物語の亡霊のように生気がなかった。


 エドガー。


 上半身は鎧が砕けシャツが破れて腹筋が露出しており、本人も気づいていない。

 泥にまみれ、転がされた跡が全身にあり、何かに取り憑かれたように空を見ていた。


「なぁ、師匠……俺ほんとに生きてる?」


 今にも消えそうな声だった。


 フィリア。


 唯一、地面に倒れ伏していた。


 目は開いているが、魂はどこかへ旅立ったらしい。

 口元には笑みのようなものが浮かんでいたが虚ろだった。


「……もう、無理………動けない………」


 カイ。


 無言で立っていた。


 だが、その体は震えていた。

 剣を握る手は血に濡れ、着ていたはずの上着は既にどこかへ消えていた。

 唯一、言葉が出たのは、ゼランがそっと声をかけたときだった。


「……お、お前ら……よく生きてたな」


「…………俺も信じられない」


 目を伏せたまま、カイは一言だけそう答えた。

 たぶん本人も、まだ夢だと思っている。


 ロブはそんな彼らの姿を見て、うんうんと頷く。


「立ってるだけ上出来だ。アトラ、容赦なかったろ」


「手加減はしたぞ? これでも、な」


 アトラは笑った。


 その笑顔を見て、ライゼとゼランとミルディアは無言で頷いた。


 なるほど――そういうことか。


 かくしてこの日を皮切りに、「地獄の修行」は――わずかにフライング気味ではあったが、正式に幕を開けたのであった。




【リリアの妄想ノート】


『師匠、あれはもう修行じゃないです』


今日は地獄を見ました。


アトラさんが言いました。「赤子の相手など準備運動にもならん」と。

その赤子が私たちです。全員、地の底に沈みました。魂ごと。


エドガーさんは空をぼけっと見つめ、カイくんは無言で震えてました。

フィリアさんは草の上で仰向けになって、「もうだめ…」って言ってました。

セラフィナさんは、目が死んでました。


そして私は。


師匠の胸元で、泣きました。


ほんとうに、ほんとうに怖かったんです。

でも、どこかで分かってました。

あの修行は、アトラさんなりの優しさで――


……って思い込まないと正気を保てませんっ!!


次は、もっと……もっと優しいやつにしてください、お願いですから!!


P.S. ロブさん、「動けん」って、本当は演技だったでしょ!?帰り際にピンピンしてたじゃん! 訴訟です!


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