第103話 終焉の大地、そして竜は翔ぶ
アトラ・ザルヴァが、指を軽く弾いた。
その瞬間、足元が一瞬ふわりと浮いたような感覚に包まれた。
空気が変わった。風の匂いも、重さも、肌をかすめる温度も、さっきまでとはまるで違っていた。
瞬きをしたときには、もうロブの家のリビングではなかった。
見渡す限り、崩れた岩と砂に埋もれた荒れ地が広がっている。けれど、これはただの荒野ではない。
地面には、かつて何かが立っていた痕跡があった。太い柱のような残骸が斜めに突き刺さり、金属と石が溶け合ったような瓦礫が山を成している。円筒形の巨大な構造物が崩れたのか、折れた輪郭が地面にめり込んでいた。
リリアは目を細め、風化した断片を見つめた。
どれほどの月日が経っているのかは分からない。だが、ここに巨大な建物が存在したことだけは、はっきりと感じ取れた。何十メートル、いや何百メートルもあるような高い建造物。それが崩れ、埋もれ、今はその名残だけが荒野に横たわっている。
そこが、かつて誰かの暮らしていた場所だとは、とても思えなかった。
風が吹く。鉄の匂いと砂塵が頬を撫で、リリアは自然と息を呑んだ。
「ここは…………?」
リリアの問いに、答えたのは風の中の声だった。
「――かつて“世界最強”と呼ばれた国の成れの果てじゃよ」
アトラ・ザルヴァが、ゆっくりと歩を進めながら言った。
「ヒトが空を駆け、星々を視野に収め、病を克服し、命を弄んだ時代。何もかもが己の掌の内にあると錯覚し、神に近づいたと信じた――その末路が、これじゃ」
彼女の声には嘲笑でも怒りでもない、ただ冷えた観察者の響きがあった。
あたりに広がるのは、希望の成れの果てだ。
誇り高く、奢り高く、技術と欲望を極めた文明。
その最後に残されたのは、瓦礫の風景と、吹きさらしの風だけ。
「儂はな、リリア嬢。ここの空を、かつて飛んだことがある」
そう言うと、アトラの背中に、ばさりと影が生えた。
骨格と筋肉が隆起するように変化し、白銀の鱗が音を立ててせり出す。
翼。広げられたそれは、まるで空を裂く刃。
次いで、指先。裂けるようにして伸びた爪は、鋼鉄を裂く鉤爪のごとき形状へと変わる。
その美しい顔に浮かんだのは、賢者の仮面をかなぐり捨てたような――野性の笑みだった。
「人の栄光も、過信も、滅びも、全部飲み込んで……じゃからこそ、思い切り戦える」
その瞳には、言葉にし得ぬ情熱が宿っていた。
一方、ロブはただ静かに、それをまっすぐに見つめていた。
「……いい顔をする」
低く、喉奥で笑った。
手の甲に走る紋様が光り、腰の鞘から、銀の剣が抜き払われる。
構えは自然体。それでいて、どこにも隙がなかった。
そして、ロブもまた――笑った。不敵に。挑発的に。
「……ならば、応えよう」
静かなる呟きがロブの口から吐き出される。
空気が、わずかに震えた。
リリアたちが、息を呑む。
この地に、ふたりの怪物が並び立った。
人類の終焉を知り、三千年の悠久を歩んだ二人。
どちらも当時の最新鋭の科学によって生み出された叡智の結晶。
過去と現在が交差し、火花を散らす。
その刹那――荒野の空に、狂気めいた咆哮が響き渡った。
アトラ・ザルヴァの翼が、風を切ってはためいた。
その一瞬後――地面が、爆ぜた。
「……ッ!?」
フィリアが短く悲鳴を上げるより早く、空気が圧縮される。アトラの姿は、視界からかき消えていた。
「そこか」
ロブが眉一つ動かさず、ひっそりと呟く。同時に、背後から殺気が迫る。
ロブは両手を上げ、構えた剣を背中に添える。
――ギィン!!
鈍い衝突音。鋼と鋼がぶつかるような重い音が荒野に響いた。アトラの爪を背中越しに受けるロブ。
せめぎ合う剣と爪が小刻みに震えていた。
「振り返りもせんとは横着なやつじゃ」
「暇がなかっただけだ」
金と翠の混じった瞳を愉快そうに細めアトラが笑う。
ロブが息をふっと吐き、爪を弾くと同時に体を翻す。
ようやく向き合った二人の動きは止まらない。
アトラの爪がロブの胸元を薙いだ――が、その瞬間、眩い光がロブの身体を包む。
「ヴェール……!」
セラフィナが息を呑む。ロブの身体から立ち昇る淡い光の筋。それは闘気、初級階層の技――“ヴェール”だ。
ロブはその加護を纏いながら、一歩も引かず、剣を真横に薙いだ。
斬撃と爪がぶつかる。火花が奔る。
「ロブさん、押し返してる……!」
リリアが驚愕の声を漏らす。けれどその瞳には、目の前で交錯する攻防のすべてが映っていた。
アトラが反転。翼で空気を切り裂き、今度は上空から急降下してくる。
「ぬるいのう!! ロブ!!」
爪が三手、四手と放たれる。殺意と鋭さを帯びた斬撃が空間を裂く。
地面を砕き、風を裂き、音を置き去りにして襲い来るその猛攻――だが、
「舐めるなよ」
ロブはわずかに腰を落とし、膝を軸に回転。
次の瞬間、爪による斬撃を掻い潜ってアトラの懐へと入り――
――ドガァッ!!
逆袈裟に放った剣の腹が、アトラの肩口を打ち上げた。
「ぬ……っ!」
アトラの体が、空中で弾き飛ばされる。
ロブは踏み込みの勢いを殺さぬまま、背後の弟子たちに一瞬だけ視線を向ける。
「見ておけ、お前たち」
その言葉に、誰も返せない。
エドガーは拳を握りしめ、カイは静かに目を見開く。
フィリアは喉の奥から小さく「ロブ……」と呟き、セラフィナは無言で息を吸った。
リリアは――ロブの背中を、ただ黙って見つめていた。
空中で姿勢を立て直したアトラが、羽ばたいて距離を取る。
「ぬふふ……よい、よいぞ……」
その顔に浮かんだのは、獰猛な笑み。
「ならば儂も……少し“本気”を出すとしようかの」
その瞬間――
アトラの背中からさらに何枚もの羽が展開し、爪が伸び、体躯がわずかに“異形”へと変化を始める。
その変化を、弟子たちはただ呆然と見つめていた。
ロブが、一歩踏み込んだ。
その足元を中心に、空気が揺れる。
――ズンッ!
空間が震える音が、耳ではなく、腹の底に響いた。ロブの全身から放たれる気配が、ヴェールの静かな光から、激しく軋むような重圧に変わる。
「……これは」
セラフィナが小さく呟いたその瞬間、ロブの背中から光が迸った。ロブが、剣を振り上げる。
――ザンッ!
闘気を纏った斬撃が、空気を切り裂いて飛んだ。
虫の羽音を大きくしたような音を伴って、白銀の光が一直線にアトラへ向かう。
「ほう!」
アトラは翼をひるがえし、容易く身を翻す。
しかし、次の一撃が即座に飛ぶ。
そして、さらにもう一閃。
――ズバッ! ビュッ! シュッ!
連続する光の刃が、アトラを追い詰めるように空を裂く。
「すご……エドガーさん、あれ――!」
「アークだな」
エドガーの声は、かすかに興奮を帯びていた。
目にも留まらぬ斬撃を、アトラは舞うようにかわしていく。そのどれもが確実に“殺せる威力”を帯びていた。
リリアは手を胸元に当てて見つめていた。
(……避けてる。全部見切ってる……)
その一撃一撃が山を断ち、地を削る。
躱し続けていたアトラだが、ついに闘気の刃をその身に受ける。
それを皮切りに立て続けに闘気の波状攻撃が直撃する。
しかし、アトラの硬い皮膚は、岩をも切り裂く斬撃を受けても揺るがなかった。
地に降り立ったアトラが、軽く手を払う。砂塵が舞う中、笑みを浮かべた。
「見事じゃな、ロブ。だが――」
彼女は、腕をゆっくりと開いた。
「儂の鱗は、かすり傷ひとつ付いておらんよ」
事実だった。何発もの斬撃をその身に受けながらも、その皮膚には一条の傷もない。
鱗に覆われたような滑らかな肌。鋼鉄すら凌ぐ強度。
しかし、ロブの顔には焦りの色はなかった。
「なら――次を見せるだけだ」
彼の目が、静かに輝いた。
その一言と同時に、地面が爆ぜる。
――ゴォッ……!!
ロブの周囲の光が、暴風のように渦を巻いた。
白金色の光が螺旋状に立ち上り一瞬で濃密な圧力へと変わる。空間が押し潰されるような威圧が広がる。
「これは……!」
「違う、さっきまでのとは……!」
カイがわずかに身を引く。
セラフィナが無言で手を握りしめ、フィリアは思わず息を飲んだ。
「ドライヴ……だと……!?」
アトラが笑う。口元に楽しげな獣の笑みを浮かべながら、翼を広げた。
「勇者ファルクの奥義を遂に習得しおったか」
「ああ。あいつが十数年で辿り着いた域だ。俺は百年かかった」
自虐的に口の端を吊り上げるロブ。
その名は、闘気の最上階層――《ドライヴ》。
そして今、ロブはその領域へと至った。
ロブの足が、砂を爆ぜさせる。
衝撃波がリリアの肌を打ち、遅れて爆音が鼓膜に到達する。
音速を超え、重力を断ち切るような跳躍。その一撃は、空を裂くような踏み込みだった。
剣が煌めいた。
――ガキィン!
アトラの爪が、正面からそれを受け止める。
火花が散る。光と力が交錯する。
「ぬぅんっ!」
アトラが腕をひねり、爪が斬り上げる。
ロブは体を半歩ひねって回避、その動きの中で逆手に剣を持ち替え、アトラの脇腹に斬撃を放つ。
――ギィン!!
鋼の皮膚が軋み、衝撃が周囲の岩を吹き飛ばした。
「うわっ!」
エドガーが思わず一歩後退し、リリアが目を覆う。
風が凄まじい。空間そのものがねじれたような破壊の風圧。
だが、アトラの顔には笑みが浮かんでいた。
「その程度では我が爪は折れぬぞ」
翼で距離を取り、アトラは高速で飛翔する。
空中からの急降下。爪が、流星のように閃いた。
――ズバァッ!
地面が斬り裂かれる。
ロブは地を蹴って跳び、逆方向から斬撃を放つ。
彼の放つ一閃は、もはや剣技ではない。
闘気の極点――ドライヴが生む、刹那の重力突破。
肉体の限界を越えた運動は、空間そのものを破砕しかけていた。
「なんて速さ……!」
フィリアが呆然と呟く。
目の前の光景が現実だとは思えなかった。
セラフィナは汗を握る手に感じながら、つぶやいた。
「地上最強の竜と互角に戦える人間がこの世にいるなんて……………」
「それが俺達の師匠だなんてな…………」
セラフィナの独白をエドガーが継いだ。
彼も頬に汗を一筋垂らし口元に笑みを作っている。
よく見ると握った拳が震えていた。
ふたりの最強は、互いの呼吸すら見逃さぬ速度で殺意を交わしていた。
剣が振るわれ、爪が閃く。
そして、その全てを凌ぎ合う。
踏み込み、回避、反撃、追撃――
一合、一合が、一騎当千の威力。
リリアの頬を、何かがかすめた。
――風だ。
いや、相殺し合う斬撃の余波。
どちらかが、一歩でも遅れていたら。
この場所に立っていられた者など、一人もいなかっただろう。
「……来るぞ」
カイが低く呟く。
次の一手。それが、最後。
アトラの身体から、紅の闘気が滲む。
ロブもまた、呼吸を一度、深く――
両者、同時に地を蹴った。
「――ッ!!」
地鳴り。風圧。閃光。
剣と爪が交差する一閃――!
その刹那。
リリアは思わず声を上げた。
「ロブさんっ!」
視界が弾ける。光が砕ける。
次の瞬間、世界は――静寂に包まれていた。
粉塵が落ち着き、砂が舞い落ちるその中に。
ふたりは、互いの鼻先に、剣と爪を突きつけていた。
ロブの剣が、アトラの喉元すれすれに。
アトラの爪が、ロブの額先をなぞるように。
どちらも、一歩動けば致命。
だが、どちらも――動かなかった。
……一拍。
そして、ふたりは同時に笑った。
「ふふ、ええ勝負じゃったのう」
「まったくだ」
ロブが剣を下ろす。アトラも、爪を引く。
その動作は、まるで儀式のように静かだった。
そして、誰よりも深く、リリアは思った。
(――このふたりが、本気になったら……)
世界が、壊れる。
【リリアの妄想ノート】
あの日、ロブさんとアトラさんの戦いを見て、思ったんです――
「この人は、ずっとずっと前から“戦い”というものを知ってるんだ」って。
人間でもなく、竜でもなく、もはや世界そのものの一部みたいで。
……正直、ちょっと怖かったです。
でも、それ以上に――
かっこよかった。
誰にも届かない場所で、誰にも理解されなくても、
たったひとつの刃を信じて立ってるロブさんが。
「ロブさんに近づきたい」って、そう思った。
もっと強くなりたいです。
ロブさんと肩を並べられるくらいに。
できれば……いつか、隣に――え、な、なんでもないですっ!!
ここまで読んでいただきありがとうございます!
よろしければブクマ、感想、評価をお願いします。ブクマもらえたらリリアが泣いて喜びます!




