第102話 階級と、記憶と、ドラゴンと
テルメリア村へ戻ると決めた一同に、ゼランが一歩前へ出る。
「護送は、俺たちで最後まで見届ける」
その言葉に、ロブは静かにうなずいた。
隣に立つライゼは、ロブたちに同行できないのが心なしか残念そうだった。視線を伏せ、ほんの少し口元を結ぶ様子は、いつもの彼女らしくない柔らかさを帯びていた。
「……マイラたちを無事に送り届けてから合流するわ。転移呪文を使って王都に行くから、多分明日にはそちらに着くと思う」
ロブは再度うなずき、視線をミルディアへと移す。彼女は無表情のまま、すっと一歩前へ出た。まるで、そこに感情など必要ないとでも言いたげな動きだった。
「テルメリア村に変える前に、バルハルトに立ち寄っていただけますか?」
「バルハルトに?」
唐突な提案にロブが眉をひそめる。ミルディアは流れるように淡々と続けた。
「ゴブリンスタンピードの件。未然に阻止したあの報酬をロブ様はまだ受け取っていません。それと――お弟子さん達のランク昇格申請も未処理のままです」
「……あー」
間の抜けた声が、ロブの口から漏れた。頬をかきながら、ひとつため息。
「完全に忘れてたな……」
その言葉を合図にしたように、一同の視線が――一斉にライゼへと向けられた。
ライゼはびくりと肩を揺らすと、うつむいて頬を赤らめた。何も言い返さないあたり、自分が原因だと分かっているらしい。
ゼランは苦笑を浮かべるだけで、あえて余計なことは言わなかった。
事情を知らないアトラ・ザルヴァだけが、不思議そうに目を丸くしていた。
しかし、そんな空気もすぐにほぐれていく。
「「昇格!」」
リリアとセラフィナが目を輝かせて声を上げ、ぱんっと手を合わせて喜ぶ。
「報酬!」
エドガーが拳を握り、隣のカイも「……やった」と珍しく嬉しそうに口にした。
フィリアは静かににやりと笑うと、「やったね」と言ってリリアに寄り添うようにくっついた。
結局、全員が軽く笑って、その場に漂っていた気まずさもすっかり和らいだ。
――忘れていたという事実も、深く掘り下げられることなく、あっさりと流されていった。
魔導学舎入学まで、残された時間は少ない。
少しでも移動時間を短縮するため、ロブは転移呪文を使うことにした。
パアァッと光の柱が立ち上がり、空間が一瞬にしてねじれる。
「じゃ、こっちはマイラたちを連れてくから」
ゼランが手をひらひらと振る。ライゼはロブを見て、小さくうなずいた。
転移魔法を扱えるミルディアは、ふたりの移動のために残留を選んだ。
そしてロブたちは、アトラ・ザルヴァを連れて――バルハルトへと跳んだ。
* * *
昼下がりのバルハルト冒険者ギルド。
酒場と併設されたその建物は、いつも通りざわついていた。
扉の開く音が響くと同時に、ひやりと空気が揺れる。
カツ、カツ、と複数の足音。
開け放たれた扉から入ってきたのは――ロブを先頭に、弟子たちとアトラ・ザルヴァの一行だった。
「よお、ロブさん!」
カウンター席にいた冒険者のひとりが、グラスを持ち上げながら声をかける。
「おっ、ロブ! 久しぶりじゃねえか!」
「おう、元気にしてたか?」
顔馴染みの冒険者に声を掛けられ、軽く手を上げて返す。
一見、二十歳そこそこのロブが年上の冒険者に敬意を払われているのには若干の違和感を感じる者もいるが、大半は当たり前に受け入れていた。
「おい、見ろよ、あの人が海老男か……Cランクがさん付けだ………。ギルドの古株って話、あながち嘘じゃなかったな」
「ほんとに海老男って呼ばれてんのか?」
「なんか自分でそう名乗ってるらしい。由来はロブスターって海老が年を取らないからだとか言ってるけど」
軽口混じりの声が飛び交うが、そこに悪意はない。
むしろ――自然に口から出る「よお」の一言が、ロブという存在がこの場所でどれだけ根付いているかを物語っていた。
ロブ達は受付前へと足を運ぶ。
リリアたちが列に並ぶ姿を、後方のテーブル席から数人の冒険者が眺めていた。
「見てみろよ、あの子たち……めちゃくちゃ緊張してるじゃねえか」
「はは、ああいう初々しさ、最近忘れてたな」
「金額聞く前から、目がキラッキラしてる。微笑ましいったらないぜ」
「……俺たちにも、そんな時期あったよなあ。はした金でも、飛び跳ねて喜んでたっけ」
「ほんとにな。千リューク手に入っただけで豪遊してたな、あの頃」
酒と回想に浸る一方で、受付カウンターに緊張が走る。
「おまたせしました!」
受付嬢が立ち上がるようにして、明るい声を響かせた。
「まずは――ゴブリンスタンピード未然防止に関する討伐報酬、総額百五十万リューク。こちら、ロブ様にお渡しします!」
「ぶっ!!」
背後の酒場で、一斉にビールを吹き出す音が上がった。
「百五十万!? マジで……?」
「ゴブリンスタンピード止めたって噂本当だったのか……!」
「ま、まあ……海老男だしな……」
ざわつく周囲をよそに、受付嬢はさらに声を張る。
「そして――リリア様、セラフィナ様、エドガー様、カイ様、フィリア様。五名の昇格手続きが正式に完了しました!」
ピシッと姿勢を正し、彼女は丁寧に小箱を開いた。
中から一枚一枚、丁寧に取り出す。
「リリア様、セラフィナ様、エドガー様、カイ様、フィリア様――以上五名、Gランク『翠蛇』からFランク『灰梟』への昇格が正式に承認されました」
カウンター越しに掲げられたそのカードは、どこか金属的な光を帯びた灰色の板だった。
Gランクの時のカードは緑の木製だったが、今回手渡されたものはわずかに冷たく、重みがある。
「Fランクは“灰梟”の階級にあたり、下位ランクの卒業と見なされます。これより中級クエストの受諾が可能になり、報酬基準や信用査定も引き上げられます」
受付嬢はにこやかに、だが真剣な口調で説明を続けた。
「おめでとうございます。これが、あなた方の新しい冒険者カードです」
「……まあ……」
セラフィナがカードを両手で受け取ると、目を輝かせてそれを見つめた。
「わたくし、この色……結構好きですわ。落ち着いていて、品があって……」
「木じゃねえんだな、これ……」
エドガーがカードを指先で弾き、金属音に驚いたように眉を上げる。
「……ちょっと重いな」
カイが言った。だが、その口調には不満どころか、どこか誇らしげな響きがあった。
「やったね」
フィリアはいつもの調子でにこっと笑い、リリアに寄り添うようにして肩をぽんと叩いた。
そして――
リリアは、カードをまじまじと見つめた。
銀灰色の表面には、自分の名前と認証ナンバー、Fランクのエンブレムが刻まれている。
まだ見慣れないそのカードを、彼女はそっと胸元に当てた。
(――灰梟。このカードに、恥じないように)
ゆっくりと深呼吸する。
胸の奥が、少しだけ熱くなっていた。
リリアは、初めての“自分の階級”を、そっと抱きしめるようにカードを仕舞った。
ロブは5人に正面から向き直り柔らかな笑みを送る。
「おめでとう。初の昇格だ。これからも気を引き締めてな」
そういうロブの顔も嬉しそうだった。
アトラはロブの横に立ち、嬉しさを噛み締める五人を見ながら笑う。
「初々しいのう。海老男にもこういう時期あったのかえ?」
「いや………俺はギルドを作った側だし、その頃にはベテラン扱いだったから」
「そうか………。創始者は創始者にしか味わえん感情もあるが、あの初心な気持ちも味わっておきたいものじゃのう」
創始のドラゴンたるアトラ・ザルヴァは目を細めて言う。
見た目は小娘だが、その表情にはどこか老成された雰囲気があった。
「贅沢な悩みだがな」
ロブも微笑みながら同意した。
* * *
テルメリア村へ戻ったロブたちは、転移の余韻が残る空気の中、村の入口に降り立った。
木々に囲まれた静かな集落。どこか懐かしい土の匂いと、陽に焼けた石造りの家々。
その光景を見たアトラ・ザルヴァは、ふむふむと頷きながら、あちこちを見回した。
「ほう、なかなか良い村ではないか。空気もうまいし、土も生きとる。――それにしても、全滅した村をここまで復興させるとは、大したものじゃのう」
何気なく放たれたその言葉に、リリアが思わず足を止めた。
「……全滅、ですか?」
耳慣れない言葉に、リリアが振り返る。
ロブは小さく息を吐き、ほんのわずかに顔を曇らせた。
「ああ。お前たちには話してなかったな。……二百年前、この辺りは魔族との戦争の最前線だった」
彼の声は、いつになく低かった。
「俺は当時、この村の守備に就いていた。だが――結果的に、守りきれなかった」
短い言葉の中に、長い時間と、重い責任が込められていた。
リリアは返す言葉を失い、そっと視線を落とした。
「………儂、余計なこと言ったか?」
アトラが、少しだけ肩をすぼめた。
無邪気な声音の裏に、居心地の悪さを隠しきれていないのが見て取れる。
「いや、いいさ。もう昔の話だ」
ロブがそう返すと、アトラは「あー、それならよかった」と頭をぽりぽりとかきながら、再び村の風景に目を向けた。
そのやり取りを見ていたリリアは、ふと、ロブの横顔に目をやった。
――どこか、遠くを見つめるような目をしていた。
寂しげな、けれど誰にも寄りかからない目。
たった一言にとどめた「守れなかった」という言葉の裏に、どれほどの人の死を見たのか、どれほどの想いを飲み込んできたのか――リリアには想像すらできなかった。
彼は、三千年を生きてきた。
その長い時間を、孤独と悔恨のなかで、何度もこうして乗り越えてきたのだろう。
リリアは、胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
言葉にできない何かを、ただ黙って感じ取ることしかできなかった。
――でも、せめて、今だけは。
リリアはそっと歩み寄り、何も言わずにロブの隣に並んだ。
ただそれだけで、少しでも彼の孤独が薄れてくれることを願って。
ロブの家に到着すると、アトラ・ザルヴァは真っ先にリビングの来客用の椅子に腰を下ろし、ふうっと満足げな息を吐いた。
背中を反らしすと、人間の姿で隠していた尻尾をぽん!と出す。
「そんなふうにしまえるんですのね………」
セラフィナが感心するように呟く。
アトラ・ザルヴァは尻尾をゆるく揺らしながら、天井を見上げる。
「ふむ、やはり落ち着くのう。このくらい静かな場所が一番じゃ。騒がしすぎると、どうにも尻尾がむずむずしてしまう」
誰にともなくそう言いながらも、その目線はちらちらとロブの方を伺っている。
そして、ひと呼吸置いてから――にやりと笑った。
「……のう、ロブ。弟子たちに指導をつける前に、儂と久しぶりにやり合わんか?」
その瞳には、確かな光が宿っていた。
単なる気まぐれでも、軽口でもない。これは――真剣な「提案」だ。
ロブは数秒、言葉を選ぶように沈黙し、そして口の端をゆっくりと持ち上げる。
挑戦を受けて立つ者の、静かで確かな笑み。
「――ああ、いいだろう」
短く、しかし重みのあるひと言。
その瞬間、部屋の空気がすっと引き締まり、見えない火花が二人の間を走った。
【リリアの妄想ノート 】
『階級昇格!師匠の過去!次回、地獄!』
今日、わたしたち――
なんと、Fランクになりました!!
カードもキラッキラで、しかも金属製!セラフィナさんが「お上品ですわ」ってうっとりしてたけど、わたしはもう、見た瞬間に「えっこれ高そう」って思っちゃった!
……でもね。
そんな浮かれ気分の裏で、ロブさんが言ったんです。
「守れなかった」って。
この村が昔、全滅した場所だったって――。
あの人が、ただ“強い”だけじゃないって、ちゃんと心があって、責任も、悔しさも抱えている人だって……改めて思い知らされました。
だから、思ったんです。
この灰色のカード、ただのランクじゃない。
“ロブさんの誇りに、追いつくための証”だって。
あ、でもその後――
アトラさんが「やり合おう」って言ってきて、ロブさんが「いいだろう」って微笑んで。
……え? それってつまりドラゴンVS海老男……!?
次回、死人が出ませんように!!




