第100話 師匠、頭を冷やす
「わっほーいっ!」
派手な嬌声とともに、アウロラグナの尾をつるりと滑り降りてきたのは――
人間の女性にも見える、美しい中性的な姿をしたアトラ・ザルヴァだった。
地面に着地すると、くるりと一回転して、ふわりと舞うように着地。
思わず「おぉ~っ!」と歓声を上げる子どもたちのなかで、ひときわ大きな笑みを浮かべていたのは、誰よりもはしゃぐアトラだった。
「これはなかなか面白いのお!」
その声は、どこかおばあちゃんのような口調でありながら、全身から楽しさがにじみ出ている。
リリアはその様子を微笑ましく見ていたが――ふと、気づいた。
(あれ……ロブさんが、いない?)
広場をぐるりと見渡しても、その姿は見つからない。
リリアは小走りで村の奥へ向かった。
そして――村長の家の前まで来ると、見つけた。
家の中。暖炉の前の椅子に、ロブは静かに腰かけていた。
頬杖をつきながら、揺れる炎をただじっと見つめている。
周囲の喧騒とはまるで別の世界のように、そこには静寂が漂っていた。
「ここにいたんですね」
リリアがそっと声をかけると、ロブはちらとこちらに視線を向ける。だが、それきり。すぐに暖炉の炎へと目を戻した。
「ロブさんも滑ってみませんか? アウロさんの尻尾、けっこう楽しいですよ?」
「俺は滑り台でキャッキャする歳じゃねえよ」
即答だった。ぶっきらぼうな口調も相まって、どこか拗ねたようにすら聞こえる。
「じゃあ、アトラさんはどうなるんですか……?」
リリアが困ったように首をかしげると、ロブはため息交じりに言い放った。
「あいつは俺より年下だ。それ以前に精神年齢が五歳児で止まってる」
毒がじわりと滲み出た一言だった。だが、不思議と否定はできない。
それにしても、普段は理性的なロブにしては、やけに辛辣な物言いだった。
リリアはそんなロブの背中を見て、ふと、ある可能性に思い至る。
(あれ……もしかして)
「……落ち込んでます?」
恐る恐るそう問いかけると、ロブの肩がぴくりと小さく跳ねた。
――図星。
リリアは確信した。
さっき、ここでアトラ・ザルヴァが村長の処遇について話していた。
その中で、ロブの考え方や判断の癖についても、遠回しに――いや、けっこうズバッと――指摘していた。
アトラの提案は、ロブには言えなかった“落としどころ”でもあった。
自分の足りなさを突かれて、素直に落ち込んでいる――
どうやら、今のロブは、そんな状態らしい。
「……俺が融通の利かねえ人間だってことは、自分でも分かってたさ」
ぼそりと、ロブがこぼす。
手元の薪を一束取り、ぱきりと割って暖炉へとくべる。乾いた木が爆ぜる音が、部屋の静寂にやけに鮮やかだった。
「裁判官じゃなくて、裁判所……か。あのアトラの言い回し、ちっとも笑えねえな。的確すぎて、むしろ痛ぇ」
ロブは自嘲気味に口元を歪めた。
「結局、俺はなんでも一人で判断しちまう。そうならないようにって、お前たちに『選べ』って迫った。けど、今度はそれを“逃げ”だって言われるんだ」
そこまで言ったロブの声に、少しだけ棘が混じっていた。
「……うっ」
リリアは小さく声を漏らした。
それ、自分が言ったやつだ……と、思い出す。
(ロブさん……根に持ってたんだ……)
言った本人としては、その場の勢いというか、感情的な一言だった。
けれどロブは、ちゃんと――いや、しっかり覚えていたのだ。
(意外と、ネガティブなんだ……)
リリアは驚いた。
普段のロブは、「できるできないじゃない。やるんだ」みたいな精神論で押し切ってくるタイプで、どこまでもポジティブの塊だと思っていた。
でも、違ったのだ。
ロブは、自分で自分に言い聞かせていた。弱さを抱えながらも、それを前に出さずに生きてきた――そんな不器用な師匠だったのだ。
(……なんだろう、ちょっと可愛いかも)
炎に照らされた横顔を見つめながら、リリアはこっそりと思った。
ほんの少しだけ。
リリアの中に、いたずら心が芽生えた。
気付けば彼女は、ロブの隣に腰を下ろしていた。しかも、わざと距離を詰めて。
ぎし、と椅子がきしむ。ロブが身を引くように体を動かすのが分かった。ほんのわずか――けれど、確実に動揺している気配。
(ふふっ)
リリアは小さく笑い、そっと片手を伸ばした。
そして、ロブの頭に――ぽすり、と手を置く。
「…………なんだよ」
ロブが横目でにらむ。けれど、その手を振り払おうとはしなかった。
リリアは優しく、髪を撫でるように手を動かす。
「ロブさんは、頑張ってますよ。いつも。皆、ちゃんと分かってます」
その声は、焚火のようにあたたかく、やさしかった。
「でもね、完璧になんてできません。三千年生きてたって、分からないことも、できないこともあるはずです」
「……分かったようなことを……」
ロブはふてくされた声を出しながらも、されるがままだった。
傍から見れば、明らかに奇妙な光景だ。最強格の不老不死の男が、年端もいかぬ少女に頭を撫でられているなど、どこの誰が想像するだろうか。
「だからね、たまには甘えたって、いいんですよ」
「……」
ロブは沈黙したまま炎を見つめていた。
「ロブさんは、この世界で一番年上なんですから。甘えられる大人なんて、いないでしょ? なら――私が、慰めてあげますよ」
リリアは、にこっと笑った。
「……ガキのくせに」
ぼそり、とロブが呟く。
「その“ガキ”に言いくるめられたのは、誰でしたっけ?」
「…………このやろ……」
ぼそぼそと毒づくロブ。
けれどその口元は、わずかに緩んでいた。
そして。
「――っ!?」
不意に、ロブが体を傾けた。
そのまま、リリアの肩にもたれかかる。
「ふ、ふぇぇっ!?」
リリアはまるでセラフィナのような声を上げた。
その頬は見る間に熱を帯びていき、頭の中では赤信号がビカビカと点滅を始めていた。
「甘えていいんだろ? なら遠慮なく甘えさせてもらう」
「い、いやっ!? ちょ、近っ! 顔ちっかい! 距離感どこ行きました!?」
リリアが慌てて仰け反る。だがロブは引かない。むしろ、じりっと迫ってくる。
「膝枕もしたじゃねえか」
「だからって! 顔が! 近いんですってばぁぁ!!」
先ほどまでの落ち着きはどこへやら。リリアは真っ赤になって目を泳がせる。
(やばっ、やばい……っ! なんか、なんか男のくせに、いい匂いするうううう!!)
脳内に警報が鳴り響く中、ロブはまったく気にした様子もなく――いや、むしろ楽しそうに、リリアの肩に頭をこすりつけてくる。
「うりうり……」
(やめろおおおおお!! うりうりするなあああああああああ!!)
もはやリリアの中で理性は完全に崩壊していた。言葉にならない悲鳴が魂からあふれ出す。
そんなリリアの混乱をよそに、ロブはさらに図に乗る。今度は、ずい、とリリアの膝に頭を預けた。
「うぉい!なんでそこで頭を載せるっ!?」
「師匠になんて口の利き方だ、それ」
見上げてくるロブの黒い瞳がにやにやと細められる。
「わ、私に母性を見ましたか!? またそのルートですか!?」
「それ前にも聞いたな」
くっくっと、喉の奥で笑う。
さっきまで落ち込んでいた面影など、もうどこにもない。
(ずるい……)
そんなことを思った瞬間。
ふいに、ロブの手がリリアの頬に触れた。
その掌は、やわらかくて、あたたかくて――。
「……ありがとな」
黒い瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
リリアの青い瞳が、反射的にそれを捉えた。
「い、いえ……」
途端に大人しくなってしまったリリアは、蚊の鳴くような声で答える。
ロブの手が、頬から耳元へ、そしてうなじへと流れていく。
――そしてそのまま、リリアの後頭部に回り込むと、ぐっと少しだけ力を込めた。
「えっ……?」
顔が――落ちる。
いや、違う。ロブが、顔を、上げてきて――
「え、えっ、えっ……!? なになになに!? 今度はどんなイタズラなんですかっ!?!?」
脳内が真っ白になる。
でも――止まらない。
ロブの唇が、リリアの唇に、ゆっくりと、確実に、近づいていく。
触れ合う――その、直前だった。
ギィィ……。
唐突に奥の部屋の扉が、間の悪い軋みを立てて開く。
「……ッ!」
二人は跳ねるようにして距離を取り、同時にそちらへ顔を向けた。
そこには村長のハルベルトが無表情で立っていた。
すべてを見ていたかどうかは分からないが、彼の目には確かにロブとリリアが映っていた。
……長い、沈黙。
やがて、何を言うでもなく、ハルベルトはふらりと二人の前を横切る。
が、扉の前でぴたりと立ち止まり、低い声でぽつりと告げた。
「若い者同士のイチャつきをどうこう言うつもりはないが……他人の家ではやめておくことだ。こうなるぞ」
そう言ってからまた扉を開け、去っていった。
……重い沈黙。
床に吸い込まれそうな空気のなか、二人は固まって動けない。
だが、一拍置いてロブがガバッと立ち上がった。
「…………頭を冷やしてくる」
唐突な宣言とともに、ロブは外へ飛び出した。
そのまま駆け出す。
そして――
村の広場へ飛び込んだロブは、アウロラグナの背へ一蹴りで飛び上がり尻尾を滑り下り、勢いよく空中へジャンプ。
空へ高く舞い、体をくるくると回転させ――
見事な着地。
……静寂。
子供たちも、大人たちも、言葉を失う中――
ロブはドヤ顔でアトラ・ザルヴァを見た。
「……大人気なっ!!」
アトラが叫んだ。
その瞬間、ロブは再び走り出し、村の外へと爆走していった。
「なにがあったんだ、あいつ……」
ゼランがぽつりと漏らす。
その背中を、リリアは呆然と見つめていた。
――顔を赤く染めたまま。
先ほどの余韻を、まだ胸の奥にくすぶらせながら。
【リリアの妄想ノート】
タイトル:『ロブさんの弱点、見つけちゃいました』
今日は、すごかったです。
ロブさんが、落ち込んでて。
でも、ちゃんと話してくれて。
で、慰めてたら――
なぜか甘えられました。
え?逆じゃないんですか!?
私が、ロブさんの頭をなでて?
肩にもたれて?
膝まで使われて?
最後は唇が――ああああああああああああ!!!
近いし!!いい匂いだし!!
師匠のくせに!!乙女心を掻き乱しすぎなんですけど!!
……でも、可愛かったのは事実です。
「頑張ってる」って、誰かに言ってほしかったんですよね。
私、ちゃんと伝えられたかな。
それにしても最後の逃走劇。
なんですかあの滑り台ジャンプドヤ顔脱出……!!
本当にロブさんって、ずるいです。
(そして私は今、顔が熱くて寝れません)




