表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

104/153

第98話 神竜、ハグる。~リリアとライゼと三千年~

 昼間の村の広場。

 冬の陽射しが照り返す白雪の中心に、それは立っていた。


 アトラ・ザルヴァ。


 その佇まいは静謐で、なのに理屈を超えた圧が空間を圧縮するように広がっていた。空気が震えているのか、時空が拒んでいるのか、理解が追いつかないまま、リリアの背筋にぞわりと冷たいものが走った。


 思わず息を呑む。だが、肺が受け付けない。呼吸が苦しい。


 隣に立つセラフィナも、表情を変えずに気丈を装っていたが――その手が、小刻みに震えていた。


 エドガーは、剣に手をかけ、すぐに外した。どう考えても目の前の存在に剣が通じるわけもない。「剣抜いてどうすんだよ」と自分でもツッコみたくなったのだろう、眉間を押さえて項垂れている。


 カイはと言えば、静かに目を見開いていた。無言で、だがその瞳には明確な“理解”と“警戒”の色があった。まるで獣が、本物の王に出くわした時のように。


 フィリアは完全に座り込んでいた。地面にへたりこみ、足を引きずるように後退りしては、氷の上で滑ってズルッと倒れる。小声で


「これが…これが頂点……?ちょっともう……限界……」


 と、もはや限界を宣言していた。


 ゼランはといえば――彼なりに勇気を出していたのだろう。背筋を伸ばし、顎を引き、胸を張って直立していた。

 しかし、身体は硬直し顔だけは笑っていたが、頬の痙攣が「無理してるのバレてるぞ」と教えてくれる親切設計だ。


 誰もが言葉を吐き出せずにいる中、

 その重圧をまるで感じていないかのように、ロブが口を開いた。


「よお、久しぶりだな。アトラ」


 その一言が放たれた瞬間。


 ぎんっ!!


 ライゼが凄まじい勢いでロブを振り返る。

 その顔は真っ青なのに、目は充血し、口はパクパク、完全に酸素が足りてない金魚状態。頬には一筋の冷や汗。こめかみがピクピクしている。


 まるで今、禁忌を口にしたとでも言わんばかりの顔だった。


 その視線を真正面から受け止めたロブは、なんというか、「いや、そんな睨むなよ」って顔で肩をすくめる。


 そのやりとりの先。


 漆黒の長髪を靡かせ、アトラ・ザルヴァが、ようやく口を開いた。


「うむ!元気そうだな! 海老男!」


 その笑顔は、あまりにも朗らかだった。


 彫像の様な美しい造形もあって笑顔が眩しい。神々しい。


 全てのドラゴンの頂点であり、世界最強と恐れられる存在が――まさかの、どこかの陽気な叔母さんみたいなテンションだった。


 ――だが、誰も笑えなかった。


 その“朗らかさ”が逆に怖い。

 空気が一瞬だけ和んだかと思えば、次の瞬間には、肺の奥をつかまれるような圧が押し寄せてくる。

 温度が、耳鳴りが、時間の流れさえ、すべてが“おかしい”。


(なに、この人……いや、ドラゴンだけど……)


 リリアは理解できなかった。

 確かに、外見は美しい女性に見える。

 けれど、“存在そのもの”が異質すぎる。


 見つめているだけで、思考がかき乱される。

 脳のどこかが、ずっと警報を鳴らしている。

 なのに――視線を逸らせない。

 怖いのに、目が離せない。


「二百年ぶりだったかのう。連れないやつじゃ。わしの住処を知っているのはお主だけなのじゃから、せっせと遊びにこんか」


 アトラ・ザルヴァが、口を尖らせた。


 その口調が、なんとも気さくだった。まるで近所のお婆ちゃんのような――いや、見た目は少女めいてすらあるのに、語り口と眼差しは“三千年の重み”そのものだった。


 ロブは、少しだけ肩をすくめた。


「悪いな。忙しくてついな」


「わしと同じ年月を生きておるというのに、まったく、相変わらずの言い訳男じゃ」


 ふん、と鼻を鳴らす。


 口調は軽やか。けれどその足元では、一面の雪が音もなく蒸発していた。


 そこにいるだけで、世界が削れていく。


(ロブさん、どうして平気で喋ってるの……?)


 リリアは、息をひそめてロブの背中を見つめた。


 彼女の脳裏に、雷のような直感が走った。


 ――この人が、本当にロブさんと並ぶ存在なの?


 そう思った瞬間。

 リリアの肩が、ぴくりと跳ねた。


 そうして――


 アトラが、ふわりと宙に浮かんだかと思うと、何の前触れもなく、すとんとロブの胸へ飛び込んだ。


 ロブの身体が一瞬たじろぐ。


 そのまま、アトラは両腕をしっかりとロブの背中に回し、全力の密着態勢。

 しかも、やわらかそうな胸の感触が、あまりにも自然に、あまりにも堂々と、ロブの胸板に押し当てられていた。


(う、嘘でしょ……?)


 リリアはその場で石になった。

 頭が真っ白になる。目の前の現実を、理解するより先に怒りと嫉妬が突き上げてくる。


 ロブはというと、顔を引きつらせながら、半歩ほど身体を引こうとしつつ――


「おい、離れろよ……」


 かすれたような、照れの混じった声で言った。


 しかし、アトラはその腕を緩めることなく、明るく言い放つ。


「ん? 人間同士の親愛表現じゃ。ハグと言うのじゃろう?」


 ドヤ顔だった。まさかの。


(な、何よそれ……!?)


 リリアはもう限界だった。

 心臓がうるさくて、呼吸も浅い。目の前で、ロブが、誰かに、笑顔で、やわらかさを――!


 がばっ、とロブの反対側の腕にしがみつく。


「……離れてくださいっ!!」


 声が裏返った。羞恥も理性もどこかへ飛んでいた。


 そして気づく。ロブのもう片方の腕にも、ライゼが真っ赤な顔でしがみついていた。


「ちょ、ちょっと、アンタ! 馴れ馴れしすぎでしょ……っ!」


 三人の美女に同時にしがみつかれる海老男。


 ロブは肩をすくめるようにしながら、どこか気恥ずかしそうに、ぽつりと呟いた。


「ど、どうしたんだよ、二人とも……」


 その声音に余裕はない。いつもはどこか飄々としているロブの、珍しく戸惑いの混じった声だった。


「なんじゃ、海老男。相変わらずモテるのう」


 アトラが心底楽しそうに笑う。


 ――その一言で、リリアとライゼは一斉に我に返った。


「ち、違いますからあああっ!!」


 赤面してしゃがみこんだリリアとライゼの絶叫が、ぴしんと場の空気を裂いた。


 張りつめていた空気が一気に緩む。弓の弦が切れたように、周囲の緊張がはらりとほどけていく。


 セラフィナが、長く張っていた息をゆっくりと吐いた。凍りついていた両肩が、ようやく雪の中で静かに落ちる。


 エドガーは「……助かった」とでも言いたげに肩をまわし、額の汗を拭う。

 

 ゼランはふう、と大きく息を吐き、今度こそ安堵の、笑みを作った。


 カイは無言で周囲を一瞥し、細く息をつく。


 そして、誰よりも遅れてフィリアが、ゆっくりと立ち上がる。

 震えた膝を両手で支えながら、ぐらり、と揺れつつも踏ん張った。真っ青だった顔には、まだ怯えの名残があった。


 その静けさを破るように、ロブがふと声を上げる。


「……お前からわざわざ来るとはな」


 アトラに向けたその声は、穏やかで、どこか懐かしさを含んでいた。


「事が事なのでな。アウロが操られたということは、かつてのラグナロクの再現となるやもしれん。それは避けねばならん。なので、わし自らがその痴れ者をふんづかまえてやろうと思ってな」


 堂々と言い放つアトラに、セラフィナが恐る恐る声を挟む。


「それは、逆に操られる危険があるのでは…………?」


「あ、そうじゃった!」


 アトラはくるくると笑い、頭をぽんぽんと叩いた。


「短絡的なんだよ。お前は」


 ロブが眉をひそめてため息を落とす。呆れと、どこか安心したような声音だった。


 だが、すぐに視線を戻し、アトラに向けて続ける。


「……だが、ちょうどよかった。俺もお前に話したいことがあったんだ」


 そのやりとりの最中、不意にアトラがリリアをじっと見つめた。


「お主……どこかで見たことがあるのう………。もしかして――」


 顔を、ぐいと近づけてくる。距離がゼロに近づくほどに迫られて、リリアは思わず目を見開いた。

 ――近い。近すぎる。

 相手がドラゴンの王であることなど関係なく、リリアはその瞳の奥に、自分の内側を覗かれているような錯覚を覚えた。


 ドクン、と心臓が跳ねた。


「っ……!」


 思わず一歩引きそうになったとき――


「……ここでは人の目が多すぎる。話は中でしよう」


 ロブの低い声が、場を制した。


 アトラがそれを感じ取ったのか、ぐっと距離を戻し、からりと笑った。


「うむ! わかったぞ、海老男!」


 その明るさの裏に、何かを察したような気配をリリアは感じた。


 雪を踏みしめて歩き出すロブの後ろ姿を見つめながら、リリアの胸に小さな棘のような不安が刺さる。

 アトラの言葉。そして、ロブの“圧”。

 まるで――本当に、自分の何かを知っているかのようで。


 ありえないはずの直感が、冷たい風のように心を撫でていった。






【リリアの妄想ノート】


『神竜の胸とロブさんの背中と、私の心臓の鼓動について』


今日は人生で初めて、神様みたいな存在を見た気がします。

しかも、めちゃくちゃ綺麗な女の人(?)で……すごく……スタイルもよくて……。

その人が、いきなりロブさんに――


ハグ!!


(えっ!? いやちょっと待って!?)


こちとら、毎日一緒にいても“肩ポン”すらされてませんけど!?

それを初対面で!? 胸を!? 押しつけて!? ハグ!?!?


もう限界でした。

何かがブチッと切れて、気づいたら叫んでました。


「離れてくださいっ!!」って。


そしたら隣にいたライゼさんも、同じようにロブさんの腕にしがみついてて。

……やっぱりライゼさんも、ロブさんのこと――


……ああもう、うるさい!うるさい私の心臓!黙って!


あのときのロブさんの「ど、どうしたんだよ」って声が、

ちょっと照れてて、ちょっと嬉しそうで、でも――


悔しいくらい、優しくて、かっこよかったんです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ