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第97話 創始の竜、現界す

 扉が背後で静かに閉まる。


 冷たい風が肌を刺す中、足元の雪を踏みしめてロブは一歩だけ進み、弟子たちに背を向けたまま低く言った。


「……マイラの話は鵜呑みにするな」


 リリアが戸惑いを滲ませた瞳で見上げる。


「え……妹がいるって、嘘なんですか?」


 エドガーが眉をひそめる。


「演技には見えなかったぞ?あれが嘘だったら大したもんだ」


 セラフィナが冷ややかに口を開く。


「妹がいるのは本当でしょう。でも、“守ってほしい”が本心とは限りませんわ」


 一瞬、空気が張り詰める。


 カイが静かに問う。


「……つまり、罠の可能性があるってことか」


 セラフィナはすぐに頷き、明快に言い切った。


「わたくし達が魔導学舎に潜入するということは、魔導公会の掌中に飛び込むということですわ。相手が手札を仕込んでいないと考えるのは甘いというほかありませんわ」


 リリアは言葉を失い、視線を落とした。


 エドガーは舌打ちを堪えるように呟く。


「こっちの同情を引いて罠に嵌める………胸糞悪いやり方だな」


 フィリアが肩をすくめながら言う。


「罠ってわかってて行くとか、正直怖いよね……」


 ロブは静かに振り返り、弟子たち一人ひとりを見渡して言った。


「罠とは限らんさ。妹を思う気持ちも本物かもしれん。だが可能性がある限り、全てを疑う。それが生き残る道だ」


 しばし沈黙のあと、リリアがおずおずと口を開いた。


「でも……罠の可能性があるのに、マイラさんの頼みを聞く必要あるんですか?」


 その疑問に、ロブはすぐには答えなかった。ただ、少しだけ顎を動かし、傍らのゼランを軽く示す。


「潜入すること自体に意味があるのさ。なあ?」


 ゼランはロブの意図を即座に察し、うっすらと苦笑を浮かべながら応じた。


「……そういうことだ。学舎の中で魔導公会の情報を集めるのが、俺たちの本当の目的だ」


 カイが反応を見せる前に、リリアが身を乗り出す。


「情報って……どんな?」


 ゼランの声色は変わらない。淡々としているが、その内容は鋭かった。


「詳細は後で伝えるが……魔族や紅竜団と繋がってる証拠が見つかれば、大収穫だな」


 その言葉に、フィリアが眉をひそめて口を挟む。


「でもそんなの、ただの学校に転がってるわけないでしょ?」


「普通はな」


 ゼランは肩をすくめ、軽く笑った。だが目の奥は笑っていない。


「だが可能性はある。外から得られる情報には限界があるからな。内部に潜らなきゃわからないこともあるってことだ。……もう一つの目的は、ロブから直接聞け」


「え?」


 一同の視線が、一斉にロブへと向く。


 ロブはわずかに肩をすくめて、ゼランに軽くうなずいた。

 何も言わずとも、了解の合図だけは伝わった。


 ひと息、場が落ち着いたそのタイミングで、フィリアがぽつりと口を開いた。


「それにしてもさ……セラフィナ、やっぱり頭いいのね」


 不意を突かれたように、セラフィナが振り返る。


「どういう意味ですの?」


 フィリアはあっけらかんと答えた。


「いや、だって今朝からずっと、尻尾で滑って雪の中に頭突っ込んだり、駄々こねたり、変な声出したり――見事なポンコツだったから」


 「ああ」とカイが思い出したように頷く。


「確かに。微塵も“お嬢様”って感じじゃなかったな。あの“ふぁっ”とか"ふえ?"とかな。あれ、何?」


「なっ……っ!」


 セラフィナの表情が一瞬で凍りつく。だがすぐに、ツンと顎を上げて言い返した。


「わ、わたくしは場の雰囲気を和ませようと、わざとあんな振る舞いをしたのですわ! そ、そう、わ・ざ・と!」


 「へえ~」とリリアがにやりと笑う。


「つまり、雪の中で足バタバタさせてたのも?」


「すっ転んで『こ、ここの地形が悪いですわ!』って怒鳴ってたのも?」


「わざと……ですわ……」


 その語尾は、気品というより敗北に近かった。


 エドガーが咳払いしながら小声で漏らす。


「……まあ、その、ギャップ萌えってやつだよな」


 ゼランは豪快にがははと笑い、ライゼも顎に手をやりクスクス笑う。

 ロブは何も言わなかったが、目をそらしたまま口元がわずかに緩んでいた。


 ひとしきり笑いが場を和ませたところで、ロブが腕を組み、空を仰ぐようにひと息ついた。


「――さて」


 一語で空気が変わる。

 弟子たちの背筋が自然と伸びた。


「入学手続きが終わるまで、猶予はおよそ一週間。その間にお前らには基礎をみっちり叩き込む。……学舎に入れば、もう俺ひとりが面倒を見てやれる時間は限られるからな」


 声に遊びはなかった。けれど、そのぶん言葉が芯を持って響いた。


「加えて、ギルドのクエストもいくつかこなしてもらう。経験と実績は、実力と同じくらい重要だ。死ぬほど忙しくなる。――覚悟しておけ」


 リリアが最初に頷き、続いてエドガー、フィリア、カイ、セラフィナの順に、目を見据えてそれぞれの決意を示すように頷いた。

 誰一人、ためらいの色はなかった。


 その気合いの入りように、ゼランが目を細めて苦笑した。


「おお……気合が漲ってるな。何かあったのか? なんだ、集団で悟りでも開いたか?」


 軽口めいたその言葉に、リリアたちは少し顔を赤らめたが、誰も否定しなかった。


 代わりに、ライゼがそっとロブに近づき、小声で囁く。


「……あのことを、話したのね?」


 ロブは応えず、ただ視線だけを向けた。


 ゼランが、二人のやり取りを見て眉をひそめる。


「ん? あのことって、何の話だ?」


 ロブは短く答えた。


「……後で話す」


 それ以上、誰も何も聞かなかった。

 ただ、静かに、新しい局面への準備だけが、確かに始まっていた。


 そこに――


「話は済んだか?」


 尻尾で子どもたちを軽くあやしながら、アウロラグナが口を挟む。


 ロブが短く頷く。


「ああ、どうした?」


「長老が、お前に話したいそうだ」


「アトラが?」


 ロブの目がわずかに細まる。


「うむ。わしが操られた件は由々しき事態じゃからな。アトラも静観はしておれんのだろう」


「……そうか。コマンドワードを知る者の存在は、ドラゴンの存亡に関わるからな」


 そこに、ライゼがぐっと一歩前に出た。


「ちょ、ちょっと待って。今、長老って……アトラって言った? え、あの……アトラ・ザルヴァのこと?」


「え!? “創始の竜”アトラ・ザルヴァ!?」

 フィリアも声を裏返らせる。


「そうだけど?」


 ロブがあっさり言い放った瞬間、


「「いやいやいやいや!!」」


 ライゼとフィリアが完全シンクロで手を振る。


 リリアは二人の慌てように口をぽかんと開けた。


 フィリアはまだしもライゼがここまで狼狽えるのはただ事ではないと思えた。


「なんでそんな普通に呼んでんの!? “世界の始まりに現れし原初の竜”だよ!? 普通は名前出すだけで祈るレベルでしょ!」


「それ、ドラゴン差別だぞ。アウロにも失礼だろ」


「わしは別に気にしとらんがの」


 アウロがさらりと返した。


「「そういう問題じゃなーーい!!」」


 二人の悲鳴じみたツッコミが、冬空に響き渡った。


「うるさいな。別にそんな大した奴じゃないよ。あいつは」


 何でもないことのように言い放つロブに、一瞬空気が凍った。


「……あいつって! あいつって!!」


 ライゼがロブの胸ぐらを涙目で掴み揺さぶる。


「こ、怖いこの人!! いろんな意味で怖い!!」


 フィリアは膝を抱えその場に蹲る。


 その場に残された者たちが、ゆっくりとある一点を見た。そう、「いつもの流れ」である。


 リリア、エドガー、カイ、そしてゼランまでもが揃ってセラフィナに視線を送る。


「まったく……困った時のわたくしですのね」


 セラフィナはため息を一つ。気持ちを切り替えて、言葉を紡ぎ出した。


「創始の竜アトラ・ザルヴァは、すべてのドラゴンの起源とされる存在ですわ。彼が一声咆哮すれば、世界中のドラゴンが呼応し、その命に従うと伝えられています」


 セラフィナは一呼吸おいて、声のトーンを落とす。


「かつて太陽神ヘリオスが、全ドラゴンを率いて堕落した神々と戦った“ラグナロク”……その戦争を導いた存在こそが、アトラ・ザルヴァですの。もっとも――実際には、操られていたのですけど」


 弟子たちの背筋がぞくりと震えた。


「その力は、まさに伝説ですわ。羽ばたけば天候が荒れ狂い、爪一閃で山脈をえぐり、吐息ひとつで大地を焦がす。伝承の域を超えた、災厄そのものです」


 セラフィナは静かに、しかし確信を持って結論を下す。


「間違いなく、アトラ・ザルヴァはドラゴンの頂点――すなわち、世界最強の生物ですわ」


 背筋を伸ばし、淡々と語るその姿に、弟子たちは思わずごくりと息をのむ。


「そんなバケモン……いや、神? 神竜? をあいつとか言ってるの、俺たちの師匠なんですけど……」


 エドガーがぽつりと呟いた。


「すげえな……いや、冒険者なら当然知ってる話なんだよな?」


 ゼランが感心したようにうなずいた。


「当然のはずですけど?」


 フィリアがじと目で睨みつけた。


「はは、勉強不足で……」


 ゼランはごまかし笑いを浮かべて、後頭部をかくしかなかった。


「……話を進めたいんだがの」


 やれやれとばかりに、アウロラグナがもう一度、尻尾で遊んでいた子どもをちょいと上に乗せながら、首だけこちらに向けて声を掛けてきた。


「すまんすまん。アトラのところに行けばいいんだな? ……寒いから正直行きたくないんだがなぁ」


 ロブが寒風吹きすさぶ雪原に肩をすくめる。気の抜けた声だったが、誰もそれを冗談とは思えなかった。


「ちょ、ちょっと待って! あんた、場所知ってるの!? アトラ・ザルヴァの居場所なんて、誰も知らないって言われてたのに!!」


 ライゼがまた一歩前へ出て、まるで世界の秘密に触れたかのような目でロブを見つめる。


「まあ、そりゃあんな目に遭えば、引きこもるわな。俺だけはこっそり教えてもらった」


 さらっと暴露された最高機密に、その場の全員が言葉を失った。口を開こうにも、音が出てこない。


 空気が一瞬、停止する。


「わしに乗るか?」


 アウロラグナが、なぜか得意げに肩を上下させながら提案する。小さな子どもが尻尾でくるくる回っている横で。


「いや、空間転移で――」


 ロブが拒否しかけた、そのとき。


「――儂なら、ここにいる」


 その声は、突如として空を割るように、だが確かに、全員の鼓膜に届いた。


 次の瞬間。


 白銀の風が吹いた。


 吹雪でもなく、雪でもなく、"風"そのものが色を持って形を成し、そこに“それ”は現れた。


 彼――いや、彼女?


 長く漆黒の髪が風になびき、深紅と金の入り交じる目が、すべてを見透かすようにこちらを見つめていた。どこか少年のようにも見える中性的な顔立ちに、黒と深緋こきあけを基調にした竜鱗を思わせる衣装を纏い、背後には折りたたまれた翼の痕跡がうっすらと残る。


 その立ち姿は――どんな英雄よりも、どんな神よりも――“古き者”としての威厳に満ちていた。


「アトラ……ザルヴァ……? そんな、ありえない」


 その名を口にするだけで、魔導史に記された数多の伝説が脳裏をよぎった。彼女の背筋に、未だかつてないほどの寒気が走る。


「言葉は不要かと思っていたが……今の時代は、そうでもないらしいな」


 その口から漏れた中性的な声は、空気のみならず全員の心を揺らした。


 その瞬間、全員の胸に刻まれたのは、畏怖でも崇敬でもなく――絶対だった。


 

【リリアの妄想ノート】


今日は……大変なことが起きました。


アトラ・ザルヴァ、創始の竜ですって!? ロブさん、なんでそんなすごい方とお知り合いなんですか!?


しかも、“あいつ”呼ばわり!? どういうことですか!? 何千年のお付き合いなんですか!?


あ、三千年か。


フィリアさんとライゼ様が同時に叫んだときは、私も心臓止まるかと思いました。


……でも。

それでも、みんなの前で堂々としているロブさんは、やっぱり……すごく、かっこよかったです。


(あとでこっそり、アトラ・ザルヴァ様にもお手紙を書こうと思います。お友達になりたい……)


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