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江戸川乱歩美少女化計画☆壺中の天  作者: 長曽禰ロボ子
12/15

壺中の天 12

 ぼくの生まれて育った町は雪国で、冬は雪に閉ざされる。

 引っ込み思案で夏ですらいつも仲間はずれだったぼくにとっては、更なる孤独の季節となる。

 いや。

 孤独じゃなかった。

 本を読み、読む本がなくなると教科書を読み、その脇にはいつも彼がいた。

「その程度、わからないのかい」

「なら君にはわかるというのかい」

「ほうら、ここに君に見えていない三角形がある」

「あっ!」

 一人芝居じゃない。それなら彼がぼくより頭がいいわけがない。

 しかも彼は積極的でよく外で遊んだ。友達も多かった。それなのに彼はぼくを見下さなかった。どこにも行かず、いつもぼくのところに帰ってきてくれた。いい奴だった。長い冬もさみしくなかった。

 ぼくらは夜には一つの布団で語り合った。

 嫌なやつの悪口で盛り上がった。

 そしてぼくは、彼が幻であることもほんとうは理解していた。その彼がぼくから離れていったのは、あの夏の日。


 美甘(みかも)森太郎(しんたろう)くん。

 君には想像力があり、頭の回転の良さがあり、そして豪胆さまである。海軍にむざむざ渡すのは惜しいな。どうだ、陸軍に来ないか。


 生まれて初めて、ぼくは誰かから認められた。

 ぼくの存在を。

 ぼくの生存理由を。

 あの人がぼくを認めてくれたのだ。



「そういえば、竹屋敷でさ」

 バリッ!と山のほまれを噛み砕き、健作(けんさく)が言った。

「おまえ、おれを睨んだだろう。あれはなんだったんだ」

「なんの話だ?」

「身体が大きい、小さいって話で」

「ああ、あれな」

 昌治(しょうじ)もバリバリと噛み砕き、コーヒーで喉に注ぎ込む。

「美甘くんが言っていたことさ、おれにはわかるんだ。ていうか、わからないのはきっとおまえだけだよ、健作。おれも美甘くんと変わらないチビだ。特に積極的でも活発でもないし(ここで健作が「そうか?」という顔をした)、特別運動が得意ってわけでもない。そうなると確かに彼が言っていたように、ひとりぼっちになる事だって多いんだ」

「体がでかくたって同じだぞ。おれなんか子供の頃はむしろいじめられたんだ。ウド、ウドって」

「でも中学や高校ではそうじゃなかっただろう?」

「うーん、そりゃそうだが……」

 たしかにケンカを売られることはまずなくなったが。

「私も小さい頃は孤独だったんです」

 ハナちゃんが言った。

「女の子らしくしなさい」

 女の子が走ってはダメ。

 女の子が大声で笑ってはダメ。

 女の子が好奇心を持ってはいけません。

 女の子が夢を持ってはいけません。

 なにかを言われたら「はい」といいなさい。「どうしてですか」と言ってはいけません。

「小さい頃、私の頭の中にはもうひとりの私がいたんです。その子はいつも『しかたない』『女の子なのだから』『しかたないでしょ』って言うんです。でもだんだん我慢できなくなって、私、『あなたは私じゃない。どこかに消えて!』と叫んでしまったんです」

 でも。

「その子は今でも時々やってくるんです。ダメよ、ハナ。それ以上は危険よ、それ以上の好奇心はあなたを滅ぼすわよ、ハナ」

 でも。

「止まらないんです、私」

 ハナちゃんは笑った。でもいつもの天真爛漫な笑顔じゃなかった。笑ってすぐに向けたさみしげな横顔に、昌治と健作はなぜだかツンとするものを感じた。ツンと、胸を痛くするものを感じた。

 生まれてはじめて、感じた。



 どうだ、陸軍に来ないか。


 ぼくは彼に夢中になった。

 校長先生に言われてお礼の手紙を出したら、返事までくれた。嬉しかった。ぼくを見下していただれだって鶴形(つるがた)中佐から声をかけて貰えなかったのに、ぼくは手紙まで貰ったのだ。

 また手紙を出した。

 すぐに返事が来た。

 また手紙を書いた。どれだけ彼を尊敬しているかを書いた。だけど今度は返事は来なかった。

 どうしたのだろう。

 まだ手紙が届いていないのだろうか。届いているのだけれど誰かが邪魔しているのだろうか。校長先生はあまり期待するなあまり調子に乗るなって顔をしていた。同じ学級の嫌なやつは鶴形中佐から返事が来たというぼくの話に憎悪を浮かべていた。彼らが郵便局まで行って中佐の手紙を横取りしたのか。それとも、そもそも逓信省が田舎者から中佐を守るためにぼくの手紙を止めているのか。

 そうだ。

 彼はきっと返事を書いてくれたのだ。

 そして投函したのだ。やがて必ず届くのだ、この田舎のぼくの家に。

 まずは消印だ。

 割り箸を削って作ったペンに父の朱肉をつけて練習した。

 彼の筆跡も身につけなくてはいけない。

 彼からの手紙は宝物だ。傷つけるわけにはいかない。だから半紙を載せ、鉛筆で薄く書き写し、それが破れるまで毎日なぞった。ひとりぼっちのぼくにはいくらでも時間がある。父の手紙を盗み見たりして、大人の文章も覚えた。

 半年後。

 ぼくは父に「鶴形中佐」の手紙が届いたとそれを見せた。

 父はとうに彼とぼくの繋がりのことなど忘れていたのだろう、驚いていたようだったが、()()()()()を読んでにこりと笑ってくれた。よかったなと言ってくれた。父は気付かなかった。ぼくはもっと彼になりきるのだ。

 楽しかった。

 充実していた。

 ぼくは英雄鶴形中佐の友達なのだ。なにも怖くない。なにもみじめじゃない。どの世界よりもぼくの世界は素晴らしい。



 彼が自殺をした。

 乃木大将のように殉死した。

 信じられない。ぼくの士官学校受験を激励してくれたんじゃなかったのか。がんばれよって手紙をくれたばかりじゃないか。

 よかった。

 数日後に彼から手紙が届いた。あれは新聞の嘘だ。彼は生きている。それどころか受験まで家に住めと書いてくれている。ぼくを書生として招き、勉強も教えてやると書いてくれている。

 ぼくは。

 ぼくは彼のもとに行かなければ。東京に行かなければ――。



 困ったな。

 腹を斬ればすぐに死ぬんだと思っていたんだ。痛い、苦しい。寒い、酷く寒い。でもぼくはまだ死ねていない。

 いちばん冴えた方法だと思った。

 彼の名誉を守り、ぼくの名誉を守り――いや、もう死ぬのだからせめて正直に言おう。ぼくのこのひとり遊びを、誰からも馬鹿にされず終わらせることができるたったひとつの手段だ。

 もっと本当のことを言えば。

 ひと月も前にぼくは追い返されているはずだった。

 鶴形只三郎(たださぶろう)中佐は死んだのだと。彼の家族に屋敷に上げてもらえず、ぼくは追い返されるはずだったんだ。ぼくは吐くまで泣いて、死後に届いた手紙を破り捨て、惨めに清崎に戻るつもりだったんだ。父母から先生から、みなから同情され慰められ、彼から貰った手紙をすべて燃やし、そしてぼくは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()このひとり遊びを終わらせるつもりだったんだ。

 でもお嬢さんはぼくを屋敷に上げてくれた。

 もしかしたら。

 もしかしたら、ほんとうに鶴形中佐は生きているのでは――。

 そう考えはじめたらもう止まらなくなった。ぼくは中佐になりきり、ぼくと会話した。たった二通でぼくとの繋がりを切ろうとした酷い男じゃない。ぼくの才覚を愛し、ぼくの士官学校入学を応援してくれている鶴形只三郎陸軍中佐。彼はまだ、()()()()()にいるのだ。

 幸せだった。

 だけど終わりだ。

 ここまで世間を騒がせてしまった。

 もう死ぬんだ。

 でも死ねないんだ。

 ねえ、だれか、そろそろぼくを死なせてくれないか。

「ねえ、なにをしているんだい」

 君は……。

「相変わらず君は無知だな。それじゃ人は死ねないんだ。そのうち死ぬだろうけど長いこと苦しむんだ。なぜ切腹に介錯が存在するのかわからないのかい」

 やあ、君。久しぶりだね……。

 ごめんよ……。

 ずっと、ずっと、君のことを忘れていてごめんよ……。


 ありがとう。

 さようなら。



 西山圭介(けいすけ)陸軍軍医少佐は覚悟をしていた。

 軍医監からの再度の呼び出しだ。だが大丈夫だ。おれはすべての証拠を処分している。何よりおれの軍医としての存在(ちから)で。

「君は私の意向に逆らった」

 両手を口の前で組み、軍医監が言った。

「はい、閣下」

「理解はしていたのだな。私が君に重大な疑念をもっていたことを。それなのに君はまた美甘森太郎の検死を担当した。検死報告は提出され受理され、そして遺体は荼毘に付されてしまった。もう証拠はない」

「現場におりました。そのまま警視庁に検死解剖をひきうけると志願しました。警視庁は受け入れました」

「なにがあったかを聞くつもりはない。黙って辞表を書け。部下から犯罪者を出すわけにはいかない」

「はい、閣下。辞表は書きます。しかし――」

「言うな。聞かん」

「はい、閣下。それでも天地神明に誓って美甘森太郎は自殺でした」

 じろり、と軍医監は西山軍医を睨み付けた。

「美甘森太郎()、か」

「はい、閣下」

 敬礼し、西山軍医が言った。



 退役か。

 懲戒免職にならなかっただけでも温情だ。証拠が存在しないとはいえ警視庁に突き出されることもなかった。検死報告書の偽造疑惑なんて、よくて免許剥奪だ。まったく温情じゃないか。

 あの屋敷で三度目の自殺。

 またしても発見したのは美彌子(みやこ)ちゃんだ。気にかけてやるしかない。しばらくは竹屋敷に泊まるしかないな。

 美彌子ちゃんはあの屋敷を出るつもりはないらしい。

 ならばおれはあの近くに家を借りて診療所でも開き、彼女を見守ることにしよう。もっとも、あの屋敷に泊まることになるのなら、その間にすべてが終わるかもしれん。

 ()()()が――。

 あっと、西山は足を止めた。

 街灯の明かりの中、浮かび上がるのは陸軍将校の姿だ。そしてその陸軍将校は少し首を傾け、二本指の敬礼を投げ、マントをひるがえして西山軍医に背を向けた。

「――」

 西山の全身を冷たいものが走った。

「待て――おまえは、いったい――!」

 陸軍将校は闇の中を走っていく。

 西山はそのあとを追った。


■登場人物紹介

平井ひらい 華子はなこ

16歳。早稲田大学前のミルクホール黒猫亭の女給。好奇心旺盛。


小川おがわ 健作けんさく

早稲田大学文学部英文科一年生。長身で悠然としている。

相馬そうま 昌治しょうじ

早稲田大学文学部英文科一年生。小柄で落ち着きがない。


店主

黒猫亭店長。初老だが長身で剣の達人。そしてケーキ作りの達人。


御前

自称放蕩息子。大金持ちの御曹司。


鶴形つるがた 只三郎たださぶろう

陸軍中佐。明治帝崩御に殉じて腹を斬る。


鶴形つるがた 美彌子みやこ

鶴形中佐の一人娘。


西山にしやま 圭介けいすけ

陸軍軍医少佐。鶴形中佐の同郷の友人。


美甘みかも 森太郎しんたろう

陸軍士官学校を目指す書生。


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