2 空間転移のテスト先
(なんてことを言っちゃったの、私……)
ちょっとしたイタズラ心だった。
浮かれすぎていたのもあるだろうし、この前、他の女性を乗せているのを見てしまったのも一因だろう。
言うのも恥ずかしかったけれど、実現するともっと恥ずかしい。
後ろから覆い被さるように彼の体温を感じる。耳に彼の息づかいを感じる。聞こえてくる鼓動が、自分のものなのか彼のものなのかがもはやわからない。
すごく恥ずかしいのに、すごく嬉しくて、すごく幸せだ。
前の時にはこんなふうに二人乗りをしたことはなかった。お互いに魔法使いだったから、必要性を感じたことがない。ホウキに乗せる裏の意味についても知らなかった。
(必要か、じゃなくて……。思いを重ねるための……、キスみたいなもの……?)
その意味を考えるとキスよりも先なのだろう。改めて、なんてことを言ったんだと思う。
少し振りかえって彼の顔を見る。涼しげだ。運転に集中しているように見える。
(きっと私ばっかり変なこと考えてる……)
浮かれているのだ。これまでガマンして飲みこんできた大好きが一気にあふれて、制御が効かなくなっている自覚はある。
(落ちつかないと。オスカーは真面目に、私の問題をなんとかしようとしてくれてるんだから)
まだ浮かれるには早いのはわかっている。それをどうにかできないと、この先には進めない。
わかっているけれど、頭の中は簡単にふわふわとした浮遊感に覆われてしまう。
「……この辺りでどうだろうか」
「いいですね」
森の中の、少し木々が少ないあたりに降りる。木漏れ日が心地いい。
ちゃんと地に足がついてから、彼がホウキを消して一歩距離をとる。
ホッとしたのと残念な気持ちが混ざる。
浮かれた感覚を冷ますためにも、目的に意識を向けた。
「えっと……、どこに行きましょうか」
「空間転移ができるかを試せればどこでもと思うが。よさそうな場所はあるだろうか」
「そうですね……。あの中の誰に会うにしても相応の準備は要るので。
今日はとりあえず、今の私が行ったことがなくて、前の私が行ったことがあるどこかへの空間転移が可能か、だけ確かめましょうか」
「ああ」
「うーん……、転移先にも人がいないっていう前提が必要だし。なかなか難しいですね」
記憶を辿って、考えていく。
「あなたの実家の別邸はどうですか?」
「うち……?」
「はい。結婚した時に向こうに移ったのは、同じ敷地内に別邸があって、二世帯が負担なく住めるようになっていたからで。
当時、もう何年も使っていなかったと聞いたので。多分今は誰も使っていないかと」
「……確かに、使われていないと思う」
「じゃあ、そうしましょう」
「いや……」
「……? ダメですか?」
「そうだな……、少し、問題があるというか」
「あ、長年使っていなくて、ほこりっぽいとか?」
「いや、時折、使用人が掃除はしていたはずだ」
「あ、使用人さんに会っちゃうならダメですね」
「休日は休みになっていたと思う」
「? だと、何か問題がありますか?」
「……絶対に誰も来ない密室に二人きりだぞ?」
言われた瞬間、全身が熱くなった。
(何か問題が、じゃない! 問題しかないじゃない……!)
「……すみません」
「いや……、自分が。浮かれすぎているから……、少し気をつけてもらえるとありがたい」
恥ずかしそうに話してくれるオスカーが愛しい。
(浮かれすぎてる……)
そうは見えなかったけれど、ふわふわしているのが自分だけでないなら、すごく嬉しい。
「うーん……、じゃあ、遠いけど、クロノハック山にでも行きますか?」
世界最大の大陸の、今はほぼ西端にいる。やや北寄りの位置だ。クロノハック山は魔法協会本部よりも更にずっと東、大陸の真ん中あたりから東にかけて延びている。南北では、現在地より北だ。
距離としては、世界を五分の二周する程度だろうか。大陸の先に大きな海が広がっているから、半分とまではいかない。一周すると元の場所に戻るため、かなり遠い場所にはなる。
それほどの距離を空間転移で移動するにはかなりの魔力が必要になるけれど、今日はまだまったく使っていないから、魔力的には往復しても問題ないはずだ。
オスカーが驚いたように目をまたたいた。
「……前の時にクロノハック山にも行ったのか?」
「はい。時を戻す魔法は、クロノハック山の山頂でしか発動させられないので。
あ、磁場や天候が異常なのは山頂付近だけで。麓は全然、平和なただの山ですよ」
オスカーが息を飲む。
そういえば、会った相手の話はしたけれど、発動場所について話すのは初めてだ。
「……相当、大変だっただろう」
「はい。最後の最後で死ぬかと思いました。けど、なんとか」
「山の、人があまり来ないあたりというのは、いいアイディアだと思う。戻る時にはここに戻れるのだろう?」
「はい、それは大丈夫です」
「なら、クロノハック山へ」
決まったところで、オスカーに手を差しだす。不思議そうにされたから補足する。
「一緒に空間転移をするには、どこかが触れてないといけないので」
「ああ……」
納得したように彼が手を重ねてくれる。それだけで鼓動が速まってしまうけれど、今は集中しないといけない。
「じゃあ、やってみますね。テレポーテーション・ビヨンド・ディスクリプション」
冷たい風がほほを撫でる。山の中腹の、土や岩の地面に草や低木が生えているあたりだ。
いくらか先の方で、通常の雲の高さを突きぬけてはるか上まで山が続いている。雪化粧より上方は常に暗雲に包まれていて、磁場と気候がめちゃくちゃなエリアだ。強すぎる魔力だまりの影響なのかもしれない。
「前の時にしか来ていないところへの空間転移、できるみたいですね」
「ああ。植生も温度感もだいぶ違うんだな」
ホワイトヒルのあたりはまだ涼しいくらいだったけれど、クロノハック山はけっこう冷えている。今の服では寒い。標高が上がったのもあるだろう。
「ちょっと寒いですね」
「ああ。上着を貸せたらよかったんだが、自分もこれ一枚だ」
「気持ちは嬉しいけど、あっても借りませんよ。あなたが冷えるのもイヤですから」
少し考える。他に人がいない場所なら魔法を解禁してもいいだろうか。一応オスカーに聞いてみる。
「あの、あなた以外いない場所で、誰にもバレないなら、普通に魔法を使ってもいいですか?」
「……そうだな。他に知られないなら、構わないと思う」
「じゃあ……、モッレ・テンペリエース」
自分と彼の周りに温度調整の魔法をかける。快適な温度の空気の層に全身が包まれる感じだ。
「これは……?」
「周りの空気を快適な温度に変える魔法です。一度かければ半日くらい平気になります。すごく暑いところとか寒いところとかを探索するのに便利なんです」
「魔法自体もだが、呪文の音も全く聞いたことがないのだが」
「まあ、普通そうですよね。失われた古代魔法なので」
「待ってくれ。なぜそんなものを?」
「えっと、今度会いに行こうと思っているうちの一人なのですが。
あの事件の後……、ダークエルフにあちこち連れ回されていた時期があって。ほとんどの古代魔法は彼女から習いました。私のお師匠様です。
あ、最初はあなたや先輩たちに習っていたので、あなたも師匠の一人ではあるのですが」
「師匠がダークエルフ……」
頭を抱えられた。確かに珍しい話ではある。
ダークエルフは存在が伝説だ。絶滅したという話もあるが、少なくとも一人は生きている。けれど、エルフと違って定住していないから、普通は会おうと思って会える相手ではない。会ってしまったらとって食われるとか不幸になるとか色々言われている。
「いい人ですよ。ある程度の量のダークエルフの髪が必要で。切ってもいいけどその代わりしばらく付きあってって言われて。
ダークエルフのしばらくが数年単位だったのには驚いたのですが。結果的には、その時に教えてもらった魔法のおかげでほかのアイテムを手に入れられて時間を戻せたので。
師匠といたおかげで気持ちも生活もマシになったし、いろいろと感謝しています」
「……そうか」
オスカーがどこかホッとしたように息をついた。
「ずっと独りだったわけではないんだな」
「そう、ですね……」
彼の言葉があたたかく沁みこむ。
「人間とは距離をとっていたけど。師匠やドワーフたち、フェアリーたち、エイシェントドラゴン……、魔物たちからは、なんだかんだよくしてもらったと思います」
そんな時間が長かったから、いくらか魔物びいきになってしまったのは仕方ないだろう。
そんな話をしていたら、ふいに、そう遠くない上方で破壊音がした。




