40 二度目の孤児院訪問
翌週の週末。
涼しくなってきた日に、オスカーと孤児院の前で待ちあわせた。
オスカーの方に予定を調整する必要があって、この日になったのだった。
(週末に調整が必要な予定……、何かしら……)
全く想像がつかない。詮索するのも変だから聞かなかったけれど、気にならないと言うと嘘になる。
男友だちと頻繁に遊ぶ印象はないし、日にちが固定されるような趣味があった記憶はない。
(まだ知らないことがあるのね……)
二十年以上一緒にいたから、それなりに彼を知っているつもりでいた。この時間に戻ってからも、なんだかんだと一緒にいる時間が長いから、知ったつもりになっていた。
(なんだろう……)
ちょっとモヤッとするのは、彼がその内容をハッキリ言わなかったのもある。多分、聞けば大したことではないのだろう。
(でも、私から聞ける立場でもないし)
つきあっているわけでもないのに、気にする方がおかしいのだから。
「待たせただろうか」
「いえ、待ちあわせ時間にはまだ早いですし、私も今来たところです」
オスカーはいつもとなんら変わらない。
(うん、予定のひとつやふたつくらいは、誰だってあるわよね)
とりあえずそう思っておくことにした。
約束の時間まで少し待ってから入ろうとしていたら、中から招き入れられた。
「お久しぶりです。中々ご連絡もできず、失礼しました」
「あらあら、構わないんですよ。ここに来ることは、しなければならないことではないんですから。来たいと思った時に来てもらうのが一番ですよ」
グランマがニコニコと答えてくれる。安心する笑顔だ。
今日はボランティアが十分とのことで、グランマとグランパと出入り口から近い応接室に入った。家や魔法協会のそれよりも格段に質素な部屋だ。
「今日はご寄付の相談にいらしていただいたとかで。ありがとうございます」
「先日のワイバーンの襲撃の時に何か困らなかったかと思って。自由になるお金が入ったので、寄付もできたらと」
「ああ、その節は大変でしたね。街を守っていただき、ありがとうございました」
「いえ。こちらに被害はありませんでしたか?」
「幸いなことに、少しエリアが外れていたおかげで、これといって被害を受けることはありませんでした」
「ワイバーンが落下してくるかと思ったことはありましたけど」
「それも落ちる前に、魔法使いさんが捕獲して行ってくれましたね」
「怖がっていた子もいましたが、どちらかというと、子どもたちの間では魔法使いもワイバーンもカッコイイという風潮ですね」
「今も魔法使いとワイバーンごっこが流行っていて、どちらも人気なんですよ」
想像するだけでほのぼのする。
(子どもたちを想像するのは、もう平気みたい)
それすらまともにできなかったから、随分落ちついたと思う。
「あと、避難所として敷地の一部を開放したのがよかったみたいで」
「ここが孤児院だという以前に、そもそも孤児院というものがあることも、知らない人もいて」
「この短期間で家族ができた子が二人、今、面談やトライアルで調整中の子が三人もいるんです」
「それは凄いですね」
「ええ。他にも、食べ物や服、おもちゃの寄付があったり」
「なので私たちは、あの事件に助けられた部分が大きくて。むしろ被害を受けている方々に申し訳ないくらいなんです」
「そこを申し訳なく思う必要はないと思う」
ずっと聞いていたオスカーが、静かに言葉を添える。
「避難所として開放したことで助かった人たちの気持ちが、ここに返っているのに過ぎないのではないだろうか」
「私もそう思います。ここのみなさんの優しさの結果かと。
それに被害を受けた方には、フィン様……、今回の件を一任された領主様の代理の方が、ちゃんと補償しているようなので、心配しなくても大丈夫ではないかと思います」
オスカーが少し驚いたように視線を向けてくる。
「クルス氏から聞いたのか?」
「いえ、この前、父と一緒に本人に会って、その時に」
「……そうか」
オスカーがグランパたちの方に向き直ったから、同じように向き直る。
「じゃあ、食べ物や衣類、おもちゃなどは、今は足りているんですね」
「ええ、ありがたいことに」
「でしたら、建物の修繕費用を出させてください。このくらいあれば、ある程度はよくなるかと」
今回のボーナス額をそのまま提示したら、三人が固まった。
「いえいえこの額は……、さすがに、冠位のお嬢さんからでも、寄付いただくのは心苦しいです」
「クルス嬢。程度は考えた方がいいと思う」
「でも、建物関係はお金がかかりますよね。子どもたちの安全のためにも、本当は必要なお金なのでは?」
この金額を提示したのは、降って湧いたお金だから寄付してもいいと思っただけではない。修繕費用の相場をある程度調べた上なのだ。建物の状態や大きさを話して概算してもらうと、大体このくらいにはなる。
元々はそこに、給与から服代を上乗せしようと思っていたから、むしろ当初思っていたより安くなっている。
「それは確かに……、そのくらいはかかるかもしれませんが」
「なら、受けとってください。私は自分の負担にならないお金しか提示していませんし、この額は今回だけだと思っています。
これまで長年貢献されてきたことへの敬意と、今の子どもたちの安全と、これからの子どもたちへの投資です」
「……わかりました。では、今回だけ甘えさせてもらうことにします。使用明細は開示しますね」
「はい。信用していますが、そこはお願いします」
約束の金額は後日銀行振込とさせてもらう。この街の銀行は一店舗だけだから、数字の移動があるだけだ。
話の終わりを示すように、グランパがゆっくりと立ちあがる。
「今日はお時間があるとのこと、よければこの後は子どもたちと遊んでやってください」
「はい。ありがとうございます」
そのつもりで来ている。けれど、少しだけ心臓が騒がしい。本当に大丈夫だという自信がない。
案内するグランマの後について歩きだしたところで、オスカーからぽんと軽く頭を撫でられた。
「大丈夫だ。何があってもフォローする」
「……はい」
泣きたいくらい嬉しい。抱きつきたいくらい愛しい。
(大好き……)
全ての気持ちを心の箱に仕舞って、ただ隣を歩いていく。
「あ! 魔法使いのお兄さんとお姉さんだ!」
フリータイムに入ったところに顔を出したら、わっと囲まれた。
(前に来た時にはまだ魔法使い見習いにさえなっていなかったけど。魔法、使っちゃったから、子どもたちの中だとそうなるわよね……)
訂正するのもややこしくなりそうだから、何も言わないでおく。少なくとも今はもう魔法使い見習いだから、間違ってはいない。
集まってきたのは、そこにいた全員だ。確かに前より人数が減っていて、年齢が低い子を中心に姿がなくなっている。
「今日も遊んでくれるの?」
「それとも何か教えてくれるの?」
「また魔法見せてくれる?」
「全部! 全部でしょ?」
なんともにぎやかだ。
囲んでいる中には女の子の顔もある。
(あれ……? 一人一人見ると、全然似てない……?)
クレアを思いださせていた要素はなんだったのかと思うくらい、みんなそれぞれ違う。ちゃんと顔を見たら、一人一人がただその子だとしか映らない。
大丈夫そうだ。
心配そうに視線を向けてくるオスカーと目が合った。
大丈夫なことを伝えるように、笑顔でうなずく。柔らかく笑みとうなずきが返ってくる。
(きっと、あなたのおかげね)
彼が、彼の中にもクレアを存在させてくれたから。あの子がいたことを、いなくなったことを、分かちあってくれたから。独りだった痛みを抱きしめてくれたから。
囚われ続けていた過去から、少し前に進めた気がした。
「ほらほら、そんなに一気に色々お願いしても困るでしょう」
グランマがやんわりと子どもたちを止める。ボランティアで来ている他の大人の姿もあり、軽く目礼を交わしてから、子どもたちに向いた。
「何からがいいですか? 順番にしましょう」
「はいっ! じゃあ、魔法から!」
「ワイバーンの時、魔法使いさんたちみんな、すごくかっこよかった!」
「それなら、あの時の話を聞きたい!」
「いいね!」
「バーンでギューンで、バヒューンっていうやつ!」
どうしてもわいわいしてしまうみたいだ。今はそれが、ただかわいい。
「じゃあ、お話をして、みんな少しずつホウキに乗ってみるのはどうですか? 空の戦いのイメージがつかめると思います」
「ホウキ乗せてくれるの?!」
みんな目がキラッキラだ。
「ウォード先輩、そんな感じでどうでしょう?」
「ああ、そうだな。……ホウキに乗せるのは、女の子を任せても?」
「はい、もちろんです」
子ども相手に変な意味にはならないだろうけれど、それでも同姓の方が気兼ねがなくていいだろう。改めて聞いてくれたのは、女の子がダメだった話をしたからだと思う。
(大好き)
心の中で囁いて、あたりさわりのない範囲で、ワイバーンとの戦いの様子を話し始めた。
大満足した子どもたちに、また来てねと見送られて孤児院を出る。
一度閉まったドアがすぐにもう一度開いた。
歳が上の方の男の子が顔を出す。以前、軽いケガをさせられた子だ。
「……また来てくれてよかった。俺のせいでもう来ないかと思ってたから」
ポソっと独り言のように、それでいて聞こえるような音量で、それだけ言って扉を閉めようとする。
「あの時はごめんなさい! また遊びましょう!」
扉はそのまま閉まっていくけれど、わずかに手が出てきて「また」と言うかのように軽く振られた。
なんだかとても嬉しい。
「ウォード先輩。ありがとうございました」
今日一緒に来てくれたことも、その前のことも、本当にありがたい。その気持ちを込める。
「いや、大丈夫なようで安心した」
「はい。ウォード先輩のおかげです」
オスカーが小さくうなずいて、そっと頭を撫でてくれる。嬉しい。
「無事に寄付も受けとってもらえそうでよかったです」
「……あなたには、我欲はないのだろうか?」
「我欲?」
「あれだけの金額を個人でポンと寄付するというのは聞いたことがない。もっとこう、普通は自分の欲に使うのでは?」
「ああ……。そうですね。お金の上では、あまり欲はないかもしれません。衣食住は十分に恵まれていて、お給料の使い道もそんなにないですし。もし急に必要になったとしても、素材を採取してくればすぐに増やせますし。
それに、寄付するのも私の欲ですから。子どもたちには安全で安心な環境で生活してほしいっていう。その方が、自分のために何かを買うより満足度が高いので」
「なるほどな……。そういう感覚なのか」
「ウォード先輩は、ボーナス、どうするんですか?」
「特に使い道がないから、将来のために貯めておくくらいの感覚でいた」
「ふふ。ウォード先輩も、欲がないじゃないですか」
「……いや。むしろ、欲しかないが」
「?」
「なんでもない。また明日、クルス嬢」
「はい、ウォード先輩。また明日」
笑顔で別れる。
ここで、前に彼から「また会いたい」と言われた。すごく嬉しかったのに、全てを忘れてほしいとしか言えなかった場所だ。
「また明日」
今は当たり前のようにその言葉を交わせるのが、とても嬉しい。




