39 あの子は戻らないけれど
見習いとしての初給与と、ボーナスが同時に出た。見習いの給与は多くないが、いきなりボーナスの額がすごい。
フィンから魔法協会に出された費用の割り振りは、父と三人の部長で話しあって決められたらしい。
希少な魔力回復液を惜しみなく使っていたり、回復薬も配られていたり、日常業務が臨時休業になったりした分の協会の損害補填がされた残りは、貢献度に応じてボーナスが調整されたと聞いている。
自分は示された全額を知っている。人数で等分した金額より、もらった額が明らかに多い。
帰宅後に父に、本当にこんなにもらっていいのかを聞いた。
「当然だ。個人的な問題を除けば、お前の貢献度は高い。それを多くの仲間が証言している。私は控えめに提示したが、他の三人がもっと上乗せするべきだと主張して、今の金額になっている」
あまり褒めることがない父や、直接は言ってこない仲間たちにも認められた気がして、嬉しさとむず痒さを感じる。
「ありがとうございます、お父様。あの、初めて自分で得たお金で、お父様とお母様に何かプレゼントを買いたいのですが。何がいいですか?」
父が固まる。感動しているのだろうと今ならわかる。どこか泣きそうに見えるくらいだ。
(前の時はあんまり孝行できなかったから、今回はちゃんと親孝行したいもの)
「……その気持ちだけで十分だ」
「その答えが一番困ります。お母様にも聞いてみるので、一緒に考えてください」
「わかった」
「あと、ひとつご相談があります」
「なんだ?」
「前にお手伝いに行った孤児院にも、いくらか寄付したいのですが」
「ああ、それはいいな」
「ウォード先輩と一緒に行ってもいいですか?」
父が固まる。今度は葛藤している感じがする。
「……お前たちがそうしたいなら、私に止める理由はない」
建前が勝ったようだ。つい、くすっと笑ってしまう。
「ありがとうございます、お父様。愛しています」
(あ、感動を噛みしめてる)
前の時は少し怖かった父が、今はかわいい。
▼ [オスカー] ▼
「あの、ウォード先輩。つきあってほしいのですが」
ジュリアからふいに、どことなくもじもじと言われて、一瞬フリーズした。研修室で休憩に入ったタイミングだ。
(ちょっと待ってくれ。唐突にどうしたんだ? これは本気にしていいのか? 何かの罠か?)
色々ありすぎて疑心暗鬼になっている気がする。二つ返事でオーケーして、つきあいたい気持ちはものすごくある。けれど、このかわいい後輩が一筋縄でつきあってくれるとは思えない。
ふと、少し前に似たようなやりとりを聞いたことを思いだす。
(あの時にルーカスが聞いたのは……)
「……何に、だ?」
「あ、はい。前にご一緒させてもらった孤児院に、寄付をしに行きたいので。一緒に行ってもらえたら嬉しいなと」
「ああ……」
(あっぶな……! 完全に罠の方だったな……)
心臓がバクバクだ。
ストンの一件がなかったら対処を間違えた自信がある。
孤児院のボランティアに行った時の彼女の様子を思いだす。
忘れてほしいと言われたのは、当時はかなりのダメージだったけれど、今は理由を理解している。
それよりも、彼女の顔色が悪かった方が心配だ。子どもに邪魔されて、結局理由を聞けなかった。
「……あの時。だいぶ辛そうだったのは、自分が原因なのだろうか」
彼女の瞳が一瞬でうるんで揺れた。
「……いえ。あれは……、前の時に、娘がいて。もう二度と会えないので。女の子を見て、泣きそうになっていました」
「娘……?」
「はい」
「というと……」
今までの彼女の話から、前の時には自分と夫婦だったと認識している。だとすると。
ジェスチャーで彼女と自分を軽く示すと、彼女の頬が赤く染まった。
「はい。……私と、あなたの」
(なんだそれは。羨ましすぎる……)
存在していないいつかの自分に嫉妬するというのも変な話だが。羨ましすぎる。
「あれ、娘がいたこと、言っていませんでした? ……『友人の話』をした時に」
「単語としては聞いた気もするが。主題がそこになかったから……、完全に聞き流していた」
「確かに、ちゃんとは話していなかったかもしれません」
「二度と会えないというのは……」
やはり一緒になる気がないから、か。どうにかするつもりではいても、胸の奥がチクリとする。
「えっと……、前にお話しした理由であなたと歩く未来をあきらめていることと、もし例えいつかそんな日が来たとしても、同じ子が、あの子が来ることはないと思うので」
彼女の瞳にじわりと涙が浮かぶ。
浮ついていた自分が恥ずかしい。彼女の中にあるのは、どうしようもなく切実な喪失だ。
「それで……、今回も、関わりたいけれど大丈夫な自信はないので。ウォード先輩に一緒に行ってもらえた方が安心だな、と」
気がついた時には抱きしめていた。
そうしてはいけないという思考は行方不明だ。
「ウォード先輩??」
「……ジュリア」
「ひゃいっ?!」
あえて「さん」を外したのは、今はそう呼ぶのが自然に感じたからだ。
「独りにして、すまなかった」
「ぁ……」
途端に、彼女の中の何かが決壊したかのように大粒の涙があふれ、嗚咽がもれる。
しっかりと大切に抱きしめて、ゆっくりと優しく頭を撫でる。
彼女の記憶にだけ生きている娘を取り戻すことも、彼女のその先の時間を埋めることもできない。
けれど、もし、自分だけでも彼女のそばに残れたなら。失うことは同じでも、二人で痛みを分かちあえていたなら。彼女が独りで苦しんで、この時間まで戻ってくる必要はなかったのかもしれない。
「っ、オスカー……」
(ああ……)
泣きながら縋るように自分を呼ぶ声が、あまりに愛おしい。
「愛してる」
そう囁きたい気持ちをぐっと飲みこむ。
彼女が言う「前の時」には、きっと伝えていたのだろう。けれど、今の彼女はそれを望んでいないだろうから。
だから、今はただ、大切に抱いて撫で続ける。彼女の気が済むまで。
それが今の自分にできる唯一にして最大のことだ。
▼ [ジュリア] ▼
泣いてしまった。また、彼に縋ってしまった。
(ちゃんと気を張っていたのに、オスカーがあんなことを言うから……)
なぜ彼はこうも、自分のほしい言葉をくれるのだろうか。
長い長い、気が遠くなるほどの孤独が、たった一言で埋められた気がした。
どれくらい縋っていたのか。
だいぶ落ちついてきたけれど、抱きしめてくれる腕から離れがたい。
(オスカーの匂い。オスカーの温かさ……)
「大好き。愛してる……」
言葉になってあふれそうな思いをぐっと飲みこむ。
伝えてしまったらきっと、自分はもう後戻りができない。自分が欲を出すことで、また彼の人生を狂わせてはいけない。それが一番大事なことだ。
(しっかりしなきゃ……)
そう思って、父の投影を見ようとした。
(なんでこんな時に限って映ってないの?!)
朝、起動した時の魔力が少なかったのか。魔道具がただの箱に戻っている。
彼の服を掴む手に力が入る。
ぐっと歯をかみしめて、必死の努力で彼との間に空間を作る。
「……すみません」
「いや。……少し、話を聞かせてくれないだろうか」
「話?」
「あなたの大切な、娘の話を」
また泣きそうになって、彼の服を握りしめる。
思いだす辛さがないわけではない。けれど、知ろうとしてくれる人がいることが、それが他でもないオスカーだということが、泣きたいくらい嬉しい。
「……はい」
もう一度、そっと頭を撫でられた。それから、彼が離れていく。
(ぁ……)
自分の周りがすっと冷えた気がする。それでいいはずなのに、それを望んでいるはずなのに、それがイヤだなんて矛盾している。
授業用の席にオスカーが座る。意図を理解して、自分も席につく。
「その子の名は?」
まるで一緒に愛してくれるような、優しい音だった。
「クレア。クレア・ウォードです」
「ウォード……」
「……はい。……あなたの子、ですから」
今の彼とは結婚していないのに、二人の子どもの話をするのが、なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい。
「クレア、か。透明感がある、いい名だな」
「ふふ。前も、私が提案したら、そう言ってくれていました」
「……そうか」
オスカーも少し照れくさそうだ。そんな表情が、しぐさが、どうしようもなく愛おしい。
「どんな子だった?」
「かわいかったですよ。あなたに似て」
「自分に似て……?」
全く想像できないという顔をしている。かわいい。
「あ、でも、性格は私に似ていたかもしれません。よく笑って、ころころと表情が変わって、色々な話をしてくれて」
「それは……、かわいいだろうな」
「ふふ。思春期くらいには、あなたのことが少し苦手だったみたいだけど」
「そうなのか?」
ちょっとショックを受けた顔をしている。かわいい。
「前の時の私と同じだったのだと思います。私も、父が何を考えているのかわからなかったので苦手でした。それが実はこんなに溺愛されていたなんて、と、今回は驚いています。
あなたもあの子を溺愛していたのだけど、私に対する時と違って、本人の前だと表情や言葉には出にくくて。時には父親として問題を指摘したりもするので、少し怖がられていたのだと思います」
ちょっと情報処理が追いついていなさそうだ。かわいい。
「ふふ。クレアが、同い年の幼なじみとつきあいたいと言った時、あなたは普通にしていたように見えて、その夜は長いお酒に付きあわされたり」
その時のオスカーもかわいかったし、目の前で困ったように笑う彼もかわいい。
「……とても、幸せでした。あなたと、あの子がいてくれて」
それはもう二度と戻らない。そう思うとまた泣きたくなる。
けれど、今はもう、涙を飲みこめるくらいに和らいでいる。
(きっと、オスカーが知ってくれたから)
「聞いてくれてありがとうございました、ウォード先輩」
この時間はここでおしまい。
その意図を込めて呼び名を今に戻す。
オスカーがひとつ頷いて、立ち上がったと思うと、魔道具に魔力を流して父の投影を起動する。
「一緒に孤児院に行く日時は、研修終わりに調整する方向でいいだろうか」
「はい、ありがとうございます」
何事もなかったかのように日常に戻っていく。
今の日常は、職場の先輩と後輩だ。
それだけの関係。
それだけなはずなのに、彼がいてくれる温かさに、日に日に血が通っていく。
今ここにいてくれるオスカーが、どうしようもなく、大好きだ。




