32 オスカーに叱られる
通常の研修に戻っていいと言われ、オスカーと二人で研修室に残された。
盛大にため息をつきたい。
「ファイア、禁止されてしまいましたね。他の攻撃魔法もダメだって」
「そうだな」
「ごめんなさい、私のせいで一緒に叱られてしまって」
「それは、わかった上で加担しているから構わない」
(やっぱり……)
自分のことについて話してから、オスカーはそれを全面的に信じてくれている気がする。
嬉しいし、安心する。
「が、もう無茶をしないという舌の根も乾かないうちに、一人でフィン様のところに向かおうとしたり、ストン先輩の結界から飛びだしてどこかに行ったりしたことには少し怒っている」
それを言われると反論の余地がない。
「ううっ、ごめんなさい……」
オスカーが深くため息をついた。
そう認識した直後、自分を挟んで、壁にドンと手をつかれる。
「自分が……、どれだけあなたを大事に思っているのかを、少しわからせた方がいいのだろうか」
(待って?! 近い! 近い近い近いっ!)
彼の方が背をかがめてきて、今にも唇が触れそうな距離だ。吐息が絡まる。熱い。
(ムリ! 心臓もたないから……)
バックンバックンとうるさい鼓動を抑える術がない。
愛しい瞳がどこか潤んで見える。
指一本触れられていないのに、触れあっているような錯覚に陥りそうだ。
(これは……、ダメ。……ダメ?)
このまま自分から手を伸ばして、彼に好きだと囁きたい。
そんな本心を理性が抑えこむ。
これ以上はダメだ。自分が戻れなくなる。必死に作った堤防が、かさを増し続ける好きな気持ちに押し流されそうだ。
ふいにオスカーの視線が逸れて、耳まで赤く染まった。
(えっ、ちょっ、オスカー?!)
かわいい。かわいすぎる。自分でやったのに耐えられなくなったのだろうか。大好きな人がかわいすぎる。つられてさっきまで以上に恥ずかしくなる。
視線を外したまま、ふいに、ふわりと優しく頭を撫でられた。
「……全体としては、よくがんばったと思う」
クリティカルヒットだ。心臓に矢が刺さって抜けない。とっさに抱きつきそうになったのをよくガマンしたと思う。
(もう、ムリ……。大好き……)
「あなたがいなかったら、あなたががんばらなかったら、戦況はもっとずっと厳しかった。
フィン様が無事かどうかだけでなく、街の被害もより大きかっただろう」
(ああ、本当に、この人は……)
いつも、いつも。
自分がほしい言葉をくれるのだ。ちゃんと自分を見て、がんばりを認めてくれるのだ。
嬉しくて泣きそうになる。彼の言葉は、魔法以上の魔法だ。
(オスカー……。……大好き)
「その上で……」
どことなく恥ずかしそうにしながらも、オスカーの視線が戻ってくる。
「他の誰の身の安全より、あなたの安全を優先したい。そう思っている人間もいることを忘れないでほしい」
「……はい」
頷くしかない。うわついて申し訳ないと思うくらいに、そこには願いを感じる。
オスカーが離れて距離をとって、講義の時の席に座り、片手で顔を半分覆う。
つい、名残惜しいと思ってしまう。
(……最近、ちょっと望みすぎてる)
彼が生きているだけでよかったはずなのに、そのそばに自分が存在してしまっている。これ以上はダメだとわかっているのに。
自分が幸せになる道は、彼に生きていてもらうためには、進んではいけない道なのだ。
一度歯を噛みしめて気持ちを落ちつけて、自分の席に座った。
チラリとオスカーの視線が飛んでくる。
「……自分は、そんなに頼りにならないだろうか」
「いえ、頼りにしています」
「なら、もう少し、守られる側だという自覚を持ってほしい」
「……ごめんなさい」
守られているとは思っている。前の時も、今回も。それはとてもありがたい。
けれど、それだけではイヤなのだ。
「ごめんなさい。でも……、私は守られるだけじゃなくて、あなたの隣で一緒に戦える魔法使いでいたいんです」
前の時のように。
気持ちを重ねることはできなくても、触れあうことはできなくても、せめて、一緒に並んで戦える魔法使いでいたい。
魔法使いになったからには、そう望んでしまうのはワガママなのだろうか。
半分顔を覆ったまま、オスカーがため息をつく。
「自分が話したということは、クルス氏には内密にしてもらいたい」
(お父様? ……なにかしら)
「……わかりました」
「自分はクルス氏から、初級魔法以外は教えるなと言われている」
「お父様が? なぜ?」
「魔力開花術式で水晶を全て割っただろう?」
(……ぁ)
色々なことがありすぎてすっかり忘れていたけれど、そんなこともあった。ほんの二週間前の話だ。
(あの時には何も言われなかったけど、やっぱり、アレってまずかったのよね……)
「現魔法卿、冠位一位が、術式で真ん中の水晶だけを割り、すぐに本部に連れて行かれ、次の魔法卿として育てられたそうだ」
「じゃあ、あの時、お父様から魔法卿になりたいかを聞かれたのは……」
「あの事実を報告すれば、あなたは間違いなく本部に連れて行かれる。次期魔法卿候補として。
自分たちはそれを阻止するために事実を隠蔽した。あなたの教育係が自分一人になったのも、そういう事情だ」
(魔法協会本部……)
さっきの父の言葉を思いだす。
「私でもお前を守れない相手はいるんだ」
過保護に聞こえたけれど、あれはそういう意味だったのだと思うと納得がいく。
本部には逆らえない。父は冠位一位ではない。ここではトップでも、組織ではいくらでも上がいる。
(やっぱり……、お父様とオスカーは危険を冒して守ってくれていたのね……)
結果の隠蔽、数値の改ざんは、知られれば確実に処分対象だ。加担したオスカーも含めて。
巨大ファイアはうかつだったという自覚が出てくる。父が怒って当然だ。
「ひとつ安心してもらえたらと思うのは、クルス氏は単純に、あなたが生まれもった能力値が高いと思っているようだ。魔法使いの素質は全てが遺伝によるわけではなく、突然の上下も珍しくはないからな」
「話してくれてありがとうございます。状況はわかりました。なぜ父が、あのファイアを禁じたのかも」
二人の気持ちもわかった。
けれど。
「でも、なら、尚更、普通に魔法を教えてください」
「……どういうことだ?」
明らかに話の流れとは逆の希望を言ったのに、頭ごなしにダメだとは言わない。ちゃんとそう思った理由を聞いてくれる。オスカーのこんなところも本当に好きだ。
「前の時と同じくらいの速さで、同じくらいの魔法を使えるようになっていくことにはなんの問題もないはずです。
ちゃんとした進度でちゃんと覚えたことになれば、それなりに戦えます。なので、普通に魔法を教えてもらえた方が安全なのではないかと」
「……なるほど。一理あるな」
オスカーが口元に手を当てて、しばらく考える。好きだなあと思いながら結論を待つ。
「わかった。あなたの前の時とは言えないから、クルス氏には、自分の時と同じくらいの進度で教えた方が逆に問題が少ないと思うとかけあおう」
「ありがとうございます!!」
大好きだと言ってとびつきたいけれど、それはぐっとガマンする。
「その代わり、その進度を超えた無茶はもうしないように」
ピシッと言ったオスカーの目が笑っていない。
「……はい。反省してます」
そこで話は終わると思ったけれど、オスカーの目が迷うように揺れる。それから再び手で顔を隠された。
(お昼の時に考えてたこと、かしら……?)
少し待ってみると、そう経たずに、どこか言いにくそうに言葉が続いた。彼の耳が赤い。
「あと……、あのようなことは、控えてもらえると……」
顔は見えないけれど、湯気が出そうな感じだ。
「あのようなこと……?」
「二つ。唐突に服をめくられるのと……」
(あ)
最後にケガを治した時だ。確かに、急にめくられたら驚くだろう。
謝ろうとしたら、先に彼の言葉が続く。
「あと、……効率のため、と言ったか?」
「……あ」
思いだした。思いだしてはいけないこととして封印して、そのまま仕舞いこんでいた。
メウス・トゥーム。自分の魔力を相手に移す魔法を使う時に、一番効率がいい方法を選んだのだ。
触れあわせた時の感触を思いだしてしまって、顔が熱い。だから思いだしてはダメなのだ。緊急措置だとわかっていても、ふわふわしてしまって思考が使いものにならなくなる。
「他の者にも、しない方がいいかと……」
「し、しししっ、しませんよっ! あなた以外となんて!!」
「……つまり、自分とはする、と?」
「ち、ちがっ……」
するのかと聞かれるとどうなのだろう。したいのかと聞かれたらしたいけれど、それはダメだ。
まとまらない頭を必死に動かす。
また同じことをするかしないか。それは状況によるとしか言えない。
「……くはない、かもしれません。緊急時なら」
「なるべくなら控えてもらいたいのだが」
「そ、そうです、よね。ごめんなさい」
後からクレームはいくらでも聞くと言った。
その後の生存率がかかっていたとはいえ、無理やり彼のファーストキスを奪ったのだから当然だ。蘇生の時のものがあるから本当は今回が初めてではないけど、彼が知る初めてではある。
この件に関しては、どれだけ怒られてもしかたない。
そう覚悟したのに、意外な言葉が続いた。
「自分のガマンにも限界がある。不本意に手を出されたくなければ、なるべく他の手段を考えてほしい」
「え……」
「……失言だった。忘れてほしい。……少し風に当たってくる」
返事ができないうちに、戦闘中のような素早さでオスカーが部屋から飛びだしていく。
(……え?)
言葉は理解しているのに、気持ちが追いつかない。
(ちょっと待って。……え、ちょっと待って。ガマンの限界……? 手を出……?)
ずっと長い間フタをしていた、遠い昔に幸せだった頃の記憶が蘇ってくる。記憶の中には夫婦として彼と過ごしていたものもあるのだ。もうはるか遠い記憶になっているけれど。
そこに、昨日の感触が上書きされる。
(ちょっ、え、ダメ……。そんなこと、望んじゃダメなのに……)
彼に自分を求める気持ちがあるのが嬉しくてしかたない。決して受け入れることはできないけれど。そう思うのに、ふわふわした感覚になってしまう。
ついさっきも、彼の吐息が至近距離に迫っていた。
もうどうにも、その全てが愛しくてしかたない。




