26 裏魔法協会の依頼主
(多分、このくらいでいいはず)
唇を触れあわせた時間はものの数秒だ。『一番伝導効率がいい方法』ならそれで十分だろう。他の方法の数百倍は速いと聞いている。
パッと距離をとって、視線を床の扉に向ける。
ただの手段だと何度も自分に言い聞かせていても、恥ずかしくて今はオスカーの顔をまともに見られない。
「……どうですか?」
「ぇ……」
おずおずと尋ねたら、どこか驚いたような小さな吐息が返った。
「えっと……、魔力……」
「あ、ああ……。回復している……、というか、戦闘前よりも多い気がする」
「よかったです。もし元の残量より使うことになって、ストン先輩に何か聞かれたら、ウォード先輩が先ほど答えた方が読み間違っていたことにしてもらってもいいですか?」
「それは、もちろんだ」
「では、私たちも中へ」
「……ああ。行こう」
顔が熱くなっているのを必死に冷ましながら、オスカーが開けてくれた扉の中に入る。すぐに彼が続いて、中から扉を閉めた。
地下室の中は明るい。魔道具と魔石を使った灯りが使われているようだ。
そこそこの広さがある部屋に、机とテーブル、非常食が積まれた棚などがある。壁に三つ扉があるのは、シェルターとしてしばらく使えるように作られているからだろう。テーブルの上にはお茶とお菓子が乗っている。
赤子を抱いた若い女性と、その親世代と思われる女性が背を壁につけて怯えている。
フィンと同年代くらいの若い男性と、その親世代と思われる男性が、捕獲魔法で捕らえられている。その二人の前にストンとフィンがいる。
「えっと……、状況は?」
遅れて来たのは一、二分程度だ。どうしてこうなったのか。
「抵抗されそうになったので、とりあえず捕らえましたが。フィン様、この者たちの紹介を」
「想像通りだと思うよ。捕まっているのがおじさんといとこ。壁のところにいるのがおばさんと、いとこの奥さんとその子ども。あ、おじさんが父上の弟で、おばさんはその奥さんだよ」
「フィン! これはどういうつもりだ! 魔法使いを連れてうちに来るなんて!」
縛られているおじさんが声を荒げる。
答えるフィンの表情は、どことなく寂しそうだ。
「おじさんたちと話したいことがあって来たんだ。これは僕の命に関わることだし、もしかしたらここにいるみんなの命に関わることかもしれない」
面々の表情が変わる。怒りや怯えよりも困惑が前に出てきた気がする。
「この中に、魔法使いに……、裏ルートで、僕の暗殺を依頼した人はいる?」
気負いのないさらりとした声だった。
ていねいに全員の顔を見ていく。ルーカスほどうまくはできなくても、少しでも変化を拾えるように。
(あれ、あの人……?)
一人だけ、ほんのわずかに動揺した気がする。気のせいかもしれない。そう思う程度だけど。
返事をしたのはおじさんだ。
「何を言っているんだ。そんなことをするはずがないだろう。リスクくらいは弁えている」
(それって、リスクがなかったらそうしたいっていう意味……?)
仮にも血がつながった家族なのに、そんなふうに思うものなのだろうか。子どもの頃からそれを感じていたのだとしたら、フィンに同情せざるをえない。
「父さんに全面的に同意です。特に今の生活で困っているわけでもなし、僕らが反旗をひるがえす理由があるとすれば、あなたがボンクラだというくらいなので。適当に持ちあげて実権を狙う方が現実的です」
(本音が辛辣……)
こんな場面だから普段はフタをしている部分が出ているのか、あるいはフィンの前ではいつもこんな感じなのかはわからない。
けれど、飾りたてられた言葉よりもずっと真実だろうと思えた。
フィンが笑った。
「そう。うん、僕も常々、僕に領主は向いてないと思ってるから、意見は一致してるんだよね。僕は気を張って領地経営をするより、ゆっくり花でも育てて余生を過ごしたいから」
(おじいちゃんかしら?)
「だから、一度継いだとしても、なるべく早く父上を説得して、君たちのどっちかに譲りたかったんだけど」
一同の顔に驚きが浮かぶ。
「直接そう言うのは初めてだね。早いうちに父上に知られると、僕が怒られるだけ怒られて、意固地になって絶対許してくれないと思ったから……。リアちゃんにしか言ったことがなかったんだけど」
(むしろ私に言ってよかったの……?)
あの日は初対面だった。お互いの利害の一致の確認のためには必要だったのかもしれないけれど、ずいぶんと信頼されている気がする。
(あ、初対面じゃないのよね。フィン様としては)
子どもの頃の自分を知っているから、フィンなりに思うところがあってそうしたのだろうか。
「そう思っているなら、なんでお見合いなんかして結婚しようとしたのさ! 独身でいればいいじゃないか」
黙って聞いていた壁際の、おばさんが声をあげた。
(やっぱり、この人……)
さっきの動揺は気のせいじゃなかったのだと確信した。
「お見合い? ああ、リアちゃんとの? もう振られたけど……」
(ごめんなさい)
「一番大きいのは、父上がそろそろ身を固めろってうるさかったことだけど……」
チラリとフィンが見てくる。この先はこちらの個人情報だから、ということか。
(そんなふうに気にすることもできるのね)
お見合いの時の距離感は適切だった。つきあっていた時には、もしかしたら思いが暴走していただけなのかもしれない。そんな気がした。
「えっと、はじめまして? ジュリア・クルスです。その時のお見合い相手の」
そう名乗ると、むしろ男性陣に動揺が走った。
「クルスだって?! 冠位魔法使いの、エリック・クルス氏の娘か?!」
「はい」
「そんな大物と繋がろうとしていたのに、領主を譲る気だったって?」
「あの、その辺りは、どちらかというと私のせいで。誰かとお見合いをする条件として、恋愛も子どもも望まないことを、私が提示していたので……」
「ちょうどよかったんだ。ずっとまた会いたいって思ってた初恋の女の子が、僕のものになってくれるかもしれない。
その上、子どもを望まないなら、僕の計画に共謀してくれる可能性もある。魔法使いはそうでない人より、領主とか男爵とかの地位にこだわらない傾向があるしね。
それで僕は、僕一人じゃなくて、リアちゃんと二人の余生を過ごしたいって思ったんだ」
(ちょっと待って。初耳な情報もあるんだけど……)
そうは思うけれど、今はフィンの話に乗っておく。
「フィン様の言うとおりです。お見合いの席で、フィン様は私に話してくれました。優秀なおじさんといとこがいて、いとこに子どもが生まれたと。いずれその家系に地位を譲りたいと」
「だから、ちょっと待っててくれたら、こんな騒ぎを起こす必要は全くなかったんだ。……ね? おばさん」
穏やかに、にこやかに、フィンが壁際のおばに投げかけた。
(フィン様も気づいていたのね)
この人は自分で言うほど領主に向いていなくはないし、いとこが言うほどボンクラでもない。そう感じた。
全員の注目がおばに集まる。
「なんだい? どういう意味だい?」
しらばっくれたように見えた、その時だ。
ドオォォン!
上で大きな音がして、パラパラと地下室の天井がきしんだ。ドン、ドスンと音が続く。
ストンが珍しく声を大きくした。
「全員私の近くに! プロテクション・ドーム!」
天井を越える大きさでは意味を成さないため、狭い範囲にならざるをえないようだ。
結界を張ったのと同時に天井が崩れ始める。
「赤ちゃんたちが! まだ結界の外ですっ!」
自分とオスカーが同時に前に出るが、壁際の三人の救助をするには位置が遠すぎる。おじと従兄は縛られたままだ。
「人は結界に入れるようにしていますが! 早く!」
ストンが叫ぶけれど、既に間に瓦礫が落ちはじめている。
おばが、赤ちゃんを抱いた奥さんの腕を取ったのが見えた。そのまま強く引いて、崩れる天井が当たらないように結界の方へと突きとばす。
よろけながら入ってきた女性と赤子を、近くまで行っていたオスカーが素早く抱きとめた。
直後、大きな音と土煙と共に道が完全に塞がり、おばの姿が見えなくなる。
「せめて孫には陽の目を見てほしいじゃないか! この甲斐性なし、根性なしども!!」
大きな瓦礫がいくつも落下して轟音が響く。
「っ、ウォード先輩! 物を浮かせる魔法を!」
「数が多すぎる。……し、おそらくもう手遅れだ」
ひゅっと息を呑んだ。
(また……。また! 私がすぐに魔法を使っていたら助けられたのに!!)
前の戦闘でのオスカーの状態がフラッシュバックする。それから、血に沈んだみんなの姿。それは遠い昔のはずなのに、今、目の前で起きたかのようだ。
「あ、ああっ……」
まだ戦いは終わっていない。状況を確認しないといけない。次の手を考えないといけない。わかっている。全てわかっている。
叫ぶことはなんとか抑えこんだ。けれど、震えが止まらない。心と体が立ちすくんで、言うことをきいてくれない。




