16 別荘の夜、ほんのひと時
濃い一日だった。あの後もみんなで騒いで遊んで夕食を食べて、夜には魔法で花火もあげてくれた。
解散を宣言されたのはしっかり暗くなって結構経ってからだった。
(オスカーを泊めた部屋をとれてよかった……)
ここだけはどうしても、他の人に使わせたくなかった。前に彼が使った枕に顔をうずめる。洗浄はしたけれど、それでもちょっとこそばゆい。
同室で問題がないメンバー数人で一部屋を使う形になっている。フィンには護衛がついていて、一人部屋はいない。
自分は母と同室だ。本来のこの歳の自分にとっても久しぶりだろうし、今の自分にとっては百年以上ぶりになる。
「お母様と一緒に寝られるの、久しぶりで嬉しいです」
枕を抱きしめたまま、つい本音がこぼれた。
「あら、ふふ。私も嬉しいわ。今日はお疲れさま」
「お母様も、お疲れさまでした。にぎやかでしたね」
「ええ。私もあんな雰囲気は久しぶりで、楽しかったわ」
「私もです」
灯りを落として寝られる状態にする。
このまま眠るものだと思っていたら、母が口を開いた。
「ねえ、ジュリア」
「なんでしょう、お母様」
「ムリにフィン様と関係を続ける必要はないのよ?」
驚いた。
(多分、今日の様子から、私がフィン様を好きになれないことに気づいているのよね……)
「ありがとうございます」
「あなたがフィン様と別れても、それはそれとして大人の関係は続くから。気にする必要はないわ」
「はい。……お父様の方が実質的に、領主様より立場が上なのは知っています。けど、できるだけ穏便にできたらとは思っています」
母に答えて、自分の気持ちがもう固まっていることに気づいた。
別れるのは確定事項になっている。
あとは、いつそれを切りだすのか。
(事件が終わるまで。そう約束したのよね……)
自分が手を引いて、もしフィンが他の誰かとお見合いをしたら、その子が巻きこまれることもあるかもしれない。前の時のように。
少し考えるような間があってから、母が続ける。
「あなたが背負わなくてもいい責任まで、背負おうとする必要はないわ」
驚いた。
前の言葉に対して言ってくれたのだろうけれど、考えていることに対してクリティカルだった。
(私が背負わなくていい責任……)
どこまでが自分の責任で、どこからは違うのか。難しい問題だ。
色々と考えていたら中々寝つけなかった。
母はもう静かに寝息を立てている。
(少し風に当たってこようかしら……)
夜は好きだ。静寂は安らぎを連れてくる気がする。
軽くガウンを羽織って中庭まで足をのばす。
途中、どこかの部屋で二次会が続いている気配があったけれど、気にせずに通りすぎた。
少し空気がひんやりしている。街中よりも澄んでいて、月が細いことも手伝って、星空がきれいだ。
はるか昔、いつの日だったか、オスカーが魔法で見せてくれた星空に劣らない。
「オスカー……」
(好き……。全部、大好き……)
「……クルス嬢?」
「?!」
思い出に浸ってその名をこぼしたら、背後から本人の声がした。飛びあがりそうなくらい驚いて、慌てて振りかえる。
庭に置かれた夜用の小さな灯りで、その姿が浮かびあがっている。
「……ウォード先輩」
「こんな夜中に……、寝つけないのか?」
「はい、そんなところです。ウォード先輩も?」
「比較的若い仲間が部屋に集まってきて、まだ騒いでいて……、少し風に当たりに出てきたところだ」
「なるほど……」
声や灯りが漏れていたのはオスカーが割りふられた部屋だったらしい。
「……きれいだな」
ドキッとした。自分に向けられたのではなくて、星のことだとわかっている。それでも鼓動を抑えられない。
「はい。……とても。ステキです」
返した言葉は、星に向けたようでいて、彼に向けている。
一度視線が重なると、そのまま逸らせなくなってしまう。好きがあふれてしまいそうになるのは、夜という時間の魔法なのだろうか。
オスカーが言葉を選ぶようにして、ゆっくりと音を紡いだ。
「……昼間は、すまなかった」
「? 何かありましたっけ」
「その……、許可もなく話に割って入ったり、……手を、つい……」
フィンとの一連のことを指しているのだと理解した。どちらかというと、最後の部分に重点がありそうだ。
「あれは助けようとしてくれたのだとわかっているので。むしろ私がお礼を言うところだと思います」
「だが……」
それでも気にするようなそぶりがあった。
そっと彼の手に触れる。
「ウォード先輩の手は、好きなので」
愛しくて、本当は口づけたいくらいだ。けれどそれはガマンする。先輩と後輩の距離を越えてはいけないのだから。
「でないと、撫でてほしいなんて言いません」
笑って見上げて、彼の手を自分の頭の上に運んだ。
彼はされるがままだ。
自分の手を離すと、おそるおそる、ゆるゆると頭を撫でてくれる。
嬉しい。
「……クルス嬢」
ファミリーネームで呼ばれているのに、その音が妙に艶めかしく聞こえる。
「なんですか? ウォード先輩……」
「……名を、呼んでも?」
心臓が一層跳ねる。
それを想像するだけで、息もできなくなりそうだ。
だから。
今は、こう答えるしかない。
「ダメ、です……」
「……そうか」
夜でよかった。昼間だったら、顔が熱くて真っ赤になっているのが見えてしまっただろう。
少し残念そうにうなずくだけで、彼は理由を尋ねない。
言う必要はないとわかっているのに、つい音になってしまったのは、夜の理性の弱さのせいかもしれない。
「……嬉しい、し……、恥ずかしい、から……。人前では、ムリ、です……。
だから……、たまに。……今みたいな時、だけなら」
優しく頭に触れていた手が止まった。
彼が小さく呼吸を整えたような間があった。
「……ジュリアさん」
心臓を射抜かれた気がした。全身に電流が走って、一気に熱くなる。
それは遠い昔、彼が告白してくれた時と同じ音だ。
(好き。大好き。……オスカー)
言えない言葉を、呼べない名を、ぐっと飲みこむ。
「……はい」
今は、返事をして視線を重ねるので精一杯だ。
わずかな灯りで照らされる彼から目を離せない。
彼もまた、ただまっすぐに見つめてくれる。
このまま時が止まればいいと願う。これ以上、前には進めないのだから。一番近いこの距離のまま、ずっといられたらいい。
それが叶わないことはわかっているけれど。
どれだけ経ってからか、オスカーがもう一度、優しく頭を撫でてくれた。
「……冷えてはいけない。部屋まで送ろう」
「ありがとうございます……」
どこまでも名残惜しさしかないけれど、仕方がないのはわかっている。
オスカーが少し迷ってから、エスコートするかのように手を差しだしてくる。
その手に手を重ねることを、今は迷わなかった。
(……明日、お父様とフィン様に、関係を解消することを話そう)
ベッドに戻って、決意を固める。
どうがんばっても、オスカー以外を好きになれそうにはない。それでいいと言われていても、思っていたよりもずっと、自分はダメだった。
オスカー以外には触れられたくない。
むりやり握られた手首の痛みはすぐに引いたけれど、嫌悪感はどうしても拭えない。つきあうという形をとる以上は致命的だ。
(フィン様……。出会ってしまって、好きにさせてしまって、ごめんなさい)
罪悪感はある。申し訳ないとは思う。
それでも。
今は何より、オスカーとのほんのひとときの逢瀬が愛しい。
望みを叶えるように優しく撫でてくれた大きな手。大切に名前を呼んでくれた大好きな声。
新しい宝物が増えたような、そんな気がした。




