遠い未来のいつかの日
深く息を吸って、長く吐きだす。
(大丈夫。もう契約は終わっているって言われたんだから)
もう一度この日を迎えられるとは、時を戻したころには夢にも思っていなかった。
身なりを整えてもらった自分の姿を鏡で見る。
出会い直してから二十年近く。オスカーと重ね直した時のぶんだけ歳が上がったけれど、あまり大きくは変わらないような気もする。
式に参列するためにプロがやってくれたお化粧のおかげもあるかもしれないが。
「お母様、どうですか?」
「似合っていてかわいいですよ、エレナ」
次女のエレナはもう十七で、魔法使い見習いをしている。自分と髪色が同じだが、それほど似ているとは言われない。自分より落ちついた雰囲気があるからだろう。
「アルマお嬢様のお支度はこちらでよろしいでしょうか」
三女、一番年下のアルマが、まだ歩けるようになって間もないおぼつかない動きで寄ってきて、ぎゅっと抱きついてくる。
「まま!」
「はい、ママですよ」
かわいいなあと思いながら抱き上げる。
使用人が扉を開けると、男性陣が準備を終えて待っていた。
「ジュリア」
「はい」
オスカーがエスコートするように差しだしてくれた手に、そっと手を重ねる。視線が絡んで、笑みがこぼれる。
正装の彼は、今でもめちゃくちゃカッコイイ。大好きだ。
前の時の記憶にある最後の彼の姿と重なる。今日のこの先は、完全に未知の時間だ。
もっとも、いろいろなことが変わりすぎていて、外見以外は前の時の延長線上にある気はしないけれど。
長男のマークは今年魔力開花術式を受けて、魔法協会に所属した。その下、次男のダレルと三男のダリルは双子で、周りからはよく見分けがつかないと言われる。来年魔力開花術式の歳だ。
歳が離れているアルマはみんなのアイドルのようになっている。
マークが軽くアルマを撫でてからエレナに顔を向ける。
「エレナ姉さんはフィアンセがエスコートしてくれるのか?」
「ええ。親族席に座ってもらうことになっているから、着いたら親族用の控え室に案内されるはずよ」
(エレナのフィアンセが、前の時のクレアの旦那様だったのよね……)
前の時は、子どもはクレアだけだった。隣の家の幼馴染と仲良くなって結婚したのは自然だった。
けれど、今回は三男三女の六人兄弟だ。必然、子どもたちを取り巻く人間関係も大きく変わった。
自分の代で変わった部分の影響も大きかっただろうが。
(クレアの争奪戦は想定外だったわ……)
クレアは長女だというのもあってか、本人が選んだ道もあってか、前の時には関わりのなかった男の子たちと多く関わっていたようだ。
(そんな中で、彼が旦那様になるのだものね……)
喜ばしいのと同時に、なんとも感慨深い。
親族用の控え室に着くと、エレナのフィアンセから頭を下げられる。気楽にしていいと伝えてから、相手方の家族と挨拶を交わして、オスカーの両親と自分の両親が話しているところに合流する。
どちらも健在だけど、だいぶ年齢が上がった感じはある。更に上の祖父母の世代はもう鬼籍に入っている。
結婚式では家族と一緒に最前列に並ぶ。
今回は、感動よりも緊張が強い。だいぶ薄れたが、赤い記憶が完全になくなったわけではない。
クレアからの母への手紙。
その瞬間への恐怖は残っているけれど、あの時とは違うと自分に言い聞かせられる要素はたくさんある。
(大丈夫。大丈夫……)
オスカーの手を握ると、しっかりと応えるように握り返してくれる。それだけで呼吸が楽になる。
『ふむ。わからぬ』
唐突に頭の中で声がして、叫びそうになったのをぐっと飲み込む。女性とも男性ともつかない、すべての音を含んだような声だ。
(世界の摂理……、相変わらず心臓に悪いわ……)
あれから、なんだかんだと付きまとわれたままだ。さっさと離れてほしい。この世界の全だと言っていたけれど、暇すぎないか。
『親が子を育むのはすべての生命の根源であり自然の摂理。そのようにできているというだけのこと。なのになぜ感謝されている?』
頭を抱えたいのをぐっとこらえる。感動的な場面が台無しだ。
そう思ってから、今度は笑いそうになるのを飲みこむ。
もう怖れる必要はないのだ。手放しで感動できなかったというのもあるし、あの時すべてを奪い去った契約相手はのんきなものだ。
ふうと息をついた。
同時に、クレアの声がしっかりと入ってくる。
「お母様はとても泣き虫で、私が何かできたと言っては泣いて、ひとつ大きくなったと言っては泣いていましたね。
いつも何がそんなに嬉しいんだろうと思いながらも、とても愛されていることを感じてきました」
クレアがクレアであること。
それ以上に嬉しいことはなかった。
同じ親の元で同じ名をつければ同じ魂が宿ると言われてはいたけれど、実感が伴うと泣かずにいられなかった。
クレアはクレアだった。
時を戻ってもオスカーがオスカーだったのと同じように。
ひとつひとつの言動にはもちろん違うところも多いし、周りとの関係も大きく変わったけれど、その根本は間違いなく同じだった。
あきらめていた全部がそこにあることが嬉しくて、毎日幸せを噛みしめてきた。
「お母様。お母様の子で、私は世界一幸せです」
(私こそ……。またオスカーといられて、またクレアといられて、世界一幸せだわ……)
あふれる涙が止まらない。
式の終わりに来賓の見送りのために席を立つ。
何事もなく式を終えられたことで、また涙があふれてくる。
「もう、お母様ったら。本当に泣き虫なんだから」
「だって……、クレアの結婚式が無事に終わったから……」
「無事じゃない結婚式って何?」
くすくす笑って軽く言われたけれど、前の時は無事ではなかったのだ。それを知っているオスカーが軽く抱きよせてくれる。
「はいはい。泣くのもいちゃつくのも、全部終わって帰ってからにしてね」
「いちゃっ……」
ついていないとは言い切れない。
オスカーの匂いをいっぱいに吸いこんでから、ゆっくりと息をついて落ちついていく。
少しして、式場の扉が開かれた。
参列してくれた中には、自分と親しくて一緒にクレアの成長を見守ってくれていた人たちもいる。
新郎新婦、新郎の両親と共に挨拶をして、親しい人たちには「また」と言って送りだす。
スピラはリンセの魔法でヒトに見えるようにしてもらって、同じくヒトの姿になっているリンセ一家と並んで出てもらった。ペルペトゥスは人型なら問題ない。
ヒトより寿命が短いリンセはすっかりおばあちゃんで、ヒトの姿も老婦人を選んでいた。娘と孫が一緒なのが微笑ましい。
スピラとペルペトゥスは、一緒に世界の摂理の祭壇を巡ったころと何も変わっていない。
来賓を全員見送って家族だけが残り、最後に、新郎新婦の門出を改めて祝って別れる。
「クレアをよろしくお願いしますね」
任されたと答えてくれる彼なら、なんの心配もいらないだろう。オスカーも満足そうに頷いた。
夜、子どもたちが自室に戻ってから、オスカーと二人でソファに並ぶ。
「前の時は……、前日の夜に、子育てがひと段落したからこれからは二人でゆっくりしようと話していたんです。
ふふ。今回はまだまだ、ひと段落じゃないですね」
「そうだな」
そっと肩を抱きよせられる。甘えるように身を寄せた。
「もう、途切れてしまった時間の先にいるんですね……」
そう思うと、この時間がとても愛しい。
「昔、ジュリアのいない五十年より、ジュリアと共に二十年を生きたいと言ったが」
ゆるゆると頭を撫でながら静かに言われる。当時を思い出して心臓が跳ねた。
「この二十年近くでそれに間違いはなかったとも思うが……、ジュリアと共に五十年を過ごせるのが一番だな」
笑みを浮かべる彼と視線が絡む。
昔も今も、大好きだ。
「はいっ! 一緒に生きましょうね。この先もずっと」
『それでもあなたに生きていてほしい』
その願いが叶うならどんな形でもいいと思っていた。けれど、その上でなら、一緒にいられるのが幸せだ。
この先、いつどこで何が起きるかはわからない。世界の摂理の問題が解決していても、事故も病気も無縁だと言えないのは分かっている。
人はみんな、いつかは死が二人を別つのだ。それは〝世界の摂理〟なのだろう。
ただそれが、前の時のような理不尽なものでないといいと願うしかない。
分かっているけれど、だからこそ、ひとつひとつの「今」を大事に、一緒に時を重ねていきたい。
いつか再び訪れるのだろうその時まで--
「ずっと、一緒です」
fin.




