11 [オスカー] いい先輩の距離
クルス嬢と二人きりだった研修室から飛びだすように出て、足早に給湯室へと向かう。
(ちょっと待ってくれ。なんだあれは! なんだあれは……! かわいすぎるんだが?!)
朝から何度も何度も自分に仕事だと言い聞かせて、ただの先輩の距離を保てるようにがんばっていたのに、簡単に崩してくるのはかんべんしてほしい。
思いがけない『ワガママ』に胸をつかまれた。一度は耐えようとしたのに畳みかけられて、触れてはいけないはずなのに、彼女が望むならと思ってしまった。
彼女の頭に手を乗せるだけで心臓が飛び出そうだった。再び彼女を撫でた感触があまりに愛おしくて、一生手を洗いたくないとすら思う。
新人研修は通常、研修室の扉を閉めて行う。万が一、慣れない研修生が魔法を暴走させた時に外に影響しないようにするためだ。閉めている方が自然だから閉めたのだが、密室で彼女と二人きりになって落ちついていられるはずがなかった。
ずっと自分の心音がうるさくてどうにかなりそうだったことに、気づかれなかっただろうか。
二人で話せたことで、理解できなかったことの真相がわかったのは収穫だった。
(見合いを受けたのは、フィン・ホイットマンの命を助けるため……)
あの日、何度も、なぜそんな無茶をするのかと思う場面があった。が、彼女の無茶のおかげでフィンが守られていたのは確かだ。元々の目的を聞けば行動原理に納得できるし、彼女は最大限の結果を出している。
しかし、自身の危険をかえりみないのは心底やめてほしい。彼女の安全とフィンの命を天秤にかけたら、自分は迷わず前者をとる。迷う理由は皆無だ。
(ちゃんと伝わっているといいが)
「……ごめんなさい」
心の底から反省したように謝る彼女もかわいかったけれど、少し強く言いすぎただろうかとも思う。
(フィンとつきあうのも、事件が解決するまでの様子見……)
それを知って、安堵している自分がいる。そうであってもイヤじゃないわけではないが。
(余計なことを言ってしまったな……)
彼女に前置きしたとおり、言えた立場ではないのだ。自分の思いがどうであれ、彼女の思いがどうであれ、表向きはただの教育係と研修生なのだから。
会うことすら拒否されていたころに比べればマシになったのだろうが、試されることは増えている気がする。
気合いを入れ直すように、大きく息を吸って、吐きだした。
二人分のお茶を淹れて戻ると、研修室のドアが開いていて、話し声がした。入っていいものかと思いつつ、軽く中を見やる。
(ダッジ……?)
カール・ダッジ。同じ部門で、元々の予定では一緒にクルス嬢の術式と研修にあたるはずだったが、どちらからも外された先輩だ。
「ジュリアさんはフィン様のどこが好きなの?」
「……ノーコメントでお願いします」
(何を聞いているんだ……!)
「オレもお見合い候補だったのに、フィン様が選ばれた理由を知りたいんだよね」
「えっと……、その節はすみませんでした」
(そういえばダッジもお見合い話の時に名乗りをあげていたな)
クルス氏からは採用されたが、彼女に選ばれなかったうちの一人だ。自分はそもそもクルス氏に却下されて候補にすらなれなかったが。
彼女の謝罪に、ダッジが肩をすくめつつ首を横に振る。
「そういうことじゃなくてさ。何がよかったの? そんなにカッコよかった? それとも、領主夫人になりたい?」
「やめろ。クルス嬢が困っているだろう」
見かねて話に割って入る。
「おっと、教育担当者様のお戻りだ」
言い方にトゲがある気がする。元々は二人で担当する予定だったのに、外されたのが気にくわないのだろうとは思うが、どうにも子どもじみて見える。
「ちょっと聞くくらいいいだろう? 別にお前の彼女でもないんだし」
ぐっと歯を噛みしめる。彼女の思いは自分にあるのだから手を出すなと言いたいが、言えない。
「……研修中だ。お前も仕事に戻れ」
「じゃあ昼メシ一緒にどう?」
「断る」
「お前じゃなくてジュリアさんに聞いたんだ」
「えっと……、ウォード先輩とルーカスさんも一緒なら」
ダッジがいぶかしそうな顔をして、それから軽く手を叩いた。
「入職前からの知り合いだったんだっけか。じゃあ今日はそれで」
そう言って、ひらひらと手を振ってオフィスに戻っていく。ムダに疲れた気がする。
彼女にお茶を差しだす。
「ありがとうございます。その、すみません。勝手に巻きこんでしまって」
「いや、ダッジと二人で行かれるよりよっぽどいい。ルーカスもおもしろがってついてくるだろう」
「ありがとうございます」
「この後なのだが。クルス嬢はどのくらい体力に自信があるだろうか」
「体力、ですか? ……どうでしょう。少なくともこの2、3ヶ月……、ウォード先輩と初めて会ったころから運動らしい運動はしていないかと」
「そうか。領主邸では動ける方だと思ったが、集中力や気力の部分もあるのだろうな。簡単なストレッチや体操、ウォーキングから体力作りを始めるのはどうだろうか」
「はい。それでお願いします。ふふ。研修で健康になりそうですね」
(か わ い い ……!)
めんどうがられてもおかしくない提案だと思うのに、嬉しそうに笑う彼女がかわいすぎる。
「ずっと動き続けるのはキツいだろうから、適度に休憩を兼ねた座学を挟めたらと思うが。希望はあるだろうか」
「あなたの声を聞いているだけで嬉しいので、正直、お話はなんでもいいのですが。そうですね……」
(うわあああっっっ、なんだそれは……! なんだそれは! 無自覚なのか??!)
一度本心を聞いたからだろうか。彼女のだだもれ度が上がっている気がする。
(落ちつけ、仕事だ。落ちつけ……)
ぐっと歯を噛みしめて必死に平静を装う。
「今、のことをいろいろ教えてもらえるといいかもしれません」
「今?」
「はい。記憶が遠すぎてこの時期の一般常識が抜け落ちているので。例えば、今の魔法卿が誰だったかとか」
「ああ……。当代はエーブラム・フェアバンクスだ」
「エーブラム・フェアバンクス……」
彼女が思いだすようなしぐさで言葉を受ける。
「ありがとうございます。そういう、魔法協会とか世界の今のことを教えてもらえると助かります」
「わかった」
方向性が決まったところで、簡単な準備運動から始める。体を動かしていると雑念が減る気がするし、やることが明確になっていると指導することに集中できるのがありがたい。
(これなら……、なんとかなる、か……?)
全く意識しないことはできないだろうけれど、表面上だけでもいい先輩の距離でいられるといいと思う。




