31 一緒に戻れなかったのは想定外
(うーん……、これは想定外ね)
洞窟の天井を見上げてため息をついた。
夢を使うタイプの魔物にとらわれた場合、夢だと気づいて強い衝撃を受ければ目が覚めるはずなのだ。
現に、自分が剣で腹部を貫いたら、オスカーの姿がゆらいでこの世界から消えた。意識が体に戻ったのだろう。予想は間違っていなかった。
が、現状、なぜか自分は戻っていない。
「痛みはないし、そうするって決めてやったし、ビジュアルとしても血が出てるなーっていうくらいなのよね……」
ようは自分には衝撃が足りなかった、あるいは衝撃にならなかったということだろう。
赤が苦手だった。血の赤は特にダメだ。あの光景を思いださせる色は恐怖だった。けれど、今は思いのほか平気なのが不思議だ。
(オスカーのおかげでかなり治っているのと……、たぶん、自分の血なら平気なのね)
恐れているのは大事な人を失うことだ。自分がケガを負うことではない。
(痛みはないのに動くのがだるいとか変にリアル……)
なんとなく起き上がれなくて、地に転がったままでいる。誰か他の人が見たら完全に惨状なのに、自分からするとコメディだ。
「向こうでオスカーがなんとかしてくれるのを待つしかないわよね……」
彼が戻れたのは確実だろう。なら今は、彼を信じて待つのが得策だ。こっちで自分にできそうな最大限をやって、この現状なのだ。戻る前にオスカーが鉄の剣を消したから、更に損傷を加えることもできない。
「夢の中でも魔法が使えないのは思いこみかしら? それとも精神に刻まれているから……?」
魔法は肉体ではなく精神に紐づいていた。時間をさかのぼって若くなっても、それまでに増えた魔力量は減らなかった。同じように、世界の摂理に封じられた今は、精神だけの今の状態でもダメなのかもしれない。
「ヒール」
唱えてみてもやはり何も起こらないし、魔力の動きも感じられない。
「だいぶ魔法に頼りきっていたのね……」
百年以上魔法使いとして生きてきたのだから、当然と言えば当然だ。
これからの生き方を考えてみる。魔法協会には戻れない。魔法使いではなくなったのだから。
(家庭教師とか剣術を教えられるようになるのとかが現実的かしら)
今回はオスカーに出会わないために魔法協会に行かないで、魔法使いにならないつもりだった。その時に家庭教師になる選択肢は持っていた。
剣術の方が少し遠いけれど、剣聖のところに通い続ければできるようになると思う。オスカーは自分が魔法使いでなくなっても構わないと言ってくれた。結婚してウッズハイムに住むなら、剣聖の道場に通い続けることもできる。
(無事に戻れたら彼と相談ね)
働かなくてもいいと言ってくれそうな気がするけれど、働きたいなら好きにしていいとも言われそうだ。収入面では、オスカーが魔法協会にいる限りは問題ないと思う。状況に応じて相談するのがいいだろうか。
(……無事に戻れたら)
ここまできたのだ。どうあっても未来を掴みたい。
オスカーから、二人でいられるならこのままでもいいと思いそうだと言われた時、気持ちは同じだった。そこに本当の永遠があるなら、両親やルーカスや友人たちに心配をかけるのは申し訳ないけれど、選択肢としてナシではなかった。
けれど、ここは違うだろう。なんとしてでも彼は助けようと思った。
「……ぁ」
この状態に慣れてきたのか、体が動くようになってきた。だからといって何もできないけれど、起きあがって彼が魔法で出してくれた座面に座る。
(オスカー……)
何度も唇を触れあわせた感触が残っている。思いだすように指先で唇をなぞった時、不思議な暖かさを感じた。愛しさを抱きしめるように目を閉じると、重力の方向が変わった感じがした。
「……オスカー?」
自分に触れる彼の頬が濡れている。彼が泣いたところは初めて見る。自分と違ってあまり感情的になる人ではなかった。
「ジュ、リア……? っ、気がついたのか?!」
「はい。起きるのが遅くなってすみませ……」
「よかった……」
腕に抱かれた体勢から、ぎゅっと強く抱きしめられる。彼の背に腕を回して抱きしめ返す。
「心配をかけてすみませんでした」
「……まったくだ」
そう言った音の響きは優しい。彼が落ちつけるように、そっと彼の頭を撫でる。もっとと甘えるようにすりよせられるのが愛しい。
「……衝撃が強すぎて、精神が戻れなくなったのかと」
「すみません……、反対に、ショックを受けなさすぎて残っていました……」
「受けなさすぎて?」
「はい。なんというか、刺したな、血が出てるな、くらいな」
オスカーが驚きから安堵を通りこして、ぷっと吹きだした。
「ジュリアは強いな」
「え。逆だったとしても同じことになった気がしますよ?」
「ああ。そうかもしれないが」
オスカーが地面に降ろして立たせてくれた。ハンカチで彼の涙をぬぐうと、柔らかな笑みが返る。愛しくて、つい多く撫でてしまう。もっと彼に触れていたいけれど、状況に戻らないといけない。
うっそうとした森の中だ。あたりには赤黒いツタの残骸や燃えかすが残っている。
「植物かキノコ系かなとは思っていましたが」
「ああ。動きは遅かったから、粉をあびた眠ささえなんとかできれば問題なかった」
「……眠さ、どうしたんですか?」
「腕を少し」
利き手ではない方だろう。またケガをしてと思うけれど、今は彼のことを言えない。彼の左手を両手で包んで、そっと唇を触れさせる。
「お互い、あまり無茶はしないようにしましょうね」
「ああ……。ジュリアにどんな思いをさせていたのかはよくわかった。あれは二度とごめんだ」
「ふふ。そうですね。安全第一でいきましょう。今、体が無傷なのはきっと、ここに飛ばされる時にあなたが防御魔法をかけてくれたからですね」
「かもしれないな。時間が経っているからかけ直しておこう」
「それから、まずは食料ですね。すごくお腹が空いています」
「水分もとっておくか」
オスカーが魔法で水を出してくれる。口に含むと沁み渡る感じがした。体が必要としていたのだろう。
「食料探しにあたって、動きやすいようにジュリアにも身体強化をかけても?」
「ありがとうございます。また剣もお願いできると安心です」
軽くそう言ったらオスカーが固まった。




