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30 [オスカー] 失う恐怖と痛み


 出会った時には惹かれていたことを告白したら、ジュリアが耳まで真っ赤になった。かわいい。

 ここを抜けるために何か驚かせられないかと思ったのがきっかけだったが、目的を果たすのと同じくらい嬉しい。口のすべりがよくなるのには充分だ。


華奢きゃしゃでかわいい女の子が確かな芯を持って前に立ってくれて……、物語に聞く天使が降りてきたのかと思った」

「それは……、褒めすぎです……」

 驚きや羞恥が混ざっていた彼女の表情が、嬉しい恥ずかしさに変わっていく。

(事実で、言葉が足りないくらいなんだが)


「屯所で二人きりにされた時、緊張と鼓動の高鳴りで心臓が止まるかと思ったな」

「ぜんぜんそんなふうには見えませんでした……」

「ジュリアの前ではせいいっぱいカッコつけているのだと言ったら?」

「……すごく、愛しいです」

 そう答えて見上げる瞳が愛しくて、思いのままに唇を重ねる。大好きという言葉の代わりのように彼女からキスが返る。


「ジュリアの瞳にとらわれていると言ったこともあったか……。拒絶されていたのに、その目には求められているようで、どうしてもあきらめられなかった」

「……ごめんなさい。たくさん、傷つけましたよね……?」

「今となっては笑い話だが……、ジュリアが見合いの話を受けたのが一番ショックだったな」

「すみません……」


 しゅんと小さくなった彼女を抱きよせる。事情を知ってからは気にしていないが、彼女はまだ気にしていそうだ。

 そっとひたいにキスをする。


「ジュリアと二人でいられるなら永遠にこの空間にとらわれていてもいいとすら思えてくるから困る」

「それは……、私も」

 見上げる彼女の瞳から甘さが消えて、凛とした信念が宿ったように見えた。こんな芯のある目も好きだけれど、なぜか少しイヤな予感がした。


「けど、ここはきっと永遠じゃないから。想定している状況なら、数日で体が持たなくなると思うので……」

 ジュリアからふわりと唇を触れあわせてくる。その口元を追う前に、彼女がすっと離れて立った。その手が鉄の剣を握り、首筋につきつけてくる。


「ごめんなさい。あなたにはダメだと言ったのに、こういう方法しか思いつかなくて」

 その瞳の意思は揺らがないのに、今にも泣きそうな、申し訳なさそうな表情だ。

 ごくりと息を飲む。

(ジュリアに刺されるなら本望か……、いや)


「その剣を自分へ。ジュリアに背負わせたくない」

 目を覚ますために彼女が自分の犠牲を望むなら、彼女の手を汚させずに自分で手を下すまでだ。彼女が止めないなら、元よりその選択肢はあった。


「愛しています、オスカー」

 彼女がそう言ってほほえんだのと同時に、手にした剣をひるがえす。

「っ……! リリース!!」

 彼女の意図を理解したのと同時に鉄の剣を作った魔法を解除した。が、一瞬遅く、彼女の体を貫いた剣が消え、栓を失った傷口から大量の血が吹きでる。


「ジュリアッッッ!!!」

 我を忘れて叫んだ瞬間、ぐるりと世界が反転した。



 息が切れて鼓動が速い。全身に恐怖が残っている。

 視界は薄暗い。洞窟の中ほど暗くはないけれど、光がさえぎられている昼間という感じだ。植物が生い茂った深い森の中のようだ。

 重力は足の方に向かってかかっていて、横になっている感覚ではない。かといって立っているわけでもなく、太くて赤黒いツタ植物にからめとられている状態だ。


「っ、ファイア」

 利き手をしばっているツタを燃やす。周りに残された部分がうぞうぞと動いて再び絡めとろうとしてくるが、動きは遅い。

「ファイア・ソード」

 自由になった手に炎の剣を出し、ツタを切って身の自由を確保する。


「ジュリア!」

 声を張ったけれど返事はない。

「エンハンスド・ホールボディ」

 迫ってくるツタを燃やして切りながら、強化した五感で彼女を探す。

 入り乱れたツタの間に一瞬キラリと光るものが見えて、空いている手でツタを押しのけた。

(指輪!)

 自分が贈った婚約指輪をはめた彼女の手だ。


「ジュリア、無事か?!」

 手を引いて引き出そうとするが、からまったツタの力が強い。彼女を傷つけないように少し広い範囲で切ろうとしたところで、頭上から粉が降ってきてむせた。

「っ……!」

 ぐらりと視界が揺れて強烈な睡魔に襲われる。眠らせた対象を養分とするたぐいの魔物だろう。


(本当に意地が悪い)

 意識を奪われた状態でここに放りこまれたら、自ら迷いこんだ時以上に夢と現実の区別をつけるのが難しい。彼女がいなかったら自分は気づかなかっただろう。


(同じ夢にいられたのが幸いだったか……)

 彼女だけが気づいて目を覚ましたとしても、魔法が使えなくなった彼女が一人でこの状況を抜けだすのは厳しいだろう。ツタには硬いゴムのような弾力があり、強化をかけていても素手では引きちぎれそうにない。


(……それも含めて世界の摂理の手の上な気がするな)

 自分たちを魂のつがいと呼び、余興だと言っていた。敢えて同じ夢に送りこむタイプの魔物を選ばれた気がする。

 そう考える間にも眠さで意識を失いそうだ。


「またジュリアに怒られるな……」

 手にした炎の剣で近づくツタを払ってから、軽く自分の腕にもあてる。

「っ……」

 痛みで覚醒したところで飛び上がり、頭上の花を付け根から切り落とす。巨大なツボミのような形だ。落ちる時にわずかに舞った粉を吸わないように袖で口をふさいでおく。


 他にもないかを確かめ、強化している視界に入る花を片っ端から切り落とし、地に落ちたものから燃やしていく。燃えた時の煙には催眠効果はないようで助かった。

 ひととおり処理を終えてからヒールで自分の傷を治し、改めてジュリアの周りのツタを燃やす。炎の剣を消して、彼女の手を引き、意識のない彼女の体を受けとめる。


 顔色が悪い。

 心臓がイヤな跳ね方をして血の気が引く。ツタが生い茂った場所から少し距離をとって安全を確保して、彼女をゆらしてみる。反応がない彼女のほほを軽くたたいた。


「ジュリア。起きてくれ、ジュリア」

 精神だけの場所であっても、深い傷を負うと自己暗示にかかって目覚めなくなるケースがあると聞いたことがある。生死をかけるのはナシだと彼女からくぎを刺されたのにはそんな理由もあったのかもしれない。


(なぜ気づかなかった……)

 彼女がこちらに剣の切先を向けた時、それが鉄の剣の魔法を解除させないための演技だと気づければ、こんな無茶をさせずに済んだだろう。

 彼女は、自分が彼女から剣を向けられても受け入れることも、逆に彼女自身に向けるのは許さないことも織りこんでいたに違いない。


「ジュリア……」

 息はある。少し衰弱しているが、まだ体は無事だ。意識だけが戻らない。

 少し強い痛みを与えた方が起きる可能性が上がる気もするが、彼女の体を傷つけるなんてできない。


「戻ってきてくれ……」

 ぽたりぽたりと水滴が落ちる。雨が降ってきたわけではなさそうだ。

(こんな思いをさせていたのか……)

 彼女の盾になって生死の境をさまよったことがあった。意識を取り戻すのに一週間ほどかかったらしい。その間、彼女がどんな気持ちで見ていてくれたのかと思うと胸が痛い。彼女自身の身なりも食事も意識に上がらなかったというのもうなずける。


(彼女が言う、前の時にはもっと……)

 世界の摂理によって全て奪われたと言っていた。自分も娘も親も友人も、信頼して心をよせられる人は全て。辛かっただろうとは思っても、今から思うと今まではどこか他人事だったのかもしれない。何度身を引き裂かれるよりも辛い思いをしたのだろうという実感が伴う。

 もっと自分を大切にしてほしいという彼女の言葉の重さを知った。


「ジュリア……」

 腕に抱いたまま、軽く頬をすりよせる。いつもなら甘えるように彼女からもすりよせてくるのに、なんの反応もない。涙が止まらない。


「……自分も、愛してる」

 夢の中の彼女の最後の言葉には答えられなかった。ささやいて、思いを伝えるように唇を重ねあわせる。


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