9 フィン様も研修もちょっと待って
(疲れた……)
魔法協会に行っていたのはほんの数時間だ。体が若いおかげで体力的には問題ない。ただの気疲れだ。
(あれはどういうことだったのかしら……)
魔力開花術式で水晶球が割れるなんて見たことも聞いたこともない。問題がなかったはずはなく、父とオスカーがどんな話をしたのかが気になるところだ。
けれど、それを知ろうとするのは彼らの思いを無碍にすることだと思う。守られたことだけを大事にしたい。
(あと、めんどうそうなのはダッジさんとの関係よね……)
お見合いを断ったのは申し訳ないけれど、大人同士の社会的距離をうまくとれるといいと思う。
そんなことを考えながら家に帰って、驚いた。
特大の花束と一緒に手紙が届いている。
(フィン様……、ちょっと待って……)
頭を抱えたい。嬉しさより、同じような花束をもらったばかりなのにどうすればいいのかという気持ちの方が強い。
手紙には、二度目に会った時の自分がどれだけかわいかったかとか、次はいつ会えるのかと書かれている。紙は高価なのに、枚数が多い。
(すごい量……。次って……、気が早くない……?)
週末に会ったばかりだ。会うのは月に一度くらいで十分だと思ってはいけないのだろうか。犯人の心あたりは聞きたいから、会う用事がまったくないわけではないが。
(お返事、した方がいいわよね……?)
申し訳ないけれど、正直、めんどくさい。今までの約束は父が調整してくれて楽だった。
(うーん……、今日は疲れたし、明日からは毎日魔法協会だし、休日でいいかしら)
一言二言ならすぐに返せるけれど、この熱量の手紙はムリだ。若いころならまだしも。
(オスカーが相手なら書けるかもしれないけど)
そう思うと、精神年齢よりもむしろ気持ちの問題なのかもしれない。
ため息まじりにフィンの手紙を置いて、ソファにもたれる。
改めて、魔力開花術式でのことが浮かぶ。
(……オスカー、お父様、ありがとう)
直接は伝えられない感謝がまたひとつ増えた。
(それにしても……、あのカッコよさは反則……)
壮年になった彼も大好きだったけれど、若くて凛としている彼の破壊力がすごい。
他の場所で会っていた時もカッコいいと思っていたが、職場にいると輪をかけてカッコよく見える。
(『ウォード先輩』効果もあるわよね……。また毎日一緒だなんて、大丈夫かしら……)
どうにも彼が好きすぎる。別荘での一件からはフラッシュバックがだいぶ落ちついているのもあって、そばにいるだけで頭の中がお花畑になりそうだ。
(ウォード先輩……。……オスカー。……大好き)
どうにも愛しくてしかたない。熱を逃がすかのようにクッションに顔をうずめた。
「クルス嬢」
気軽にジュリアちゃんと呼ぶ人が多くなったが、翌日もオスカーの呼び方は変わらない。
(前も……、そうだったわね)
彼は、自分が直接許可をするまでそう呼んでいた。当時はその距離がもどかしかった。けれど、今はホッとしている。
(名前で呼ばれたら心臓がもたないもの。あの時の私に教えてあげたいわ)
名前呼びに慣れるまでドキドキしすぎて本当に大変だったのだ。今は時間が経ちすぎて完全にリセットされているから、もう一度同じような苦労をする気しかしない。
朝の挨拶をしてから、研修室に通される。
見習いの練習用の部屋だ。座学もできるように机と椅子が置かれている。部屋の内装も置かれているものも様々な耐性が付与されていて、多少魔法に失敗しても問題がない作りになっている。魔力開花術式の部屋と同じで、外に音がもれることもない。
(……ちょっと待って)
扉が閉められて、心臓が跳ねる。
(外に出る研修以外はずっと、ここでオスカーと二人きりになるの……?)
オスカーが担当になるとは聞いたが、サブとして誰かは入ると思っていた。
見習いの研修は二人一組で行うのが普通で、ほとんど一対一になることはなかったはずだ。ましてや、男女では本来ありえない。
「……あの。ウォード先輩、一人ですか……?」
「ああ。そうするようにと、クルス氏のお達しだ。指一本触れるなとは深く釘を刺されている」
(……ちょっと、待って。お父様は私を殺す気なの?)
父は一体何をしているのか。
オスカーにそのつもりがなくても、自分にもそのつもりがなくても、密室に彼と二人きりにされて心臓がもつはずがないではないか。
せめて事前にちゃんと予告してほしい。
(待って。ほんと、待って……!)
ちゃんとしないとと思うのに、すぐには落ちつけそうにない。
「クルス嬢」
「はいっ」
頭の中がこんがらがっていて、やたら元気よく答えてしまった。
(待って。なんでオスカーは普通なの? なんで落ちついていられるの??)
目の前の彼は、昔、先輩として接してくれていた時と変わらないように見える。まるで、これまでのことがなかったかのようだ。自分ばかり彼のことが好きで好きでしかたないような気がしてくる。
「今日はまず話ができればと思う。掛けてほしい」
「わかりました」
(落ちついて、大丈夫。深呼吸……はできないけど、吸って、吐いて……)
必死に落ちつこうとしながら、指示された席に座る。
机を挟んで向かい側、話しやすいけれど近すぎない場所に彼も腰かけた。
(前の時と同じ位置……)
彼からいろいろと習っていたころ、同じように向かい合わせで教わることが多かった。
立っている時より顔の位置が近くなる。
(……好き。って、そうじゃない。今は落ちつかないと)
そう思うのに、気持ちも頭の中も心臓も忙しい。
「まずは……、ひとつ、確認しても?」
「はい、なんでしょうか」
「クルス嬢は……」
(自分のことを好きか、とか、単刀直入に聞かれるのかしら……)
ドクン、ドクンと心音がうるさい。
「既に上級魔法が使える、上位の魔法使いであることに間違いはないだろうか」
ものすごくまじめな話だった。浮かれた思考回路だった自分が恥ずかしい。なんとか理性を寄せ集めて形にする。
「……はい。知っているのに、隠してくれてありがとうございました」
そのことには心から感謝している。何度も、彼に守られてきた。
「礼には及ばない。それなら、自分が一人で担当になれてよかったと思う。既に知っていることを改めて教えられる必要はないだろう。
魔法や知識以外の身体能力の部分を中心にするのはどうだろうか。学習進度は自分の時と同じくらいで、学んだことにして報告してもいいだろうか」
「いいんですか?」
「何をしたかをすり合わせておけば問題ないだろう。習った以上のことができることは、誰にも知られたくないのだろう?」
「はい。助かります」
彼からの提案がとてもありがたい。今の彼への感謝がまたひとつ増える。
同時に、前の時、他の誰の話よりも彼が話してくれることを真剣に聞いていたのを思いだして、つい笑みがこぼれた。
「ウォード先輩の授業は好きなので、受けたい気もしますが」
そう言うと、オスカーがどこか気恥ずかしそうに手で顔を半分隠した。
(何か困らせるようなことを言ったかしら……?)
少し心配なのと同時に、そんな彼のしぐさも愛おしい。
まじめな話に集中しないととは思うのに、どうにも彼が好きすぎる。




