36 [ルーカス] 意趣返しとしては十分満足
死ぬかと思った。
身体強化の魔法があれば問題ないと思った何日か前の自分に教えてやりたい。運ぶ荷物が空気ほどの軽さになっていても、傾斜がきつい坂を登るのはきつい。
「ほんときつかった……」
「普段から運動不足だからだな」
「ホワイトヒルを離れてからも、朝とか夜とか、時間さえあったらオスカーはトレーニングしてたもんね……。ジュリアちゃんはよくつきあってるなって思ってた」
「ジュリアが楽しめるんだから、ルーカスも楽しめるんじゃないか?」
「ジュリアちゃんはオスカーといるのが楽しいのであってトレーニング自体が楽しいんじゃないと思うし、少なくとも苦じゃないくらいの才能があるんだろうけど、ぼくはムリ。きみたちといるのは好きでも、体を動かすのは苦でしかないから」
「キツイのは最初の数日で、慣れれば大したことはないんだが」
「その数日がキツすぎてあきらめるんだよ、運動嫌いは」
「二人ともおつかれさん」
目的地に箱を降ろしてひと息ついたところで、ブロンソンに労われる。いくらかナナメ上の方にイエロードラゴンの巣が見える場所だ。
「これから卵の探索に行く。あの数は想定外だ。こちらにも影響するかもしれないから、守りを頼む」
「了解した」
「あ、ブロンソンさん。これはドラゴンの巫女情報だから、信じるか信じないかは任せるけど。
カラーズのドラゴンは孵る見込みがない卵を捨てる可能性があるから、もしそういう様子が見られたら、捨てた卵を持って帰ってほしいって。食べるのには無精卵でも問題ないし、カラーズの卵ならひとつで足りるんでしょ?」
「おう。初めて聞く話だが、留意しておこう。あの数のドラゴンと戦わないで済むならそれに越したことはないからな。パーティメンバーにも伝えても?」
「もちろん。共有お願いね」
ブロンソンはジュリアの強さがケタ外れなのを知っている。ある意味では信用されているということだ。
一方で、本人が直接言うとボロが出そうだから代わりに伝えた。絶対にそうなると言うより相手に判断させた方が相手は信じるし、ブロンソンから伝えてもらった方がパーティメンバーは信用するだろう。
ブロンソンたちが近づいていってもドラゴンたちは悠然としたままだ。警戒して臨戦態勢で向かっているのがむしろ滑稽に見える。
もう少しで着くというところで、ドラゴンのうちの一頭が卵をひとつ、ブロンソンたちの方へと転がした。
「うおっ! エルヴィスっ、魔法で確保しろ!!」
こっちまで聞こえるような声でブロンソンが叫ぶ。
ペースを合わせてホウキで向かっていた、ブロンソンのパーティの魔法使いがスパイダー・ネットの魔法で卵を確保した。
「目的は果たした! 撤収するぞ!」
緊張感を残したままのブロンソンの声がする。自分とオスカーもホウキを出した。
「……じゃあね、ジュリアちゃん」
できるだけ悲壮な声で語りかける。中からコツンと音が返った。オスカーと目を合わせてお互いにひとつ頷き、その場を飛びたった。
神官たちの元に戻るとお祝いムードになった。ブロンソンを讃える声ばかりだが、立役者はジュリアだと自分とオスカーは知っている。昨夜、ドラゴンたちとの最終手順の確認には自分も同行した。うまくいってよかった。
「運がよかっただけだ」
バツが悪そうにそう答えるブロンソンは察しているのかもしれない。
翌日からはブロンソンが卵をかついでの移動だ。魔法で運ぶ提案もしたけれど、神官のペースに合わせて戻らないといけないなら、体を鈍らせないためにもそのくらいの重さはあった方がいいと言われた。オスカーが深く頷いていた。
(みんなちょっと筋肉が好きすぎるよね)
そう思った時に、向こうの魔法使いのエルヴィスと目が合った。彼も細い。仲間を見つけられたのはちょっと嬉しい。
行きより速いペースで、予定より少し早く、四日目の午前には首都に戻れた。国王に報告が入り、半刻後に謁見できることになる。
「オスカー、ちょっと」
呼んで、人に見られない場所に行く。
「オスカーは知らない人が喜怒哀楽を読みやすい方じゃないけど、王様に会う時は一見してわかるくらい死にそうな顔をしててほしいんだよね」
「本当に婚約者を亡くしたのならそうなるだろうな。道中もなるべくそのつもりでいたが、お前から見て国王の前に出るには足りないから呼ばれたわけか」
「うん。だからこの提案は絶対にジュリアちゃんには内緒にしてね。
ジュリアちゃんの話に信ぴょう性を持たせるために、ちょっと大ケガをして。心理的苦痛と身体的苦痛の表情の差は簡単には見分けられないから」
「わかった」
オスカーが左腕の服をまくりあげる。
「歩き方に違和感が出ないように腕でいいか?」
「待って。提案しておいてなんだけど、抵抗はないの?」
「必要だと判断したから言ったのだろう?」
「それはそうだけど」
「ああ、先に包帯は用意しないとな。服に血をつけるわけにはいかないだろう?」
「うん。これ使って」
魔法使いは普段包帯を使わない。魔法ですぐにケガを治してしまうからだ。ヘタな調達のしかたをすると怪しまれるだろうと、洗った肌着を道中で割いておいたものを見せる。
「何かしていると思ったが、このためか」
「ぼくにできるのはこのくらいだからね」
「ブレージング・ファイア」
オスカーが迷わずに強い火炎魔法で自分の左腕を燃やす。見ているだけで痛い。眉をひそめただけで声をあげない精神力と、袖から見える位置には広がっていないコントロールのよさはさすがとしか言いようがない。
「ぼくが巻くよ。謁見が終わったら魔法で治してね」
「わかった」
死なない程度だけど、そこそこ深いやけどだ。血がしみ出ないようにしっかりと布を巻きつけ、オスカーの袖を戻す。
「うん。いい具合に血の気が引いたね」
「そうか」
いつも以上に言葉数が少ないのは痛みに意識を持っていかれているからだろう。泣かないものの、泣きそうにも見える。上々のできだ。
ブロンソンのパーティとして王様の謁見に同行させてもらう。謁見の間で頭を下げると、玉座の上から機嫌のいい尊大な声がした。
「無事に卵を持ち帰ったか。よくやった。約束の達成報酬を出そう」
「ありがとうございます」
直後、国王の声が数トーン落ちた。
「……待て。レディ・クルスはどうした。そこの婚約者はなぜ、そんなにも悲壮な顔をしている」
(うん。そう見えるよね)
気づかれても気づかれなくても、この話は自分がする手筈になっている。なるべく低く落ちこんだ声で答える。
「クルスちゃんは、望んでドラゴンの供物になったよ」
「何……? 待て! なぜだ! なぜそうなった!!」
国王が立ちあがって声を荒げる。
「ノーラちゃんを、自分より小さな女の子を、一人にはしたくないって。自分も条件には合っているから一緒に行くって。
もちろんぼくらは止めたんだけど、彼女の意思を変えることはできなかった」
「婚約者がいるのだろう?! 何をしていた!!」
「今一番辛いのはそのオスカーだから、責めるのはやめてあげてね。彼も話せる状態じゃないから」
国王がまじまじとオスカーを見る。血の気が引いて死にそうな顔をしているのは演技ではない。国王の顔がみるみる変わっていく。
「……本当、なのか……?」
「うん、もちろん」
国王の視線がブロンソンに向く。ブロンソンがひとつ頷くと、腰が抜けたように玉座に崩れた。少しの間放心してから、パッと飛び起きる。
「っ、……ギルバート! すぐに助けて来い! 報酬ははずむ! いくらでも望む金額を言え!」
「無茶を言うな、王様。オレたちが供物を置いてきてからもう四日も経ってるんだ。死人は生き返らないだろ」
ブロンソンにも口裏を合わせてもらっている。苦笑混じりにそっけなく答えても、ブロンソンの立場なら違和感はない。
「お前が行かないなら朕が行く! 兵を揃えろ! ドラゴン狩りだ!」
「落ちつきなさい、イシュメル。異国の冒険者ひとりがなんだというのですか」
皇太后がピシャリと言った。国王が口をつぐむ。国王の正妃が続いた。
「お義母様の言うとおりですよ、イシュメル。ドラゴンにあだなそうとするなど言語道断でしょうに」
「しかし……、しかしだな……」
弱々しくつぶやかれた言葉に反論は続かない。
「王様にクルスちゃんから伝言があるんだけど、聞く?」
「なんだ?!」
「ドラゴンは魔鳥とか魔鳥の卵が好きなんだって。魔木の実もいいらしいよ。そういうものを育てて供物にした方がいいんじゃないかって」
「なんて、今更な……」
国王がぐっと口を引き結ぶ。ひと筋、涙がこぼれた。
(ジュリアちゃんを好きなのは本当だったんだね)
「慣習を変えるのが難しいのはわかるけど、この犠牲については真剣に考えてね。毎回、誰かの一番大切な人を死なせているっていうことは肝に銘じて」
「……そうだな。……今日の謁見はここまでだ。他の用件は後日に回せ」
「イシュメル」
皇太后がとがめるように呼んだ。
「……その音で朕を呼ぶな。あの音を忘れたくない」
そう言い置いて、国王がその場を後にする。
(個人の責任じゃないからちょっとかわいそうだけど)
今後のためにも意味のない犠牲を考え直してもらえるといい。
(まぁ、個人としても、ジュリアちゃんにしつこくしてたからね。意趣返しとしては十分かな)
ジュリアにはそのつもりはないのだろうけれど、自分は満足だ。
「あと、皇太后様にひとつだけ聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょう」
不機嫌そうにしつつも答えてもらえてよかった。
「エレメンタルのドラゴンの卵、食べたことある?」
「そんな稀少なものを食べられていればこんなにも老いなかったでしょうね」
(ドラゴンの卵と老化は関係ないはずだけどね)
「見たことは?」
「もちろん、ありません。卵が持ちこまれたという記録もなかったはずです」
「やっぱり珍しいんだ?」
「エレメンタルのドラゴン自体が、世界的にも目撃例が少なく絶滅が危惧されている上に、ドラゴンは上位種ほど卵を産みませんから。タイミングよく入手できるとしたら奇跡でしょう」
「そっか。ありがとう」
「もし手に入るようならぜひこの国にお譲りください、冒険者の方々。この度はお役目ご苦労様」
皇太后から労われて謁見を終える。
六十年前のケルレウスの卵は、この国に持ちこまれても食べられてもいないらしい。その確認がとれたから、もうここに用はない。




