4 [オスカー] 術式の担当者
休日明けに職場に復帰した。
魔力回復薬を飲んでしっかり休めたおかげで、もう不調は感じない。
(一番は彼女の魔法と献身なのだろうが)
クルス家の別荘でのことを思いだすと顔が熱くなる。
何度も手の中をすり抜けた姿に、どんなに手を伸ばしても届かなかった彼女の心に、初めて触れられた。
それはとても大きな前進に思えた。例えこれからの約束が何もなかったとしても。
「おかえり」
「大変だったな」
「がんばったらしいじゃないか」
ありがたいことに、あちらこちらから声をかけられる。
ルーカスの姿もあった。
「おかえり、オスカー。手紙が来てるよ。きみとぼく宛に一通ずつ」
ルーカスが手にした紙をひらひらと見せてくる。
(手紙……?)
紙は高級品だ。自分とルーカス両方に送ってくる相手が思い浮かばない。
デスクを見ると、女性らしい柔らかさのあるきれいな封筒が置かれている。もしやと思って差し出し人を確かめて、ルーカスはあえて名前を伏せたのだろうと思った。
(クルス嬢……!)
鼓動が早まる。期待してはいけないのはわかっているのに、期待せずにはいられない。
『助けていただき、ありがとうございました。心から感謝しています。』
丁寧につづられた文字に心が温まる。
どのことを指しているのかは書かれていないけれど、書かれていないからこそ、書けないことなのだろう。
(問題はないようだな)
彼女が無事に彼女のいるべき場所に帰れたことが嬉しい。
(……は?)
続きが目に入ったとたん、眉間にシワが寄った。
『近いうちに魔力開花術式を受けに参ります。』
(これは……、大丈夫なのか?)
彼女は魔法使いだ。既に魔法が使える。魔力開花術式の重ねがけなんて聞いたことがない。誰も試したことがないはずだ。試す理由がない。それはつまり、何が起きるかわからないということだ。
ルーカスが手紙に意識を向けさせた理由がわかった。ルーカス宛の手紙に同じことが書かれていて、同じ懸念をしたけれど、育成部門ではないルーカスにはどうしようもないから、自分にどうにかしろということだろう。
彼女の魔法を実際に見ているのは自分だけだが、ルーカスは彼女が魔法を使えることに気づいている。何も話していないのに、戻ってきたのと同時に全てを知っているような顔で「ひとつ貸し」だと言われた。
「きみが守りたいものを、ぼくも一緒に守るから」
そう言ってもらえたのはとてもありがたい。実際、証言を疑われないで済んだのはルーカスのおかげも大きいだろう。
隣の席のカール・ダッジが声をかけてくる。
「あ、ウォード。ジュリアさん、今日魔力開花術式を受けに来るそうだぞ。
アマリアさんが、元の予定通りオレとお前が担当だから用意しておけって。
他の業務も今日からは通常通りだ。お前たちの捜索と後処理が終わったから、後は日常を回しながらの対応になるらしい」
(……は?)
最初が衝撃的すぎて、後ろはほとんど頭に入らなかった。
(ちょっと待ってくれ。今日? 来るのか? 魔力開花術式を受けに? 彼女が??)
記憶の中の色々な表情が浮かぶ。
(かわいいな……。いや、そうじゃない)
どうにかしないといけない。
(例えば、受けさせずに受けたこととして処理する、とかか? ……それがいいだろうな)
魔力開花術式の立ち合いは、通常、一人か二人だ。以前、一人で対応させてもらったこともある。自分一人で対応すれば可能なはずだ。
急いで直属の上司、育成部門の責任者、アマリア・ブリガムにかけあう。
「まあいいんじゃないかしら。ジュリアちゃんが無事に戻ってこられたのはウォードくんの功績だものね」
ダッジが声をあげた。
「もう一人はオレの予定でしたよね。抜けがけさせるんですか?」
「あら、入職したらダッジくんだって会えるんだから、術式くらいは特典にしてもいいんじゃない?」
ブリガム氏が支持してくれてホッとする。
(目的を勘違いされているようだが、その方がいいだろうな)
自分が誤解されておけば彼女が疑われることはない。今回の目的は違うが、あながち完全な誤解でもないから問題はない。
「ダメだ」
離れたところから横槍が入った。
「クルス氏……」
「お前とジュリアが二人きり? 密室で?」
(言い方……! 間違ってはいないが……)
だいぶニュアンスが違って聞こえてしまうのは気のせいではないだろう。
「絶対にダメだ。こんな形でジュリアに近づこうとするとは、姑息な奴め」
「そうだぞ。コソクなヤツめ」
我が意を得たようにダッジが乗ってくる。前言を撤回したい。クルス氏とダッジの前で誤解させておくのは問題しかなさそうだ。
「いや、自分はそんなつもりは……」
今回はない。が、なんの心配もなく彼女と二人きりになれるとしたら嬉しいから、ないとは言いきれない。
(いや、そうじゃない)
今はどうやって彼女の術式の実施を回避して、その上で彼女が安心して魔法を使えるようにするかが問題だ。
領主邸で彼女は申し訳なさそうに言っていた。
「すみません。私が魔力開花術式を受けていればお力になれたのですが」
きっとそれが、今回術式を受けると言った発端だ。
必死に考えていたが、続いたクルス氏の言葉に思考が持っていかれる。
「いいか? ジュリアはフィン様とのつきあいを了承した。お前が入る余地はもうないんだ」
(なん、だって……?)
目の前がチカチカする。鈍器で頭を殴られたかのようだ。
彼女がお見合いを受けたという話を聞いた時もショックだった。けれど、それとはまた違う衝撃だ。今は彼女の心を知っている。
彼女から愛されているのは、うぬぼれではないはずだ。自分もまた彼女を……。
それなのに。
(つきあう……? クルス嬢と、他の男が……?)
彼女がお見合いを受けた真意は結局わからなかった。他の誰かとつきあおうとする意図もわからない。心のどこかで、断ってくれると期待していたのかもしれない。
彼女の願いを叶えるためなら、自分との距離は縮まらなくてもいいと思った。これからはそう接するつもりでいた。
(それだけではダメなのか……?)
苦しい。これまでのどんな時より。
「え、クルス氏。それってマジな話?」
ダッジが先に反応した。
「ああ。お前にも悪いが、そういうことになった」
「それは残念。ま、これからは毎日会えるっていうイニシアチブがとれるから、会ってみてかな」
(お前は入ってくるな……!)
話がややこしくなる気しかしない。内心で盛大に頭を抱えながら、気力をふりしぼってなんとか仕事の話に戻す。
「クルス氏。魔力開花術式の立ち合いは自分の部門の管轄だ。これまでにも一人で対応したことがあるし、仕事に私的な感情を持ちこむつもりはない」
「一人で対応したいっていうのが私的な感情じゃなくてなんなんだ。
ブリガムが言うとおりジュリアが戻ってきたのにはお前の功績もあるから、術式の立ち合いは認めてやる。が、お前と二人きりにはさせん」
隣のダッジが嬉しそうにうなずいている。当初の予定通りダッジと二人に戻されるのだろう。
(ダッジをごまかす方法を考えるしかないか……?)
なかなかの難題だ。関係が悪いわけではないが、近いわけでもない。普通の同僚、先輩の距離だ。少なくとも彼女の秘密を共有できる相手ではない。
高速で考えを巡らせたところで、より想定外な言葉が続いた。
「ジュリアの魔力開花術式には私が共に立ち合う」
(……は?)
「へ……?」
声に出したのはダッジだ。同じように考えていたのだろう。拍子抜けした顔をしている。
(いやそれこそ公私混合じゃないか?!)
支部長が術式に立ち合うなんて聞いたことがない。少なくとも自分が知る限りでは、一度もそんな話があったことはない。
「なんだ、その顔は。私が一緒だと何か困ることでもあるのか?」
「いいんじゃないかしら。二人で入れば」
ブリガム氏がどことなく投げやりに言った。今のクルス氏には何を言ってもムダだと思っていそうだ。
(困るし、よくないのだが……)
そう思うけれど、二人を説得できる言葉が見つからない。
ルーカスと目が合う。苦笑とともに首を横に振られた。ルーカスにも、もうどうしようもないのだろう。
(困ったな……)
こうなったらもう、何も問題が起きないことを願うしかない。




