11 昔アイスドラゴンが失ったもの
「何があった」
『春が来たのよ』
改めてペルペトゥスから尋ねられ、デインティがそう答える。
「え、ここにですか?」
『比喩よ、比喩。ベルス様はそれは美しいアイスドラゴンだったの』
ケルレウスがどこか照れくさそうに顔を背ける。本人が語らないのは気恥ずかしいからだろうか。
(だった……)
その響きがひっかかるし、今ここにその姿もない。
『南の、ずっと南、暑さを超えてまた寒くなった先から、北にも氷の世界があると聞いていらしたと言っていたわ。
ケルレウス様とベルス様はすぐに仲睦まじくなられて……』
『デインティ、そのあたりははしょってくれ』
『なぜですか? むしろそこが大事なんじゃないですか。
ドラゴン種は強靭な代わりにあまり卵が産まれないのだけど、お二方の間にはそれはもうかわいい、大きな卵がお産まれになったのよ?』
「ほう。それはウヌも祝いに来るべきであった」
『どこから聞きつけたのか、アースドラゴンのフムステッラ様はお祝いに来てくれて』
「ふむ。また懐かしい名よのう」
『この凍土で卵を孵すのに必要だろうと、お祝いの品をくださって。みんなお祝いムードだったの。人間が来るまでは』
「人間……」
『正確には、人間に卵を盗まれるまでは、ね』
「え」
『ケルレウス様もベルス様もそれはお強いのだから、戦いだったら簡単に踏みつぶしていたはずよ。わたしだってあんな人間たちに遅れをとったりしないし、当時はこんなふうに統率をとってはいなかったけど、みんなだって強いもの。
けど、ケルレウス様もベルス様も人間に好意的だったから、戦いにはならなかったの。ベルス様は人間から北の凍土の話を聞いたらしいし、その人間と友人になったと言っていたわね。
多分、魔法か魔法薬か……、みんな眠らされて。目が覚めた時には卵も人間たちも跡形もなく消えていたっていうわけ』
「ひどい……」
『でしょう?! ケルレウス様たちの好意にアダで応えたのよ?! 人間滅ぶべし、でしょう?!』
興奮しているデインティはこちらも人間だということを忘れているようだ。
『ベルスが激怒してな。またいつか授かると言ったが、あの子はあの子であってそういう問題ではないのだと、すぐに探しに飛び立った。以来、戻っていない』
「それ、どのくらい前の話?」
ルーカスが考えるようにしながら尋ねる。
『さあ? ヒトの時間基準とかわからないし』
『どうだろうか。ほんの少し前だとは思うが』
『いえケルレウス様、けっこう前ですよ? 眷属をすごく増やせたし……、だいぶ壊されちゃったけど……』
「ふむ。ウヌらのほんの少し前なら、ここ百年程度での話であろうよ」
「そっか。……六十年前のアイス・ドラゴンの事件、ベルスさんかもしれないね」
「あ……」
南の孤島にいた老人が、暴れ回ったアイスドラゴンを退治する時に呪いを受けたと言っていた。ここ百年でのアイスドラゴンとヒトが関わった事件がそれだけなら、ベルスである可能性は十分にあるだろう。
『ヒトの世で事件とされているのなら……、ベルスは退治されたのだな』
『そんな、ベルス様が人間なんかに倒されるはずがありません!!』
『人間の中にも強力な魔法使いはいるからな』
『あなた?! あなたなの??!』
突然デインティに食ってかかられた。
「いえ、あの、私はまだ産まれてないので。影も形もない時代ですね。そのくらい前に戦った魔法使いなら、もうご老人か亡くなっているかかと」
『そう……』
そのうちの一人を知っているけれど、今は言わないでおく。
『……なら、あの人間かしら』
「あの人間……?」
『ベルス様のお帰りを待ち侘びている間に、また人間がやってきたの。今度は、たった一人。迎撃するつもりで本気で戦ったのよ? ケルレウス様には近づけたくなかったから。なのに、全然歯が立たなくて。
その人間、何をしたと思う? ケルレウス様とベルス様がフムステッラ様からいただいたお祝いの品を奪っていったのよ!!』
「え……」
『報告を受け、当面は使い道もないだろうからくれてやれと言ったのだが。デインティは激怒していたな』
『当然です!! 卵が戻ったら必要ではないですか!』
「デインティさんの言うとおりです。ケルレウスさんは怒っていいと思います」
話を聞いただけでお腹の奥がぐつぐつしている。すごくイヤな感じだ。
思ったままを口にしたら、デインティが飛びついてきた。
『でしょう?! あなた、話がわかるじゃない』
「はい。卵もお祝いの品も取り戻したいです」
「待って、ジュリアちゃん、落ちついて。そんな昔に持ち出されたものは簡単には見つからないだろうし、普通の人間が魔物に対する態度としては普通だからね?」
「それが普通だとしたら、普通がひどいですよね? 信用して歓迎してくれた相手から大事なものを盗むなんて。何か相手の手がかりはありますか?」
『おもしろいヒトの子だな。ペルペトゥスが気に入ったのもわかる。期待はしないが、情報としては伝えておこう。卵を持ち出したのは冒険者だ。中には魔法使いもいたか』
『お祝いの品を盗んだのは、濃い紫色のローブを着た魔法使いだったわ!』
「濃い紫……? 魔法卿……!」
使用が限定されている、冠位一位、魔法卿の色だ。本人以外がまとったらそれだけで懲戒になる。冠位用のローブにはホットローブとアイスローブの機能が両方ついていたはずだから、防寒用に着ていたのかもしれない。
「時間が経っているから当代ではないだろうな。が、何か知っている可能性はあるから、そこから聞いてみるか?」
「そうですね。あとは冒険者協会に過去の記録を照会してもらいましょう。卵が持ちこまれている可能性があるので」
『待って待って待って。あなた、本気なの?』
「はい。どこまでやれるかはわかりませんが。取り戻せるものなら取り戻してきますね」
「待って、ジュリアちゃん。ぼくらの目的忘れてない? 人助けは自分たちのことの後で余力があればって言ったばっかりだよね?」
「覚えていますが……、今、私たちが私たちのことを優先したら、デインティさん、もっと人間が嫌いになっちゃいますよね? それで四十年後に戦うことになるなら、先にこっちを解決した方がよくないですか?」
「そう言われるとそうかもしれないけど……」
オスカーがどことなく楽しげに口元を緩める。
「あきらめろ、ルーカス。これがジュリアだし、一度決めたら説得できる気はしない」
「まあ、それもそうだね。ジュリアちゃんにとっては、意思疎通ができれば人間も魔物も変わらないからね」
「アイスドラゴンの卵と宝物探しをするってこと? ちょっと楽しそうだね」
「ふむ。ウヌは祝いに来れなかったからのう。そのくらいは返せるとよかろう」
「魔法卿に話を聞くときはスピラさんとペルペトゥスさん、あとモモはいない方がいい気がするから、いったんここでゆっくりしてなよ。ぼくらはまずアポ取りからだね」
「みんな、ありがとうございます。大好きです」
仲間たちはみんな、なんだかんだと力を貸してくれるのだ。本当にありがたい。
「ところで、アースドラゴンからもらったお祝いの品って、どんなものなんですか?」
『アースドラゴンのウロコよ? 大地の力で生命力を上げてくれるの。氷の大地で卵を育てるのにはすごくありがたいアイテムね』
(ん?)
最近聞いた覚えがある。
(まさか、ね)
この世界にあるアースドラゴンのウロコが一枚だけということはないだろう。
(たまたま持っている人に会ったと思った方が自然……、なのかしら?)




