36 改めて世界の広さを知った気がする
なかなか冷めない熱をなんとか冷まして、人前に出られるくらいになった頃には、必要な魔力は十分に回復していた。
(もう一度だけ……)
オスカーの頬にさわると、柔らかな笑みと共に身をかがめてくれる。そっと触れるだけのキスを交わして、指をからめてしっかりと手をつなぐ。
「オスカー。愛しています」
「……ん」
返事代わりのキスを受けてから、空間転移で船に戻って、操舵室のルーカスたちと合流した。
「お待たせしました」
「おかえり。ゆっくり休めたみたいでよかったよ」
いつもと変わらない笑顔のルーカスに、何があったか見透かされている気がしてちょっと恥ずかしい。
けれど、恥ずかしがった方がもっと恥ずかしくなりそうだから、がんばっていつも通りに振るまう。
「はい。ありがとうございます。船をマスタッシュ王国の近くに運びますね」
急に現れたと思われない、目撃されないくらいの距離の場所も事前に下調べをしてある。空間転移で運んで、それからもう少しだけ船を走らせれば、マスタッシュ王国の首都につながる港に着く。
「じゃあ、ジュリオとしてブルネッタ様に報告に行きますね」
「今回はぼくらも同行するよ。あ、オスカーには船番をお願いしようか」
「そうですね……」
女王の側近たちの視線を思いだすだけでゾワッとする。彼をそんな目にさらしたくはない。
「了解した」
「ペルペトゥスさんも一緒に船番でいいかな?」
「うむ」
「奴隷になっていた男たちはみんな、どこに連れて来られたんだろうってそわそわしてると思うけど、ぼくらが戻るまではそのままにしておいてね」
「解放する時だけ、私が目隠しっていうわけにはいかないですよね……?」
「ジュリアちゃんはジュリオくんでいないといけないから、今回はちょっとガマンだね」
「ううっ……。それぞれが自宅に戻って、服を着れるまでのガマンですかね……」
「あー……、それはどうかな」
ルーカスがなんとも歯切れ悪く言った。小首を傾げたけれど、それ以上は教えてもらえそうにない。
性別変更の魔法でジュリオになって、ルーカスが運転する絨毯に乗って王宮に向かう。
女王への謁見を願い出ると、すぐに女王の前に通された。
「ジュリオ。そなたと妾の仲ではないか。謁見など通さずとも近う寄ればよい」
「光栄です、ブルネッタ様。今日は私の仲間から申し上げたいことがあります」
「ほう? 言うてみよ」
「ぼくの友人がゴーティー王国と交渉して、この国の男性を解放してもらいました。既に港に船が着いておりますので、女王様に改めていただければと」
王宮内がざわつく。
「それは本当か?!」
「はい。私も確認しております。どうぞ御目でお確かめください」
騙し続ける後ろめたさを持ちながらも、ジュリオとしての信頼関係を保ち続けたのは、ここをスムーズに進めるためだ。
女王と最低限の護衛の女性を絨毯に乗せて、船が着いている港へと向かう。
ルーカスの指示で男たちが外に出されてくる。ほぼ裸に近い格好から目を背けたくなるけれど、ここはぐっとガマンだ。
「ふむ。そなたら、よう戻った」
「ブルネッタ様?!」
「ブルネッタ様だ!!」
「お前たち、国に帰れたぞ!!!」
女王の姿を見た男たちから歓声が上がる。
「して、ジュリオ。そなたとそなたの仲間、そしてその友人とやらは、この者らと引き換えにこの国に何を望むのじゃ?」
「何も」
「何も?」
「……あ、いえ。ありました。望むもの」
「なんぞ。言うてみよ」
「永久の平和を」
「……それはまたずいぶんと難しいことを」
「そうですか?」
「妾にでき得る限りは尽力しようぞ」
「はい。お願いしますね」
女王が笑って、男たちの方へと声を張った。
「みな、難儀であった。まずは家に帰り、周りの者に顔を見せるがよい」
「ありがとうございます!!!」
解放された男たちが我先にと駆けていく。
「帰ったらとりあえず服を着られるといいですね」
「服とな?」
つい苦笑しながら言うと、女王が首を傾げた。
「はい。着ますよね? 服。奴隷にされていたから着ていないだけで」
「いや、服など着ては暑かろう? あの格好がこの国の男の伝統よな」
「はい?」
「そなたもしてみるかえ? よう似合うと思うがの」
「それは全力で遠慮させてください……」
まさかのデフォルトだった。
そう言われると、女性たちの格好とはちゃんと対になっている気がしなくもない。ルーカスが「それはどうかな」と言っていたのは、それに気づいていたからだろうか。
「……男たちは大体戻っておろうが。共に連れて行かれた身重の者や子どもは知らぬか?」
問われるだけで泣きたくなる。本当は一番助けたかった人たちは、自分たちが着いた時にはもう手遅れだったのだ。
自分が答える前に、目隠しをしたオスカーを連れて、ルーカスが一歩前に出てきた。
「ぼくらが聞いている限りだと、海の神様に捧げられたって」
「ふむ。……それは栄誉であった」
ゾワッとした。
「そんなことありませんっ!」
考えるより先に声が出てしまう。
「ジュリオ?」
「……すみません。この国の宗教観を否定するつもりはありません。でも……、理不尽に未来を奪われたことを栄誉だなんて……、私には思えなくて」
「……分かれ。そうとでも思わねば、妾もやりきれぬのじゃ」
「ぁ……」
こぼれた涙を女王の指先に掬われる。見つめる瞳には芯のある強さがある。
心がないからそう言ったのではなくて、思いがあるからこそそうしたいのだろう。
「……ジュリオは愛いの」
指先が頬をなでて、唇が近づいてくる。
「はい、そこまでね」
ルーカスの声がしたのと同時にオスカーに抱きよせられて、女王から引き離された。
「この国に男性が戻ったんだから、もうぼくらは必要ないでしょ?」
「そなたらは旅を続けて構わぬが、ジュリオは置いていくがよい」
「はい?」
女王様は何を言っているのか。元の男たちが戻ったのだから自分はお役御免ではないのか。
「まあ、そうなるよね」
ルーカスが肩をすくめる。完全にこうなるのがわかっていた顔だ。苦笑しつつオスカーを呼ぶと、オスカーがひとつ頷いた。
「女王陛下には申し上げにくいのだが。……ジュリオは自分と将来を誓っているから、返してもらいたい」
オスカーの言葉に反応するより早く、軽く抱きあげられてキスをされた。今は布だけの目隠しだからか、いくらかは見えている気がする。
(ちょっと待って。今、男性の体のまま……)
それに構わず舌を絡めとられる。
「んっ、ふ……」
深いキスと共に体を撫でられると、思考が溶かされて彼以外のことを考えられなくなりそうだ。
「……ふぁ……」
こぼれる声が熱い。解放されてもすぐには落ちつけそうにない。
「なんと……。そなたらはそういう関係であったか」
震えを帯びた女王の声が聞こえる。
「そう見れば思い当たることはしばしば……。よもや妾を抱いておった間も通じておったと?」
「だとしたら?」
オスカーの声が挑発的だ。イエスと言うとウソになるから、最大限のハッタリだろう。
沈黙があった。
呼吸を整えながらおそるおそる女王を見ると、顔を紅潮させている。
(それは怒るわよね……)
申し訳ない気持ちはあるけれど、怒って追い出されるようにするためにルーカスがオスカーをけしかけたのだろう。これで無事にマスタッシュ王国とさよならできるはずだ。
女王が真っ赤な顔で震えながら叫んだ。
「よい!!」
「……はい?」
「これほどかわいいジュリオを襲いたくなるのはようわかるぞ。妾にもナニがあればシたいくらいじゃ」
(ちょっと待って。ブルネッタ様は何を言っているの……?)
ふるふるしながら赤い顔でハァハァされても困る。
「そうか。そなたらは男色であったか。なんとうらやま……、いや、甘美……、いや……、とにかくよい。むしろよい」
女王様が未だかつてないほど興奮しているように見えるのは気のせいだろうか。
「二人揃って王宮に残るがよい。ジュリオがウォードに抱かれながら妾を抱けばよかろう」
とんでもない提案に頭を抱えたい。
ルーカスを見やると、さすがにこの反応は想定外だったようだ。珍しく、珍しいものを見るような顔になっている。
「フローティン・エア」
呪文が聞こえて、オスカー、ルーカスと共に浮かされた。スピラの声だ。がんばって現代魔法で唱えてくれたようだ。
「はいはい。交渉決裂ならそれ以上話す必要はないよね? 用は済んでるし、逃げるが勝ちってね」
ホウキに乗ったスピラがそう言って、自分たちを船の方へと魔法で飛ばす。
「ペルペトゥス、船を出してくれる?」
「え、でもペルペトゥスさんって魔法船の操縦はできないですよね?」
そもそも操縦席ではなく、まだ外にいる。どうするのだろうと思っていたら、自分たちが船の甲板に着地したのと同時に物理で船を投げ飛ばされた。
「ひゃあっ?!」
吹っ飛ばされそうになったのをオスカーが受け止めてくれる。
すぐにペルペトゥスをホウキに乗せたスピラが追いついてきた。
「女王様、泳いで追いかけようとして側近に止められてたよ」
「すごいバイタリティですね……」
「スピラさん、ペルペトゥスさん、助かったよ」
「どういたしまして」
「ぼくがあそこまで想定しておくべきだったね。男色ってわかったら拒否されるかなって思ってたんだけど」
「いや、あれは想定できないだろ……」
「世の中にはいろいろな人がいるんですね……」
改めて世界の広さを知った気がする。




