16 二人きりの夜
(どうしてこうなったのかしら……)
オスカーの母からウォード家に誘われた。それは嬉しかったし、もう少しオスカーと一緒にいたいとも思った。今日は顔合わせだけで、そのあとはそれぞれの家に帰ると思っていたから、少しさみしかったのだ。
「すまない。母さんは時々、少し強引なところがあって……」
隣にいるオスカーが困ったような申し訳なさそうな、恥ずかしそうな様子でつぶやく。
「いえ……」
強引といえば確かにそうなのだが、今の状況はあまりに想定外だ。
午後は暖かく迎えられて、オスカーの子どもの頃の話や、ウッズハイムの街の話を聞いたりして、楽しい時間を過ごさせてもらった。ウォード家は居心地がよくて、この家の一員に早くなれたらいいとは思った。
が、まさか帰してもらえなくなるとは思わなかった。
そろそろ帰ると告げると、家には連絡するから今日は泊まるようにと言われた。オスカーが場所がないと言うと、はなれはきれいにしてあるから、寝具だけ好きなものを入れるといいと言われ、あっという間に実家への連絡と家具の手配を済まされた。おまけにネグリジェまで用意されてしまえば、やっぱり帰るとは言えない。
オスカーは昔の自分の部屋で寝ようとしていたのだが、彼女を一人にしてさみしい思いをさせてはいけないだろうと言われ、はなれに押しこめられたのだ。
結果、ベッドと小さな灯りだけの部屋で二人きりで夜を過ごすことになったのが今の状況である。
彼の誕生日前の休みにお泊まりができたらと話してはいたけれど、こんなに前倒しになる心の準備はできていない。
「実は今朝……、母さんからさっさと既成事実を作るように言われていたんだが」
「え」
「実力行使をされるとは思っていなかった自分が甘かった……」
「すみません、お義母様がそういうことを望んでいるのは意外です……」
「早く孫の顔が見たいそうだ」
「なるほど……。気が早いですね……」
前の時を思い返してみると、娘が産まれた時にはすごく喜ばれたし、かなりかわいがってもらっていた。
義母は子どもが好きなのだろう。今回は場合によっては、孫の顔を見せられないのが心底申し訳ない。
「すまない……。結婚の時期を明確に答えられないのが原因だとは思うのだが。
ジュリアは空間転移で帰れるだろう? 自宅で寝てもらって、明日の朝に戻ってもらえればと思うのだが」
「え、イヤですよ?」
「イヤ……?」
「ものすごく驚きはしたし、心の準備ができていなかったから、どうしたものかとは思いましたが。せっかくあなたと一緒にいられるのに、帰るわけないじゃないですか」
オスカーが自分を気づかってくれたのはわかるけれど、離れたくはない。そっと彼の手に触れると、ビクッとして手を引かれた。そんな反応をされたのは初めてで、ちょっと驚く。
「オスカー……?」
「……すまないのだが」
(え……)
心臓がイヤな跳ね方をする。ちょっとワガママを言った自覚はある。あるいは何か他に嫌われるようなことをしただろうか。
オスカーがため息とともに頭を抱えた。
「今、少しでも触れると……、そのまま襲う自信しかない」
「ぁ……」
一気に顔が熱くなって、恥ずかしくて反対を向いた。ドキドキの意味が大きく変わる。
環境も状況もこの上ないほどバッチリだ。絶対に邪魔が入らない密室で二人きり。一度スイッチが入ったらブレーキはかからないだろう。
抵抗すれば彼はやめてくれるという信頼はあるけれど、自分が抵抗しようとするとも思えない。むしろ求めてしまいそうだ。
「……空間転移で、一緒にお散歩にでも行きますか?」
「ああ……、それはいいかもしれないな」
「はい。眠くなる時間に戻ってくれば、そのまま寝られますものね。どこがいいでしょうか」
「そうだな……、せっかくなら星が綺麗な場所がいいだろうか」
「いいですね。魔法協会で宴会をした山の上とかどうでしょう? ここからも近いですし」
「キャンポース山の山頂か。開けていていいと思う」
「じゃあ、そこへ」
おずおずと、改めて彼の手に触れる。今度は抵抗されることなく、ぎゅっと握り返してくれる。嬉しいし、安心した。
「テレポーテーション・ビヨンド・ディスクリプション」
空間転移で山頂に移動する。室内よりも少しだけ空気がひんやりしているが、寒く感じるほどではない。
「いい天気ですね。星も月もキレイ……」
「……ジュリア」
「はい」
つないでいた手を軽く引かれて、彼の腕の中に抱きしめられる。月明かりでかすかに見える中で視線が重なって、次の瞬間には唇が触れあった。
「ん……」
身も心も彼に染まっていく感じがする。触れたところから体に熱が巡って、もっとと求めてしまう。
「……おすかぁ」
「ジュリア……」
ほんのわずかに離して息をついで、離れられなくて、もう一度キスを交わす。頭の奥まで痺れて溶けてしまいそうだ。
彼の大きな手が背を撫でてくれるとゾクゾクする。もっと触れてほしいし、触れたい。彼と直接肌を触れあわせたい。
「おすかぁ……、もっと……、んっ……」
自分からも彼を求めて、キスを重ねながら、服の上から彼を撫でていく。
(オスカー、好き。大好き……)
言葉の代わりに舌先で伝えると、同じ思いが返ってくる気がする。もっとと求められるのがすごく嬉しい。
求めて、求められて、世界の中で彼だけを感じる。
どれだけそうしていたのかはわからない。まだ、もっとと思っていたけれど、ゆっくりと解放されて、そっと胸に抱かれる。甘えるようにしながら彼を見上げると、フッと優しく笑みが落ちる。
「ここならいきすぎないからいいな」
「ふふ。そうですね」
ぎゅむぎゅむと彼を抱きしめる。それ以上を求めたくならないわけではないけれど、これも十分幸せだ。
もう一度軽くキスをして、指を絡めて手をにぎる。
「ライティング」
オスカーが魔法で小さな光を浮かべた。あたりをゆっくり歩いていく。
「夜の山の空気もいいですね」
「ああ。虫や鳥や……、葉の音もして、音はあるのに静かだと思うのが不思議だ」
「ふふ。そうですね」
彼に感じ入っている時には彼の息づかい以外は聞こえなかったのに、今は色々な音が入ってくるから不思議だ。
こうして夜も二人でいられるのがすごく嬉しい。
「あなたの誕生日の時も、お義母様に頼んだらなんとかなるかもしれませんね」
「喜んで協力してくれる気がするな……」
「ふふ」
苦笑気味な彼もかわいい。
「あ、流れ星」
(世界の摂理の問題解決)
願いごとを三回唱えられると叶うらしいけれど、一度目も終わらないうちに流れてしまった。
「うーん……、三回は難しいですね。あなたはどうでした?」
「ジュリアに言われて振り向いて気づいたからな。願いを唱えるのは間に合わなかった」
「残念ですね」
「ああ」
「……メテオって、流れ星なんですかね?」
「待ってくれ。それは願いごとをする流れ星とは違くないか?」
「どうでしょう? 大きめのを遠くに向かって飛ばせば、似たような感じにならないかなと」
「大事故になる未来しか見えないんだが……」
「やっぱりダメですかね?」
「ああ。できればやめてもらいたい」
まじめに答えた彼がフッと笑いだす。つられてクスクス笑ってしまう。
「次に見つけたときのために、願い事の短縮版を考えておかないとですね」
「短縮版?」
「はい。長いと絶対に間に合わないですよね? だから短くしたいのだけど、私の場合、『世界の摂理の問題解決』以上に短くできないなって」
「それは確かに……、難しいな……」
「問題解決だけだと他のことになっちゃうかもしれないし、正確には呪いじゃないから解呪でもないし。契約変更もなにか違うし、契約解除って言ったら人類から魔法自体がなくなっちゃうかもしれないし……」
「そもそもあの一瞬に三回というのはムリがあるな。自分の願いも唱えきれないと思う」
「あなたの願い?」
「……ジュリアがずっと幸せでいられるように」
音が沁みこんだのと同時に涙があふれる。
幸せの絶頂から叩き落とされて、あがいてあがいてあがいて、一緒にあがいてもらいながらここまできたのだ。自分の願いとも重なるのに、なんて優しい言葉なのだろうか。
「おすかぁ……、だいすき……」
涙が止まらないのに笑顔がこぼれる。オスカーが優しく笑って、涙にキスを落としてくれる。
世界の摂理は言った。自分の幸せはすなわち周りの人の存在なのだと。それは確かに的を射ている。その中心はオスカーだ。
「だいすき……」
大切そうに唇が重ねられる。
彼が二度とすりぬけていかないように、すがるように強く抱きしめた。




