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6 すごくいい笑顔なのがむしろ怖い


 最初は何が起きたのかがわからなかった。

 スピラが怒って、精神操作系の魔法耐性の話をしていた。ニゲルが超音波でも詠唱ができると言った。その音域が聞こえない自分たちにとっては無詠唱と同じだから気をつけないと、と思った次の瞬間、ニゲルと目が合った。


 血のような赤い瞳に吸い込まれた感覚があって、体の制御権がなくなった。

 呼びかけに答えたくても声が出ない。ニゲルに呼ばれると、行きたくなくても足が動く。スピラの火炎魔法はやりすぎな気もしたけれど、戦いたくはなかった。

 ましてや、なぜオスカーにあんな攻撃ができたのか。思いだすだけでも自分が怖い。


(来ないで……! 来ないで来ないで来ないでっ!!!)

 オスカーが歩み寄ってくる間、必死に叫んでいた。音にはできなかったけれど。またあんなことをしてしまうのではないかと怖くて仕方なかった。

 すべてが赤く染まった前の時が浮かんだ。抱き上げたらズレて崩れ落ちた、あの感触がよみがえる。


 なぜかはわからないけれど、もう一度オスカーに攻撃することはなく、抱き寄せられてキスをされた。

(?!)

 過去に飲まれていた意識が今に戻ってくる。彼の魔法封じの檻に入られたのと同時に、声が出るようになった。

 彼を呼ぶ。


「大丈夫だ。なんともない」

 力強い言葉に安心して、すがりながら謝る。

「何ひとつジュリアのせいじゃない」

 本心で言ってくれているのがわかる。

「が、二度とニゲルと目は合わせないでほしい」

「……はい」

 油断。それはあったと思う。申し訳ない気持ちはあるけれど、それよりずっと、彼への愛しさが大きい。


「あなただけを見ていますね?」

「ん……」

 もう一度キスをもらった。

 ごめんなさいの代わりに大好きを伝えるように思いを返して、しっかりと甘える。

 大丈夫そうだ。

 視線を重ねるとオスカーがひとつうなずいて、魔法封じの檻を解除した。


 他のみんなはと思ってあたりを見る。ニゲルがミスリルの魔法封じの檻の中で水責めにあっている。

(えっと……、これはどういう状況?)

 とりあえず、飛びついてきたユエルをよしよしと撫でて頭の上に戻す。


「あ、ジュリアちゃん、見て見て!」

 スピラがものすごくいい笑顔だ。むしろ怖い。


「上の一ヶ所にスキマを開けられたの。私すごくない? やってみるものだね。ジュリアちゃんみたいに常識にとらわれないって大事なんだね」

 スピラが示したところから水を入れたのだろう。上の方に、がんばって浮けば息ができそうなくらいの空気は残っているけれど、ニゲルは泳げないようで、中で完全におぼれている。


「あの……、これ、死んじゃいません……?」

「仮死状態になってから三分くらいは障害が残らないらしいよ。人間の場合だから、魔物ならもっとなんとかなるんじゃない?」

 答えたルーカスも満面の笑みだ。かなり怖い。


 ヴァンパイアバットたちが助けようとしないのかと思って見てみると、魔法で眠らされているようだ。


「仮にも不死伝説があるヴァンパイアだもんね。ちょっとおぼれたくらいで死んだりしないよね。っていうか、死んじゃってもよくない?」

 スピラがケラケラと笑う。ルーカスが大きくうなずいた。

「もう被害者が出ないように、ニゲルを退治して、ヴァンパイアバットもぜんぶ燃やしちゃおうか」


「あの、ちょっとやりすぎなような……?」

「甘いくらいだと思うけど?」

 答えたルーカスの声がまったく笑っていない。

「何度か死んでもらっても足りないよね? ジュリアちゃんに手を出したのもそうだし、ジュリアちゃんにオスカーを攻撃させて、ジュリアちゃんを泣かせたんだから。許せる要素なんてなくない?」


(あ、これ完全にキレてる……)

 自分のために怒ってくれる友人がいるのはありがたいけれど、ここまで怒ってしまうとちょっと困る。


「でも、もう大丈夫なので。反省してもらって、もうやらないなら私は別に……」

「甘い!!!」

 スピラとルーカスの息がピッタリだ。


「大体、ジュリアちゃんは甘いからあんな魔法にかかったんだよ? 貴女の魔力なら、警戒さえしてたら十分抵抗できたんだから」

「洞窟に入る前の戦闘モードなら弾けたんじゃない? なんでこんな短時間であっさり魔物を信用できちゃうの??」

「ううっ……、ごめんなさい……」

 ニゲルを助けようとしたら矛先が自分に向けられた。その点は反省して謝るしかない。


「落ちつけ、二人とも。ジュリアを責めてもしかたないだろう。自分たちも、あのタイミングでジュリアに魔法が向けられるのは想定できなかったのだからな。非なら全員にある」

「オスカー……」

(優しい……)

 大好きだ。味方は彼だけな気がする。


「ニゲルを退治することには賛成だが」

「オスカー?!」

 その点は味方ではなかった。


「……ペルペトゥスさんは?」

「ウヌはどちらでもよいのう。ヴァンパイアと、ヴァンパイアバットの丸焼きは食べたことがない故。食事にしてもよいやもしれぬ」

 聞いたのが間違いだった。完全に上位捕食者の発想だ。


「うーん……」

 まずはスピラとルーカスに落ちついてもらうのが先決だ。いい方法は思いつかないけれど、試せそうなことはある。たぶん、驚いて冷静になってくれるだろう。


「ルーカスさん」

「ん?」

 呼びかけて、ルーカスのほほにほんの軽く唇を触れさせる。

「え……」

「スピラさんも」

 家族との挨拶ですることがある、ほほへの親愛のキスを送る。


「怒ってくれてありがとうございます。私もオスカーも無事なので、おしおきはこのくらいにしませんか?」

 ニゲルには多少痛い目をみてもらいたい気持ちがないわけではないけれど、明らかに過剰だと思うのだ。


「……しかたないね。ジュリアちゃんのキスに免じて許してあげる」

 本心ではまったく許したくはなさそうにスピラが言って、ミスリルの檻を解除する。

 辺りに水が広がって地面に染みこみ、解放されたニゲルがゲボゲボと水を吐きだした。まだ意識があったのはさすが魔物といったところか。


「大丈夫ですか?」

 様子を見ようとしたらオスカーに目をふさがれた。

「ジュリア?」

「……すみません。ニゲルさんとは目を合わせません」

 オスカーの声がちょっと怒っている。自分に危険があることで約束を破りそうになると本気で怒られる気がする。


「ニゲル。次、私や私の仲間に精神操作をかけようとしたら問答無用で灰にするからね」

「……わかった」

 イヤイヤという感じではあるけれど、ニゲルが肯首した。さすがにもうりただろう。


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