5 [オスカー] お姫様の目を覚ますのはいつでも王子様のキス
スピラがニゲルから告白された。
最初にフリーズが解除されたのはスピラ自身だ。
「待って。私、男だからね?」
「まさか冗談を」
「いやほんと。触って確かめる?」
ニゲルがペタペタとスピラの胸と股間に触れる。
(好きになった女についていたら立ち直れないだろうな……)
案の定、ニゲルの眉間にシワが寄った。
「……確かに」
「でしょ?」
そのまま落ちこんで話が終わるかと思ったが、ケロッと想定外のことを言いだす。
「魔法で性別を変えれば問題ないな」
(問題ないのか……)
「待って、問題あるからね?! 私は男でいたいよ?!」
スピラの反論に、ニゲルがニッと笑った気がした。次の瞬間、スピラの顔が険しくなり、バチッと顔の前で何かが弾かれたように見える。
スピラが怒ったように、耳を隠していたキャスケット帽を取った。
「あのね、私、これでもダークエルフだから。精神操作系への耐性はそれなりにあるからね?」
「それは残念」
ニゲルが不敵に笑って視線を動かす。その先を追って、意味を理解した時には遅かった。
「ジュリア!」
呼びかけても返事がない。
「無詠唱魔法か?!」
「いや? 俺様は超音波でも詠唱ができるだけだ」
何も聞こえなかった。ヒトの耳が捉えられない音域なのだとすれば、こちらにとっては無詠唱と変わらない。
ニゲルが軽く手を差しだして呼びかける。
「おいで、ジュリア」
呼び捨てにされるだけで五臓六腑がひっくり返りそうだ。
ジュリアが軽やかにニゲルの方へと向かう。二人並んで後ろに下がって距離をとられ、強く歯を噛みしめた。
スピラが焦ったように叫ぶ。
「ジュリアちゃん! ……それは悪手だよ、ニゲル」
空気がヒリつく。ジュリアが以前、怒りで窓を割った時の感覚に似ている。
「フランマ・グランデ」
「ジュリア、俺様を守れ」
「ウォーター・シールド・マキシマム」
スピラが洞窟の全方向に渦巻かせ、ニゲルにも向けようとした炎をジュリアが水の盾ですべて飲みこむ。
スピラが眉を下げた。
「……ジュリアちゃん」
「ジュリア」
「ヌシ様! 正気に戻ってください!」
ジュリアの頭の上にいたユエルが飛び、小さな翼でぺちぺちとジュリアの頬をたたく。
(うわああっっ、ジュリアのかわいい顔になんてことを!!)
「使い魔か? ジャマだな」
ニゲルがユエルを指先ではじき飛ばす。ユエルには悪いが、少しホッとした。
「スピラはこの子が大事なんだろ? 身柄の交換といこうじゃないか」
ジュリアがニゲルのマントの中に抱きこまれる。今すぐニゲルを消し炭にしたい。が、状況をなんとかする方が先だ。
(速攻をかけてニゲルを投げ飛ばし、ジュリアを助けられれば、スピラがニゲルを倒せるか?)
ニゲルに聞こえないように小声で詠唱する。
「エンハンスド……」
「ウォーター」
顔全体が水の球に包まれた。詠唱どころか呼吸すらできない。
(ジュリア……!)
最短詠唱で最大の効果を出してくるのはさすがだ。本気の彼女を相手に勝ち目がある気がしない。
「オスカー!!」
ルーカスの声がする。水を介してボケたような音なのに、悲痛な響きに感じられる。
(大丈夫……、とは言えないな……)
外そうとしても、手が水の球の中に入るだけで何もできない。ルーカスも同じように外そうとしてくれたが、やはり手が中に入るだけだ。
息を止めてやりすごすのには限界がある。
「俺様を守れという命令は、俺様が書きかえない限り有効だ。俺様への害意を持って何かしようとすれば、ジュリアが代わりに処理してくれる。便利だろ?」
「ダメだよ、ジュリアちゃん! 解除して! このままだとオスカー、息できなくて死んじゃう!!」
(だろうな……)
それは絶対に避けないといけないのはわかっている。誰よりも彼女が傷つくことだからだ。
前に自分が毒で操られた後、彼女に傷を負わせたのを知っただけでも身を切られる思いだった。それ以上の責を負わせたくないし、もう一度彼女に自分を失わせることもしたくない。
ジュリアがルーカスの言葉を聞いても、魔法は解除されない。今の彼女は彼女ではないのだろう。
(手が水をつき抜けるなら……、誰かに口移しで人工呼吸をしてもらえればなんとかならないか……?)
もうかなり苦しくなってきている。ここはルーカスに犠牲になってもらうのがいいだろうか。
そう思ってルーカスの手を引こうとした直前、詠唱が聞こえた。
「アルボカビア・ノメジケ」
スピラの声だ。魔法封じが付与された木の檻に閉じこめられる。耳慣れない音だったが、「ウッディケージ・ノンマジック」の古代呪文だろうか。
(は……?)
一瞬なぜ自分に向けられたのかわからなかったが、すぐに理解できた。顔を覆っていた水球がバシャっと崩れ落ちたのだ。
「水自体は生成されてて消えなくても、形状を保ってるのは魔法だからね。魔力の動きを止めちゃえばただの水に戻るんだよ」
「……助かった」
「どういたしまして」
言葉とともに魔法封じの木の檻が解除される。落ちた水にはもう動きそうな気配はない。
改めてどうしたものかと思ってニゲルとジュリアを見ると、ジュリアの目元が濡れて、頬が光を反射している。
「……ジュリア」
「うん。これはきついおしおきが必要だね」
隣から聞いたことのない声がした。ルーカスの声なのは間違いない。けれど、明らかに普段のルーカスのものではない。
目は笑っているようなのに、一切笑っていない気がするから不思議だ。
「オスカー」
呼ばれて、通信の魔道具を渡された。すぐに起動する。
『耳がいい可能性があるから、これで話すよ。試してみてほしいことがあるんだけど……』
指示をしてくるルーカスは淡々としているように聞こえる。が、淡々としすぎていて背が冷えてきそうだ。
『……了解した。やってみる』
『うん。お願いね』
言われた通り、まずはひとつ深く息を吸って気持ちを落ちつける。
ルーカスが、スピラにはそのまま声をかける。聞かれても困らない内容なのだろう。
「スピラさんはいつでも戦えるようにしておいて。ペルペトゥスさんももし協力してくれるなら一緒にお願い。腕や脚の一本や二本なら折っていいから」
「まさかジュリア嬢のか?」
ペルペトゥスが問い返し、ルーカスが否定する。
「もちろんニゲルの方だよ。ジュリアちゃんに傷をつけたら誰であっても許さないし……、彼女を制圧するのはオスカーの役目だから」
「傷つけないで制圧する? できるわけがないだろ?」
ニゲルが勝ち誇ったかのようにふんぞり返る。
一歩、二歩……、指示通りのことを考えながらジュリアの方に向かって足を進めてみる。攻撃されそうな気配はない。
(なるほど……、ルーカスの予想は正しそうだ)
「なっ、お前、死にたいのか?!」
「ジュリア……!」
一気に踏みこんで、彼女を抱きよせて奪い返す。そのまま唇を重ねた。
「お姫様の目を覚ますのはいつでも王子様のキスなんだよ? なんてね」
ルーカスの冗談めかした声がする。軽いのに、冷たくも聞こえる。
「……ウッディケージ・ノンマジック」
ほんのわずか唇を離した瞬間に魔法封じを唱え、自分ごとジュリアを中に閉じこめた。
「なっ……」
ニゲルが状況を認識して驚きの声をあげる。
「……おすかぁ」
ジュリアの声がした。恐怖と不安が混ざっているように聞こえる。
(元の彼女だな……)
ホッと胸をなでおろしながら答える。
「大丈夫だ。なんともない」
「オスカー! オスカー……」
泣きじゃくって抱きつかれた。何が起きたかはわかっているようだ。ぎゅっと大切に抱いて頭をなでる。
「何も心配しなくていい」
「ごめんなさいっ、私、ごめんなさい……っ」
「ジュリアであってジュリアではなかったのだろう?」
「……何かが思考の上から被さっていた感じで。何が正しいのかはわかっていたのに逆らえなくて」
「何ひとつジュリアのせいじゃない。……が、二度とニゲルと目は合わせないでほしい」
「……はい。あなただけを見ていますね?」
「ん……」
(かわいい。あー、かわいい)
かわいすぎる。何もかも放りだして二人きりになりたい。なんて思いながら、もう一度キスをした。




